2012年9月30日日曜日

なぜ「パワハラ」がおこるのか

「いやー、パワハラって本当にあるんだよ!」

以前、某有名メーカーの関係者から聞いたことがある話ですが、圧力をかけられる材料は良く有りがちな業績とか数字の話のようです。ハラスメントというからには、理不尽だったり無理難題だったりという部分がかなりあるのでしょう。業績が厳しい時期で、社内にリストラの噂もあったらしく、みんなが他人の事など構っていられない状況だったのかもしれません。
最近は、特定の人を退職に追い込むために、会社ぐるみでの嫌がらせなんていうイヤな話も時々耳にします。

「パワハラ」は、組織としても個人間の人間関係にしても、業績や生産性の面においても、プラスになることほとんど無いはずですし、多くの人もそう理解していると思います。それでも「パワハラ」が起こるということは、人間の理性だけでは止められない何かがあるということなのでしょう。

個人の性格や資質、自己保身、自分のストレスのはけ口、組織からの追い出し手段(当事者が率先してなのか、強制されてイヤイヤなのかはわかりませんが)など、その原因はいろいろあるでしょうが、共通するのは「自己中心」ということです。自分が同じ事をされたらどう感じるのか、相手の立場を理解しようとする気持ちが少しでもあればそんなことは起こらないはずですが、そうは思わない価値観があるのでしょうか・・・。私には残念ながら理解できません。

私は周囲の人に恵まれていたのか、幸いそのような目にあったことはありません。ただ他の人の態度を見て、「これってパワハラになっちゃうんじゃないの」と感じたことは何度かありました。
どちらかというと、自らにコンプレックスを持っているように感じる人や、上下関係やお互いの力関係に敏感な人に、そんな傾向を感じることが多かったような気がします。偉くなったと勘違いしていたり、部下を見下していたりするということです。
ただこれは、私の思い込みもあるので、当事者の話を客観的に聞いてみなければ、本当のところがどうなのかはよくわかりません。

少なくとも、「パワハラ」の加害者は、相応の権威、権限、権力を持つ人たちです。そういう立場にいらっしゃる方々は、今一度自らの振る舞いを振り返ってみて頂ければと思います。何気ない態度、言動、行動が、実は「パワハラ」になっているかもしれません。

2012年9月29日土曜日

自分の長所を聞かれて・・・

「あなたの長所は何ですか?」と聞かれる機会があり、ちょっと考え込んでしまいました。
思えば今までずっと採用面接などをしてきて、他人にはさんざん聞いてきたことのはずなのに、自分のことをきちんと整理して考えたことが最近はなかったので、あらためて整理できたことは、とても良かったと思っています。

よく「短所の改善」を課題にすることがあると思いますが、“長所と短所”は言い換えると“得意と不得意”です。得意なことは自分の好きなこと、不得意なことは逆に自分の嫌いなことというのが多いでしょう。

つまり「短所を改善する」というテーマは「自分の苦手で嫌いな事に取り組む」ということになります。かなりの我慢と忍耐が必要でしょうし、不得意で嫌なことなら効果が出るまで時間もかかるでしょう。
一方、長所は得意なこと、好きなことですから、人に言われなくても積極的に取り組めるし、努力をつらいと感じず、効果が出るのも早いのではないでしょうか。

長所と短所は裏表の関係とよく言われます。「腰が軽い」「落ち着きがない」だったり、「論理的」「理屈っぽい」だったりするということです。
ですから、同じ特性を長所として発揮すれば、短所の部分は相対的に減るということができます。
目的や目指す結果は同じようなところでも、意識の持ち方が違うだけで、人間の気持ちは大きく変わります。
自分の長所、短所を考える中で、他人を動機付けするにあたっても、テーマの与え方や目線の向け方が、とても重要な要素であるということをあらためて思い返していた所です。

私のように自分の長所・短所が整理できていないようでは、そんなことを考える前提すらないことになってしまいますので、たまには自分自身のことを整理する機会を持つことをお勧めします。(自分の反省として・・・)

2012年9月28日金曜日

社内研修の効果測定をする善し悪し

社内研修の企画や実施をする立場の人であれば、「客観的に評価できる効果測定をしろ」という指示を出されることは、良くあるのではないかと思います。特にこれから研修に力を入れていこうと考えている企業や、新たな内容の研修を企画しようという時などには、そのような指示が出てきがちです。

実際に効果測定を行うとなった場合、その方法はほぼ限られていて、「事前事後の差を比べる」か、「実施の有無での差を比べる」しかありません。
問題は何の差をどうやって比べるかです。資格取得やスキル研修といった内容ならば、合格率や合格者数、ペーパーテストの点数など、客観的に見える数字の差で比べられるでしょうが、リーダー研修、マネージャー研修といったマインド面も含む研修だと、何かを数値で表すことはそう簡単ではありません。

何らかのテストや風土調査で出て来る点数を比較したり、アンケートなどでニュアンスの違いを比較したりということをするのだと思いますが、調査する人の立場や考え方などによって、その人たちの価値観に合う都合が良い解釈の評価になる可能性もありますし、これで本当に意味がある結果が出てくるのかは疑問です。

また「実施の有無での差」の場合は、母集団の違いという問題もあります。研修を受けていない優秀な集団と研修を受けた出来の悪い集団を比較しても、参考になる結果は得られないでしょう。客観的とか定量的とか言われても限度があります。
さらに、このような効果測定を行おうとすると、概して多大な労力がかかります。その割に意味がある結果が得られないとなれば、やるだけ無駄ということになりかねません。

私は、研修の効果測定は、主観だけでも十分と考えています。個人による受け止めの差、価値観の差、人生経験など背景の差、時間軸の差など、簡単に比較できない要素があまりにも多いからです。
決して効果測定が不要といっているわけではありません。「アイツ最近ちょっと変わってきたね」「何となく雰囲気が変わってきたね」「前より話す頻度が増えたね」といった感覚、印象、空気感といった事でも十分なのではないかということです。

「主観」を積み重ねていくと、それが少しずつ「客観」になっていきます。客観、定量にこだわることをあえて止めてみると、無駄な労力を使わずに、逆に価値がある情報が得られるようになるのではないかと思います。

