2021年4月29日木曜日

「心理的安全性」が“ぬるい”という誤解

「心理的安全性」という言葉が注目されるようになってから、少し時間が経ちます。

「心理的安全性」とは、チームにおいて、他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰をあたえるようなことがないという確信をもっている状態であり、チームは安全な場所であることがメンバー間で共有された状態と定義されています。

例えば、自分の発言に対する上司や同僚の反応を怖がったり恥ずかしいと感じたりせず、自然体の自分を隠すことなくオープンにできる状態の穏やかな雰囲気のチームです。

 

そもそもはグーグルが成功プロジェクトの共通点を探索していて、法則がなかなか見つからない中から唯一発見したもので、そこからこの言葉が広まり多くの人から認識されるようになりました。

今はその重要性が多くの会社で理解され、具体的な取り組みも数多く進められています。

 

ここ最近、いくつかのセミナーや講演を聞いている中で、この「心理的安全性」がある組織を「ぬるい」と誤解しているという話を続けて耳にしました。

「心理的安全性」は、うまくいかないことや目標達成できないことの言い訳を許容するような厳しさに欠けたぬるいことと思っていて、「そんなものはあり得ない」と拒絶していたり、反対にただ優しいだけのゆるい、ぬるい雰囲気の組織に仕向けているリーダーがいたりします。このどちらも「心理的安全性」の本質を誤解しているということで、たぶんそういう例が数多くあるのでしょう。

 

本来の意味での「心理的安全性」は、前提として仕事に対する高い水準の要求があり、それを達成するために誰もが気づいたことを自由に発言できる雰囲気があれば、学びの機会が増えて情報交換がスムーズになり、結果として業績が上がりやすくなるとされます。

ただ「優しい」「話しやすい」のではなく、しっかりした目標設定があった上で、チームとして最良の協力関係があることが大切であり、そこを誤解している人が今でも多いとのことでした。

 

私がある会社で見かけたことですが、自社の良さを社員に聞くと、みんな口々に「和気あいあい」「話しやすい」「雰囲気が良い」というものの、なぜか仕事上のミスや目標未達が多く、業績は上向かずに低迷していました。

その現場を観察していると、確かに会話はしているものの、その中身はたわいもない雑談に終始していて、仕事にかかわるコミュニケーションはほとんどされていません。仕事に向き合う意識が明らかに低い「ぬるい組織」に見えました。

まさにこれは「雰囲気の良さ」の勘違いであり、「心理的安全性」の誤解と似た感じがします。

 

この「心理的安全性」のように、フラットな関係、話しやすさ、弱音がはける、愚痴が言えるといった組織の雰囲気を、ともすれは「ぬるい」「ゆるい」「けじめがない」「甘やかし」といった言葉で批判する人がいます。

しかし、これらの本質は厳しさに向き合ったうえでの問題であり、「誰でも発言できる」「仲間に入る障壁がない」「お互いの不足を協力し合う」といったことによって、そのチームの成果は上がります。

 

厳しい要求に向き合うためのチーム作りの一環として、「心理的安全性」をはじめとした協調の雰囲気が重要だということは、しっかり認識しなければなりません。

 

 

2021年4月26日月曜日

辛そうな業務の指示は「初めは“論理”で、最後は“感情”で」

リーダーやマネージャーの立場になると、初めからつらさが見えている仕事でも、部下の誰かに依頼してやってもらわなければならない場面に出会うことがあると思います。

 

こういったとき、「上からの指示だから」「いいから黙ってやれ」などと権威で抑えつける人がいます。指示する側も本音では困っていたり、他にどうすることもできなかったりということもありますが、それでも最近は、相手が納得するためのプロセスをあまり重視せずに省略することが増えている感じがします。それほど相手の気持ちを気遣う余裕がなくなってしまっているということなのでしょうか。

 

これは私よりも年上のベテラン社長からの言われたことがある言葉ですが、厳しさやつらい状況が初めから見えているような仕事を部下に指示しなければならない時の心得として、「初めは論理で、最後は感情で」と言っていました。

その仕事の厳しさを和らげる環境整備の努力はしますが、だいたいはそれだけでは足りません。そこで初めのうちはその事情を論理的に説明し、そこでは悪い話も含めてすべての情報を包み隠さず伝え、筋道を通して十分にその仕事の必要性を話すそうです。すべてのことを論理的に、隠し事をせず誠実に話すことで、お互いの信頼関係を築いていきます。

 

そもそもつらい仕事というのは難易度が高い仕事であることがほとんどで、それを任せられるのは相応の能力がある限られた一部の人になります。その人に納得してもらわなければ仕事は回りません。誠実に論理的な説明をすれば、それなりに納得してくれることがほとんどですが、それでも本音の部分では「できればやりたくない」「なぜ自分が」など納得しきれていないことがあります。

