2013年3月30日土曜日

組織変更の難しさ-もっとうまく進められる?(4):どんな運営をするかの話


組織をくっつけたり、分けたり、新たに立ち上げたりという中で、その組織内の細かな仕事の進め方、事務手続きなどのしかた、組織運営の方法、その他の仕組みなどをどうするのかというのは、そこに関わる人たちにとっては大問題です。
まぁ多くの場合は、経営者やその部署の責任者、管理者が、自分が今までやってきたやり方を踏襲して決めているのではないでしょうか。そして、そんな些細なことが、スムーズな組織変更を妨げる意外に大きな要因になっていたりします。

私が経験した二度の企業合併では、そこに至る経緯はそれぞれ違いましたが、先に持ち株会社や新会社を設立し、その後徐々に統合を進めて最後に一体化するというものでした。どちらも基本的には対等合併ということで、両社が融合しやすいようにとの配慮だったのだと思います。

しかし徐々にとは言っても、組織は一体化するわけですから、実際には様々な部分を統合、集約する作業が必須になります。そのための統合作業の現場では、事務手続きなどの小さな事でもどちらのやり方に合わせるか、意見を取るかという議論が常にありました。

私は一度目が企業規模の小さい側、二度目が大きい側に在籍していましたが、この意見が折り合わない場合、どうしても数の論理で規模の大きい会社の主張が強くなる傾向がありました。「変化する人が少ない方が効率的だ」などと言われました。

このため、純粋により良いとはいえない制度や仕組みが選択されるケースが出てきます。良し悪しの判断基準は価値観、文化の違いといってしまえばそれまでですが、一方にとっては、自分たちの方が良いと思っている部分も捨てられる場合があるということです。

なぜそのようにしたかは、常に論理的な理由ばかりではありませんので、説明自体はどうしても少なくなりがちです。自分たちの良さが消えたと感じ、その理由も示されないとなれば、合併相手や組織全体への不満、反感となり、否定的な感情につながっていきました。

組織変更を行いながら、うまく組織作りを進めているところでは、意見の違いがある中でも良い物は良い物として取り上げ、経営者や管理者が積極的な情報開示に努め、社員同士が様々な形で直接コミュニケーションを取り、気持ちも含めて融合できるように十分な時間をかけています。
私の経験としても、このあたりは組織変更や企業合併の本質的な成否を左右する、重要なポイントであると思います。

やはり経営者や管理者といった権限を持つ者、企業合併であれば力関係が強い側が、いかに全体に配慮できるかということが、一番重要なことであるように思います。


2013年3月29日金曜日

人事施策の他社事例


会社内での人事の関する企画、施策というのは、それぞれの会社でいろいろ工夫をしています。そんな事例というのは私もいろいろ調べて、何かと参考にします。

いろいろな事例を見ていると、中には奇抜なもの、シャレかと思うようなもの、遊びやゲームのようなものもありますが、ほとんどの場合、一つ一つ行われている活動としてはそれほど目新しいものではなく、既にいろいろな所で紹介されているようなものを、自社なりにアレンジして取り入れているような例です。
また、その評価というのも、何かが画期的に良くなったというよりは、「その制度を取り入れたおかげで良くなったのだろうと思う」というような、肌感覚から判断していることが多いように思います。

これは決して批判的に言っているわけではなく、人事上の施策では「様々な価値観を持つ人たち」を扱うという性質上、そんなに奇抜だったりユニークだったりするものはなかなか見出しづらいですし、奇抜イコールちょっと乱暴?という場合もあります。
また、実施した施策の評価と言われても、結局は施策に直接関わらない様々な要因も含めた総合的な結果であり、人事担当者からすれば「うーん、この施策を取り入れてから徐々に変わっては来ているから、まあ効果はあるんだろうなあ・・・」という感じも多いと思うので、事後評価でなおかつ感覚値になるのは仕方がないと思います。

いろいろなところで成功事例として紹介されているものに共通しているのは、「一人一人の社員、応募者、その他ステークホルダーの人達に、できる限り真摯に向き合うため」の施策を考え、それを「効果があると信じて、確実に実行、継続している」ということです。
要は自分たちが良かれと信じたこと(人事上の原理原則を踏まえた施策)を、徹底してやり続けているということで、人事担当の思い入れや思い込みも多分にあるということだと思います。施策自体の評価が感覚的になってしまうのは、こういう部分も影響しているでしょう。

私がいろいろな人事施策の事例で参考にすべきと思うのは、施策そのものだけでなく、会社として良いと思い込んだことを、目的を忘れずにやり続けるという基本姿勢です。また、施策として続けられることを、選んで取り入れているという面もあります。仮に施策だけを真似をしても、基本姿勢と続けられる内容かどうかの判断が伴っていなければ、きっと効果は出ないだろうと思います。

他社事例は大いに参考にすべきですが、自社に取り入れるにあたって、この点だけは間違ってはいけないと思います。


2013年3月27日水曜日

組織変更の難しさ-もっとうまく進められる?(3):人材流出の話


一般の組織変更ではあまりないのかもしれませんが、私が経験した二度の合併では、多くの人材が会社を去っていきました。

一回目と二回目で多少の違いはありますが、“合併が発表されたとき”、“合併直後の半年から1年”、“合併から2、3年たってから” にそれぞれ人材流出のピークと思われる時期がありました。
時間とともに収束していっているといえば、まあそうなのですが、結構な時間が経過しても会社の風土が変わったことを辞める理由に挙げる人たちがいました。

辞める決断をするということは、残って仕事をするよりも違う環境に身を投じた方が良いと考えたという事ですから、会社としてはより良い将来像を提示できなかったという事になります。組織が変わることが、社員にとってこれから先に良いことがあるとは感じさせられなかったということでしょう。

