2020年2月27日木曜日

ある会社の管理職たちが「部下の給料を自分が決めたい」という理由


もうかなり前になりますが、ある会社から給与体系を見直したいという話があった時のことです。
見直すとはいっても、現状では簡単な賃金表があるだけで、個々の社員をどこに位置づけるかの決まりも曖昧です。要は言い値というか、感覚値というか、そんな感じで給与を決めていました。制度はあってないようなものです。
公平さを保つために制度を作りたいとのことなので、その目的は良いことです。

ただ、示された要件のなかに「部長以上に評価配分の予算を持たせたい」というものがありました。要は「給与の一部を上司の裁量で自由に決めたい」ということです。
こういうことは、恣意的な運用になりがちなので、できるだけ避けるのがセオリーではありますが、過去の経緯や社風によっては仕方がないところもあります。私はこういう話を否定はしませんが、やるにあたっては節度が必要です。
この手の話は時々あり、中には制度を作っても、勝手に手当を作って自己裁量で小遣いのように配るオーナー社長がいたりするので、必ず制約は設けます。

この時は上司裁量の要件も取り入れた制度を作り、その後一年くらいは恣意的な運用にならないように様子を確認してから離れましたが、それから3年ほどして、再びこの会社から同じく給与体系見直しの依頼が来ました。直近で社長が交代したそうで、社内昇格した新社長から直接の依頼です。
話を聞くと、社長交代を機に各社員の給与を確認したところ、問題が多いと感じたそうです。
それは例の「上司裁量の給与」の現状でした。

いつの間にか金額は上がり、しかも同じ人に繰り返し上乗せされていくので、おかしな逆転現象がありました。どう見ても過大評価と過小評価が混在しています。
どうも声の大きい管理者数人から、自分たちの評価原資の積み増しを繰り返し要求され、会社はそれに応じていたようです。その人たちを中心に、結果的には節度ある運用はされず、ひいきや圧力がまかり通っていました。

この会社に関わり始めた頃に、気になることがありました。
会社の宴会に参加させてもらったのですが、支払いはすべて管理職の誰かでした。一般社員はそれが当たり前とわかっているせいか、お金を払おうとする人は誰もいません。
管理職がただ「いい格好」をしたいのかと思いましたが、誰が支払うかをお互いに真顔でなすり合っているので、たぶんみんな嫌なのでしょう。
これを見て私が思ったのは、ずいぶん長らくこの風習があり、その理由は単なるカッコつけではなく、上下の力関係、もっというと「支配する側とされる側」を明確にしたい意識の表れではないかということでした。

その考え方があるとすれば、「部下の給料は自分たちが決める」という上司のこだわりは、それが部下を支配するためのツールだったからです。それまで持っていた自分たちの既得権を手放したくなかったための要望だったということになります。
飲み会の支払いは、自分の懐が痛むのであまり好んでやっている感じではありませんが、やはり一種のマウンティングのように見えました。

この「支配する関係」による組織運営は、昔の軍隊的な会社が許容される頃ならまだしも、今では社内組織の階層を一切なくそうなどという提言がされるくらいです。それによって社員の主体性や当事者意識が強化され、企業価値が最大化できるという理由からです。

その当時としても、相当時代遅れだったことは間違いありませんが、一度手にした支配欲はなかなか手放せない様子を感じました。
こんなことからも、組織の課題はいろいろ見えてきます。


2020年2月24日月曜日

「期待」の感じ方いろいろ


ある会社でこんな話を聞きました。
社員教育に力を入れる必要があると考えて、その会社では様々な研修の実施回数を増やしているそうです。

「いつ誰がどんなテーマで受講するか」といった細かな決まりはなく、俗にいう教育体系といったものはまだ整備されていないため、研修の受講者はその都度会社から指名しています。
テーマやその人の受講頻度、外部研修であれば受講料の金額などを考慮し、できるだけその社員の仕事に役立つように、社員間で不公平にならないように配慮をしているそうです。

そんな中で、社員からはこんな二通りの反応が見られるといいます。
一つは「なんで私が」「面倒くさい」「受けたくない」というネガティブな反応です。これは社員が受講するテーマを選んでいる訳ではないことや、そもそも社員研修というのは、何かしら強制されている感覚を持たれがちなことがあり、似たような反応は他の会社でもよく見られることです。

もう一つは、その正反対と言っても良い「自分は選ばれた」「会社に認められた」というポジティブなものだそうです。私はあまり経験したことがない反応ですが、これまで社員研修が少なかったことによる新鮮な気持ちと、そのことにも関連して、会社からの指名を「強制」ではなく「期待されている」と前向きにとらえています。

ある条件で受講する社員を会社が選ぶ選抜研修は、幹部候補といったくくりが多いですが、実施しているところは数多くあります。
ただし、そのメンバーに入ったからといって昇進が約束されたわけでじゃありません。どちらかといえば、これから出世を目指すためには受講しておかなければならない「義務」という反応です。後ろ向きではありませんが、そこまで前向きに「やるぞ」という人も多いとはいえません。