 

そんなとき、最後の最後で必要になるのは、「君以外にいない」「あなたの力を貸してほしい」「私の顔にめんじて」など、心を込めて一生懸命に話して感情に訴えて、本心からも納得してもらうことだそうです。そのためには相手から、「この人にそこまで頼まれたら仕方ない」と思われるような信頼関係が必要で、「嘘をつかない」「隠し事をしない」「過大評価や過小評価をせず事実を話す」といったことを通じた日頃からの信頼関係があるからこそ、相手の感情を揺さぶることができるということでした。

 

ともすれば論理だけで相手を論破して自分の思い通りにさせようとすることや、逆に理屈が通っていないのに感情だけに訴えかけて、相手を言いくるめようとする態度を目にすることが増えました。

人間が物事を納得するには、最後は感情によるところが大きく、いくら理屈が合っているからといって納得できるとは限りません。また論理が成り立っていなければ、感情に訴えてもいかにも丸め込もうとしているかのような印象で、同じく納得は得られません。

 

「初めは論理で、最後は感情で」という言葉の通り、この両方を場面に応じて使い分けることが重要であり、最後の最後は「感情」が優先するということを理解しておかなければなりません。さらにそのためには日々の信頼関係の積み重ねが活きてくるということを、十分に心にとめておく必要があります。

 

最後に余計な一言ですが、昨今の政府の感染対策は、これらのことをすべて無視しているように感じます。納得と信頼が得られないのは当然のように見えてしまいます。

 

つらいことをやり遂げるには、「初めは論理で、最後は感情で」が大切なことだと感じます。

 

 

2021年4月22日木曜日

難しいのが当たり前と思う「自己管理」

ここ最近、お付き合いがあるいくつかの会社で、社員の健康に関する問題に続けて接しています。

 今回はこれまで多かった過重労働が大きな要因の心の不調ではなく、ほとんどが俗に生活習慣病などと言われる身体的な不調や持病によるものです。

 

あまり決めつけてはいけないですが、該当した人のすべてが独身一人暮らしの男性で、年令が30代後半から40代で何かしらの持病が出始めてくる年代ということで、つい日常生活の中で不摂生の積み重ねがあったのではないかと思ってしまいます。本人たちの食生活や運動習慣、睡眠、飲酒、喫煙の様子を聞いていると、やはりあまり健康的とは言えないところがたくさん見えてきます。

 

この人たちの上司はみんな、「本人の自己管理が足りない」などと言いますが、それが正論ではあるものの、ちょっと自分のことを棚に上げているようなところがあります。少し分野が変われば、その上司たちもたちまち「自己管理が足りない」と言われてしまうようなことがたくさんあります。

「自己管理」は間違いなく大切なことですが、それほど実践が難しいものです。

 

この「自己管理」をうまく機能させるには、ちょっと逆説的ですが「他人の力」が必要です。

例えば、家族から飲酒や喫煙の量を注意されていたりすると、本人は隠れて飲んだり吸ったりするなどいろいろな抵抗はするものの、やはりどこかで気にしていて総量は抑えられたりします。

ダイエット、運動習慣、様々な勉強、その他ちょっと辛いけど続けなければならないものはたくさんありますが、それを「自己管理」だけで達成するのはかなり強い意志がなければ難しく、周りからの支援、助言、監視、その他の人とのかかわりがあって、初めてそれが続けることができます。

 

最近はコロナ禍で在宅勤務をはじめとしたリモートワークが増えていますが、ここでも「自己管理」の必要性がよく言われます。

「自己管理」を信用していないと、上司による常時カメラ接続などの監視がおこなわれ、それが「リモハラ(リモートハラスメント)」などと言われていて、それはそれで問題ですが、すべて「自己管理」に委ねるなら請負制と同じような成果主義を考えなければならず、現状でそこまで割り切るのは難しいのが実際です。他人がかかわりながら「自己管理」を機能させることが必要になります。

 

「自己管理」には個人の性格による能力の差はありますが、それをうまく機能させるためには、やはり他人のかかわりが重要です。

これは監視したり指示したりすることばかりではなく、励ます、元気づける、愚痴を聞く、やり方を一緒に考えるなどの支援もありますし、「誰かのため」など自分以外を意識した大義が必要なこともあります。

 

「自己管理」が行き渡った組織は強いですが、その「自己管理」のためには、実は周りの人にかかわってもらうことの必要な場面がたくさんあります。

簡単にはできないのが「自己管理」であり、それを実践するためには他人の関与が必要だということを理解しておかなければなりません。

「自己管理ができていない!」という他者批判は、安易に発するといつか自分に返ってきてしまうと思います。