2022年5月30日月曜日

アイデア豊富な社長と思いつきの社長

昨今の世の中は変化のスピードが速いことから、「現状維持は後退していることと同じ」などと言われます。特に経営者はこのことを意識している人が多く、現状からの改善、改革、新たな取り組みを常に考えています。変革を考え、そのための新たな企画やアイデアを考え、現状に満足せずに行動しようとします。こういう考え方と行動は、今のビジネス環境を考えれば正しいことです。

 

ただ、この動き方を「アイデア豊富」「企画力や発想力がある」などと肯定的にとらえられる人と、やろうとした取り組みを「場当たり的」「思いつき」「無計画」などと批判される人がいます。

この境目は、保守的な人から変化を好ましいと思う人まで、人によってとらえ方は様々ですが、私のように組織変革を必須と考える人間にも、無計画な思いつきにしか見えないことがあります。

 

ある社長は、自社の事業内容として、ともすればルーチンの繰り返しに陥りがちな環境の中で、自分なりに様々な企画案やアイデアを出して組織改革を継続しています。わりと保守的な社員が多いですが、みんなその取り組みを肯定的、前向きにとらえています。

結果としてうまくいくこと、あまりうまくいかないことの両方がありますが、いろいろ見直して変えていこうという姿勢が社内で共有されています。

 

その一方、ある別の社長は、社員から「社長のやることはいつも思いつきばかり」と批判されています。ある日突然予告もなく新たな施策が打ち出され、トップダウンで強制されます。社員は社長の意図を理解できず、納得していない状況で取り組みだけを求められるので行動は鈍ります。

これまで社長が打ち出してきた施策は数々ありますが、定着して結果が得られたものはほとんどありません。社長自身はいろいろやろうとするものの、継続が不得手ということもあり、社員から「どうせ思いつき」「すぐに飽きてやらなくなる」などと言われています。

経営者や上司によるこの手の思いつきは、実は多くの企業で起こっているのではないでしょうか。

 

アイデア豊富と言われるか、それとも思いつきと言われるか、その違いには例えば意見を聞かない、一方的、進め方が強引などという問題がありますが、これは変革が肯定的にとらえられていても、同じことが見られるときがあります。強引でも受け入れられることはあるので、一概に悪いこととは言い切れません。

 

私が今まで見てきた経験の中で、「アイデア豊富」と「思いつき」の間には、ただ一つだけ大きな違いがあります。それは「現状に見合った施策だと社員が思えるか」というところです。

 

「思いつき」と言われるケースでよく見られるのは、最近話題になっている、書籍が出ている、他社でうまくいったなど、流行りものやたまたま目についたものを、そのまま自社に取り入れようとしていることです。話を聞いたり本を読んだりして感化されたとか、直感的に思いついたとか、そんなことも含まれます。

それらを取り入れようとしても、自社の環境と大きくかけ離れているので、準備や段取りなしでいきなりうまくいくものではありません。変化の度合いが大きすぎると実施のためのノウハウがないので、効果は出ないし継続することもできません。プロセスを踏んで進める発想がなく、社長が思ったゴールまでいきなり持っていこうとします。

 

一方、「アイデア豊富」と言われる時は、やろうとしていることに現実性があります。世の中の動きや他社事例は参考にしますが、自社に導入したらどんなことが考えられるか、効果はあるのか、継続できるのか、定着しそうかなど、あくまで自社の環境や運用能力をベースに考えます。変革プロセスを考え、やってみて難しそうなことは実行可能なレベルになるように内容を見直します。一気に理想を目指さず、「できるものから少しずつ変えていくこと」を重視します。

こうやって見ていくと、「思いつき」がかなりのチャレンジ目標であるのに対して、「アイデア豊富」は実現可能なストレッチ目標と言えるかもしれません。

 

「思いつき」を続けていると、社員は「またか」と呆れ、組織変革への推進力はどんどん失われていきます。「背伸びすればできること」の繰り返しと継続が、現状維持の打破には最も有効ではないでしょうか。

 

 