社員数の減少が著しいと、その企業合併は失敗だという見方をすることがあるようです。その点に関して、私のいた会社では、辞めるのは仕方がないからとそこにはあまり手をかけず、その分採用を増やして帳尻を合わせることを考えていたようですが、採用基準を大きく変えでもしない限り、そう急激に採用数を増やすことも難しく、あまり思ったようには運びませんでした。

合併発表時に辞めるような人は、その前から時期を探っていた人ですから、遅かれ早かれ辞めてしまったのかもしれないと思いますが、ある程度時間が経ってからのそれは、もっと会社の方向性を見せる努力をし、いろいろな人たちの声を聞き、できるだけ多くの社員にとってのメリットを語っていくことができれば、ずいぶん抑制できたのではないかと思っています。

組織のムード作りなので、具体的な取り組みとしては、細かな配慮、企画、コミュニケーションの積み重ねということでしょう。

「組織を変える」ということを成功させるには、人の心理に働きかける地味で細かな取り組みが重要です。
中でも人材流出という事象は、どんな事情があるにせよ、組織にとって絶対に放置してはいけないテーマではないかと思います。


2013年3月26日火曜日

ある会議で感じた閉塞感


もう2年近く前ですが、ある団体のお手伝いで、「震災ボランティア・NPO等と各省庁との定例連絡会議」という会合に参加したことがあります。

各省庁の震災関連担当の方々と、現地で震災ボランティアをしているNPOの方々の情報交換が目的の会議で、政府から首相補佐官なども出席される結構大きな会議でした。
私たちのお役目は、会議の準備、運営、撤収などで、会議中はほとんど傍聴していられたので、日頃出入りできない場で話を聴くことができ、いろいろ考えさせられることがありました。

連絡会議という名称ではあるものの、NPO側が出す要望を省庁側が聴くというスタイルが基本になっていて、それぞれの団体ごとの各論の話も多く、それはそれで仕方ないのでしょうが、印象に残ったのは、出席されているNPO側の方々の中に、かなりの怒りを持っている参加者がいらっしゃったことでした。
資料の文面や会議での発言が、結構な攻撃口調だったり相手を吊し上げるような態度だったりするのですが、裏を返せばそれだけ思い通りに動けない現状があり、フラストレーションや閉塞感があって、その矛先が行政に向いてしまっているように感じたことでした。

もちろん省庁側の過去の動き方は問題があったのだろうと思いますし、省庁間の縄張り意識や縦割り意識が見えるところもあり、何か言いたくなる気持ちも理解できるのですが、この場で相手をヒステリックに責めつけても何か解決するわけでもなく、今一つ建設的でないように感じてしまいました。

またNPOの方々は、それぞれ独自のネットワークでお互いに情報交換していらっしゃるようなのですが、顔見知りとかたまたま出会った知り合いとか、個人的人脈や草の根レベルのつながりが多いためか、実はすでに動き始めているとか、こんな制度があるとか、そのあたりに情報不足がある様子が見られ、これが閉塞感の原因の一つになっているように感じました。中には誤解から来るフラストレーションもあったように感じます。

私が仕事上で取り組むのは、主に企業内での組織運営上の問題ですが、現場にうまく動いてもらうには「情報開示」「情報共有」が最も大事と思っています。この会議は震災対応が目的でしたが、分野は違っても基本は同じことだと思います。

「情報開示」「情報共有」というと、何か形式ばった感じがしますが、例えば現状を隠さず伝えるとか、必要な情報をまとめて探せるようにしておくとか、ここに聞けばわかるという窓口を作るとか、単純なことでも十分これらに該当します。この会議の件でいえば、すでにある草の根つながりをさらに広げられる場を作るとか、組織にはなりづらいから口コミをうまく使うとか、いろいろ考えられます。

「現場がうまく機能しない」という組織でその原因を探していくと、“情報を小出しにする”、“情報操作や情報隠しをする”という行為に行きあたることが多々あります。理由を聞くと「混乱させないため」「誤解されないため」「言ってもどうせ理解できない」などとおっしゃることが多いですが、だいたいが逆効果になっているものです。

「伝えるか?、伝えないか?」ではなく、「どうやって適切に伝えるか?」を考えることが大切だと思います。


2013年3月23日土曜日

組織変更の難しさ-もっとうまく進められる?(2)


組織を変えようという時に、その意義で語られるのは、たいがい大局的な事業展開上のメリットです。競争力を高める、開発力を高める、財務体質強化、その他いろいろです。私が合併で経験したケースもそんな話でした。

ただ、経営者にはもう少し直接的な意義がありました。例えば事業拡大して株式公開できたり株価が上がったりすれば、資産を築けるかもしれません。社長の個人債務があればこれを清算できるかもしれません。思いのほか大きい企業の社長になれるかもしれません。私の経験した中では、そんな政治的な話個人の事情に関わる話も見え隠れしていました。
やはり当面の話題である合併方式、役員構成、組織構成などは、直接自分の身の上に降りかかることですから、これに力が入るのは当然でしょう。

しかし、経営者として考えるこのあたりの意義というのは、社員に直接通じる部分が少ないことばかりでした。当然温度差が出てきます。
私が経験した合併の場面ほど極端ではないにしても、組織を変えるということは、経営に近い人ほどその意義を強く考えているし、重視もしていますが、その認識があまり社員には伝わっていないように思います。

そんな温度差を助長する原因は、どっちもどっちのようなところがあり、経営側の問題でいえば、現場から遠い人ほど組織変更や人事異動など、そればかりで影響を行使しようとするので、逆にそれが定例行事のように、あまり戦略がないままに繰り返されていることがあります。
社員の側では、やはり組織変更が目的としている大局的なところをあまり見ようとせず、身近な環境が変わるのをただ“面倒なこと”と捉えているような場合が見受けられます。

組織変更をうまく進めるためには、やはりこの意識の差、温度差を埋めることが大切です。
特に経営者の側からは、社員の視点を理解しつつ、社員への様々な働きかけ(説明、経過報告、情報提供、前向きな動機付けなど)に、もっともっと取り組むことが必要ではないかと思います。

