2016年12月5日月曜日

もしも「通勤時間」を労働時間の一部と考えたら



先日、朝の通勤時間帯に乗客同士がもめて、駅の非常停止ボタンが押されたために、電車遅延が最大で75分にも及んだという記事がありました。
混んだ車内で、座っていた人の顔に、前に立っていた人のコートが何度も当たり、それをきっかけに言い争いになったことが原因とのことです。

「こんなことで電車に缶詰めにされてはかなわない」「最近はすぐにキレる人が増えた」「混んでいる時はお互い様なのに」など、当事者を非難する声が大多数ですし、私も基本的にはそれと同感です。

その一方、自分自身も混んだ電車内でイラッとすることはありますし、そこで何か相手から言われたりしたら、それこそ言い争いになってしまうかもしれないという心理状態になっていることが、ときどきあるのは確かです。
最近は、駅員への暴力沙汰が増えていると言いますし、そこではやはり深夜の飲酒がらみが多いようですが、電車の混雑も間違いなく人がもめる原因の一つではあるでしょうから、これをなくすには混雑状況を解消するしかありません。

この手の話を聞くたびに、私は「通勤時間」の意義というものを考えてしまいます。私自身が以前の企業勤務の時代から比較して、通勤電車に乗る回数が減ったことでよけいにそう思うのですが、こんなに大変な思いをして多くの人が一斉に移動することや、長時間通勤の人がたくさんいることが、果たして仕事上での良い効果を生んでいるのだろうかということです。

中には「オンオフの切り替え時間」「読書の時間」など、有意義に活用しているという人がいますが、逆にそのくらいのことしかできない時間とも言えますから、あまりメリットとは言えないように思ってしまいます。
人が集中して動くことで、日中の時間帯よりも所要時間が長く、さらに遅延も発生しやすいことなど、単なる移動の効率だけを考えても、やはりメリットはありません。

混雑や長時間の移動のせいで消耗する体力であったり、寝不足でも体調不良でも、急ぎの仕事がない暇な状況でも、休暇でなければ原則決められた時間に出社しなければならないことを考えると、これもあまり効率的には思えません。

ここで、通勤時間に関する統計を見てみると、総務省の平成25年の調査では、全国平均では片道27.6分、最も長いのは神奈川県で片道48.0分、次いで千葉県45.7分、東京都43.7分と続き、最も短いのは宮崎県で17.7分ということでした。大都市圏では往復1時間半以上かかる人が半数以上いる訳で、簡単に無視できるような時間数ではないと思います。

「通勤時間」というのは、仕事で拘束されている訳ではなく、本人が自由に使える時間ということで、労働時間にはカウントされませんが、オフィスで仕事をするためには絶対に必要な時間であり、労働時間に準じるものという見方もできます。

昨今の「働き方改革」では、テレワークや在宅勤務の推進が言われますが、“コミュニケーションがとりにくい”“作業管理がしにくい”など、仕事の効率が下がるというようなニュアンスで、あまり積極的に捉えようとしない向きがあります。

しかし、仮に「通勤時間」も労働時間の一部と考え、通勤に使う時間と体力を減らすことができれば、実質的な仕事の生産性を上げることと、働く人のプライベートの充実を両立することができます。

最近は、始業時間を遅くして時差出勤を可能にしたり、細かな時間単位の有休を取れるようにするなど、時間の柔軟性を認める企業が増えてきています。
しかし、「通勤時間」に関しては、個人の住宅事情や家庭の事情によることもあり、あまり仕事上の負担として重視されてこなかった面があります。遠距離通勤、長時間通勤などはあくまで本人の判断であり、会社が関知するところではないというような考え方です。

ただ、「働き方改革」の流れと合わせ、これから将来の働き方を考えていったときに、「通勤時間」は重要な要素です。今まで以上に配慮しなければならないものということを想定して、準備することが必要だと思います。

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