2019年3月28日木曜日

「閉鎖的な状況」ほど問題はエスカレートする


ある県立工業高校で、1年生の男子生徒が担任の男性教諭から暴言を繰り返し受け、頭を丸刈りにされたとして、同じクラスの生徒全員と保護者が、謝罪と教諭の懲戒免職を求める嘆願書を教育委員会に提出したというニュースがありました。
教育委員会は、事実関係を確認中としていて、処分を含めて検討するとのことで、教諭は新年度から別の高校へ異動するとのことです。ただし詳細はコメントを控えるとしています。

また、ある保育園で、女性保育士3名が園児に暴言などを繰り返し、市から行政指導を受けていたというニュースもありました。保護者から苦情を受けて、園長らは保育士の不適切な言動を把握して、口頭で指導をしていたそうですが、その後録音された音声データでも改善されていませんでした。
暴言を繰り返した保育士は、退職するとのことです。

学校などでは大人である教師の方が明らかに強い立場で、さらに教師が個人で生徒に向き合うことがほとんどなので、他の大人の目が届きにくい閉鎖的な環境であることが、こういう問題を引き起こす一因になっているでしょう。
上記の保育園のケースでは、注意されているにもかかわらず改められなかったということですが、直接見られなければ大丈夫などと、たかをくくっていたようなところがあったのではないでしょうか。
いずれにしても、当事者以外の第三者の目が届きにくかったことは間違いないでしょう。

企業でのパワハラも、これらと基本的な環境は似ています。上司が強者として傍若無人な振る舞いをし、周りの人はそれを止められないか知らないかのどちらかです。止められないのは、本人に辞められたら困るなど、周りの人の相対的な立場が弱いからで、注意できる第三者がいません。
隠蔽や不祥事も、部外者である第三者にバレなければいいという発想なので、やはり同じように閉鎖的な状況ありきの話です。

第三者の客観的な目が届かない閉鎖的な状況では、問題が非常に大きくなることがわかります。どんなに真面目で善良な人でも、環境次第で行動が変わってしまいます。

ここで思い出すのが、倫理的に大きな問題があった心理学実験として有名な、「スタンフォード監獄実験」の話です。
監獄を模した施設で被験者を囚人役と看守役に分け、その行動を観察するというもので、「人間の行動は、その人の気質や性格で決まるのではなく、置かれた状況によって決まる」ということを証明しようとした実験ですが、看守役の非人道的な行動はどんどんエスカレートし、それに対して囚人役は無抵抗となり、ストレス障害を発症する者も出たことから、当初の予定を大幅に短縮して打ち切られました。まさに状況が人間の行動を大きく変えたわけです。

また、この実験をおこなった心理学者は、障害を発症して離脱する被験者が出ても、実験をやめようとしないほどのめり込み、同じ心理学者である恋人から強く非難されたことで、我に返って実験の中止を決断したそうです。
それほど周囲からの働きかけは重要で、さらに閉鎖的な傾向が強い環境であるほど、その働きかけが強くなければ変わらないということです。

パワハラやセクハラ、隠蔽や改ざん、ブラック企業など、最近の企業で起こっている問題はどれも、「閉鎖的な組織状況」という共通点があるように思います。
これは社員同士、取引先や関係先、その他組織外部の人と、できるだけ活発に交流することで、問題の発生はずいぶん防げます。
第三者の客観的な目を取り込むことは、とても大事です。


2019年3月25日月曜日

マイナス評価の共有は教育につながるのか


家電量販店「ノジマ」の社長が、買収した子会社のある社員を「使い物にならない」と実名を明かして非難し、その発言内容を社員も閲覧できる社内ネットワーク上に掲載していたことが報道されて、パワハラにあたるのではないかと批判されています。
当事者の社員は、その後退職しているようですが、会社はそれらが事実であることを認めた上で、「社員教育の一環」と言っています。「良い事例も悪い事例も社員に対してオープンにする」のだそうです。

買収した子会社については、決算説明会のような公式の場でも、「社員のどの人がよい人か悪い人か、差が激しかった」などと発言しており、特に人材に対するイライラ感が伝わってきます。社長にとっては、たぶん思惑通りに動かない人が多かったのでしょうが、会社の成り立ちが違えば企業風土が違うのは当然です。価値観も常識もすべて違うでしょう。

人材の評価で「良いか悪いか」「優秀かそうでないか」は、はっきりいってその会社の主観でしかありません。何でも細かく指示を仰いで行動する社員を「組織のルールに忠実で優秀」という会社があると思えば、指示を待たずにどんどん自分で開拓していく社員を「行動力があって優秀」という会社もあります。価値観の違いなのでどちらが良いとは言い切れませんし、もしそれを変えていくのであれば、それなりの時間が必要になります。
もし当該社員にそれほど問題があったなら、社内規定に基づいた懲戒処分なり、上司を通じた指導なり、人事評価への反映なりをしていけば良いはずで、それをわざわざ個人名を挙げて、経営トップ自らが全社員に向けて公開処刑のように非難するのは、さすがに教育とは言えないでしょう。