ただ、この会社の社員のように、「期待されている」ととらえて研修に参加してくると、やはり取り組み姿勢が違います。「一つでも身になることがあればいい」という程度でなく、多くの内容を自分に必要なことだと肯定的にとらえ、できるだけ多くのことを身に着けよう、持ち帰ろうとします。それは「また会社から指名してもらえるようにするため」ともいいます。

社員研修は、「会社が決めたものを受けてもらう」ということが多いため、どうしても強制感を伴いがちで、やる前から受講者が斜に構えているような状況もあります。しかし、この会社のように、少し前提条件や状況が変わると、それだけで本人のとらえ方も大きく変わることがあります。

周りから「期待されている」と感じることは、本人のやる気に良い影響を及ぼしますが、その感じ方はいろいろで、ちょっと仕掛けを変えるだけで良くも悪くも変わります。
そして、そこにつながりづらいように思える社員研修などでも、「期待」を伝える道具になりうるということです。

「期待」の感じ方はいろいろで、その伝え方にもいろいろ工夫する余地があることを感じます。


2020年2月20日木曜日

すぐ「世代のギャップ」という中高年男性たち


社内コミュニケーションは、どの会社でも何かしらの課題がありますが、うまくいかない理由を聞くと「世代のギャップ」と言われることがあります。これを持ち出すのは、ほとんどが40代後半以上の中高年男性で、私と同世代にあたる人たちです。

最近もいくつかの会社で、社員の方々から情報共有やコミュニケーションに関する課題をヒアリングしている中で出てきました。
はじめのうちは自分の原因も話に出ますが、徐々に本音が出てきて「価値観が違う」「話が通じない」「常識がわかっていない」などと言い始め、その理由は「世代のギャップ」となります。
自分たちは「気をつかっている」「働きかけている」「歩み寄っている」と言い、それに対して相手が乗ってこないそうです。「世代のギャップ」が原因なので解決しようがなく、「もうあきらめている」などと言います。しかしそれでは困ります。

そもそも、本当にそれは「世代のギャップ」が原因なのでしょうか。私はその人たちとは同世代ですが、決してそればかりではないと思っています。世代の違いは確実にありますが、それ自体がコミュニケーション問題の原因ではありません。

みんながみんなではありませんが、「世代のギャップ」を言い出す人には、私から見るとある共通点があります。
一つは「相手への過剰な期待」です。「これくらい言わなくてもわかるだろう」など、自分と同質の価値観や、ともすると「あうんの呼吸」を求めています。
しかし相手とは年令差があり、確実に価値観は違います。そこで「これくらい常識」「言わなくてもわかるだろう」と考えること自体に無理があります。
言うべきことを言わずに済ませて、その結果「通じていない」「理解していない」とイライラしています。これは世代にかかわらず、他人には自分の考えを、言葉に出して言わなければ伝わりません。
伝える工夫や努力をしている人の場合、「なかなか伝わらない」「伝えるのが難しい」とは言いますが、それを世代のせいにはしません。他人と自分の考えは違うのが前提だからです。

もう一つは「本人の姿勢や態度」の問題です。特に気になるのは、これを言う中高年男性は、みんなどことなく不機嫌そうに見えることです。
このことが相手を何となく威圧していて、できれば触れたくない、最小限の話で済ませたいと思わせてしまい、その結果コミュニケーション不足が起こっています。特に男性の場合、年令を重ねると普通にしていても不機嫌に見えるそうです。

私は同世代なので、若い人ほどには感じませんが、特に「世代のギャップ」を言う人は、顔を合わせた当初から、何だか不機嫌そうに見える人が多い気がします。話すと全然そんなことはないので、もったいないと思いますが、やっぱり若手からすれば、不機嫌そうなオジサンにあまり関わりたくないと思うのは当然です。

さらに、若手がちょっと勇気を出して話してみても、一方的に自分の話ばかりされたり、やけに押しが強かったり、根掘り葉掘りどうでもいいことを質問されて、とても面倒だったりします。
年長者からすれば、たぶん親密度を高めたいがゆえの雑談なのでしょうが、相手は事務的な確認だけできればよいと思っていたとしたら、そんな余計なやり取りはわずらわしいだけです。
相手との距離感のとらえ方や、その場に応じた話題作りが適切でないのです。

話題作りや距離感は、すぐにどうにかするのは難しいですが、それ以外のことは意識すればできます。
「伝えるべきことは、口に出してきちんという」「いつも機嫌よくしている」の二つのことです。
「察して動く」のは相手を深く理解しないと難しいですし、「不機嫌な人」には近寄りません。これを変えるだけで、コミュニケーションの問題は結構解決されます。

何かにつけて「世代のギャップ」を理由にする人は、外国人に対しては「文化の違い」といい、女性に対しては「性別の違い」と言います。「うちの会社は他社とは違う」などと言い出すのも似たようなことでしょうが、「異なる価値観は受け入れない」と言っているようなものなので、たぶん変革が進められない会社です。

もちろん若手の側にも問題はありますが、年長者の方がより経験豊富で、対応できることが多いはずです。
「世代のギャップ」も「価値観の違い」もあって当たり前、それを埋めるのがコミュニケーションなのです。