2019年11月28日木曜日

「成果主義」でやる気を失う人が増えている?


ある会社の部長が、こんなことを言っていました。
「やっぱりちゃんと評価されて給料が上がらないと、部下はやる気になるわけがない」

この会社では評価制度が運用されているものの、評価基準がかなりあいまいで確立していないところがあるそうで、部長は「もっとメリハリをつけた評価をして、見返りがあるようにしなければいけない」といいます。
その考え自体は正論ですし、間違っているとも思いません。

ただ最近は、競争、上昇志向、金銭的報酬といったことでは、あまりやる気にはつながらないことが増えています。賞罰や強制といった外部からのアメとムチによる動機付けを、「外発的動機付け」といいますが、それが効きづらくなっており、さらに「成果主義」にあたる施策が嫌悪されて、逆にやる気を削いでしまうことまであるのです。

ある会社に、非常に優秀な営業マンがいましたが、実力があるにもかかわらず、なかなか成績トップにはなりません。上司が見る限りは余力も見え、「もっとできるはずだ」とハッパをかけますが、あまり効果がありません。
ある時の面談の際に、この人に深く事情を聴いていくと、「トップになってみんなの前で称賛されるのが嫌だ」と言います。チームの中で変な形で突出するのは、かえって仕事がやりにくくなるから、営業成績を自分で調整することも、正直いえばあるそうです。

この会社では、その後営業目標を個人単位からチーム単位に変えたところ、全体の営業成績は伸びたそうです。競争をあおることでのギスギスした人間関係は見られなくなり、チーム内でできる者が他の者をフォローし、変に行動を調整することもなくなり、数字自体も上がっていったそうです。
「他のメンバーからの感謝がうれしい」「チームで協力して達成することがやりがい」などの声が増えたそうですが、これは自分の興味や楽しみから起こる「内発的動機付け」によるものです。

かつての成果主義に象徴されるような強制、支配、競争では、人はますます行動しなくなっています。こういう姿を見て「やる気がない」「向上心がない」などと批判する年長者がいますが、それは全く違っています。仕事を通じて目指すもの、価値を見出していることが以前とは違っているだけで、それが単純に金銭や肩書ではないだけです。

あくまで私個人の見解ですが、若手のビジネスパーソンの方が、仕事につながる勉強や人脈作りに積極的ですし、目標をしっかり持っていて、やる気も向上心もあります。年長者の方が、若いころでも現在でも、社内の序列や肩書ばかりを気にしている人や、学んでいない人は多いように思います。

成果主義にありがちな強制や支配は、相手の意に反して自分の都合に巻き込むことであり、競争は、特に社内であれば、身近な仲間を蹴落とすことでもあります。そんな他者を尊重しないことを、多くの人が嫌悪するようになっているのです。

もちろん、評価基準が売上金額一辺倒の、歩合制のような会社は今でもあります。
ある会社では、様々な評価の方法を社員と話し合いましたが、結果として売上金額が一番フェアでわかりやすいということになり、それだけで社員の報酬を決めています。ほぼ個人行動による営業で、「若いうちは稼ぎたい」という社員が多かったそうで、そんな仕事柄や社風によるものもあったのでしょう。

しかし、こういう会社は本当に少数派で、最近は「内発的動機づけ」を行動規範にしている人が増えています。当然評価制度も変わっていかなければなりませんが、評価で序列付けをしない「ノーレイティング」などの考え方は、こんなところから来ています。

成果主義的な考え方で、やる気を失う人が増えていることは、しっかりと認識しておかなければなりません。

2019年11月25日月曜日

「大谷翔平選手に球拾い」で避けられる日本企業という話


経営競争基盤CEOの冨山和彦氏へのインタビュー記事で、こんな話がありました。
「優秀な人材が働きたいと思う会社が日本企業には少ない」

冨山氏は、例えば日本の大企業のホームページで、「役員一覧」に男性ばかりが並んでいて、そのほとんどが60~70代ということがあり、それを優秀な外国人女性が見たら、「この会社でいくら頑張っても高いポジションには就けない」と判断するでしょう。
これを、「わが社は女性、外国人、若者を差別します」とアピールしているようなものだと言っています。

また、もしも大学院ですごい論文を書いた新入社員がいても、「まずは現場を知りなさい」と言われて地方の工場に配属されたり、社是や社歌を唱和させられたり、報連相やTQC(統合品質管理)を教えられたりしますが、これは、大谷翔平選手が入ってきたのに「野球がうまいのはわかるけど、まずは球拾いと片付けからやって」というようなものだとしています。

どんな人でも、まずは下積みからということでしょうが、この記事を見て思い出した話が「下積み不要論」です。
私は数年前に、あるテレビ番組でこのテーマに関するコメントを求められ、そこで話したのは「下積みには“良い下積み”と“悪い下積み”がある」ということでした。

その時はこんな定義をしました。
「良い下積み」とは、
・基本知識やスキルを学ぶためのもの(職種によっては修行といわれるかもしれない)
・将来により大きな仕事をするために実務を通じて学ぶというもの(例えば優れた上司や先輩の下で仕事の補佐をするなど)
・出世後や独立後、その他直接の仕事に役立つもの(普遍的に必要なものを学んでいる)