2022年5月23日月曜日

「目標を宣言する仕組み」が逆効果になること

自身の目標を前もって公言させることで、その目標に対するモチベーションが高まって取り組みを確実に行うようになり、その結果として目標達成の確率が高まるというものがあります。「パブリックコミットメント」などとも呼ばれ、宣言することによって責任感が生まれ、実行しようという意思が強まるとされます。

人間の心理には、最後まで一貫性を持った行動や態度を取ろうとする「一貫性の法則(原理)」と呼ばれるものがあり、一度口にしたこととの整合を取ろうと意識するため、目標達成度は上がるといいます。他人からの目が働くことで、噓をつきたくない、信用・信頼を得たいという意識が働くといった理由もあるそうです。

「有言実行」などといいますが、“有言”によって“実行”せざるを得なくなり、行動が伴いやすくなるようです。

 

そんなわけで、企業組織においては、「目標を宣言する仕組み」が、様々なところにちりばめられています。目標管理制度などはまさにそうですし、経営計画、事業計画、部門計画などのたぐいは、すべてが「目標の宣言」に該当するでしょう。企業の様々な活動において、目標達成の確率が高まるなら、それをやるのは当然のことだと思います。

 

ただ、実際に現場で行われていることは、そんな理想的な話ばかりではありません。「目標の宣言」を制度によって強制的にやらせるわけですが、そうなれば決して好ましいとは言えない駆け引きのような行為が出てきます。

 

一つは、達成見込みが高い簡単な目標設定で済まそうとすることです。安易な目標がそのまま認められるのは難しいとしても、少しでも難易度を下げようとする駆け引きは、何らかの形で行われます。

当事者にとって達成が難しい目標は、ほぼ強制された目標と同様になり、押し付けられたノルマという感覚になります。自発的ではない強制された目標に責任感を求めても、それが目標達成率の向上につながるのかは何とも言えません。

 

もう一つは、必要最低限のこと以外は目標として宣言しないということです。目標にしなければそれを周囲から突っ込まれることは避けられるので、心の中では思い描いている目標であっても、強く要求されでもしない限りは表向きに宣言しようとはしません。目標に取り上げないことで、よけいなプレッシャーや干渉を受けずに済まそうということです。

 

企業の中で、自分の意志で目標を決められるケースというのは、実はそれほど多くはありません。業績目標などで、ある程度の意見や希望は言えたとしても、基本的にはすでに決められた数字が上から降りてきます。言い方は悪いですが、自分の意志で決めたわけではない目標への宣言だけを求められることになります。それで本当に目標達成度が高まるのかは疑問です。

 

ここで重要になるのは、いかに自分で腹落ちした目標にできるかどうかということです。100%は難しくても、自分で決めて納得した目標でなければ、目標を宣言することの効果は薄くなります。ここでは目標を腹落ち、納得させるためのプロセスが大事になりますが、そんなやり取りの機会や時間が与えられて、それが実際に行われていることはそれほど多くはありません。

 

目標を宣言させる仕組みは数多くあるのに、今一つ効果的に機能しないのは、こんなところにも理由があるように感じます。

「納得した上での自律的な目標」に少しでも近づける取り組みが必要です。

 

 

2022年5月16日月曜日

また「ムダな会議」が増えてきている?

数年前の調査ですが、日本企業が社内会議に費やしている時間は、メンバークラスで週に3時間超、係長級で6時間、部長級になると8.6時間になったそうです。年間で推計すると、メンバークラスでは154時間、部長級では434時間を超え、さらに従業員規模が多いほど上司の会議時間は伸びていて、1万人を超える大企業では630時間にもなるそうです。顧客など社外との打ち合わせは含まれていないとのことなので、ずいぶん長い時間を使っていることがわかります。

 

これがムダだと思う人は当然いるわけで、この調査ではメンバーでは23.3%、それ以上の上司層の平均では27.5%の方が会議にムダが多いと感じているとのことでした。経営視点があって参加意識も高いはずの上司の方がムダが多いと感じているのは、やはり問題があります。

 

調査結果からの推計では、ムダな社内会議時間が、1500人規模の企業で約46人分の年間労働時間に相当する年間9万2000時間、1万人規模の企業では約332人分の年間労働時間に相当する年間約67万時間となりました。損失額にすると、それぞれ年間で約2億円と15億円になるそうです。