この温度差が埋められないと、せっかくの組織変更の意義は、どんどん薄まっていってしまうように思います。


2013年3月22日金曜日

組織変更の難しさ-もっとうまく進められる?(1)


4月から人事異動組織変更で、仕事の環境が大きく変わる方々もたくさんいらっしゃると思います。特に組織変更というのは、これからの事業展開上の様々な効果を狙って行われます。

私は在籍していた会社で合併を二度経験しています。組織変更としては、与えるインパクトも変化の度合いもかなり大きなものです。私はどちらも人事関連事項の統合作業にかかわりましたが、この経験を通じての私個人としての反省は、「もっとうまい進め方ができたはずでは・・・」という思いです。

合併によって、確かに会社の規模は大きくなり、企業データの見かけは良くなりました。経営的なメリットはたくさんあったと思います。しかし、社員の視点で見ると、現場の帰属意識の低下や、多くの人材流出がありました。合併したからといって、業務内容や待遇が急に良くなるわけではありませんが、逆に急に何かが悪くなったわけではないにもかかわらず・・・です。それほど居心地が悪いと感じる人たちがいたということでしょう。

そんな大きな変化ではなくても、自分の部門が統合されたり、分割されたり、なくなってしまったり、新たに発足したところに配属されたりして、知らない人たちと仕事をするようになった、上司が変わった、仕事のやり方が大きく変わったということはあるでしょう。
そんな中では、もちろん良いこともたくさんあるでしょうが、同じ会社とは思えないほど周りの考え方が違ったり、どう考えても今までより非効率なやり方を要求されたりすることもあるでしょう。人間はちょっとした違いでモチベーションを上げたり下げたりします。

企業経営の中で、組織変更はもちろんのこと、合併というような選択肢も、取らなければならない場面が必ずあると思います。ただ、そんな時に一番負担がかかるのは、実は現場でがんばっている社員なのに、そこへの配慮が希薄なことが多いように感じます。組織体制を作って「後はよろしく」という感じのことが多いですが、組織を立ち上げたからといって、物事が動き始める訳ではありません。その成否は、直接そこにかかわる人たちの働きに委ねられます。

私が組織変更合併などかかわる中では、「もっと社員を前向きにさせながら進めることができるはずなのに」と思うことがたくさんありました。組織変更をやったことによるプラス効果というのは対外的に告知されたりしますが、内部起こっているマイナス情報などは、あまり表に出てこないものです。しかし、本当の意味で組織変更が成功したというためには、実際に働いている社員たちが、心から成功だったと思えることが一番重要ではないかという気がします。

これから数回、私の合併で経験したことを中心に、自戒も含めて書いてみようと思います。合併でなくとも、内部的な組織統合や新組織の立ち上げなどでも同じようなことはあると思いますので、何かの参考になればと思います。


2013年3月20日水曜日

こんな時代でも減らない自己都合の退職者


今のように雇用環境が厳しい中で、会社都合で仕事を追われる人たちがいる一方、自己都合で辞めていく人も少なくありません。新入社員は3年以内に3分の1が辞めてしまうという統計もあります。
最近は、ちょっと常識では理解できないような理由で辞める人の話がいっぱい出てくるし、私も「なんだ、それ?!・・・」という実体験をしたこともありますが、大半の人は真面目に仕事に取り組み、その中で悩んだり考えたりした結果として、いたって普通の形で辞めてしまっていると思います。

「社員の定着率向上」を重要テーマとしている会社は、今でもとても多いです。退職者にヒアリングするなどして退職理由を分析し、それに基づいたいろいろな対策をしますが、私が聞く中では、効果があがったという話は少ないです。
その理由は単純で、退職者に直接聞いたって、本当の退職理由なんてわからないからです。これは「言わない」という部分もあるでしょうし、実際にはいくつもの要素が重なるので、「これが理由です」などと単純に説明できないことも多いからです。

最近の考え方として「辞める理由ができた」ではなく「残る理由が無くなった」と捉えた上で対策を考える必要があるとされます。辞める理由を無くすのではなく、残る理由を増やさなければ定着しないということです。

“辞める理由”が明確な場合というのは、例えば、家庭の事情、生活上の問題(給与水準など)、行きたい会社に内定したなど、会社の努力ではどうしようもない事が多いのですが、“残る理由”というのは、例えば、続けたい仕事がある、断ち切りたくない人脈がある(辞めると切れてしまう)、それなりに認められている、辞めると迷惑がかかるなど、本人と会社の関係性に関わることで、会社の努力次第で改善できるものです。(もちろん、まだ経験が浅い、とりあえず○年、あと○年で定年、他に行先がないなど、あまり前向きでない残る理由もありますが・・・)

こうやって見ると、“残る理由”というのは、採用時の相互理解(入口はかなり大事です)、個々のキャリアプラン、上司のマネジメント、毎日のコミュニケーション、公私を含めた人間関係など、人に関わるすべての事柄がつながることがわかります。
退職理由を明らかにして、それに向けた対症療法で解決しようとしても、見えている現象とは違うところに問題があったりしますし、そもそも退職理由というのは、一言で表現できるほど単純ではありません。対症療法では“残る理由”を増やすことにつながらず、それでは改善は難しいです。
結局は入社前まで含めた相互理解と信頼関係の積み重ね、本当に細かい工夫、配慮、コミュニケーションの積み重ね、オフィシャルからプライベートまでを含めた関係作りの積み重ねです。

私も退職者対策と称して、会社側のお手伝いすることがありますが、そこでやることは「良い関係性が築けるように、社員の心理に働きかけるにはどうするか」、そのための発想、企画、行動にかかわることです。すごく細かいことの積み重ねで、採用活動の改善や研修といった堅いものから、遊びやレクレーション企画のような事柄まであります。