社員に何か問題があったとしても、これではパワハラとしか言えませんし、こういうことを疑いなく、躊躇なくやってしまう会社には怖さを感じてしまいますが、この件をきっかけに「個人評価を共有することが、果たして社員の教育につながるのか」を少し考えてみました。

まず、よく見かける光景として、「営業成績の公開」があります。個人別の売上実績などがグラフで貼りだされていたりしますが、これ自体は教育というよりは、営業担当者同士の競争心をあおる目的の方が大きいでしょう。ただ、こういう序列は意外に固定化していることも多いので、その目的自体が薄れていることもよく見受けられるところです。
また、営業成績の良い人を認識して、その人の行動を真似してスキルを身につけようとするのであれば、「仕事ができる人」を共有することに教育的な意味はありますが、その一方で「できない人」の共有は、個人が見せしめの材料にされがちなので、それを教育とは言いづらくなります。

全社員の人事評価結果を公開するような会社がありますが、やはり競争意識を受け付ける目的の方が強く、結果を見て反省するくらいしか教育的な見地はありません。私の経験では、不公平感を助長したり嫉妬心を生んだり、ネガティブな思考を助長することの方が多いと感じました。

社内で起きた成功事例や失敗事例の共有は、教育につながりますが、失敗事例で個人の責任による部分が多いものだと、限りなく見せしめに近くなり、教育的な要素が薄まってしまいます。伝える場や伝え方に配慮しなければなりません。

こうやって見ていくと、特に個人のマイナス評価にあたるものを共有するのは、私はただの見せしめで教育にはつながっていかないように思います。
少なくとも、大勢の前で個人の非を責めることを、私は教育とは思いません。


2019年3月21日木曜日

シニアや女性の「活躍したくない」気持ちを責められるか


先日のことですが、ある大企業勤務の50代男性数人と話をする機会がありました。私に対して「自由に仕事ができてうらやましい」と言い、「でも自分たちには無理」と言います。
今の年令でこれから会社の枠を飛び出して、それなりに収入を得ようというのは、ハードルが高いのは確かです。

そして、「シニア活躍などと言われて尻を叩かれるけど、正直もう活躍したくない」などと口をそろえて言います。若い社員が聞いたら「働かないオジサン」「お荷物社員」「老害」などと憤慨されかねません。

ある調査によれば、65歳以降の就労意欲について聞いたところ、「仕事をしたい」が33%、「仕事はしたくない」が46%、「わからない」が21%とのことで、就労意欲があるシニア世代は3人に1人いる一方、それ以上の全体の半数近くは「仕事をしたくない」といっており、この割合は以前の調査結果よりも増えているそうです。
生活の問題で働かざるを得ないが、本音ではもう仕事を辞めてゆったり過ごしたいと考えている人が多いようです。

ただ、この気持ちを「やる気がない」などと責められるかというと、私は必ずしもそうは思いません。
「もう活躍したくない」と思ってしまう理由は、今までそれくらい真剣に仕事をしてきてこれ以上は限界なのか、不本意なことでも仕事だからと無理して従ってきたのか、そしてそれぞれ「定年までは」と線を引くことでやってきたが、それが先延ばしされていく環境になり、もうついていけないといっているように見えます。
会社としては「今まで面倒を見てきた」と思っているでしょうが、働き手は「いろいろ我慢して合わせてきた」という気持ちがあるでしょう。

これは「女性活躍」でも同じような話があり、女性を対象としたある調査で「専業主婦願望」について聞いたところ、「本当は専業主婦になりたい」という回答が約4割に上ったそうです。
また、現在専業主婦の人の5割が今の生活に満足しているものの、8割が老後を不安視していて4割が働きたいと考えているという結果でした。こちらも生活のためにやむなく働くというイメージの方が強い感じです。
共働きでは家事も育児も女性の負担の割合が多く、決して男女平等ではないという声も聞きます。

このどちらにも共通していると感じるのは、やはり「仕事は負担を伴う大変なもの」という認識です。シニアでいえば、仕事上の強制や束縛など長い期間に渡っての積み重ねがあり、そこから解放されたい思いであり、女性であれば、家庭内での分担の偏りや、会社からのサポート不足による行き詰まりなど、続けたいけど続けられないというようなジレンマです。
それをみんな一律に「活躍」などと言われてしまうと、肯定しきれない気持ちが出てくるのはよくわかります。

シニアや女性を取り巻く仕事環境は、たぶんこれから少しずつ改善されていくのでしょうが、その人の置かれた環境によってバラツキはあるでしょうし、その人の職業観や人生観によっても感じ方は違うでしょう。
ただ、「活躍したくない」の言葉の中には、単に楽をしたいというだけではない、多くのことが複雑にからんでいます。
シニアや女性の「活躍したくない」と言いたくなる気持ちを、私は一方的に責められません。