ムダが起こる原因には、「会議が終わっても何も決まっていない」「終了時刻が延びる」「些細な議題で会議を開く」といったことが挙げられており、ムダを減らすには「所要時間の制限」「司会者による決定事項の明確化」が効果的だったとのことでした。

 

多くの会社でムダな会議を減らす取り組みは行われていますが、現場の様子を見ていると、そんな意識が全く感じられないこともあります。経営者、幹部社員、管理職の意識に左右されているように見え、「とりあえず集まって話し合おう」という感じですぐ会議をしたがる管理職は、相変わらず見かけます。

 

これは最近現場の人たちから聞くことですが、会議の回数や時間が増えているという話があります。その理由がオンラインでの会議です。会議が効率的に開催できるようになった反面、移動時間などのインターバルが不要であることや、会議室の大きさなどの物理的制限がないことなどから、間断なく会議が設定されたり、必要があるのかないのかわからないような会議への参加を求められることが増えたといいます。会議のはしごがしやすくなり、それを見越してスケジュールが詰め込まれてしまい、一日中会議ばかりに終始してしまうこともあるそうで、会議のムダも増えているように感じるそうです。

 

コロナ禍によってオンラインでも仕事ができる環境作りが進み、みんながそれを経験しながら徐々に定着してきましたが、効率化ができた一方、逆の現象も見られるようになりました。会議の問題もその一つといえるでしょう。

リモートワークでは、コミュニケーションの取りづらさが一番大きな問題として言われますが、その反動として会議が増えていることもあるでしょうし、開催が容易になったことでの詰め込みが起こっていることもあるでしょう。今までとは異なる新たな対策が必要になっています。

 

こんなことからも、働く環境や働き方がこれまでとは大きく変化していることと、それに伴って起こる課題も変わってきていることを感じます。変化対応力がますます重要になってきています。

 

 

2022年5月9日月曜日

ブラックでもホワイトでもないグレー企業

「ブラック企業」という言葉が定着してから、もうずいぶん時間が経ちます。

統一された定義はないようですが、厚生労働省がその特徴として挙げているのは

・労働者に対し極端な長時間労働やノルマを課す

・賃金不払残業やパワーハラスメントが横行するなど企業全体のコンプライアンス意識が低い

・このような状況下で労働者に対し過度の選別を行う

といった内容です。

 

ブラック企業に対する対義語として生まれたのは、「ホワイト企業」という言葉です。

こちらも明確に定義されたものはありませんが、その特徴としては

・給与が高い

・残業が少ない

・福利厚生が充実している

・有給休暇が取得しやすい

・女性も働きやすく活躍できる

・離職率が低い

などが挙げられています。

 

世の中のすべてがホワイト企業であれば、それが一番好ましいのかもしれませんが、そうなることはたぶんあり得ません。

また、ブラック企業がなくならないのは、だまされたとか他に選択肢がなかったとか、事情はいろいろあったとしても、結局はそこで働く人がいるからです。こちらも簡単になくすのは難しいでしょう。

 

その理由として、まず一つは、実在する企業をブラック企業とホワイト企業の二つに単純に分類することはできないからです。

それぞれで挙げられた特徴のすべてに回答するような企業は決して多くはなく、例えば仕事はきつくてパワハラ的だが給料は高いとか、反対に仕事は楽で働きやすいが、業績は低くて給料が上がらないといったことがあります。

「ノルマ」も「目標」と言い換えてしまえば普通のとらえ方となり、その達成度に対する厳しさは一概に言い切れるものではありません。

 

もう一つは、ブラック企業とホワイト企業それぞれで挙げられている特徴は、その人によって感じ方の違うものが多いということです。「高い」「低い」「多い」「少ない」「充実」「活躍」「極端」「過度」などは、主観によってとらえ方が違う言葉です。労働時間や休暇の取得率には世間一般の指標があるので、それに照らして評価することはできますが、例えば休暇の取得しやすさと言われて、まったく同じ環境でも休みにくさを感じる人からそうではない人まで様々です。休みにくい人にとってはブラックでしょうし、気にしない人にとってはホワイトとなるのでしょうが、その時の業務状況などによっても様子は変わるはずです。