もしも社員の定着に課題があるのなら、退職者対策などと言って身構えず、もっと純粋に「どうしたら社員と会社が仲良くなれるか」「どうしたらより深く知りあえるか」と考えれば、意外に効果的な対策が出て来るように思います。


2013年3月19日火曜日

「休むことは悪」という感覚


もう5年ほど前になると思いますが、ある社長さんが、「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と述べたとされ、これが「休みたいなら辞めればいい」発言として取り上げられて、その当時はいろいろな方面で波紋を呼びました。(あとで「雇用維持が最重要という主旨だった」などと、発言自体が否定されたりしたようですが・・・)
ずいぶん昔の話題ですが、それでも「休むことは悪」という感覚自体は、今でもまだまだ残っているところがあるように思います。

私自身の経験でいえば、社会に出てから現在に至るまで、もちろん忙しかったことは多々ありますが、幸い当たり前のように休日返上を要求されたことも無く、適度に休むことが可能な環境で仕事をしてくることが出来ました。自分でできるだけそうしようと意識していた部分もあります。
ただこれも、「仕事中心が当たり前」と考える人にとっては「考えが甘い」「取り組み姿勢がなってない」ということでしょうし、世間一般から見れば恵まれていたように思います。

私が思うに、自ら進んで「休日返上で働くぞ」という人はそれで良いのでしょうが、本当は休みたいのに休めない人たち、休日返上を強制されている人たちがいるのが問題なのだと思います。
休みたいと思っている人も、単に楽がしたい、グウタラしたいという訳ではなく、多くの場合は少し体調が優れない時、ちょっとだけ家庭の事を優先したい時、少しだけ気分転換がしたい時などに、できるだけ周りに迷惑をかけずに少しだけ休みたいということではないかと思います。みんながみんな、「有給休暇は全部消化させろ」といっているわけではないはずです。

経営者や管理者など企業で中心的な役割にいる人たちの場合、その責任感とともに上昇志向が強いという人も多く、それゆえに概して仕事中心で、「休むことは悪」という感覚が根底にあるように思います。確かに中小企業では、こういう気持ちで団結していかなければ潰れてしまうという部分もあるでしょう。
しかしこのような意識を強制することが、過労死につながるような過重労働や社員のメンタルダウンを生み出しているという面が間違いなくあると思います。

やはり人によって意識も感じ方も違いますから、“社員個々のパフォーマンスを最大限に発揮させる”という観点で考えれば、“休ませることで動機付けする”ということも考える必要があるのではないかと思います。


2013年3月16日土曜日

受講者がやけに前向きだった研修


私自身がある研修に参加した時にお話です。内容は効果的な相互コミュニケーションの手法というようなものでした。実はその時に一緒に受講した人たちが、やけに前向きで積極的だったんです。

・・・で、なぜそうだったかの理由ははっきりしていて、「日曜日に横浜開催の丸一日研修で、受講料もそれなりのもの」だったからです。お金も時間も労力も使って、自分の意志で集まってきている人達だからやる気がないわけがない、ということです。

今まで私がかかわってきた研修の多くは、会社内での研修、またはちょっとした社外セミナーのようなものだったので、研修でそこまでの雰囲気を感じることはありませんでした。
・・・というか、今までもそれなりに感じたことはあり、自分の感覚で「今日は良かった」とか「今日はイマイチ」とか思っていましたが、そんなレベルとは次元が違っていて、「本当にやる気がある人たちの研修って、こんな感じなんだ」と感心してしまったというのが本当のところです。

社内研修を企画したり、講師を担当したりする立場の人は、やっぱり誰もが受講者の評判が良い研修をやりたいと考えると思います。ただ社内研修であれば、基本的に受講料は会社持ちでしょうし、テーマも本人に多少の選択の余地があったとしても、原則は会社がチョイスしたものでしょう。あるテーマは受講必須とか、いつまでに受けなければならないとか、その他何らかの縛りもあるでしょう。100%自分の意志で取り組みことはできないので、やっぱりどこかにやらされ感は残ってしまうのだと思います。

そう考えれば、社内研修という位置づけの研修である限り、そんな100%の状態まで受講者を前向きで積極的に振り向けることは難しいのだろうと思います。逆にこれだけは絶対にクリアしなければならないという最低限のレベルもあります。

「受講者が最高にやる気で積極的な研修」に遭遇する経験をしたことで、あらためて社内研修として目指すべきレベルを冷静に考えることができた気がします。


2013年3月15日金曜日

「尊敬する人」がいない私


決して高飛車な訳ではないんです。でも実際に私は特別な「尊敬する人」がいません。

その理由は、「どんな人にもいいところと悪いところがある。この人のここは好きというのはあるけど、だからといってその人の全部が尊敬できるわけでは無い」ということです。 “全面的に他人に依存ずるのはイヤ”という自分の性格のせいもあります。

そうは言いながらも、“この人について行こう!”と思う人に出会えればなぁ・・・」とか“師匠”と呼べる人がいればなぁ・・・」などと思うこともありましたし、「尊敬する人ぐらいいた方がいいよなぁ」と漠然と思っていました。

ですから「尊敬する人は?」「座右の銘は?」などと聞かれると、それなりに答えていました。 “いない”、“無い”というのが恥ずかしいことのように思っていたからです。(世の中で認められている人や偉いと言われる人は、皆さん必ず何かおっしゃいますし・・・。)

そんな中、あるテレビ番組で、日本マクドナルドCEOの原田泳幸さんが、「座右の銘はないし、尊敬する人もいない」とおっしゃっていました。「あっ・・・自分と同じ・・・。」と思ってしまいました。「どんな人にもいいところと悪いところがあって、その人の全部が尊敬できるわけでは無い」という理由も同じでした。
原田さんのように、能力があって実績も認められた方が、「座右の銘はない」「尊敬する人はいない」とおっしゃったので、すごく新鮮で、なおかつちょっと安心してしまいました。

