2019年8月29日木曜日

「なぜできない?」と聞くのはイジメと同じ


以前も同じことを書いたことがありますが、やっぱり今でもよく目にしてしまうので、また書いてみます。

ある会社での上司と部下の面談ですが、上司は「なぜできないのか?」と部下に聞いています。決して威圧的ではなく、「どうしたらできると思う?」などとも聞いていて、部下が自分なりにできる方法を一緒に見つけ出してあげようと、一生懸命指導しているのだと思います。

ただ、どんなにやさしく言ったとしても、「なぜできない?」はやっぱり相手を責める言葉であることに変わりはありません。
この「なぜできない?」の理由が「できる能力があるのにサボっていた」としたら、本人を叱責する意味で聞いても良い場合はあるでしょう。
しかし、「その時点で能力が足りていないこと」が理由だとしたら、その投げかけはイジメでしかありません。そのことを達成するための能力が足りないのであれば、どんなに考えても「できないものはできない」のです。「なぜできない?」と聞いても解決策は何もありません。
上の立場の者が、解決策がないことがわかっているのに、部下に対して責め言葉を投げかけているとしたら、それがイジメになってしまうというのは理解していただけるでしょう。

例えば、足が不自由だとわかる人に、「なぜもっと早く歩けないのか」とは普通は言いません。そのための能力がないことが、見た目ですぐに判断できるからです。
たぶん「どのくらいの早さなら歩けるのか」「坂道やでこぼこ道はどうなのか」など、歩く能力のレベルを測り、それに見合った対応をするでしょう。

これは仕事の能力でも同じです。ただし違うのは、「仕事の能力は見た目では判断しづらい」ということです。判断基準が自分や周りの誰かとの比較になり、その人なりの能力を客観的に見なくなります。
そうなると、「このくらいはできて当然」と、能力に対して過剰な仕事を与えているかもしれず、それがこなせないと「なぜできない?」となってしまいますが、それは本来「できない仕事をやらせたこと」に問題があります。

ある先輩社長から言われたことですが、「能力不足を責めるのはイジメと同じこと」です。
「なぜできない?」は、やはりどこかに相手を責めるニュアンスがあります。能力がある日突然伸びることはめったにありません。
他人の能力を見極めるのは難しいことですが、「その人ができること」を過少でも過剰でもなく、できる限り見ようとする努力が必要だと思います。


2019年8月26日月曜日

希望を聞くなら応える必要がある「自己申告制度」


ある会社が、人事の仕組みとして「自己申告制度」を取り入れたいと言います。本人の仕事上の希望や職場環境に関する意見を聞くことで、人材の定着促進につなげたいという理由で考えられていることです。

「自己申告制度」自体は、決して新しい考え方ではなく、ずいぶん昔からいろいろな会社で実施されてきました。目的は社員自身が考えているキャリアパスの内容や異動希望などを、会社として情報収集をして人事管理に活かすことです。有効に活用している会社は数多くあります。

ただ、今回相談された会社には、あらためてもう少し慎重に考え直すことを勧めました。理由は「希望や意見を聞いても、それに応えられる可能性があまりにも薄いから」です。
こちらの会社では、仕事柄もあってキャリアパスにはそんなにバリエーションがありません。基本的に営業職で、扱う商材もある程度限られています。
キャリアパスとしても、徐々に昇進して管理職になるか、スペシャリストとして現場の仕事を続けるかくらいの道筋です。異動はありますが、所属する部門と勤務地が変わるくらいで、仕事内容自体はそれほど変わりません。
企画や事務系の職種はありますが、職種転換の例は今まで会社の中では一度もありません。

そんな環境なので、これまで社内の異動や配置は、基本的に会社側の一存で決めてきました。本人には事前に打診して、了承してもらったうえで異動しているので、問答無用で強引ということはなく、実際に本人の事情に配慮して、異動を見合わせたことが何度もあります。
そうやって、社員の意向にはできるだけ沿ってあげたいという気持ちがある会社なので、「それなら自己申告制度をやろう」という発想になったようです。

「自己申告制度」には、社員の考えを把握でき、それらの情報を様々な場面で活用できるメリットがある一方、当然ですがデメリットもあります。その最も大きなものは、「かえって社員の不満を芽生えさせたり増長さえたりする恐れがある」ということです。

定期的に希望や意見を聞いているにもかかわらず、それらがいつまでも聞き入れなければ、「言うだけ無駄」と思ってそのままあきらめるか、希望が叶うように環境を変えるしかありません。転職か独立か、その他手段はありますが、そのために会社を辞めるという点は共通です。当てもないままで希望だけを聞いていても、かえって会社を辞める決意を固めることになりかねません。

