2022年1月31日月曜日

「今どきの若者は…」と思う人は自分の行動を振り返ってみる

 

相変わらず、「今どきの若者論」のような話に定期的に出会います。古代エジプトの頃からそんな記述が見つかるといいますから、これはもはや人間の本能ではないかと思えてしまいます。

 

つい最近目にした記事には、こんなことが書かれていました。

・管理職や年長者に対して、言葉遣いがなれなれしい

・メモを取らない

・自分で考えずに答えだけを聞こうとする

・同じことを何度も聞いてくる

・話が取り留めなくまとめられない

・仕事での昇進や昇格など、上を目指す意欲がない

など。

 

記事では、あるマネージャーが伝えたいことをメモで準備して、それを話していても相手は何も反応がなく、話が終わったところで「そのメモした紙をください」と言われて唖然としたなどというエピソードが語られていました。

「さすがにそれは…」と思う気持ちもわかりますし、挙げられたことはそれぞれ確かにそういうところはあるかもしれないと思いますが、そもそもこれはすべての若者に当てはまるわけではなく、さらに若者だけに限った話ではありません。

 

言葉がなれなれしかったり、話がまとまらなかったりするのは、どちらかといえば高齢者の方がその傾向が強いです。自分が敬語を使わず相手にそれを要求するのは、本音では相手を見くだしているからで、不遜と言われても仕方ありませんし、自分が理路整然と話せないのに相手を批判するのは理屈が通りません。

 

メモを取らない人は年齢問わず大勢見かけ、これは管理職クラスの人でも同じです。そういう人に限って同じことを何度も聞いてきたり、大事なことを忘れていたりしますが、若者が指摘されていることと似たようなものです。

上を目指す意欲がないのは、若者がそのことに意義や魅力、メリットを感じないからで、これはただ辛そうに仕事をしている(させられている?)上の世代にも責任があります。

 

「今どきの若者」の話が時代を問わずに年長者から出てくるのは、一つは自己評価だけで「自分はできている、そうやってきた」と思い込んでしまっているからです。

「自分はいちいち指示されなくても、自ら考えて行動していた」と思っている人でも、周りから直接「気が利く」「指示待ちでない」などと評価された経験がある人は少ないはずで、誰にも自分勝手な解釈による思い込みの可能性があります。そうだとすれば、客観的事実は年長者も若者も大差がないかもしれません。

 

もう一つは「自分の昔を忘れていること」です。

私自身のことで振り返ってみると、昔はまあまあ生意気だったので、態度や話し方を注意されたことは何度もあります。メモする習慣なんて社会人になるまでありませんから、先輩に言われて渋々始めたことです。その後の業務経験を重ねる中で、「書いておかないと忘れる、間違う」と感じて、自然にメモするようになっていったと思います。

今となっては教える側の立場もわかるので、「本人に考えさせたい」と思いますが、自分も若い頃にはさっさと答えを教わった方が楽だし効率的なので、そういう行動をしていたと思います。

 

「今どきの若者」と言い出す年長者の多くは、「自分のことを棚に上げている」か、もしくは「自分も大差ないことに気づいていない」かのどちらかに見えます。きっと人間の能力ではそこから抜け出すことが難しいため、同じことが太古の時代から繰り返されているのでしょう。

 

「今どきの若者」のような世代間ギャップの話は、絶対になくならないものです。そうであるなら、そこで違いばかりを嘆くより、お互いが気分良く付き合えるように、うまく折り合う方法を考えていく方が建設的です。また、それを実践できている人たちは大勢います。

自分の行動を振り返ってみれば、気づけることがいろいろあるはずです。

 

2022年1月24日月曜日

「起業」「副業」は思っているほどには甘くない

私が会社勤務から独立起業してコンサルタントの仕事をしているということで、「起業」や「副業」に関して相談されることがあります。

一番多いのは、わりと著名な大企業に所属しているシニア層で、企業コンサルティングの仕事をしてみたい、自分でもできるはずという話です。自分が会社で経験してきたことをもとに、主に中小企業にそのノウハウを持ち込んで指導したいといいます。

 

それができる人は確実にいますが、私から見るとたぶん難しいだろうと思うことの方が多いです。その理由は「中小企業の実態をほとんどわかっていないから」です。

多くの中小企業の組織実態として、「仕組みや制度ができていない」「専門知識を持った人がいない」などは確かにその通りですが、それは「やり方を知らない」「ノウハウがない」ということばかりが理由ではありません。

まずは圧倒的に人的リソースが少なく、一人の人材がいろいろな役割をこなさなければなりません。その中では、「担当できる人がそもそもいない」「やれるならやった方が良いけれど、それより優先すべきことがあるためあえて手を付けない」「大企業並みの管理は実務上でオーバースペック」といった判断があります。

