2022年2月28日月曜日

私が出会った「威圧」「恫喝」の人たち

相変わらずパワハラは多くの企業で問題が起こっており、絶対にあってはならないし、するべきではないとは思うものの、組織運営の中に上下関係による指示命令を取り入れている以上、すべてなくすのがなかなか難しいことも事実です。

 

私自身は、実際にパワハラを受けた経験はありません。周りが良識ある人ばかりだった幸運もあるでしょうし、私の場合は相手が上でも下でも、従うべきことは従い、納得できないことははっきりと反論や意見具申をするので、権力で抑えつけにくいタイプだったかもしれません。

 

しかし、数は少ないながらも、「威圧」「恫喝」をしてくる人に出会ったことはあります。

もう10年以上前の話ですが、ある人に紹介されて訪ねた会社の社長ですが、自社の課題について話す一方、「コンサルタントは信用できない、嫌い」としきりに言ってきます。「できる提案があるなら見てやっても良い」と見下ろした態度で接してきます。

 

こちらとしては特に仕事をしなければならない義理はありませんが、知人の紹介でもあるのであらためて提案を持って面談をしました。ここでも見下ろした態度の反応は変わらず、「これくらいの内容は無料でやるくらいのもの」などと言い、「うちの業界の仕事を経験すればあなたにも箔がつく」「タダでもやらせてもらえれば有り難いだろう」などと言ってきます。

私にとっては、こういう人と仕事をしても何も良いことはないので、すぐにお断りしましたが、その社長は少し驚いたような表情をして、「せっかくの機会を無駄にしている」などと言っていました。

 

あとで知人を介して様子を聞くと、そんな「威圧」と「恫喝」は、その社長なりの交渉術だったようで、私が即決で門前払いしたことが本人としては衝撃だったようです。たぶん今までもずっと「威圧」と「恫喝」の交渉をしてきて、それなりの成功体験も得ていたのでしょう。

また、自分より上には媚びるのに、下と見ると横柄な態度を取るので、あまり良い人間関係が作れていない人だったようです。今思えば、「コンサルタントなんて信用できない」という言葉は、信頼できる人が周りにいないことも含んでいたように思います。

 

他にも何人か、常に威張ったり怒ったりしている人に出会ったことがありますが、ほぼ全員が「上には媚びて下は見くだす」というところが見え隠れし、周りに信頼できる人がいない、もしくは信頼しようとしていないと思われる人たちでした。

 

私のこれまでの経験では、威圧された経験がある人ほど他人を威圧し、上下関係に敏感な人ほど自分より下と見た人を見くだします。こういったことは本人の生い立ちにもかかわることで、本人の人生観を揺るがすような体験でのない限り、簡単に変わることはありません。

こればかりは、そういう人と付き合うときの距離感を、こちらが考えるしかありません。好ましくありませんが、状況によっては「関わらない」「縁を切る」という方法も必要でしょう。ただ、それができない環境もあるので難しいところです。

 

いま某国の指導者が、他国を「威圧」「恫喝」するために戦争を起こしています。指導者は私が見てきた人たちの人物像を重なるところがありますが、これは「変わらない」などと傍観するわけにはいきません。一刻も早く愚かな行為をやめさせなければなりませんが、今のところ、その人を「権力から遠ざける」「排除する」という手段しか思いつかないままでいます。

「威圧」「恫喝」の人への対応は、本当に難しさがあります。

 

 

2022年2月21日月曜日

「表に出る仕事」を支える仕事の重み

あるテレビ番組で、芸能人の事務所独立の話題を取り上げていて、その中で大手事務所から独立して20年以上経つというある芸能人が、個人事務所で活動する苦労と難しさを語っていました。

 

個人事務所になると、自分が出演するなど表に出て露出すること以外に、契約交渉やスケジュール管理、経理や税金ほか金銭面の管理、その他雑務をすべて自分でこなさなければならず、その仕事の比率はもしかすると全体の半分を超えるかもしれないと言っています。それはかなり大きな負担だと言います。

そういうことを考えると、どこかの事務所に所属してそれらの仕事を支援してもらう方が、自分は「表に出る仕事」に集中できるなど、良い点も多いのではないかという話でした。

 