私は「尊敬する人」はいなくても、「この人のここを尊敬している」というところはいっぱいあります。また、100%尊敬できる人はいない代わりに、絶対に会いたくない人、大嫌いで顔も見たくない人、100%全面的に嫌だという人もいません。もちろんあまり好きになれない人も苦手な人もいますが、良いところを一つも感じられない人には出会ったことがないからです。

 結局は、自分が相手に対して、好きなところや共感するところや認めているところと、嫌なところや考えが違うところや直して欲しいところの、それぞれの比率がどうかということであって、前者の比率が100%の人はいないというだけのことです。逆にそのおかげで、いろんな人とストレスなく接する事ができているように思います。

原田さんのおかげで、「尊敬する人がいないのは悪い事ばかりではない」と思うようになりました。


2013年3月13日水曜日

社会人の不平不満の理由


偶然目に留まったあるサイトに書いてあった、ちょっと気になったことです。
学生はお金を払っているにもかかわらず、(学校の)文句をあまり言わないが、社会人はお金をもらっている立場なのに(会社の)文句を言うというような言葉でした。自分の学生時代、会社員時代を顧みても、そう言われればなるほどそうだなぁと思いました。

私にとっての学校は基本的に楽しい場所で、苦情とか文句を言う対象と思ったことは確かにありません。まぁ学校に要求しようと思うほどのことがなかったというのもあります。
でも会社に対してはちょっと違っていたと思います。行くと仕事がある、給料がもらえるということは当たり前で、それを感謝するなんて感覚は、特に若い頃は全くなく、それ以外の不満の方が圧倒的に多かったです。やっぱり会社に対するいろいろな不平不満を言っていました。

この違いは何なのか?・・・。いろんな要素はありますが、私の結論は「最終的に自分の意志で決めているかどうか」ということ。

学生のうちは、授業に出るか出ないか、勉強するかしないか、付き合う友人、サークル活動、バイト先、その他自分の身の回りのほとんどのことを、自分の意志で決めることができたように思います。もちろんイヤな事も制約もありましたが、しょせん自分に帰結することですから、最悪は放置することも逃げることもできるわけで、最終的には自分次第でした。

一方社会人の場合、雇われて働いている限りは、会社の指示命令であればイヤな仕事でも逃げられないし、苦手な人でも付き合わなければならないし、自分の意志に反したことでもやらなければならないことがあるでしょう。
組織の中では、自分ではきめられないこと、自分の意志ではどうしようもないことにたくさん遭遇します。相対的には社会人の方が、自己判断の自由度が少ないことは間違いないと思います。(「今の学生はそんなに楽じゃない!」と怒られるかもしれませんが・・・)

こんな状況を少しでも改善できるように、私の専門分野の一つである人事制度では、この「自分で決める」というプロセスを、仕組みとして取り入れる様々な取組みがされています。多くの会社で取り入れられている「目標管理制度」は、自分で納得した自己管理目標に主体的に取り組むことが動機づけにつながるということですから、導入の主旨などはこの典型でしょう。自己決定を手助けするようなコーチング、カウンセリングなんていうものも同様です。

ただ実際には、十分な時間が与えられなかったり、形骸化していたり、上意下達のムードがあったり、コミュニケーションスキルが足りなかったりと、制度を入れてもなかなかうまく機能しないのが実情です。組織と個人の意識のすり合わせというのは、それほど難しい事なのだと思います。

目にしたサイトには最後に一文「社会人でも事業主や自営業の人は、仕事をくれる人に感謝するようになる」とありました。なるほどまさにそうだなと思いました。私も独立した今の立場だからこそ、自分で決めていることだからこそ、わかるようになったことがたくさんあります。仕事をさせて頂ける感謝もそうです。

人間とは、「そもそも他人の命令には従いたくないものだ」という話を聞いたことがあります。命令に従っているのではなく、この命令には従おうと自分で決めているのだといいます。自分で決めたかどうかは、主観によるところも大きいです。全く同じ状況だとしても、自分で決めたと思えば我が事と思えるし、強制と感じたら強制です。

組織としての方針、考え方を維持しながら、「自分で決めさせる」というプロセスをきちんと踏んでいくと、社員が会社に対して不平不満を言う頻度は減っていくのだろうと思います。もちろん簡単な事ではありませんが、いろいろな場面で「自分で決めさせる」ことを意識するだけでも、様子は大きく違ってくるのではないでしょうか。

2013年3月12日火曜日

偉い人の方が無責任?


最近のいろいろなニュースを見ていると、自分たちの既得権益ばかり守ろうとする人たちや、不祥事を起こした企業など、自己中心、無責任と見えてしまう例が多々あります。
テレビや新聞報道から見ているだけなので、本質がわかっていないかもしれませんが、誤りを素直に認めなかったり、自分たちの行動を正当化したり、責任回避ばかりしている様子を見ていると、どうしてもそのように感じてしまいます。

また、そう見えてしまう方々は、皆さん“社会的地位が高く”、“指導的立場にある”、“インテリな方々”のように思います。やっぱり社会的な地位がある人は、手に入れているものが大きいので、それを手放すことが惜しかったり怖かったり、プライドが許さなかったりするのかなぁ、などと思います。自分が直接手を下したわけでなく、たまたま責任者の立場だっただけ、という気持ちがあるのかもしれません。

こんな偉そうに言っている私だって、圧倒的に自分に甘いし、同じ立場だったら大差ない振る舞いをしてしまうのではないか、とも思います。世の中には立派で尊敬できる方々はたくさんいらっしゃいますが、どんな人でもやっぱりどこか一つぐらいは自分に甘いところがあるのではないでしょうか。人間なんてそんなもんだと思います。
そんな甘さや不正を防ぐために、人は組織や集団でお互いが関わって、カバーし合うのだと思います。他人の目を意識することで自分を律するところがあると思います。