反対に「悪い下積み」とは、
・序列の中で縛って、自分が抜かされないためのもの(早く育っては困るから教えない)
・安価で従順な労働力を確保するために「下積み」という言葉でつなぎとめているもの
(どんなに優秀でも重要な仕事を任せず、雑用ばかりが振られる)
・経験が直接の仕事には役に立たないもの(役に立ったかどうかは個人の主観に限られる)
というものですが、この記事での話も、どちらかと言えば「悪い下積み」に当てはまるものです。

ただ、以前に定義した「悪い下積み」とは、一つ異なることがあります。それは「教える上司、先輩の側には悪意がなく、どちらかと言えば良かれと思ってそうしている」という点です。
「抜かされると困るから教えない」といったことはなく、自分は「会社のルールとプロセスの中で育てられた」と思っていて、その成功体験から「他の人もそうした方が良い」と考え、順序だてた現場経験のようなプロセスが必要だとしているのです。

この思いや成功体験自体は否定するものではありませんが、昨今の環境で大きく違うのは、「その会社にずっと勤め続ける前提はない」ということです。特に大企業の考える「下積み」の中には、「自社のしきたりになじむこと」がまだかなりの比重で残っています。しかし、それを一生懸命身に着ける意義は、今となってはとても少なくなっており、にもかかわらず、自分たちの経験と主観に相手のことを当てはめて、同じプロセスを踏ませようとしています。

もう一つ、教える側に「新入社員が経験ある自分よりも優秀なわけがない」という、潜在的な思い込みがあるように思います。記事の中にも「日本企業はいまだに“採用してやる”という上から目線がある」とされていましたが、そことも共通しているのではないでしょうか。

それぞれの人材には、それぞれ身に着けたことの違いがあります。そこで考えるべきは、「その人材が今持っている能力を最大限に活かすこと」であり、「力が発揮しやすい環境をいかに作るか」であり、「早く大きく力を伸ばすためにどうするか」ということです。

「優秀な人材」から働く場として選ばれるためには、変えなければならないことがあります。


2019年11月21日木曜日

「気が合わない人」に身近にいてもらう大切さ


「ブレーン」という言葉があります。
直訳すれば「頭脳」や「脳」という意味ですが、政治やビジネスの世界では、「専門的なアドバイスをくれる優秀な相談役」という意味で使われます。
経営者をはじめ、リーダー的な立場を担う人には、この「ブレーン」のようなアドバイザー、助言者、忠告者という人が、何らかの形で必ずいると思います。

ここで、最近よく目についてしまうのが、権力があって、優秀で頭がよく、それなりに人格者と思える人が、不正を犯したり独断に走ったりという話ですが、それを見ていていつも思うことがあります。
問題を起こすのは、経営者や政治家、官僚、その他組織のリーダーたちですが、そういう人たちは絶対に一人ぼっちでそういう行為をしていた訳ではありません。必ず周りには「ブレーン」と呼ばれる人がいたはずですが、起こしてしまう問題行動の歯止めになっていません。
せっかくの「ブレーン」が機能していないわけですが、問題はそれがどういう人たちで、見過ごしたのか、それとも忠告を無視されたのか、いったいどういう状況だったのだろうかということです。

自分の「ブレーン」となる人は、組織の統治機能に含まれていることや、他人がお目付け役として選ぶことはあるでしょうが、多くは何らかの形で本人が関与した中で選ばれるはずです。
そこではもちろん幅広い意見を求めて人選する人はいるでしょうが、問題が起こっているケースの多くは、自分の付き合いの中の「意見が合う人」「気が合う人」で、周囲にいる人を固められています。
物事を早く決めて、推進力を高めようとすれば、確かにそれも一理ありますが、その分拙速に陥りやすくなり、施策にバランスを欠くことが増えます。

また、情報というのは、自分の意に沿うことや共感することは強く印象付けられ、意に反することは排除されやすくなりますから、「気が合う人」で周りを固めて、そこから自分の共感できる話ばかりを聞いていると、そのことに疑問を持たなくなります。結果として、自分の偏りに気づくことができません。

ある若手経営者が、共同経営者となるパートナーの紹介を周りに求めたときの条件は、「業界事情に詳しい年齢の離れたベテラン」だったという話があります。その理由は「自分にないものを補ってもらい、いろいろ教えてもらうため」だったそうです。今はそれなりの地位を築いた、立派な企業になっています。

このように、必ずしも意見が同じではない「気が合わない人」に身近にいてもらうことは、自分の偏りに気づく上では大きなメリットがあります。
もちろん友人は「気が合う人」がいいですし、スタートアップ企業などでは、スピードを重視して少人数の「気が合う人」で、とにかく突き進むことはあり得ますが、それなりの企業、組織、チームを代表するような立場のリーダーは、行き過ぎた独断や自分の意見の偏り、金銭感覚をはじめとした甘さなどを、正してくれる身近な他人が必要です。
そのためは、自分と意見が似ている「気が合う人」よりは、違う視点からの意見を持っている「気が合わない人」の方が重要です。ちなみに「気が合う人」には「反対しない人」「発言しない人」など、自分にとって都合がよい人も含まれます。

自分の「ブレーン」として、本当の意味でふさわしい人は、「気が合う人」ではなく、「気が合わないけれども信頼できる人」ではないでしょうか。