2012年9月27日木曜日

多様性で産み出すバランス感覚

ある研修会で、有名な外資通信社の日本編集局長という女性のお話を伺う機会がありました。

いろいろなお話の中で、報道内容の主観的な部分をどのように排除していくのかという話になり、その方は「様々な国籍で様々な文化的背景を持ち、様々な学歴や家庭環境から出てきた多様な人達が集まっている社内環境の中で、幅広い視点と価値観から議論し、それが一定のチェック機能になっている」というお話をされていました。
確かに国内のメディアであれば、ほとんどが日本人でしょうし、相応の学歴がなければ入れない世界だと思うので、懐の広さは違うだろうなと思いました。

一般の企業でも、適切でない判断や不祥事というのは、おおむね内輪の閉じた論理や偏った価値観に端を発していることが多いですから、幅広い価値観の人間を組織に取り込むことで、企業としてのバランス感覚はより好ましい形になるといえるのでしょう。今までの価値観にとらわれない人材を、いかに取り込んでいくかということが重要になってくるのだと思います。
たぶん組織に属する多くの方々も、多かれ少なかれ組織に取り込める人材の幅は広げたいと思っているでしょう。自分達の組織に活かせる人間が、世の中に沢山いるに越したことはありません。

しかし、いくら「幅広い人材を!」とは言っても、やはり自社の仕事上の向き不向きはありますから、おのずと取り込める人材は限定されます。大企業ならばまだローテーションによる異動先も考えられるでしょうが、中小企業ではそう簡単には行きません。

また、個人レベルで付き合いを広げることを考えたとして、例えば経営者の方であれば知り合いの紹介でいろいろな人と会ったり、異業種交流会に出たりということをされますが、自分と全く異なる価値観の人と知り合って付き合っているかというと、必ずしもそうではないでしょう。

私もできるだけいろいろな集まりに参加するようにしていますが、どんな人と接するかは所詮自分で選択している訳で、意図的であっても無意識であっても、どこかで自分の価値観に照らし合わせて判断しているはずです。結局自分が付き合いたい人とだけ付き合っている訳ですから、付き合いが広がっているのは確かですが、それで自分の器が広がったとか幅が広がったなどと思うのは、単なる自己満足のような気がします。

自分達だけの努力では、結局自分達の許容範囲内の人(要は自分達の価値観で許せる人)とでなければ関係作りは難しいのが現実であり、自分達と全く異なる価値観の人を自分の人脈、組織の中に取り込むのは、難易度が高いということです。

何が言いたいかというと、多様性によってバランスを取るという事を聞きかじり、「人材の幅を広げよう」などと言って、唐突に今までと毛色の違う人材を採用するなどしても、簡単に効果が上がる訳もなく、多様性を受け入れられるまでには、その基盤作りや意識改革などに相応の時間が必要だということです。思いつきでできるような事柄ではないと思います。

ただ一方で、その努力は絶対継続すべきという事は忘れてはならないと思います。どんな状態が“多様な価値観を取り込んでいる状態”と言えるのかは、なかなか明確には言えないと思いますが、自分達の価値観を広げる努力はとても大切なことだと思います。
「多様性は重要だけど、一朝一夕にしてならず」という所でしょうか・・・。

2012年9月26日水曜日

サラリーマンは強制されて当たり前?

ある人に「サラリーマンは雇われている立場なんだから、会社から強制されても受け入れるのが当然だ」と言われたことがあります。
もちろんそういう側面はあると思いますが、私はその人にはあまり同意できませんでした。なぜかというと、その人は管理者(部長職)の方で、どうも自分の部下から納得を得るということを面倒と考えていて、それを避けるための口実として言っているように感じたからです。

確かに部下が自分の指示に逆らわず、何でもハイハイと聞いていたら、管理者にとってその場はラクかも知れません。でも、自分の意見表明もせず、言われた通りにしか動かない人材が、会社にとって有益な訳がありません。
納得を得られないまでも指示した背景や周辺状況を説明し、意見を聞き、その意見の内容によっては取り入れるというような手順を省いてしまったら、仕事結果の優劣に跳ね返って業績そのものにマイナスに働くことは言うまでもなく、部下はやる気を失っていき、場合によっては辞めていってしまうかもしれません。それも、自分で仕事の構想ができる力を持った有能な人達から先にです。

自分が部下でいた頃は、何でも知らせて欲しい、情報共有したい、納得できるようにしたいと考えていたはずなのに、管理職になるといつの間にか、部下を納得させることを避けるようになってしまう人は、案外多いのかもしれません。意見のぶつかり合いを避けたい心情はわからなくはないですが、それでは管理者の役割として最も重要な部分、部下のモチベートと信頼関係作りを放棄していることになってしまうと思います。

最近、「うちは受け身の人材が多くて困る」などという会社は多いですが、実は自分たち自身の振る舞いで、そのように仕向けているのかもしれません。

2012年9月25日火曜日

元気がない会社、元気が足りない会社、元気が出せない会社

「社員に元気がない」というお話を、ほぼ同時期に違う会社から聞きました。

一社は大きな資本が入っている相応の規模の会社なので、そう簡単につぶれるような心配はない会社ですが、業績が厳しいため、雇用調整や一部社員の休業など人事的には守りの施策を行っているようです。特にその施策に直接関わる人は、する側もされる側も疲弊してしまっているようで、このあたりの動きが落ち着くまでは、社員に元気を出せと言ってもなかなか難しいのかもしれません。

もう一社は数年前に民事再生をしており、今はスポンサーがついて再建途上で、徐々に良い方向に向かっているようですが、社員が様々な不安を抱えていることは間違いなさそうです。経営陣は「社員がもう少し何らかの夢を持てるように」といろいろな制度改革などを考えているようですが、雰囲気が変わっていくまでには暫く時間がかかるように感じました。

もちろんこの二社とも、みんながみんな暗い顔で仕事をしている訳ではなく、部門によっても立場によっても仕事内容によっても違います。元気な人もやる気満々な人もいます。ただ全体で見た時に活気あふれる雰囲気と言えないことは間違いなく、お話を伺った方々もそんな所をおっしゃっているようでした。

私が今まで見てきた中で思うのは、個々の社員の気持ちの中で不安の比率が高くなり、不安を抱えた社員の比率が高くなっている会社では、全般的に社員の元気がないということです。
「社員に元気がない会社」「不安の総量が大きい会社」と言えるのだと思います。

そうなると、「社員に元気を出させるには不安の総量を減らせば良い」という事になりますが、不安の根本には社会情勢、経済環境、将来への見通しといったものがありますから、いろいろな施策や取り組みをするにしても、なかなか簡単には行かないものでしょう。