この話は、業界は全く違いますが、個人事務所で仕事をしている点は同じである私もまったく同感です。その内容は営業活動から一般事務までさまざまで、一部を外部委託したりもしますが、あくまで費用対効果を考えたうえでのこととなります。

私の場合は極力自分でおこなうのを基本にしていることもあり、自分が直接稼働して「稼ぐこと」以外にやらなければならない仕事の比率は、意外に大きなものがあります。

 

これはある会社でのことですが、営業部門の力が非常に強く、管理部門をはじめとした「支える側の仕事」を軽視したり見くだしたりする態度や発言があちこちで横行していました。

営業部門は「稼いでいるのは自分たち」「こちらの都合に合わせるのが当然」と言い、管理部門に対して「稼いでいないくせに効率が悪い」「そんな簡単な仕事」などと見下した発言を、面と向かって平気でします。経営者が営業端の出身ということも影響しているのか、暴言に近いような物言いが野放しにされています。

社内の雰囲気は分断されていて、特に管理部門では、せっかく優秀な人材が入っても定着せずに辞めていってしまいます。

 

その後この会社は経営不振に陥り、しかし分断された社内で営業部門を支援しようという雰囲気は生まれず、自己中心的な発想が染みついた営業部門には、自力でそこから脱する能力はなく、その後経営者の交代を経て、主に管理部門強化の形で社内改革が進められました。

徐々に営業と管理の相互協力ができるようになり、その後どうにか不振から脱することはできましたが、「表に出る仕事」を担う人たちが、「支える仕事の重み」を理解していなかったことが、経営不振の一因になっていたように見えました。

 

ともすれば「自分の手柄」「自分の成果」を主張するばかりで、周りからの支援の存在を認識できない人がいます。また、残念ながらそういう人が評価されがちな実態も存在します。

しかし、「支える仕事」がなければ、表で活躍する仕事は成り立ちません。その重要性を理解していないことによる不都合は、さまざまな形で表面化して良くない作用を及ぼします。

 

「表に出る仕事」を「支える仕事」の重みを、よく認識しておく必要があります。

 

 

 

2022年2月14日月曜日

「総合評価」の良し悪しと「評価基準」が必要になる時期

北京冬季五輪のスノーボード・ハーフパイプで、平野歩夢選手が金メダルを獲得しましたが、史上最高と言われる3本目の滑走と、ほぼ同等のクオリティーだった2本目滑走での採点の低さが問題指摘されています。

 

スノーボード・ハーフパイプの採点は、フィギュアスケートのように一つ一つの技に決まった点数がついているわけではなく、6人のジャッジが難度、高さ、着地ほか所定の着目点に対して、それぞれの基準で総合的評価をする「オーバーオール・インプレッション方式」という採点方法だそうです。

平野選手自身のコメントとして、「スノーボードはいろいろなスタイルがある魅力、自由さが良いところだが、採点はそれとは切り離し、他競技のように採点システムをしっかり構築する時代になってきたと思う」と言っていますが、やはり競技のレベルが上がって、注目度が増してきて、そこで採点結果が説明できないような総合的評価では、公平性が保てなくなっているということでしょう。競技に関わる人や見る人が多くなってくれば、内輪だけで何となく通用する総合評価ではダメで、具体的な評価基準が必要になってきます。

 

同じような話が企業の評価制度にもあります。組織が少人数のうちは、例えば社長一人が社員みんなを総合評価して、その基準がはっきり示されていなくても、何となく内輪のニュアンスで納得してしまうところがあります。

しかし、組織規模が拡大してくると、そういう訳にはいきません。一人だけでは全体に目が届かなくなり、評価者を分担しなければならなくなります。そこであいまいな基準の総合評価のままでは、評価者によって結果がばらついたり、結果説明ができなかったりして評価の公平性を欠き、本人の納得も得られません。どこまで決めるかはともかく、何らかの評価基準は必要になってきます。

 

カリスマのオーナー社長がすべてを見ているような会社であれば、評価基準が明確でない「総合評価」でも社員は不公平と感じず納得してくれます。その時の事情を勘案して、臨機応変な対応ができることがメリットになることもあるでしょう。