 

その事情を考えずに、大企業出身者が自分の経験を持ち込もうとしても、相手が受け入れることはありません。口では皆さん「それは理解している」といいますが、話を聞くほどやっぱりそこまでわかってはいないと感じます。経験したことがない世界のことですから、理解できないのは無理ありませんが、そこに柔軟性を持って適応できる人というのは、過去からの経験がものをいう部分でもあり、そういう人はそれほど多くはありません。

 

もう一つは「副業」の話があります。片手間に小遣い稼ぎができれば良いくらいの感覚で、いろいろなビジネスの話をされます。プチコンサルのような話や、ネットショップ、フランチャイズ、その他様々な話があり、副業というより本業と言っても良いような話もあります。

 

あえて止める必要もなく、やりたければやればよいとは思いますが、きっとうまくいかないだろうと思ってしまう人が確かにいます。その理由は、副業くらいの気持ちであっても、基本的にはビジネスの立ち上げであり、本人の立場は経営者、事業主であり、そういう意識を本人がほとんど持っていないということです。

会社でのそれまでの経験をもとに事業計画を書いていたりしますが、キレイごと過ぎて現実に見合わなかったり、荒唐無稽としか思えないものだったりします。要は経営者という素養があまりなく、そんな意識も持っていないということです。

 

小遣い稼ぎ程度の意識での「起業」や「副業」だとしても、自力でビジネスを立ち上げるということには違いありません。

しかし、そこまでの意識がないまま、ある意味で気楽に「起業」「副業」を考えている人に出会うことが増えた気がします。そういう人ほど成功体験が書かれた書籍を真に受けていたり、自分に都合よく物事を考えていたりします。

 

私は、ビジネスセンスのある人がどんどん事業を立ち上げて、経済を活性化していくことが好ましいと思っていますが、相談される中では、狭い世界での過剰な自信で勘違いしているように見える人を時々見かけます。

まずは自分の視野を広げて、自分の経験を客観視したうえで、いろいろなことにチャレンジしてもらえるとよいのではないかと思います。

 

 

2022年1月17日月曜日

「相対評価」と「2:6:2の法則」に関する話

企業の評価制度に関する相談の中で、「相対評価のうまい進め方」を聞かれることがあります。相対評価とは評価ランクごとの比率が前もって決められていて、その比率に当てはめて評価をしていくものです。例えば、実質的にはA評価のレベルに達していたとしても、他にもA評価の人が大勢いた場合、所定の人数に合わせて評価を調整するものです。序列付けの評価とも言え、誰かを蹴落とさなければ自分の評価は上がらないことになります。

対義語は絶対評価となり、これは所定の基準に基づいて絶対的に評価する方法ですが、結果説明がしやすく納得が得やすいことや人材育成に活かせることから、今はこちらを主流に組み立てる評価制度の方が多いでしょう。

 

ただ、会社としての給与の総額は決まっていますし、組織上のポストの数もおおむね決まっているので、昇格者の人数にも限りがあることを考えれば、評価結果を相対化することは、それなりに理にかなっています。経営陣にとって相対評価は便利ですが、現場に近くなるほど、評価をしたりされたりする当事者になるほど、相対評価は不満を生みがちです。

 

この相対評価をうまく運用したいといっても、実際にはそんなに良い方法はありません。能力基準や目標達成度などとは異なる指標で、主に他人との比較によって評価されるわけですから、やはり納得は得にくく、評価結果をもとに指導や教育をすることも難しくなります。

 

この相対評価の話をするとき、「2:6:2の法則」に関する話が時々出てきます。組織や集団では、優秀な上位が2割、平均的な中位の人材が6割、下位のグループが2割にわかれるという考え方で、アリの集団でも同じことが見られるといいますが、これを相対評価を実施する上での根拠のように言われることがあります。

 

実際の現場を見ていて、2:6:2の法則」に納得することは確かにありますが、一般的な相対評価につながるかといえば、その捉え方は少し違います。

相対評価では、平均が中心値で1番分布が高く、左右対称で両側へ行くほど低くなるような分布を考えていることが多いですが、「2:6:2の法則」では、中心の6は平均的な中位の人材、普通に働く人とされています。つまり上位と中位を足した組織全体の8割は、多少の濃淡はあったとしても、おおむね平均以上に働いていることになります。

 

絶対評価をしている現場で見ていると、明らかに良くない評価、マイナス評価が出てくる比率は通常で1割あるかないか、厳しく見ると2割近くになることもあるという感じなので、8割の人は普通以上には働いているという点は合致していると感じます。これを無理やり正規分布に押し込めようとしても、ひずみが出てくるのは当然です。