ただ、この「元気がない」の中には、「もともと元気が足りない」「元気が出せない」が混じっています。
「もともと元気が足りない」というのは、そういうタイプの人材を集めているという採用上の問題があり得るということ、「元気が出せない」というのは、ちょっとしたマイナスの事柄を必要以上に増幅させてしまっていたり、ちょっとした物の言い方や態度、雰囲気作りなど、要は何らかの原因で元気(やる気)を失わせてしまっているということです。「元気が足りない」「元気が出せない」は、自分たちの努力次第で改善できる部分でしょう。

もし「社員に元気がない」と感じたならば、その中に「元気が足りない」と「元気が出せない」が含まれていないかを考えてみる必要があると思います。
もちろん「不安の総量」を減らしていければ、それが一番なのは間違いありません。

2012年9月23日日曜日

誤解によるモチベーション低下

サラリーマンなら会社不満の一つや二つは必ずあるはずです。ただその不満の原因が、実は誤解に基づくものだった、などという事が意外に多くあります。
もちろん、すべてがすべて誤解だったという事は少ないかもしれませんが、話に尾ひれがついていたり、勝手な想像だったりということは、結構あるものです。

私が社員ヒアリングなどを通じて聞いたことがある話をいくつか紹介すると、ある会社で給与に不満を持っている社員さんがいらっしゃり、その方がおっしゃるには、「銀行へ用事で行くと、いつも『御社は業績が安定して良い会社ですね』と言われるけど、自分の給料は上がらない。きっと会社がケチっているからに違いない」のだそうです。言いがかりに近い気がしますが、その会社は当時、評価制度や給与決定の仕組みができておらず、給与はそれなりに評価した上で決めていたものの、社員にはそれを知るすべがなかったために、そんな子供っぽい不満になっていたようです。

またある会社では、「業績が厳しいというのに、役員クラスの無駄遣いがひどい」と言います。役員の方に状況を聞いてみると、「受注が厳しいので、既存顧客との関係強化策として、顧客と会う回数や量を増やしていて、当然接待などの付き合いも増えているので、社員からはそう見えてしまったかもしれない」とのことでした。
なるほど社員から見れば、業績不振なのにせっせと会社の金で飲みに行く、不届きな役員たちに見えていたという事です。

どちらも「誤解」といって良いと思いますが、誤解を招いた原因は会社側にもあります。断片的か、もしくはまったく状況を知らせていないというところです。
前者のケースでいえば、今がどんな業績で、会社全体はどんな給与水準で、その人はどんな評価をされてその給与に決まったかということ。後者のケースでは、やはり今の業績と、その改善施策としてどんなことをやろうとしているのかということになります。

視野を広く持てとはいうものの、人間はどうしても自分が見える範囲内の事で判断しがちです。その結果、勝手に誤解して、勝手にモチベーションを下げているとしたら、会社にとっても社員にとっても、こんなにもったいないことはありません。

「会社は社員が適切な状況判断ができるように情報提供し、社員は会社全体を正しく見通せる視野を持つように努力する。」
お互いの歩み寄りで、防ぐことができるモチベーション低下もあると思います。

2012年9月22日土曜日

部活の一年生

 中学のテニス部の娘から、ある日こんなことを聞かれて話をしました。

娘:「昔って1年が3年にタメ口なんてことあった?」

私:「さすがにそれはないね。もしそんなことあったら大変で、3年から2年が締められ、2年が1年に怒るっていう感じで、関係無い奴も全体責任だね」

娘:「そうだよねえ・・・。でもうちの2年にはそういうこと注意する人は誰もいないし、他の3年もダメだし、結局自分が言うしかないんだよね・・・。」

私:「面倒だけど、それは言うしかないね。」

娘:「みんないちいち言わないと何にもやらないんだよね。3年がコート整備してても1年は遊んでたり、先輩と会っても挨拶しなかったり・・・。この間も試合に行った先で、ふざけてうるさくて、他の学校の先生にまで注意されて、それでも直らないから『お前ら帰れ』って途中で帰らせた」

私:「注意すればやるようになるの?」

娘:「いちおう素直に聞くんだけど、挨拶しろって注意して、その後会ったらタメ口で『おはよう!』って言われてさ。『おはようご・ざ・い・ま・す』だろうって!。最低限の敬語もできない・・・。」

私:「うーん・・・。でも本人たちには何の悪気も無さそうだね。たぶん注意されてる意味もあんまりわかって無さそうだね」

娘:「もしかしたら、悪気がないのって実は一番タチが悪いのかな・・・。」

 何かどこかで聞いたような話・・・、そう、困った新入社員や若手社員の話と同じでした。

その後、会社でも社会人でも同じようなことがあるんだよ、という話をしたところ、娘が最後に一言、「大人になってから絶対困るのにねえ・・・」

こんなことを言っている張本人だって、挨拶も言葉づかいも実はかなり怪しいものなんですが、それでもまだ意識を持っているだけマシなのかな、などと思っています。

企業の人材開発担当の方は、これからまだまだ当分先まで、更に強敵がやって来そうです。心して取り組まないといけないようです。

2012年9月21日金曜日

業務外の会社行事の意義

皆さんの会社ではどんな会社行事がありますか? その行事には参加していますか? 参加して楽しいですか? 何か良いことはありましたか?

直接仕事ではない会社行事といえば、社員旅行、社員運動会、その他いろいろな名目の宴会などが思い浮かびます。絶対必要という人も、全く無駄という人も様々でしょうし、どんな行事なのかによっても意見はいろいろあると思います。

私も良く「会社行事は必要か、不要か」と問われることがありますが、その結論は、「メリットや必要性を感じる人にとっては必要だし、そうでない人にとっては不要だし、結局はその人の経験や考え方による」ということです。

個人としての考えで言えば、会社行事はあった方がよいし、メリットもあると思っています。自分がそういうことに参加する中で、恩恵を受けることが多かったと思っているからです。

こう言っている私自身も、社会人になりたての頃は「仕事とプライベートは分けたい」と思っていましたし、「会社行事なんて面倒くさい」とも思っていましたが、仕事とプライベートなんて結局ははっきり分けられないし、面倒と思っていた会社行事も出てみればそれなりに楽しいし、いろんな人と面識ができて仕事に役立つようなことも多々あり、そんな経験を重ねるとともにできてきた自分なりの価値観です。数字的な裏付けがあるわけでもない感覚的なものです。

たぶん私とは正反対の経験をして、嫌悪感を抱くことがたくさんあって「会社行事なんていらない!」と思っている人も大勢いらっしゃると思います。要は個々の価値観で感じ方が大きく違う、思い込みにも左右されるものだということです。

