ラベル 人材育成 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 人材育成 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年10月30日月曜日

「効率化」と「手抜き」の紙一重

それぞれの企業が抱えている課題は様々なものがあり、その内容は企業によって違いがあるものの、生産性向上や業務効率化といった課題では、それを考えない企業はないでしょう。

 

「効率化」には、IT化や自動化、省力化、省人化、ペーパーレス化、業務プロセスの定型化、設備の高機能化や高速化、提供サービスの統合や廃止、その他ここには挙げきれない多くの手法があります。

特に人手不足が深刻になってきている昨今では、人手をかけなくても仕事が回るように、まずは身近なITツールの活用や、省人化の前段として、無駄な作業をなくすなどの業務見直しが盛んに行われています。

実は人手不足がより深刻な中小企業の方が、前例踏襲の手作業や非効率な人海戦術に頼っていることも多く、業務効率化は必須の取り組みとなっています。

 

しかし、これはある会社でのことですが、数名のベテラン社員が、これらの取り組みに対して「手抜き」という否定的な発言をしていました。顧客サービスの低下や社員の能力低下につながっているとの主張です。

 

顧客サービスの低下と言っているのは、文字通り提供サービスの内容が見直されて、昔からの流れで個別対応していたようなものが、一律の内容に統一されたことを指しています。

「顧客が困る」と言い、その言い分はわかりますが、そもそもこれまでやってきたという個別対応が、コスト除外の過剰サービスと見ることができ、私のような第三者から見れば、効率化の対象になるのは当然の部分です。

 

もう一つ、社員の能力低下と言っているのは、自動化やシステム化によって、特に若手社員が業務プロセスの詳細を知る機会がなくなってしまうため、人材育成上で問題があるとのことです。

「書類を手書きすることで覚えていく仕事もある」などと言いますが、こちらも言いたいことはわかるものの、例えば帳簿類を手書きしなげれば簿記が覚えられないかと言えばそんなことはなく、転記などは会計ソフトに任せておけば良いことです。プログラミングであれば、必ずしもソースコードを知らなくても作成できるツール類があります。

どちらも基礎知識を持っておくに越したことはありませんが、これから昔のやり方に戻ることは、ほぼ考えられません。これを手抜きというのは少し論点がずれている感じがします。

 

「効率化」と「手抜き」の差を説明すると、時間短縮や省力化によって質が向上、もしくは低下が起こらないのが効率化で、合わせて質の低下も起こってしまうのが手抜きということができます。

ただ、その境目を具体的に詰めていくと、サービス統合を質の低下と見ることもできますし、システム化などで知識を持たずに済んでしまうことを能力の低下と見ることもできます。

 

結局は「効率化」の取り組みによって得られるものと失うもののとらえ方であり、それは立場や役割によって違うものになるでしょう。

 

こうして見ていくと、「効率化」と「手抜き」の境界線は、意外に紙一重のように思います。

「効率化」を進めていく中では、いろいろなとらえ方があることを認識し、「手抜き」とならないように調整していくことが必要ではないでしょうか。

 

2023年10月16日月曜日

仕事を「抱え込む人」と「丸投げする人」

 マネージャー人材に関して、最近正反対の問題を投げかけられました。

部下に仕事を任せようとせずに、自分だけで「抱え込む」マネージャーと、相手のレベルを考慮せず、必要な情報もあまり与えずに、任せたなどといって仕事を「丸投げする」マネージャーです。

 

どちらも困った問題であることは間違いありませんが、どちらが多いかというと「抱え込む人」が問題とされることが多い気がします。仕事を「丸投げする人」の場合、部下が優秀だとサポートが少なくても仕事をこなしてしまうので、問題としてあまり表面化しないからです。それでも仕事の効率が上がらないとか、上司部下の関係性が悪くなるとか、必ず問題はあります。

ただ、「抱え込む人」の場合は、それ以外に仕事の属人化や部下が育たないという問題がプラスされるので、組織上の問題としてはより深刻な場合があるかもしれません。いずれの場合も、どこまで部下に任せて、どこから自分でやるのかという権限委譲の線引きなので、個人的な感覚に左右されていることも多いです。

 

私自身がいろいろな人と接してきて思うのは、「抱え込む人」も「丸投げする人」も、決して悪気はなく、どちらかといえば良かれと思ってそうしている人が多いということです。本人にそういう自覚があまりありません。

 

「抱え込む人」には、真面目で責任感の強い人が多く見られます。深層心理の中には「自分の存在意義を保ちたい」などの気持ちがあるかもしれませんが、目の前の仕事を自分が責任をもってやり遂げるという意志の強さを感じます。その結果として任せられない、抱え込む、属人化するといったことが起こっていますが、本人は会社を辞める気が一切ないので、たぶん自分がやることが会社への貢献と思っています。