組織や集団の弊害もあります。人のせいにできるので無責任を助長することもあるでしょうし、個人の持ち味を奪うこともあるでしょう。特に日本では、組織になると責任があいまいになる傾向があるように思います。

最近起きていることを見ていると、「組織で起きる不祥事」は、組織を使ってオイシイ思いをしている者同士が、一部の者だけで結託して、組織を使って自分の身を守る。都合の良いところは組織に依存して無責任になる。お互いの甘さをカバーするのではなく、逆に助長しています。はっきり言って「組織の悪用」で、情報共有をしない組織ほどそういう危険があるように思います。

こう考えると、組織の中では、細かな利害や価値観が違う者同士が、適度な関わりのもとに活動することで、はじめて不正を防ぐことができ、自分自身の甘さを抑えられ、それが組織と本人の成長につながるように思います。情報共有の仕組みだけ作っても、流す情報を操作すれば「組織の悪用」はできてしまうので、情報操作ができないためにも、やはりお互いの適度な距離感と関わりが必要です。

偉い人ほど周りから指摘を受けなくなるし、現場と責任者の距離が遠いほど、責任者は無責任な態度になるように思います。これを自分の意志だけで自分を律するのは難しいところがあります。

“悪用できない組織”にするためには、様々な価値観の人間同士の、適切な関わりと距離感が大切だと思います。


2013年3月9日土曜日

弱いというより真面目すぎる?今の若者


「最近の若者はストレスに弱い」という話をよく聞きます。確かにせっかく就職してもすぐにやめてしまう人も多いし、メンタルダウンに至ってしまう頻度も、昔より増えている感じはします。
でも、本当に若者は弱くなっているのでしょうか。

昔の自分と比べて考えてみると、確かにストレス耐性が弱いと感じることはありますが、ストレス耐性は人生経験と成功体験を積む中でできてくるものなので、若いうちに足りないのは当たり前です。
「そもそも態度がデカかった自分と比べるのはナンセンス?・・・」とも思うのですが、そんな私でも、やっぱり不安なことも嫌なこともどうしたら良いかわからないことも、たくさんありました。

そんな時どうしていたか・・・? 今思えば、意外と適当にやり過ごしたことも多かった気がします。もちろんやるべきことは確実に、上司に怒られないようにやりますが、指示通りのやり方をとらなかったり、優先順位の低いものは自分の判断で後回しにしたり、適度に手を抜いたりということをしていました。

元ソニー上席常務の天外伺朗氏は、著書の中で「やり過ごしの効用」ということをおっしゃっています。かつてのソニーでは「本当に面白いと思うアイデアがあったら、上司に内緒で物を作れ!」という格言があったそうです。上司の指示を部下の一存で「やり過ごし」をする。上司と部下の間で、そのやり過ごしを認め合っていることが、部下の成長と高度な組織マネジメントにつながる。「やり過ごし」ができない部下は無能で、指示を無視されて怒り狂う上司もまた無能、ということでした。

どうも今の若者たちは、このあたりがヘタになっているように思います。指示されたとおりにすべてのことをこなそうとし、手を抜いたり逃げたりしない。実に真面目です。やり過ごすこと自体を許されないこととしているように思います。

一方で、肝心なことを後回しにしたり手を抜く人がいます。何でも順番通りにやって、後から来た大事なことがおろそかになったり、物事の優先順位ではなく自分のキャパをオーバーした時から手を抜いたり・・・。やり過ごす対象や方法を間違っている、ということでしょうか。

最近は少子化で、子供たちはいろんな大人からいろんなことを細かく言われがちになります。今の若者たちも、そんな場面は多かったのではないでしょうか。普通、大人には建前があるので、子供に「適当にサボっていいよ」とは言わないでしょうし、細かく指示した通りにできると「いい子」だと褒めていたはずです。
“言われた通り、マニュアル通りに忠実にやると褒められる”という成功体験ですから、成長してもそこから抜けられず、言われた通りに一生懸命やろうとするのではないでしょうか。

しかし、社会に出れば理不尽なこともたくさんあるし、大事じゃないことや絶対に失敗するやり方を指示する出来の悪い上司も、業績がすべてとばかりに無理難題を言う上司もいます。
そんな状況を自分で判断して、要領よく逃れるすべをしらない若者たちが、一方的に「弱い」と言われているように感じます。“そういうことをきちんと教えてこなかった大人たち” からの批判です。

「最近の若者は弱い」という言い分には、多分に若者への批判的なニュアンスが含まれているように思います。「苦労を知らない」「自分勝手」「すぐに弱音を吐く」「少しでもつらいと我慢できない」などというものです。
でも実は真面目すぎて何でも受け止めてしまう、または言われたとおりのやり方にこだわるマニュアル主義であるなど、「良い意味のやり過ごし」ができないという面もあるのではないでしょうか。そうだとすれば、これは批判的な言い方をしている上の世代に、もともとの原因があるのではないでしょうか。

「今の若者が弱い」のではなく、「昔の若者(私たち世代)はちょっと不真面目」で、「やり過ごし」を今より少しうまくやっていただけなのかもしれません。
「良い意味のやり過ごし」を覚えることで、若者のストレス耐性を少しは高めることができるのではないかと思います。


2013年3月8日金曜日

人事異動の明暗


来月からはもう4月。多くの会社では人事異動組織変更の季節です。今ごろは異動の発令などが出始めている頃かもしれません。

先日ある会社でのお話の中で、そんな異動の話題になりましたが、新たに役職がついた昇格や出世といえるような人、今までの役割から変わってそれが希望通りだったりそうでなかったりという人、その他それまで評価されていた人が役職を外れたり、その逆があったりと様々なようでした。どこの会社でも同じようなことはあるでしょう。