最近一つだけ思うのは、メリットとか費用対効果とか、必要性とか大義名分とか、会社行事に余計なことを言い過ぎ、また求め過ぎのような気がします。そのせいで強制や無理強い、その他嫌な思いをして、否定的に考える人がいるようになってしまっているのではないでしょうか。

会社行事を通じて、一緒に働く仲間の距離が少しでも縮まり、自然体で付き合える人たちの輪が広がれば単純にそれでよいのではないかと思います。会社行事の原点って、元々はそんな所だったのではないでしょうか。

2012年9月20日木曜日

予測できない「人と人との化学反応」

ある会社で伺った話ですが、社内の組織構成上の問題で、全く営業経験の無い女性社員を営業部門に異動したそうです。
他の男性営業部員が担当している顧客の一部を受け持つということで、同行営業をしているそうですが、ある顧客先では女性の営業がめずらしかったのか、それまで担当の男性営業部員が、何年かの間で数えるほどしか会えなかった先方の社長様が顔を出してきて、いろいろ話をしたそうです。

女性社員と同行している元々の営業担当者にすれば、そこの社長様とのコネクションにはいろいろ苦労があったようですが、今まで時間をかけて積み上げてきた顧客との信頼関係や、自分の営業力とはあまり関係がない次元で、その壁を簡単に超えられてしまったことになります。
本来ならば落ち込んでもおかしくない出来事ですが、男性営業部員はその一件の後、「あんなレベルの者に簡単に超えられるようではダメだ」と発奮し、今まで以上の責任感で仕事に取り組むようになったそうです。

配置転換、職種転換、部署異動などが、本人に大きな影響を与えるのは当然ですが、周りのメンバーや組織にも様々な影響を与えます。
このエピソードでは、当初の目的とは違った所で好影響となりましたが、逆に落ち込んでやる気を無くすことも考えられます。どうなるかは、当事者の考え方や性格、過去からの経緯、周りとの関わり、その他無限に近い要素に左右されますから、結果がある程度は想像できても、完全に予測することは不可能です。当然悪い方向へ進むこともあり得るでしょう。

このお話を伺い、私が教訓として感じたのは、人と人との関係においては、予測しきれない「化学反応」のようなものがあるということです。過去に失敗していても次はうまくいったり、前と同じようにやったつもりでも今回はうまくいかなかったりします。どうしても見極めきれない要素や状況の変化があるのだと思います。

ではどうすれば良いのか。結局は「とりあえず動いてみないと始まらない」ということになります。先を見通すことが難しい世の中であることを考えると、“緻密な計画”よりは“動きながら考える”という比重を高めることが必要なのではないでしょうか。

2012年9月19日水曜日

後藤田五訓

今日9月19日は、かつて官房長官として活躍された後藤田正晴氏のご命日だそうです。
2005年に御逝去されていますが、後藤田氏が官房長官時代に部下に与えた訓示として、「後藤田五訓」というものが紹介されています。


1.省益を忘れ、国益を想え
2.悪い、本当の事実を報告せよ
3.勇気を以て意見具申せよ
4.自分の仕事でないというなかれ
5.決定が下ったら従い、命令は実行せよ

決して特別なことを言っている訳ではありませんが、現場の組織にかかわる者の基本的な姿勢として、重要なことを簡潔でわかりやすく示した、大変すばらしい言葉だと思います。

このような本当の基本姿勢というのは、日常過ごしていると忘れがちなものです。やはり折に触れてこのような基本に立ち返ることも、大切なことだと改めて感じました。心に留めておく言葉の一つにしておきたいと思っています。

2012年9月18日火曜日

ビジネスライクではできない仕事

3年半ほど前になりますが、私の父が亡くなった当時のことです。

父の入院中と、亡くなってからの経験を通じて、本当に多くの方々のお世話になりました。入院中の身の回りのことから、最期を看取るまでお世話してくださった看護師の方々、その後の葬儀全般をお世話してくださった葬儀屋さんや納棺師、斎場の方々とは、初めて長い時間に渡ってその仕事ぶりに接し、ただビジネスと割り切ってはできない仕事なのだと、本当に強く感じました。

もちろんそれぞれの方々の内心では、公私を区別したり仕事は仕事と割り切っていたりする面もあるのだと思いますが、周囲の我々にはそんなことは微塵も感じさせず、患者やその家族、故人や遺族の気持ちを本当に細かな所まで考え、献身的というのはこういうことなのかと思いました。

私も人事コンサルタントという仕事柄、人の気持ちには十分敏感なつもりでいましたが、仕事の中ではやはりどこかでビジネスライクに割り切っていたり、経済原則に左右されていたりすることも多かったように思います。
そんなレベルを大きく超える「人に対する感性」が必要な仕事をしている方々に接したことで、自分の仕事ぶりも、もっと見直さなければならないと感じた事を覚えています。

たぶん、私と同じような経験をされた方はたくさんいらっしゃると思いますが、今一度あらためて、このような仕事をしている方々の存在がもっと認められ、もっと感謝され、尊敬されるべきだと、当時のことを思い出しているところです。

2012年9月16日日曜日

「ニンジン文化」のニンジン

数年前ですが、年末年始に住居がない失業者を支援する「年越し派遣村」という活動がありました。
その支援の中で「就職活動費」の名目でお金を支給していたそうですが、支給された後に、所在不明になって戻って来なかった者や、酒、タバコ、パチンコ代などに使ってしまっている者が多数いる、との報道を見たことがあります。

支援の是非はともかく、そもそも就職活動というのは、個人の“意欲”“やる気”に基づいた活動であり、“意欲”“やる気”という個人差が大きいものを、金銭支給という一律の方法や内容で支援するのは非常に難しいことだという印象を、その当時は受けました。

企業においても、社員の「意欲」を高める様々な施策を考えて実施していると思います。社員の貢献を認め、報奨を与えることで意欲ややる気を生みだしていくような「ニンジン文化」が重要と言われますが、現場を見ている中で時々気になるのが、“ニンジン=金銭的報酬”ばかりで捉えている会社です。

確かに昇給、報奨金、インセンティブなどは、動機付けの要素ではありますが、金銭的な報酬の場合、その効果は短期的といわれます。報酬を与え続けなければ満足せず、徐々に満足の度合いも下がっていき、逆に報酬が少ないと不満を持つようになってきます。

そもそも動機付けの要素というのは、金銭だけでなく、他人からの感謝だったり、社会貢献だったり、名誉だったり、自己満足だったりと、時と場合によっても、また人によってもいろいろです。

ですから会社の施策としては、社員の様々な価値観を考え、それを様々な形で刺激することが必要ということで、日常業務の中でのちょっとした褒め言葉やちょっとした賞賛も十分に「ニンジン」になり得るということです。
少し幅広い視野で「ニンジン」を探してみると良いと思います。

2012年9月15日土曜日

内定者研修の目的は?