 

私が良くお勧めするのは、評価を金額に変換する、ポストを割り振るなど、相対化や序列化が必要な部分のロジックだけあれば、評価自体を相対化する必要はないということです。全員がA評価でも、業績が悪くて原資が少なければ、各自の実入りも少なくなるようなイメージです。

 

相対評価と絶対評価は使い分けが大事ですが、相対評価で半数の人を「平均以下」「マイナス」かのように評価してしまうのは、あまり良い方法ではありません。

実際、「できない社員」がそんなに大勢いる会社を、私はまだ見たことがありません。「2:6:2の法則」でいう上位2割だけに注目するのではなく、普通以上が8割という見方をすると、人事施策はいろいろ変わってくるのではないかと思います。

 

 

2022年1月10日月曜日

「意味あるコミュニケーション」の不足という話

直近で時間があったので、その中で「奇跡のレッスン」という番組動画をまとめて見ていました。スポーツや芸術の一流指導者が子どもたちに1週間のレッスンを行い、技術だけでなく心の変化も起こして、子どもたちの成長していく様子を描くドキュメンタリーです。

 

すべての指導者はまったく分野が違うにもかかわらず、指導方法には数多くの共通点がありました。

一つは「“ダメ出しをして修正させる”ということを一切しないこと」です。褒めることが圧倒的に多く、失敗しても問題ないと勇気づけて、さらに良くなるにはどうすればよいかを子供たちに考えさせます。「欠点を指摘して、指導者の言う通りに直させる」という日本の現場にありがちな指導とは、正反対のアプローチです。

 

そしてもう一つが「コミュニケーションを重視する」ということです。

チームやグループで取り組むことでは、分野を問わず「コミュニケーション」に関する指摘がありました。その内容は「具体的な意思疎通をする」「意味があるコミュニケーション」ということで、日本人が思っているざっくりとしたあいまいなコミュニケーションとは少し違います。

 

例えば、隊列を組んでの声を出しながらのジョギングや、練習中の「ナイス」「ファイト」といった声などは、日本の部活動ではよく見かける光景ですが、何となく活気があるようには見えるものの、特に意味があるやり取りをしているわけではありません。一流コーチは、ジョギングしている時の声出しを見て、「何か意味がある掛け声なのか」と質問していました。

その後の試合形式の練習では、お互いの声掛けがなくなり、みんなが淡々とプレーしていましたが、それを見たコーチが「お互いのプレーを助けるために意味があるコミュニケーションをしよう」と投げかけていました。そのコミュニケーションとは、それぞれのポジションの確認、やりたいプレーの意思表示、ゲーム中の状況に応じたコーチングやアドバイスといったことです。

 

今は変わってきているかもしれませんが、私が経験したような昔ながらの部活動では、「声を出せ」とは言われるものの、確かにそれでお互いに意味があるやり取りをしていたわけではありません。今でも同じような指摘がされるということは、まだまだそういうケースは多いということでしょう。

 

この様子を見ていて思ったのは、企業の現場でも同じことが起こっているということです。例えば、定例的な報告会議で同じような話が形骸化して繰り返されていて、意味がない、誰も聞いていないといった現象が起こっていたりしますが、これは意味があるコミュニケーションが行われている状況とは言い難いものです。

 

日本企業では、過去の経験で感じ取る、空気を読む、あうんの呼吸など、言葉にしないコミュニケーションが求められることがよくあります。これは、同じような価値観を持った者同士であれば、それなりに通じることはありますが、昨今の多様化した価値観の中では、言葉で表現せずに伝わることはどんどん少なくなっています。にもかかわらず、「常識」「気づき」「空気を読む」などの言い方で、言葉にしなくても理解するのが当たり前のような話が今でもあります。

 

できたことよりできなかったことに注目して、その修正ばかりにこだわる点、褒めるよりもダメだしの比率が多い点、教え過ぎて本人に考える機会を与えない点などは、学校や職場にかかわらず、人材育成の上では好ましくないことだと理解されているはずです。しかし、実際にはなかなか実践できていません。私自身も同じで、意識はしているもののついダメ出しが先行してしまったり、考えさせる前に答えを言ってしまったりすることがあります。これは「意味があるコミュニケーション」という点でも同様です。

 

日本の人材育成のあり方には、分野を問わずに共通した課題があると感じます。「けなさない」「教え過ぎない」、そして思っていることをきちんと言葉で表現する「意味があるコミュニケーション」は、特に重要なことではないかと思います。