一般的には実力次第といっても、人事異動については当事者として理不尽さを感じることも多々あると思います。結局は評価する側とされる側、人事を決める側と決められる側がいて、それはすべて人間がやることであり、人によって相性も好き嫌いもありますから、やむを得ないことなのかもしれません。でもそれが、やる気が出たり無くなったりする大きな要素であることは間違いありません。

私が会社に在籍していた頃は、俗にいう出世欲とかはほとんどありませんでしたが、組織内で自分の思ったことをするにはある程度の権限が必要ですから、そのために一定以上の役職はあった方が良いとは思っていました。ただある時期以降から何度も合併を重ねた会社だったので、その度に自分の力ではどうしようもない要素に翻弄させるようなこともあり、そこからだんだん独立を考えはじめたというのも本音ではあります。

組織を離れてみて、しばらく経った今になって思うのは、やっぱり思い通りでなかった時の原因は、巡り巡って自分自身にあったのではないかということです。どんなに嫌いでもコイツは外せない、この役割はコイツしかいないと思われていて、それがいろいろな人の中で共有されていれば、自分の思いと大きくずれることは無かったのではないかと思います。(少々綺麗ごとかもしれませんが・・・)
また人事異動なんてしょせんは他人が決めること、100%自分の思う通りになる訳もありません。そんな割り切りも必要と思うようになりました。

以前見た新聞記事で、パソナグループの社長さんが「君の人事権は自分にある」と書かれていました。まさにその通りだと思います。
人間は良い時ばかりではないですし、悪い時ばかりでもありません。今期の人事で思い通りになった人もそうでない人も、あまり一喜一憂せずに、やる気を左右され過ぎずに頑張ってほしいと思います。


2013年3月6日水曜日

なぜパワハラが増えているのか?


パワハラに関する労働局への相談件数が、年々増えているのだそうです。
ある統計ではこんな感じでした。

●労働局へのいじめ・嫌がらせに関する相談件数
統計年度           件数      
H14年         6,627
H15年         11,697
H16年         14,665
H17年         17,859
H18年         22,153
H19年         28,278
H20年         32,242
H21年         35,759
H22年         39,405
H23年         45,939

何かすごい数字ですよね・・・。
しかし、これってなぜなんでしょうか? 今までは隠れてしまっていたものが、表に出てくるようになったのでしょうか。それともホントに増えてきているのでしょうか。
もし増えているとすれば、理由は何でしょうか? 居心地を悪くして体よく辞めさせるため? 性格の悪い人が増えた? 教育の問題?・・・・。 全部それなりに当てはまるのでしょう。でも働く場の環境としては不幸な事ですよね。当事者にも会社にも、また業績をはじめとしたすべての事柄に関してプラスに働くわけがないですから・・・。

私自身、明らかにパワハラと言えるような事象を身近で直接見たことはありませんが、最近接するいろいろな会社の様子を見ていて、少しだけ思い当たることがあります。 

まず、現場社員から「それってパワハラじゃないの」という言葉を聞く頻度が増えました。よく中身を聞くと、上司部下の間ではありがちと思えることも多く、お互いの信頼関係ができていれば問題視されなくて済むのでは、というようなことです。上司から頭ごなしに言われるようなことは昔からあったと思いますが、以前は「上下関係なんてそんなもの」と片づけられていたことが、今のフラットな上下関係が当たり前で育ってきた人にとっては、すごく違和感があるおかしなことと捉えるようです。

二つ目は、これは上司側も部下側もそうなのですが、自分の都合を一方的に主張する人が増えたように思います。相手とのつながりが薄いとか、相手が自分より弱い立場と見ると、その度合いがさらに強まるようです。クレーマーとかモンスター○○という人とも少し重なって見えます。パワハラの典型的なケースや深刻なケースは、この場合の極端なものなのかもしれません。

三つ目には、やっぱり対人関係での見切りが早いかなぁということ。誰でも自分の感覚と合わない人や自分が嫌な事は避けたいし、我慢することが良いとも思いませんが、お互いロクにやり取りもせずにあきらめていたりするので、「ちょっとこらえ性がないかな」と思ってしまいます。
こんな傾向があるのだとすれば、パワハラという問題が増えて来ることはあり得るでしょう。

どうも上司部下の距離感のつかみ方、要は人間関係の作り方が下手になっているように思います。
特に上司の側は自分に権限があるので、どうしても自分に甘く判断しがちで、お互いの信頼関係不足や説明不足、その他自分にも原因があることを棚に上げて、「これくらいは良いだろう」「これくらいは許されるだろう」と思ってしまいがちですが、部下の側は、「そんなこと許せない」「そんな気安い関係じゃない」と思っていたりすることも多いようです。本当に深刻なケースがある一方で、こんなちょっとした距離感認識のずれが、パワハラといわれてしまっていることもあるのではないでしょうか。

最近は逆パワハラといって、部下が上司をいじめるということもあるそうですが、多くの場合は力関係の上で立場が強い上司の自分勝手になりがちでしょう。部下との距離感がつかめず、また人間関係を作ることをサボって、一方的に権威で押さえつけようとしているところがあるのではないでしょうか。
ちょっとしたコミュニケーション不足と、それを放置しているということがこんな数字につながっているのだとしたら、とてももったいない事だと思います。


2013年3月5日火曜日

管理職だってガス抜きが必要


ある企業で、自分たちの組織の課題を挙げ、その解決策を考えて行こうというワークをやっています。マネージャーから中堅層の方々が対象です。その中でのお話です。

同じ階層の人たちで組織の課題を話すとなると、どうしてもグチ的な発言は出てきます。経営者へのグチ、上司へのグチ、部下へのグチ、顧客へのグチ、仕事内容のグチ、自分のつらい立場へのグチ・・・・。やり玉に挙げられる人にとってはうれしくないでしょうが、こういうことはあって当然で、お互い本音で話し合って、感情も含めて理解し合うということは、本質的な解決策を探すためには決して悪い事ではありません。