新卒採用を行っている会社では、10月になれば内定式などをやって、来年4月に向けた受け入れ準備をいよいよ始めるのではないかと思います。内定者向けの研修などもいろいろ考えているのではないかと思います。

私も内定者研修をお手伝いすることがありますが、以前お手伝いした会社で、内定者研修をどう進めるかを企画していた時のお話です。
前年は一部社員が講師を努め、会社としては、かなり手をかけて資格取得などに集中して取り組ませたとの事だったのですが、手をかけたなりの効果があったのか、そもそもの目的はどうなのかなど、反省点や課題が多々ありました。

会社としては、内定者は4月から社員ですから、それまでにできるだけレベルアップさせたいと思うのは当然でしょうが、だからといって何でもかんでもやらせる訳にはいきません。内定者の身分はあくまで学生であり、内定者の期間は、人生最後の学生生活の期間でもあることにも配慮する必要があります。

 私は、内定者研修はやり過ぎもやらな過ぎもダメだと思っています。
手のかけ過ぎや詰め込み過ぎは、やらされ感を持ったり依存的になったりします。
一方で、自主性に任せ過ぎても、カリキュラムを消化できない、思ったレベルに到達しないといったことが起こります。

結局は何のために行うのかという目的をはっきりさせ、それに合致するカリキュラムを設定し、カリキュラムに応じた到達レベルや目標を定めるということになります。
実施目的も内定者のレベルも意識も、会社ごとにまちまちでしょうから、こうすれば良いという明確な答えはなく、各社の事情に合わせて考えるしかありません。私の経験上で言えば、あまり多くの事柄を求めずに、目的を極力絞り込んだ方が効果的であったと思います。

ずいぶん以前の話ですが、「内定者教育をやっていけば新入社員のレベルが入社前に選別でき、レベルに達しない者には別の道を考えるように仕向けなければならない」と真顔で語っている人事担当者に出会ったことがあります。
私は「内定者研修程度で適性不足がわかる人材をなぜ採用するのか、能力不足なら採用すべきでないし、採用したからには最後まで責任を持つべき」と大いに憤慨した経験があります。少なくとも内定者研修をそんな実施目的にだけはして欲しくないと思います。

2012年9月14日金曜日

「その人ありき」の組織

中小企業の場合、マネジメントが任せられる人材を豊富に抱えていることは少なく、結果として「その人ありき」の組織構成になっていることが多々あります。要するに「部長クラスが5人いるから部門も5つ」というようなことで、組織構成が事業構想や機能に基づくものではないということです。

ただ、中小企業で事業構想や機能を優先して組織を作ったとしても、単に職制の兼務が増えたり、能力不足の人に無理やり管理者を担わせたりということになりがちで、結果的に組織が機能不全に陥ってしまいます。これはこれで好ましいことではありません。

結局どのようにバランスを取っていくかということになるのですが、多くの中小企業では、どうしても「その人ありき」に偏り過ぎる傾向があります。

この「その人ありき」は、言い換えると「現状ありき」ということで、「人がいないからできない」と言っていることと同じです。「その人ありき」に偏ると「今は無理」、「今は出来ない」という話ばかりになってしまい、会社の事業的な発展と、人材の成長や進歩を妨げることになってしまいます。

やはり組織を構想する順序としては、まず事業構想に基づいた機能と構成を考え、その部門にそれぞれどんな人をあてるか考え、あてられる人に不足があるなら補完や補佐できる人がいるかを考え、それも無理なら、初めて「その人ありき」で組織構成を考え直していく、ということだろうと思います。

もし、今まで「○○さんに何をやってもらうか」から組織を考えていたならば、一度事業や機能から組織を考え始めてみると、今までとは少し違ったものが見えてくるのではないかと思います。

中小企業が属人性に左右されるのは、ある程度やむを得ないことではありますが、「その人ありき」をいつまでも続けていては、いつか会社の成長は止まってしまいます。

2012年9月13日木曜日

規制の中の個性

以前見たテレビ番組で、「個性」の話を取り上げていました。

面白かったのが、「規制がある方が個性が生まれる」という話です。
番組では落語家さんを例にしていましたが、古典落語などほとんどの噺は昔から変わらず、お客さんはすべての中身を知っている、そういう縛りがあるからこそ個性を出していける、ということでした。
そう言われれば指揮者でも役者でも、楽譜や台本という縛りがある中で、それぞれ個性は発揮されているなぁと思います。

また実験で、芸術学校の学生さんに、テーマだけを与えて規制はないチームと、テーマに規制を加えたチームにそれぞれ画を描いてもらっていましたが、規制のないチームより、規制のあるチームの表現に各々の個性が強く出るという結果になっていました。

私たちが仕事上で他の人からの企画提案を求める時に、発想を制約しないようにとあえて細かい条件を出さないことがあります。特に自分の部下などに対しては、「何でも良いから自由に考えて」などと指示していることは案外あるのではないでしょうか。

「一定の制約条件があった方が、より多彩多様な発想が出てくる」ということであれば、日常の仕事の中での指示命令の仕方、企画提案の求め方はおのずと変わってくるような気がします。もしも自分が企画提案を求められた時を考えると、確かに一定の制約条件を提示された方が、いろいろな案を考えやすいという所があると感じます。

「規制がある方が個性が生まれる」ということを知っているか知らないか、意識するかしないかで大きな違いがあるように感じたので、今回ちょっと取り上げてみました。

もしも何か当てはまりそうな機会があれば、試してみてはいかがでしょうか。

2012年9月12日水曜日

論理と感情の使い分け

私と関わりが深いIT業界では、技術者中心の業界であることもあり、何でも理路整然と整理しようとする、論理志向の強い人が多いようです。(悪く言えば理屈っぽい)
そのせいか、組織運営や部下指導といった人との関わりにおいて、何か調整が必要な場面などに遭遇した時、論理的に説明して相手を納得させようとする傾向がとても強いように感じます。

