2022年10月31日月曜日

「仕事の終わり」を見えづらくするリーダー

  仕事には、初めから分量が決まっている、成果に関わらず所要時間だけ決まっているといった、「終わりが見える仕事」と、不明な原因の調査やアイデア出しなど、どれくらい時間がかかるかが読めない「終わりが見えづらい仕事」があります。

「終わりが見える仕事」には、経験や能力によって終わる時間の早い、遅いはありますが、どんなに遅い人でもいつかは終わります。それを想定して見込みを立てることができます。

これに対して「終わりが見えづらい仕事」は、できる、できないという違いになります。ずっと進捗ゼロだったものが、ある日突然問題解決して進捗100%になったりします。過去の事例や経験からある程度の見込みを立てることはできますが、そのこと自体にも経験が必要になります。

 

当然ですが、「終わりが見える仕事」よりも「終わりが見えづらい仕事」は、携わる人たちにかかるストレスが高くなります。いかに終わりの見通しをつけるかというのは、特にリーダーにとって、メンバーの過度なストレスを避けるためにも重要なことです。

 

ただ、日々の仕事の様子を見ていて、仕事の終わりを見えづらくしているリーダーを、時々見かけることがあります。

そのパターンは、大きく分けて「時間のけじめがないこと」と「指示が場当たり的で計画性がないこと」の二つです。このどちらかに分けられるというよりは、両方のパターンが絡み合っていることが多いように見受けられます。

例えば、終業時間直前の業務指示があります。期限を示せばまだ良いですが、「なるべく早く」などと言われれば、メンバーたちは残業して作業するしかありません。終業時間を気にしないけじめのなさと、計画的に指示を出さない場当たり的なところの両方があります。

「ミーティングが長く、いつ終わるかわからない」ということもあります。こちらも終了時間にルーズというけじめのなさと、テーマが整理できておらずに話が長引くという計画性のなさの両方が見られます。

 

ここでの大きな問題は、本来見込みを立てて仕事の終わりを言えるようにする立場であるはずのリーダーが、逆に仕事の終わりを見えづらくなるように振る舞っていることです。一つ一つは日常業務での小さなことかもしれませんが、それが積み重なり、さらにずっと続いているとすると、当然ですがメンバーたちのストレスは高まり、生産性やメンタルに悪影響を及ぼします。

しかい、多くの場合でリーダー自身は、このことを問題だとは認識していません。本人は自分のペースで普通に仕事をしているだけというイメージなので、周囲からよほど指摘でもされない限り改善されることもありません。

 

仕事の終わりの見通しをつけて、それをメンバーと共有することは、リーダーの重要な役割の一つです。もちろん終わりが見えない仕事はありますが、それでもできる限りは見通しを持って仕事を進めていかなければなりません。

「なるべく早く」と言ってさみだれ式に出される業務指示は、メンバーにとって「仕事の終わり」が見えづらくなる典型例ですが、こういうことをしているかもしれないという自覚があったとしたら、それはすぐに改善しなければなりません。

 

 

2022年10月24日月曜日

「失敗」が起こる理由のいろいろ

 失敗というのは、なければないに越したことはなく、誰でも避けたいものです。ただ、どうしても起こってしまう、避けたくても避けられないものでもあります。

 

失敗には、大きく分けて二通りのものがあります。

一つ目は、ケアレスミスや不注意と言われることの結果による失敗です。仕事や生活の中での抜け、漏れ、忘れ物といったことがあたります。

ある会社では、会社の入館証であるICカードをなくすと、始末書を書かなくてはならないそうです。そこまでではなくても、必ず何らかの叱責を受け、「以後気を付けます」などと謝罪することになるでしょう。こういう処分をする会社は多いですが、始末書を書いたり叱責を受けたりしたからと言って、紛失のようなケアレスミスや不注意がすべて防げるわけではありません。本人が反省して、少し注意力が増す程度の効果はあるかもしれませんが、しょせんは見せしめでしかありません。