一方の「丸投げする人」も、実は人材育成のためと思ってそうしていたりします。自分はできるだけ手を出さず、余計な口を出さず、本人が考えて仕事を経験することが大事だと思っていますが、部下にとってはそれが行き過ぎていて、「放置」「丸投げ」ととらえられてしまっています。相手のレベルに合わせて権限委譲するという点で問題があります。

 

なので、こういう場合に最初にやることは、抱え込み、もしくは丸投げの状況を本人に自覚してもらうことです。そのためにはただあるべき論を伝えるだけでは難しく、実際の業務の中で「この仕事は任せられるのでは?」「今の言い方で伝わる?」「この説明も必要では?」など、具体的に指摘していくことが必要になってきます。

身近な上司や同僚がその都度話したり、私たちのような社外人材が第三者の立場から指摘したりすることが有効であり、本人にはそもそも悪気がないので、自覚すれば改善するスピードは速くなります。

 

組織内で上の立場になるほど、周りから自分の仕事ぶりを指摘されることは少なくなり、問題があっても自覚することができにくくなっていきます。まずは周りから伝えることが重要です。

 

2023年10月2日月曜日

効果が実感しづらい?「メンター」たちの自己評価

「メンター制度」は、先輩社員が新入社員などに定期的な面談をおこない、不安や悩みなどを聞いてサポートする仕組みですが、これを行っているある会社で、ほんのちょっとのことですが、その環境づくりの支援をしています。

当初は現場の無理解があって実施しにくいなどの問題がありましたが、それらはもう解決して、私が今やっているのは、たまにメンター役の人たちから実施状況などの話を聞いて、困りごとや心配事があれば解決を手助けする程度のことです。

 

先日久しぶりに話を聞いたところ、ちょっとだけ気になることがありました。意外に重たい相談をされた人が何人かいて、それぞれ「自分の対応で良かったのだろうか」「もっとしてあげられることがあったのではないか」など、どちらかといえば反省ばかりしています。

他の人たちも、「いろいろ話してくれるようになったと思うが、本音がどうなのか」「信頼されているのかわからない」などといい、「役に立っているのかという実感はあまりない」といいます。

 

ただ、私が説明を聞く限りでは、以前よりも気軽にコミュニケーションできる関係づくりは進んでいるし、重たい相談事というのも、たぶんメンターがいなければ聞き出せなかったと思えることです。その後の対応でも、どうするかは私から見ても結構気を遣う難しいものですが、とても適切に処理しています。それでもメンター本人は「あれでよかったのだろうか」「もう少し良い方法があったのではないか」と自己評価は低いままです。

 

そんなことで、私からはあくまで見えている事実をもとに、メンターの存在意義を感じる良い対応だったことや、お互いの良い関係づくりが順調に進んでいるように見えることなどを伝えていくと、メンターたちの表情は少しずつ緩んでいきました。

 

私がしたのは、メンターたちが確信を持てずにいたことを、客観的な立場から「それで大丈夫」と伝えただけですが、考えてみれば、常に1対1の関係で行われるメンター制度の特性で、自分によほど自信があるか、もしくは相手から直接的な感謝の言葉でもない限りは、メンター自身が自分の存在価値を確信できることは少ないかもしれません。他の誰かからのちょっとした後押しや承認で、メンターの意識はずいぶん変わるように思います。

小さなことですが、実はこういうことがメンター制度の成否を左右しているのかもしれません。

 

2023年9月11日月曜日

「2-6―2の法則」のとらえ方の話

 「2-6-2の法則」とは、組織や集団において、優秀とされる人が2割、中くらいもしくは普通の人が6割、成績不振や働かないなど、パフォーマンスが悪い人が残り2割の割合で存在するというものです。明確な裏付けがあるのかはわかりませんが、多くの人が経験的に納得しているようなところがあります。

 

この法則は、「働きアリの法則」とも言われることがあります。働きアリの集団を観察していると、よく働くアリが2割、ほとんど何もせず働いていないアリが2割程度、残りの6割が普通程度の働きで、この集団から働かない2割のアリを排除しても、残ったアリからまた2割程度の働かないアリが現れることから、集団の中でのバランスの根拠のように扱われています。

様々な会社の経営者や管理者の中には、この法則から2割の戦力外がいるのは仕方がなくあきらめるしかない、上位の2割が組織を引っ張らなければならないという人たちがいます。

 

しかし、私が最近読んだ記事で、このようなものがありました。

働いているアリでも、時間が経つと徐々に疲労して働けなくなってくるそうで、そうするとそれまであまり働いていなかったアリが、代わりに働き始めるそうです。すべてのアリが疲労して働けなくなってしまうと集団が維持できないので、集団を維持、継続するために余力として持っているのが、働かない2割のアリではないかという話でした。

 

企業においては、最近は効率化重視という観点から、無駄を省いたギリギリの組織運営を求められることが増えています。一方で、組織を安定的に機能させてそれを継続していくためには、一定程度の余裕、余力は必要です。働かない2割は、その中でただの無駄な人材というわけではないと見ることができます。結局は役割の与え方や働かせ方のほうに問題があるように思います。