しかし、評価者が複数になってその人数が増えてくると、「総合評価」はだんだんうまくいかなくなります。「評価基準」として、個々の基準作りが必要になり始める時期だといえるでしょう。私の経験では、一つの組織体の人数が30名くらいを超えてくると、「評価基準」が必要になってくるケースが多いです。

 

「評価基準」を作ろうとするとき、そのことに抵抗感を示されることがあります。ほとんどは社長、役員、上位の管理職など、それまで最終決定を下してきた人たちです。抵抗する理由は、「総合評価」のように自分たちの裁量でその都度決められる方が都合がよく、それが自分たちの既得権となっているからです。そんな抵抗反応が出てくる組織は、私には逆に「評価基準」が必要な組織の証明に見えます。

 

最近はコロナ禍における国や自治体の対策で、「総合的判断」という言葉がよく聞かれますが、臨機応変さが保てるメリットはある一方、「自分たちの判断で決めたい」「裁量を維持したい」という最終決定者たちの都合も感じます。また、事前に基準が示されていても、やはり「総合的判断」といって基準を無視する動きもあります。こちらも、より具体的な「評価基準」が必要な時期になっているように思えます。

 

 

2022年2月7日月曜日

「ワークライフバランス」で「報酬」のことに配慮しているか

少し前の2019年の資料ですが、「各国駐在員が働きたい国ランキング」という英金融HSBCホールディングスによる調査があり、そこで日本は調査対象の33カ国の中で32位だったという結果がありました。

上位は1位からスイス、シンガポール、カナダ、スペイン、ニュージーランドの順、日本の一つ下の最下位はブラジル、ちょっと民主的でなかったり、治安が良くなかったりするイメージがあるサウジアラビアや南アフリカといった国も日本より上位ということで、日本人としてはまったくうれしくない結果です。

似たような調査は他にもありますが、「旅行先」「移住先」といったものでは日本が上位に来ることはあるものの、「働く場所」となるとほとんどの調査で日本は下位に位置付けられています。

 

前述の「働きたい国ランキング」の分析として挙げられていたのは、上位の国の共通点として一つは「賃金が高い国」、もう一つは「ワークライフバランスが優れている国」で、日本はそのどちらも順位が低く、他にも子供の教育などの子育て環境が劣っていると評価されていました。

賃金が高ければ、多少仕事がきつくても人気は高くなり、一方ワークライフバランスで上位となっている国でも賃金は平均以上の水準であり、結局は賃金が低ければ不人気になるとされていました。

 

ここ最近の日本では、「働き方改革」などの取り組みがされていますが、ここでは職場環境の整備やワークライフバランスを重視する動きが中心です。特に残業削減をはじめとした長時間労働対策には、かなりの力点が置かれています。

そのこと自体は必要なことで間違った方向とは思いませんが、問題と思うのは、それを進める中で「報酬」とのバランスがきちんと考慮されているのかということです。残業削減が進めば進むほど、会社にとってはコスト削減、生産性向上となりますが、今まで残業していた人たちは、報酬が減るということになります。

 

残業対策に取り組む現場の話は数多く耳にし、それなりに効果が上がっている話もよく聞きますが、同時に「やればやるほど社員の報酬は下がってしまう」という矛盾の声もありました。

過剰な労働時間が減るのは良いことですし、時間の余裕は心の余裕につながり、健康の上でも好ましく、可処分時間が増えるメリットは本当にたくさんありますが、それに合わせて受け取る賃金も減り、仕事量は変わらないとなると、社員の立場では喜んでばかりいられません。

 

ある会社では、残業削減を行う代わりに、そこで浮いた人件費は賞与原資に組み込んで、すべて社員に還元することを事前に宣言したというところがありました。ワークライフバランスと社員の報酬の関係をきちんと理解して配慮したということですが、こういう会社は決して多くはありません。

 

日本の場合、法律的な問題もあって労働時間と賃金のつながりが強く、時間が減ると報酬もその分減ってしまうことが多くなります。派遣、パート、アルバイト、その他非正規で働く人は、時給制が圧倒的に多いので、なおさら時短は収入減に直結します。

 

「ワークライフバランス」は重要ですが、それと合わせた「報酬」とのバランスに、もっと配慮する必要があります。