こういうことは、それぞれの人が少なくとも何らかの注意をしていて、そういう中でも起こってしまいます。

もしケアレスミスや不注意による失敗を100%なくそうとすれば、人間の注意力に依存しないように仕組みを変えるしか方法はありません。例えば、入館証を生体認証に変えれば、カード自体が不要になって紛失という失敗自体がなくなります。確認漏れや転記ミスは、その作業自体を自動化、機械化してなくしてしまえば良いことです。人間のミスは絶対に無くすことはできないので、それを防ぐ仕組みがないままで個人を責めるのは、少し理不尽なことです。

 

二つ目は、チャレンジした結果としての失敗です。そもそも、失敗というのは自分の能力の限界を超えようとしたときに起こりやすいものだとされます。まだ経験していないレベルのことにチャレンジしたようなときです。

ここでの失敗の理由を見極めるときに、注意しなければならないことがいくつかあります。

まず、その失敗が能力の出し惜しみの結果として起こったものだったとしたら、それは失敗ではなく「怠慢」になります。起こってしまった好ましくない事象が、能力を最大限に発揮した上での「失敗」なのか、それとも能力があるのに使わなかった「怠慢」の結果なのかは、しっかり切り分けなければ、以後の対策を見誤る恐れがあります。

 

もう一つ、「これくらいできて当たり前」ということを、誰かが「失敗」したとします。しかし、その「できて当たり前」のことが、その人には未経験のことだったとしたら、本人の能力レベルからすればチャレンジであり、失敗の可能性は当然高くなります。そこでの失敗を「できて当たり前」だからとの理由でその人の責任にしてしまうのは、失敗の本質を見誤っています。本人の能力レベルを考慮せず、「できて当たり前」といって仕事を与えた上司にも責任があります。

 

人材育成の過程では、どこかで必ずその人の限界を超えるチャレンジが必要になります。チャレンジに失敗はつきものであり、それが起こることを予想してサポートしなければ、成長につながる経験を積むことはできません。上司による部下の能力レベルの見極めと、それに応じた仕事の与え方は、実は失敗ととても密接に結びついています。チャレンジを避ければ失敗は減りますが、新たな経験を積む機会がなくなり、人材の成長は望めません。

チャレンジによる「失敗」は、ただ避けようとするのではなく、それが起こるという前提で、その理由と内容をしっかり見ておく必要があります。

 

「失敗」の理由と中身には、いろいろなことがあります。

 

 

2022年10月17日月曜日

やる気を「出させる」ではなく「出るように仕向ける」

 つい最近もある会社のマネージャーから、「部下のやる気を出させるにはどうしたらよいか?」と質問されました。この手の悩みは、人をまとめたり指導したりする立場の人であれば、誰もが何かしら持っています。

やる気を出させる、モチベーションを高めるなどといって、様々な理論や取り組みが紹介され、その効果はあったりなかったりわからなかったり、結果もまた様々でしょう。この様子からすれば、少なくとも明らかな正解は存在していないことがわかります。

中には「最近の若い者はやる気がない」など、世代論で批判する人がいますが、それは的外れな話です。高齢でも若くても、やる気がある人はあるし、ない人にはありません。また、やる気が出る対象は人それぞれで、身の回りのすべての物事に対してやる気満々などという人は間違いなくいません。興味のあるもの、やりがいを感じるものにはやる気が出て、それ以外のものにやる気が出ることは、たぶんあまりありません。

 

やる気やモチベーションと言われるものの扱いが難しいのは、それが人それぞれの心の中にあるものだからです。「やる気を“出させる”」と言ってしまうと、それはその人の心の中を変えるのと同じことです。

短期間では難しく、それが周囲の思い通りになるとは限りませんし、そもそも変わるのかどうかもわかりません。逆にその人の人生観が変わるような出来事をきっかけに、考え方が急に大きく変わることもあります。ただしそんな出来事は、周りに都合よく起こるものではありません。

 

しかし、だからと言って何もせずに放置していてもよいわけではありません。褒める、叱る、話を聴く、フィードバックする、相談に乗る、寄り添う、その他何らかの働きかけは必要であり、その方法は相手によってすべて異なる多様なものです。