しかし人間というのは、いくら理屈が合っていても感情で納得できない事というのは多々ありますから、なかなかうまくいくものではありません。ヒューマンマネジメントが苦手だというIT技術者が多いのも、こんな所に原因があるのかもしれません。

ある方からうかがったお話ですが、例えばすごく厳しい仕事を部下に指示しなければならないような時、「最後は理屈ではなく感情に訴えるしかない」とおっしゃっていました。
もちろん論理的な説明はしますが、最後の最後は「君以外にいない」「君の力を貸してほしい」「俺の顔にめんじて」など、一生懸命に心を込めて話して納得してもらうのだそうです。そのためには、相手から「この人にそこまで頼まれたら仕方ないな」と思われるような、日頃からの信頼関係作りがあってこそだということでした。

論理だけでも感情だけでも、相手の納得というのは得られないものです。両方を場面に応じて使い分けることが重要であると同時に、最後の最後は感情が優先すると言うような捉え方をしておくべきではないかと思います。

日々の関係作りの積み重ねがこういう所で活きてくるという事を、十分肝に銘じておく必要があると感じました。

2012年9月11日火曜日

後ろ向きの仕事

仕事の内容を考えた時、前向きに捉えられるものと、後ろ向きと感じてしまうものがあると思います。
私が関わる人事業務でいえば、採用活動や働きやすい職場環境作り、社員満足の向上などは前向きな仕事、人員整理などのリストラ、労務トラブルの対応などというのは後ろ向きな仕事の部類になるのでしょう。

最近、この不況下でも業績を伸ばしている会社と、不況の影響を強く受けて非常に厳しい状況の会社、それぞれの人事の方からお話をうかがう機会がありました。当然かもしれませんが、やはり伸びている会社では前向きな仕事が多く、厳しい状況の会社では後ろ向きな仕事が多いようです。

もちろんどんなに後ろ向きと感じる仕事であっても、やるべきことはやらなければなりませんが、厳しい状況の会社のお話で感じたのは、会社の雰囲気やムードまで必要以上に後ろ向きになっており、それも経営者や幹部社員、上長などのちょっとした言動や動き方、その他些細なことの積み重ねでそのような状態を作り出してしまっているということでした。

後ろ向きな仕事というのは、将来前向きな仕事をするためのベース作りですから、必ず前向きな理由があるはずですが、今の危機感を必要以上にあおっていたり、社員の不安感を助長する事ばかりが強調されていたりするようです。(組織の中で、自分の身の安全を確保している人ほど、そんな傾向があるようですが…。)

やはり人は気持ちで動く部分は大きいですから、同じ内容の仕事であってもムード作り、雰囲気作り、動機付けの仕方などで、この気持ちの部分は大きく変わってきます。
厳しい状況で余裕がなくなっている中ではやむを得ない所もありますが、「後ろ向きなだけの仕事ではない」と感じさせる働きかけも必要ではないかと思いました。

2012年9月9日日曜日

バランスを見失わない努力-過労死と失業の話題より

以前テレビニュースで雇用問題の話をやっていた時、一緒に見ていた中学生の娘が「なんで仕事が無い人がたくさんいるのに、過労死になってしまうの?」と聞いてきました。考えてみれば至極全うな疑問です。

その時は「一度人を雇うと簡単にクビに出来ないから、一時的に仕事が増えたぐらいでは会社は新しく雇えないんだよ」とか、「一人を長時間働かせた方が、その仕事を何人かで分け合うより人件費が安上がりになるんだよ」とか、いろんな説明をしましたが、娘は理屈ではわかってもあまりしっくり捉えられなかったようです。説明している私の方もイマイチしっくりきていないので、当然かもしれません。

仕事に就いている人、またその中でも能力がある人に仕事が集中し、その逆の人は仕事に就くことすらできなくなってしまう、これもよく言われる一種の格差でしょう。やはり、市場原理や自由競争に任せ過ぎると、勝ち組は勝ち続け、負け組は負け続けてどんどん格差が広がってしまいます。今は少し行き過ぎた状況なのだと思います。いずれ揺り戻しがあってバランスが取られる方向になるのでしょうが、どの程度が適切なのかというのは、なかなか難しいところです。

私が今までの経験で思うのは、「勝ち組」の話ばかり聞いていると、バランスを見失う危険が高いということです。
会社の中での「勝ち組」といえば、業績を上げている部門長、営業マンといった人たちでしょうが、ともすればそこから出てくる意見や要望ばかりが取り上げられがちになることがあります。

「結果を出している」という事を後ろ盾に発言権が強くなり、周りもなかなか反論しづらくなりますが、その時点の結果に目を奪われ過ぎると、背景にある様々な無理や不条理に気づくことが出来ず、後になってから「判断を誤った」という事態が起こって来ます。
本当の意味で、バランスが取れた適切な判断をしようとすれば、勝ち組以外の人たちにも話を聞き、結果だけでなくプロセスにも目を向けることが必要だと思います。

「バランス」という言葉はあいまいで、何を持ってよしとするかは難しいですが、その時々で「バランス」を見極めようとする努力だけは、常に続けていく必要があると思います。

2012年9月8日土曜日

採用活動-会社も謙虚さを忘れてはいけない

私も、採用活動の現場を近くで見ているので、最近の厳しい状況は目にしています。心情的にはみんなを何とかしてあげたいけれども、それぞれの企業体力には限度がありますから、なかなかそうはいきません。

企業側としては限られた採用数の中で多くの応募者が来ますから、俗に言う「厳選採用」ということになります。採用基準を維持してその水準に達する者だけをしっかり選ぶということですが、そういう時ほど、特に気をつけなければならないと思うことがあります。それは相手に対するリスペクト、謙虚な姿勢を忘れてはならないということです。
選ぼうという考えが強くなればなるほど、「人を選別する」ということに慣れてしまい、自分が一段上の立場と錯覚してしまいがちになるからです。

応募者の中には、誰が見ても優秀という人も、まったく逆の人も確実に存在しますが、そんなの人は、それぞれごく少数であり、企業が採用しようとする人の多くは、良い所も悪い所もある、ごく普通の平均的な人たちです。その人たちのちょっとした個性の違いや、わずかな能力の差などで合否を決めています。
最後は総合判断などと称して、個人的な相性や好き嫌いまで含めた判断をすることもあるくらいですから、単純明快に誰でもわかる採用基準で合否を決めている会社は本当に少ないはずです。
その程度の採用基準の中で、応募者を選別しようという考えが強くなれば、その人の良さを見るというより粗探しの要素が強くなり、そんな事を続けていると、無意識であってもいつの間にか応募者を一段下に見るようになってしまいがちになります。