最近ある知人が「ようやく異動の希望がかなった」と言って喜んでいましたが、希望が通るまでには言い始めてから7年かかったそうです。著名な大企業だったので、社員はそれくらい辛抱してくれましたが、そうでなければ3回も話して変わらなければ、さっさと見切りをつけるのが普通でしょう。

社員の希望や意見を聞くのは良いことですが、聞いたからには何か応えることが義務になります。すべての希望をかなえることは無理でも、それがなぜ無理なのかを本人が納得するように、さらに他の選択肢を示すなど前向きに説明しなければなりません。

社員の希望をできる限りかなえる体制が作れないのであれば、「自己申告制度」などはかえってやらない方が良いこともあります。
希望を聞くのであれば、それができるかできないかにかかわらず、会社は必ず何か応えなければなりません。


2019年8月22日木曜日

自覚していない「依存」


私たちのように、組織に属さず働く独立コンサルタントは、仕事にかかわるすべてのことを、基本的にはすべて自分でやらなければなりません。営業、経理、IT関連、その他各種の事務処理はすべて該当します。
それをしないで済む方法は一つだけあり、誰かにお金を払ってその仕事を依頼することです。

私もそうやって依頼することはありますが、その理由の一つは「自分でやる時間がないから」です。本来は自分でやるべきでことでもどうしようもない時があり、そういう際には他の誰かにお願いします。
もう一つの理由は、制作物など「自力のレベルではクオリティが低いから」です。一般的な印刷物やちょっとした制作物であれば、見栄え良く安価でできる様々なサービスやツールがあるので、それを利用しますが、作り方ややり方はわかっていても、やはりプロに頼まなければどうしようもない時があります。

私の場合、「やり方を知らない」「内容がわからない」という理由で、他人に仕事を依頼することはありません。まずは自分で調べて、それでもわからなければその分野の専門家の知り合いに尋ねます。
お金を払って、もしくは仕事を依頼したついでに「教えてもらう」という方法はありますが、まだそこまでやったことはありません。
なぜそんなことにこだわるかといえば、「いつかは必ず自分でやらなければならない場面に出会うから」です。「やり方を知らない」「内容がわからない」というままで放置して、他人任せにしていると、困るのは結局自分だからです。
幸いなことに、中小企業で会社全体の動きをみられる立場にいたので、そこで見聞きしたことが、今となってはずいぶんと役立っています。

私の周りにいる同じような立場の人の中には、「自分の本業以外の周りの仕事は、できるだけ他人にやってもらう」という人が何人かいます。ただし、この人たちは決してやり方を知らない訳ではありません。自力で何度もやってみたけれど、他人に任せた方が、自分で使った労力に対して、時間はかからず安上がりだったりするからだといいます。
「最低限のやり方は知っておく」というのは、一種の個人事業者マインドなのだと思いますが、少なくとも私の周りにいる人は、自分が知らないままで他人に丸投げは絶対にしません。

ただ、最近出会った人に、わからないことは全部他人に任せてしまえばよいと、何でも社外発注してしまう人がいます。「お金がかかった」と口癖のように言いますが、今のところは成り立っているようなので、それはそれでも良いのでしょう。

こういうタイプの人を、ほかにも数人知っていますが、この人たちに共通していることがあります。それは組織体制や分業が確立した、どちらかといえば大きな企業の出身者ということです。
周りの人が細かいことをすべてフォローしてくれていた環境に無意識のうちに染まっていて、組織を出て初めて世話役が誰もいなくなったことを知り、他人にお金を払って依頼しているということです。私からすると、これは「依存心が高い」と見えてしまいます。

ただ、依存心が高くて何でも他人任せだからといっても、それをカバーできるだけの収益があったり、組織が拡大して人が増えていったりすれば、何でもかんでも自分でやる必要はなくなります。「依存心の高さ」が決定的にダメということではありません。

「依存心の高さ」を感じる人について、一番問題だと思うのは、「自分が依存しているのを自覚していないこと」です。自分の成果に自信満々で、会社のブランド価値のおかげに気づかないことと似ていて、自分の仕事が順調に回っていた裏で、周囲に様々なことを「依存」していた状況に気づいていません。

どんな人でも多かれ少なかれ、周りに「依存」しながら仕事をしています。会社に属しているか否かにかかわらず、自分の「依存」を自覚する感性は必要です。