 

「やる気を“出させる”」には、どこか他人からの命令や強制のようなニュアンスが混じってしまいます。相手のことを思っているつもりの行動も、それが相手に伝わらなければ、ただの命令、強制、余計なおせっかいになります。

これを「やる気が“出るように仕向ける”」という考え方にシフトすると、取り組み方も変わってきます。いつ変わるかわからないので、働きかけを継続することが大事になり、相手の気持ち次第なので、その相手に合わせた多様で柔軟な対応が必要になります。

やる気を「出させる」「高める」というより、やる気を「邪魔しない」ことが重要になり、それを削いだり反感を持たれたりする態度や行動を避けることが求められます。

 

やる気を「出させる」ではなく、「出るように仕向ける」と考えたほうが、取り組みや働きかけが望ましい形になります。

植物を芽吹かせるには、適量の水と肥料を一定期間に継続して与え続けなければなりません。中には芽が出ない種子もあるでしょうが、それは水と肥料を与えてみなければわかりません。「やる気」というのは、そんなことに似ている気がします。

 

 

2022年10月10日月曜日

「始まり」には厳しく「終わり」にはルーズという話

最近はずいぶん意識されるようになり、改善もされてきたように見えることですが、日本の会社で相変わらずみられる傾向として、「始まり」には厳しく「終わり」にはルーズというものがあります。

 

典型的なのは就業時間に関することです。始業時間という仕事の「始まり」の遅刻にはとてもうるさく、これを守らないと上司から厳しく注意されたり、評価上のペナルティーがあったりします。

しかし、それとは逆に、仕事の終わりになる終業時間に関しては、最近でこそ過重労働対策や残業削減の流れで、早く帰れと指導している様子を見かけるようになりましたが、それでも遅刻の場合ほど厳しく言われることはありません。いまだに遅くまでの残業を「頑張っている」と言う会社もあり、「終わり」の時間に関してはルーズな傾向が見られます。

会議などでも同じような傾向があります。開始時間は厳守ですが、終了時間はルーズになりがちです。最近はずいぶん改善され、終了時間の決められた会議が多くなりましたが、時間意識の低いマネージャーが主導していたりすると、相変わらずエンドレスなミーティングが行われていたりします。

 

企業の現場ではずいぶんマシになってきたとは思うものの、最近世の中で起こっていることを見ていても、その病根に似ていることが、まだまだ起こっていると感じる場面があります。

例えば、昨今の感染症対策では、いまだに「終わり」の時期を積極的に示そうとはしません。対応の仕方は少しずつ変わってきているかもしれませんが、法律上の扱いは結局変更されず、相変わらず毎日の感染者数が惰性のように発表され続けています。

どこかにそれを重視している人たちがいるのかもしれませんが、少なくとも私自身はそれを気にすることがほぼなくなりました。普通に生活している中では、もう不要の情報だと思うからです。

今となっては、「終わり」を示すことで何か起こってしまった時、責任を負うことを避けるために「終わり」をあいまいにしようとしているように見えてしまいます。

 

これは日本人の特性なのかもしれませんが、「終わらせる」「終わりを決める」「撤退する」といった判断を、先延ばしにしたりあいまいにしたりしがちな傾向を感じます。「終わりにルーズ」という点と共通しています。

その理由を考えてみると、「終わり」を決めない、決まっていないという状況が、自分たちにとって楽で都合が良いからではないかと思います。納期や締め切りという「終わり」が決まっていなければ、仕事はずいぶん楽になります。もし自分の締め切りを自分で勝手に決められるなら、あえて明言せずにできるだけ先延ばしすることを考えるでしょう。そういうことの蔓延が「終わり」にルーズということにつながっているのではないでしょうか。

 

この点は、特に企業の中では最近間違いなく改善されてきているので、「終わり」をはっきりすることができる能力は、たぶん多くの人が持っていると思われます。問題はそのことを意識しているかどうかの違いです。

「始まり」だけでなく「終わり」にも、相応の厳しさが必要です。