本来採用活動は、募集する企業側と応募者側がイーブンな立場で行われることがベストですが、実際には市場原理で、どちらか一方の立場が強くなったり弱くなったりします。そのために発生するミスマッチもあります。とても不幸なことだと思います。

採用活動は企業の「広報活動」でもあります。横柄な態度はすぐに口コミで広がり、いつか自分たちの不利益になって返ってきます。現在採用活動に携わっている方は、今のような時期だからこそ、自分の立場を錯覚せずに、応募者の立場をおもんばかった上で仕事に励んで頂きたいと思います。

最後に、現在就職活動されている方々に向けてですが、なかなか内定が得られないからといって人格を否定されている訳でもなく、合否の分かれ目は前述のようにほんのちょっとした違いだけです。自分が必要とされる場所は必ず有るはずですから、悲観せずに取り組めば必ず良い結果が得られると思います。
情勢は常に揺れ動いているので、気長に幅広くという姿勢が重要かもしれません。

2012年9月7日金曜日

「数字」を意識させることの善し悪し

 ある会社での人事制度作りをお手伝いした時、評価制度を検討する中で、業績管理を誰がどのように行っているかという話題になりました。

その会社では役員クラスのみで行っていたため、なぜ権限委譲しないのかを聞いたところ、「以前プロジェクトマネージャーにプロジェクト単位の収益管理を任せたことがあるが、目先のお金のことばかりを気にして総合的に判断することができず、このままでは良い方向に進まないと感じてやめてしまった」とのお話でした。数字を意識させることがかえってマイナスに出てしまったようです。(「マネージャーのレベルの問題もあるけどね」、ともおっしゃっていましたが・・・)

 またある会社では、社員から様々な会社情報の開示を望む声が出てきていたため、初めは渋々ではありましたが、業績数値などを社員に公開するように改革することになりました。
その結果として、社員個々の営業目標など、各自の営業状況が具体的で明確に見えるようになり、決して厳しいノルマ扱いはしていないのですが、社員個々にとっては責任感が増して結構プレッシャーになっている様子だとの事でした。
社員からすると、自分たちの要望が実現した結果、自分たちも相応の責任を負わなければならなくなったということで、こちらの会社にとっては、思った以上の効果があったという感じのようです。

 これまた全く別の話で、新人研修の際に、私は良く研修費用の話をしていました。新人研修に要する経費は、学校を卒業したばかりの者の金銭感覚からすればかなり高額ですが、これを「みんなに将来活躍してもらうことを期待しての投資だ」と伝えると、案外インパクトを持って捉え、頑張ろうという気持ちになってくれていたようです。

 以上、「数字」を意識させる善し悪しのエピソードですが、要は場面に応じた与え方、使い方なのだと思います。
「ノルマ」という言い方をされるように「数字」ばかりで人を縛り、プレッシャーをかけることはあまり好ましくないと思いますが、正しい現状把握のために「数字」を意識させることはとても重要な事です。そして、その「数字」を個々の動機付けの材料として適切に使っていくことができれば、それは望ましい姿なのではないかと思います。

2012年9月6日木曜日

「それほど調子は悪くない」という会社

いろいろな会社の現状についてのお話をうかがっていると、本当に厳しい状況に置かれている企業がある反面、こんな経済状況にもかかわらず案外悪くないという会社にも結構出会います。その理由をうかがうとそれぞれ「なるほど」と思うことも多いです。

単純な例で言えば、景気変動の影響が比較的少なかった業界の仕事に関わっている所などですが、面白かったのは、顧客が大口1社に依存しているが、その中の様々な部門とまんべんなく取引しており、当然部門毎に業績の比較的良い所と悪い所があるが、まんべんなく取引があるおかげで毎年バランスは取れている、というような会社がありました。

一般論で言えば、取引先が1社に集中することは良しとされないでしょうが、取引先自体が幅広くビジネスをしていて、そこに深く入り込んでいれば、結果的にはリスク分散になっていたということなのだと思います。

お話を伺う中で、案外悪くないという会社の皆さんが割とおっしゃるのが、謙遜もあるのでしょうが、「結果オーライもあるよ」ということでした。
もちろんどこに商機があるか、どうすればリスク分散できるかは常に考えていたと思いますが、必ずしも思った通りに運んだ訳ではないのだと思います。そこには理屈だけでは説明できない運や、経験からくる勘といった要素もあったのだと思います。

先を見通すことが難しい今のような時代、一般論だけで解決しきれない事も多いですが、さすがに運や勘といったものまでをどう磨いていくかはなかなか難しいことです。

ただ“運”は他人が運んでくれるもの、“勘”は経験で研ぎ澄まされるものと考えれば、結局人脈を広げて経験を積んでいくことに尽きるのではないかと思っています。

2012年9月5日水曜日

「自分のこと」を知ってもらうこと

 もう十数年前になりますが、その当時お世話になっていた研修講師の方が、とにかく大のジャイアンツファンでした。いろいろな企業で研修をされるのですが、その始まりは自己紹介を兼ね、決まって「自分はいかにジャイアンツが大好きか」というお話でした。

その方とは酒席などでお話をうかがう機会があったのですが、「実はあの自己紹介のおかげで、自分にとってすごく良いことがある」とおっしゃっていました。
何かと尋ねると、「あの話をすることで、たまたま他の人の手元に余ったジャイアンツ戦のチケットが自分に回ってくる」のだそうです。

そもそも野球のチケットというのは、案外いろいろな所で余っているものだそうで、その時に「そういえばあの人・・・」と思い出してもらえるので、いろいろなつながりの方々からチケットが回ってきて、年間で結構な試合数を見に行けるのだそうです。「いやー、言っといてみるものなんですよ」とおっしゃっていました。

 自分の人となり、嗜好などを他人に知ってもらっていると、その事柄に関していろいろな話が舞い込むようになります。「ゴルフ好き」と知られればゴルフのお誘いが来るでしょうし、「酒好き」と知られれば宴席の誘いは増えるでしょう。
逆に「これは嫌い」、「自分はやらない」と知られていれば、そのことに関して誘われることはほぼ無いでしょう。

またはっきり意思表示していなくても、飲み会の誘いを何度も断ればそのうち誘われなくなるでしょうし、ゴルフだって同じでしょう。一緒に行動して楽しくないような人は、やっぱり誘われなくなるでしょう。(ここは自分の振舞い次第ですね。)