サービス残業についても、基本的には法律違反なのであってはならないことですが、特に中小企業では、過去からの経緯などで、社員も特に不満を持たずに納得して従っていることがあります。実質的にはブラック企業かもしれませんが、働いている人たちはあまりそうとは思っていません。

 

こうやって見ると、ほぼすべての会社は、ブラックとホワイトの中間のグレーなところに位置していることになります。大手の優良企業でもどこかにブラックな要素を持っていることがあるでしょうし、ブラックだと批判されるような企業でも、どこかにホワイトな要素を持っていたりします。

 

大半の企業はブラックとホワイトだけでは分けられないグレーな職場です。また、そのとらえ方が人によって異なるということで言えば、周囲の評判や噂だけでは、自分にとってブラックかホワイトかという判断はつきません。

転職に際して「ブラック企業の見分け方」などの情報がありますが、あくまで自分なりの基準で見極めることも必要です。

どんな企業にも、ブラックさとホワイトさが必ず共存しています。

 

 

2022年5月2日月曜日

「適切な余力」と「無駄」

生活用品企画、製造、販売のアイリスオーヤマで、あらゆる設備の稼働率を7割以下にとどめているという経営手法に関する記事がありました。

 

経営上の一般的な常識では、設備稼働率は高いほどよく、そのためには持っている資産を無駄なく目いっぱい使うことが良しとされますが、アイリスオーヤマでは「効率」よりも「ビジネスチャンス」「瞬発力」を優先する考え方で、何かで需要の急増があったときに、それに瞬時に対応できる体制とするために、「稼働率7割以下」というルールにしているとのことです。

震災後のLED照明、コロナ禍でのマスクは、それぞれ需要拡大に対応した急速な大量生産を行ったことでシェアを獲得しています。

 

例えば、受注から出荷までの時間を極限まで短縮する「ジャスト・イン・タイム」では、「在庫は悪」として、設備も倉庫も作業人員もギリギリにして効率を上げようとしますが、需要が安定しているときはそれで良くても、今のような不安定な時代に起こりがちな需要変動には弱いと言っています。

このような「適切な余力」を持つ経営に追随する企業も、少しずつ増えているといいます。

 

特に中小企業では、「そんな余裕は持てない」「無理」という声を聞く一方で、私の周りにもずいぶん前から「稼働率7割」と似たようなことを言っていた経営者は何人もいました。何かあったときにすぐに対応するにはある程度の余裕、余力が必要という点は共通していましたが、そのニュアンスは二通りあって、一つはまさにビジネスチャンスをつかんで先行者利益を得るためということと、もう一つは災害なども含めた急なトラブルなどに対応するためとのことでした。

 

日常生活の中でも、最近は自分に必要最小限の持ち物だけで暮らす「ミニマリスト」のように、無駄なものをできるだけ持たないという考え方が注目される一方、特に食料品や身の回り品は、できるだけストックしておくことが災害時の備えとして重要という話もあります。

社会機能が通常通りであれば、特に物も持たなくても生活は成り立ちますが、もしものことがあったときに、一定以上の余力を持っておいた方がよいというのは、似たような話だと感じます。

 

ある程度の余裕、余力が必要という話は、たぶん多くの人が肯定的にとらえると思いますが、問題は「適切な余力」と「無駄」の境目はどこにあるのかということです。特に「無駄」ということでは、ある人にとっては無駄と感じることが、別の人にとっては無駄ではない必要なことであったりします。バランスの取り方は非常に難しいですが、注意しなければならないのは、「それは本当に“無駄”なのか?」という点です。

 

私が企業の現場を見てきた中で多かった「無駄」の判断間違いは、「誰でもできる仕事」「簡単な仕事」などの理由で、担当者を変えたり外したり、要員補充をしなかったりしたときに、それまで順調だった仕事が急に立ち行かなくなり、実はその人たちが目には見えづらいが重要な役割を持っていたと初めて気づくことです。仕事の属人化は良いことではありませんが、「無駄」に見えたことが、実は効率的な仕事で生み出された「適切な余力」であったりします。それに気づかず「無駄」と切り捨ててしまうことは大きな問題です。

 

一見「無駄」に見えても、実はそうでないことがたくさんあります。注意して見極める必要があります。