ただ、管理者レベルの方々を対象にすると、みんな大人で自分たちの立場をわきまえているので、こういう話を自己規制する傾向があります。しきりに「その話は建設的でない」とか「もっと前向きに話そう」とおっしゃいます。要は「管理者が後ろ向きな話をしていては、周囲に示しがつかない」ということでしょう。

管理者の方々は、自分の考えや気持ちとは違っていても、上司の意向や組織の決定に合わせて行動するということが、日常的に習慣づいています。個人的な感情は抑えて理性的に行動しようとします。すばらしい心掛けではありますが、ガマンしていることも間違いありません。
一般社員よりは管理職の方が確実にガマン強いし、そのガマンしている様子が一般社員から見ると物足りなかったりもするようです。

今回のワークでは、グランドルールとして“建設的に発言をする”という項目はあるのですが、私からは「最終的な伝え方は考える必要があるけど、後ろ向きでも批判的でも、出てきた話はきちんと取り上げましょう」とお伝えしました。そうすると少しずつですが、自分の感情的な葛藤も含めた話が出て来るようになり、終了時には「本音で話ができた」という感想を頂きました。いつも会議や打ち合わせで顔を合わせ、たくさん話し合っているはずのメンバーなのに・・・です。

自分も顧みて思うのですが、人間が前向きな気持ちになるためには、溜め込んでいる不平不満は吐き出さなければ、やっぱり難しいと思います。良く言われる「ガス抜き」です。
経営者の方から「うちの管理職は動きが悪い」というお話を聞くことがありますが、溜め込んでいる物が大きいほどそうなってしまうということもあります。

もしも会社の中で「前向きでない」と感じることが多いとしたら、何らかのガス抜きが必要ということかもしれません。私たちの立場では、そんなお手伝いもお役目の一つと思っています。


2013年3月2日土曜日

新人研修が学生気分に引き戻す・・・?(2)


新人研修というシチュエーションが、新人を学生気分に戻してしまう部分があるという話の続きです。

これは私が今のように、社外講師にたずさわるような立場になってからの経験ですが、「とにかく最初が肝心」ということ、特に研修初日、二日目あたりにやる内容が大事だということです。
普通であれば、そのあたりは事務的な説明とか、オリエンテーションとか、ちょっとしたマナーとか、そんな内容の会社が多いと思いますし、私が以前在籍していた会社でも同じでした。

しかしある会社が初日にやっていたものは全く違っていて、私は「なるほど」と思いました。
人様のノウハウなので、詳しい中身の種明かしはできませんが、あるテーマに沿ったグループワークを通じて、ちょっと理不尽に怒られたりしながら、社会人は言われた通りにやっているだけではダメで、自分たちで考えて自分たちが動かないと何も始まらないということを理解させるというものでした。

まず初めに、「ただ授業を聞いているだけってわけにはいかないぞ」「自分たちが動かないと何も始まらないぞ」「社会人の研修ってこうなんだぞ」と強く思わせることで、新人たちの後々の姿勢が全然違ってきていました。

研修を企画している方や研修担当者、講師の方々は、毎年いろいろ苦労をされていると思います。これはどの会社でも同じような苦労です。たくさんの試行錯誤をされていることでしょう。
前回、今回書かせて頂いたことは、今さらそんなことわかっている、もうすでにやっているという方々もいらっしゃると思います。ただ、同じような取り組みでも、ちょっとした話し方や演出の仕方の違いで、与えるインパクトは大きく違うことがあります。知恵は多いに越したことはありません。

もしも参考になる部分が少しでもあるようでしたら、是非お役立て頂ければと思います。


2013年3月1日金曜日

新人研修が学生気分に引き戻す・・・?(1)


今日から3月、来月には新入社員が入社してくる会社も多いと思います。4月は新人研修が真っ盛りという感じではないでしょうか。
私も講師として新人研修をお手伝いしますが、いつも思うのは、せっかく本人たちが社会人として切り替えた気持ちで来ようとしているのに、研修という形で学生時代の気分に戻してしまうような場から始めなければならないことのジレンマです。

考えてみれば、同じ境遇の同年代が集まって、カリキュラムに則って勉強するという形になれば、やっぱり学生時代にずっと経験してきた慣れた雰囲気です。切り替えたはずの気持ちが元に戻りがちになっても仕方がないと思います。
私はIT系の会社にいましたので、新入社員はシステム開発などの専門技術を含め、少なくとも5月いっぱいくらい、長いところはさらに1~2ヶ月の期間は研修になります。ほかの業界と比べれば、結構長い期間なので、さらに学生気分に戻りやすい傾向がありました。

程度の差はあれ、このようなことはどの業界のどんな会社でもたぶん同じで、きっとそれぞれの会社で、研修内容を工夫したり、いろいろな形で意識付けしたり、新入社員を学生気分に戻さないように、気を使われているのではないかと思います。私も企業で研修担当をしていた頃は、手を変え品を変え、いろいろなことを考えた覚えがあります。

そんな私の経験の中で、意外に引き締め効果があったのは、研修費用の話をした時でした。新人研修を受けさせていれば、勘のいい新入社員は、自分たちが受けている研修にいったいどれほど費用が掛かっているのかに関心を持ちます。(もちろん、何も感じていない者もいますが・・・)

そんな中で、具体的な金額を出した時も出さなかった時もありますが、自腹では到底負担できない金額だということ、この研修費用は会社にとっては投資だということ、多額のお金を投資しても良いと考えるほど、新入社員に期待しているんだということをよく話しました。「給料をもらって学んでいる」ということの意味を理解させるには良かったようでした。

新人研修は絶対に必要なことですが、何の工夫もなしに漫然とやると、いつまでも学生気分が抜けず逆効果なんていう部分も出てきてしまいます。こんなちょっとした意識づけをするだけでも、その後の様子は意外に違うものです。

明日もこれにまつわる話の続きを・・・。