 このような趣味の話だけでなく、自分の性格、仕事の進め方、好きな事と嫌いな事など、自分の事を他人に知ってもらうことは、無駄なやり取りを減らすことができ、相手にとっても自分にとっても良いことが多いと思います。何より自分にとって有用な情報が集まりやすくなると思います。

多くの人は無意識の中で既にやられていることなのかもしれません。でもそれを更に意識的にやることで、それこそ「運が集まってくる」のではないかと、このお話を聞いた当時に思いました。

久しぶりに思い返しましたが、今でもやっぱり同じような感想を持っています。

2012年9月4日火曜日

強い者が教えない方が良い

以前見たテレビ番組で、たぶん誰でもご存知の有名なベテラン俳優さんが、「私は強くないから、他人に教えることが出来た」というお話をされていました。

「もし自分が強い者で、その感覚のまま相手をガンガン厳しく鍛えても、結局モノになる者はなるし、ならない者はならない。それはかえって自分自身が恨みをかったり、周囲の人を遠ざけるだけで、他の人から、あなたは強い人で無いから教えられるのだと言われた」という話でした。
成功者とされる方々は、よく「厳しく育てた、育てられたからモノになった」という話をされますが、一件厳しそうに見える著名な方が、それとは逆のお話をされたことが、新鮮な印象でした。

「厳しさ」というと、ついつい上司など他の人から叱責されたり、場合によっては罵倒されたりしながら自分の課題や仕事に向かう状況を思い浮かべてしまいます。でもこれは「接し方の厳しさ」です。

厳しさにはいろいろあって、例えば水準の高い要求をされることも「厳しさ」で、それが穏やかにニコニコしながら話されたとしても、「厳しさ」には変わりありません。

「厳しさ」と言われると、どうも「接し方の厳しさ」に偏って捉えられているように思います。もちろん結果的にそれで良かった例はたくさんあるのでしょうが、逆にそのせいで成果が出なかった例は、それにも増してたくさんあるように感じます。

目標に向かう上での「厳しさ」は絶対に必要ですが、そこに向かっていく過程の教え方について、叱責や罵倒など、単に「接し方を厳しくする」ということは、必ずしも必要ではないように思います。要は相手に合った教え方はどんな方法かを考えるべきと言うことです。

こんなことを書くと「お前は甘い」と言われてしまいそうですが、強い者の感覚に頼って接し方だけを厳しくしたり、不自然に厳しさを演出するよりは、強くない者、痛みの分かる者が、普通に教えれば、実は結果につながりやすいのではないかと感じました。

2012年9月2日日曜日

映画館の子供たち

うちの子がまだ幼稚園か小学校低学年の頃なので、もうずいぶん前になりますが、子供を連れて映画館に行った時の話です。

映画が始まる前に子供をトイレに連れて行ったのですが、トイレの入り口でドアを押さえて待っている小学3、4年ぐらいの男の子がいました。
ずいぶん前から押さえているので、誰か知り合いでも通るのかと思っていたら、うちの子供が通るのを確認してドアから手を放し、向こうへ行こうとしています。どうもうちのチビが入ってくるのを遠くから見ていて、待ってくれていたようです。
「どうも有難う」と声をかけましたが、男の子は照れ臭かったのか、目も合わせずに行ってしまいました。

その後、席に座って映画が始まるのを待っている時、一つ前の列に中学生ぐらいの女の子たちのグループがやってきました。一人の子が席に座ってすぐに振り向き、後ろに座っていたうちに子に「ちゃんと見える?大丈夫?」と声をかけてくれました。
「大丈夫だよ。有難う」と私が言うと、彼女たちは仲間同士で「あっ、でもあんたの方が背低いから場所変わろうよ」などと気を遣ってくれました。

人の様子を気遣い、実際に行動に移すというのは、大人でもできるようでなかなかできないことですが、そういう事をきちんとできる子供たちがいます。よく「今どきの子は・・・」などと言われますが、こんなに良い子たちが沢山いるんだと、その当時、「今どきの子も捨てたもんじゃないな」ととても感心、感激したのを覚えています。

できる子とできない子で何が違うのか、確かなことはわかりません。親の教育、学校の指導、本人の能力や性格、その他の周辺環境など、いろいろ考えられるでしょう。
一つだけ確かなのは、決めつけやレッテル貼りだけはすべきでないということです。「どうせ今どきの子は・・・」という大人の先入観で、子供たちの能力や才能の芽を摘んでいることが沢山あるように思います。

実は、会社のような大人の世界でも同じように、決めつけやレッテル貼りが人の成長を妨げているのかもしれません。

2012年9月1日土曜日

人事部と現場の距離

私は「現場経験がある人事」だったので、それほど感じたことはありませんでしたが、会社の中で、人事部と現場の距離というのは案外微妙なことが多いものです。
ベンチャー企業ではそれほどでもないですが、会社が一定規模を超え、人事部門が組織として機能し始めると、概ねその距離は広がり始め、現場にとって人事部は、「現場をわかっていない存在」、「煙たい存在」になっていきます。

これには仕方がない面もあります。そもそも人事部は、その職務分掌として、給料や評価といった個人の情報を一括して持っています。また経営者にとって人事部は、人事施策を取りまとめて実施する部門であり、当然要求は集中的に出されます。

本来は人事部が経営からの要求をかみ砕き、現場の考えを吸い上げ、双方を調整、説得するなど、経営と現場を橋渡しする役割が求められますが、現場の多様な意見に対応するだけのマンパワーも無く、経営者の意向を優先することも多くなります。その結果、現場にとっての人事部は「経営者と一体化した権威部門」とみられがちな存在になってしまうのです。

中には経営者の考えで、意図的に現場と人事部を遠ざけようとする会社もあるのですが、これが好ましいかといえば、私は決してそうではないと思います。人事部は“人”を扱う部署であり、“人”とは現場の社員です。“人”を扱う部署が“人”と疎遠になり、信頼関係を欠くことが、経営上も組織上良い訳がありません。

実は、私たちのようなコンサルタントが企業のお手伝いをする時、この溝を埋める役割になることが必要な事例が多いです。それほど現場との人事部との関係作りは難しいということの裏返しでしょうし、膠着した関係を打開するために、外部人材を活用するのも一案だと思います。

ただ私たちコンサルタントも、依頼者は経営者か人事部門のケースが多いですから、ともすればそちらに偏りがちになってしまいます。間に立って橋渡しする立場である事を、しっかり意識しなければならないと思います。