 

また、「2-6-2の法則」というと、優秀とされる2割ばかりに注目して、その人たちを中心に組織運営を組み立てようとする傾向があります。役職や処遇、人事評価などでその人たちを優先し、普通に働く6割の人は、働かない2割の人とあまり変わらない評価がされていたりします。

 

ただ、「2-6-2の法則」が真実であれば、2+6の8割の人は普通以上の仕事をしているという見方ができ、そのおかげで組織が成り立っているとも言えます。

にもかかわらず、普通の6割の人をあえて相対評価などで序列付けしていることがあります。普通に働いているのに序列付けの結果でマイナス評価が下されていたりしますが、それでやる気が出る人はたぶんいませんから、そういう評価をすること自体に意味があるのだろうかと思います。

 

「2-6-2の法則」を安易にとらえ、2割が優秀で2割が使えない人など決めつけるのは、組織運営としてあまり得策ではないように思います。

組織を構成するすべての人は、何かしらの役割を持っているという考え方が、実は「2-6-2の法則」なのではないでしょうか。

 

 

2023年8月28日月曜日

人を育てるための「許容」と「責任」という言葉

 ある企業で今のマネージャーに続く、次世代リーダー人材の育成を進めようという取り組みをしています。人材育成に悩みがない企業に出会うことはほぼなく、その中でもリーダー、マネージャーといった中核人材をレベルアップしたいと考える企業は非常に多いです。

 

人材が育たない理由には様々なものがあり、例えば「仕事は見て覚えるもの」などと言われて、自分が上司から教わった経験もないために、同じことを部下にしているようなことがあります。それでもみんな自分で何とかしようと努力するので、何となくつじつまが合ったような結果になることはありますが、育成と称した放置なので、理にかなった効率的な人材育成ということはできません。

 

多くの企業の現場を見ていて、人材育成が進まない大きな原因の一つに「経験させていない」「任せていない」という権限委譲の問題があります。その理由は上司が「自分でやった方が早い」と考えていたり、「任せるだけの信用がまだできない」「失敗されると困る」と思っていたりするなど様々です。

もちろん、まったく理不尽ということはなく、上司もいろいろ考えていますが、どちらかというと任せることに慎重で、部下がいつの間にか年令ばかりを積み重ねていたりします。

 

今の支援先で実施しているのは、権限移譲を計画的に進めて、その進捗状況を確認しながら、目標見直しと実践を継続していくことですが、そんな取り組みを進めている中で目についた言葉に、「許容」と「責任」というものがありました。

最近話題になった髪型自由など、高校野球のあり方について書かれた記事の中にあったものです。

 

チーム作りに関する考え方にはいろいろなものがあり、「監督の指示通りに動く選手の育成」という方法もあるが、それではこれからの時代に通用する人材育成という面で足りておらず、一人一人の個性や主体性、多様性などをもっと追求する必要があるとされていました。

その中で、ただ何でも自由にした方がいいということではなく、選手主体で自分たちの置かれた環境ではこれがいいと決めて、前に進めていくことが大事であり、そこからもたらされるのは「許容」と「責任」だという話でした。

指導者が選手らに自由を与えて「許容」し、その代わりに選手たちは「責任」を持った行動を求められるとのことでした。

 

この「許容」と「責任」は、前述の企業における人材育成でも同じことがあります。

どこまで「許容」して、どこまで「責任」を持たせるのかは、まさに権限委譲のさじ加減を指していますが、今見ている中で多いのは、やはり指導する側の「許容」が足りず、育成される側に「責任」が生まれていないことです。

「指示通りに動く人材」の方が、目先の結果が想定しやすく指導する側の安心感もあるため、どうしてもそちらに偏りがちになっています。短期的な目標達成のプレッシャーがきついなど、全社的な環境の問題もあるかもしれません。

 

多くの企業で自律人材を求めていると言いながら、実際には自律させようとしていないかのように見えることが多々あります。特に次世代人材を育成していくためには、この「許容」と「責任」のバランスを考えていかなければならないと思います。

 

2023年8月21日月曜日

「自分がされてきたことをしてしまう」という人間の特性

 2023年の夏の甲子園大会の代表校で、坊主でない学校が7校あったそうです。

逆に言えば、未だに8割以上の学校が坊主刈りということであり、世間一般の高校生は坊主でない人が圧倒的に多い世の中にあって、それが話題になることはずいぶん異質な感じがします。

他の競技の名門校などでも、丸刈りのチームを見かけますが、やっぱり野球が明らかに多いと感じます。理由はたぶん昔の軍隊か何かの流れで、競技力などに関する合理的な理由ではないでしょう。

思えば、私たちの子供時代の何十年前までさかのぼっても、野球のうまかった子が「坊主が嫌だ」という理由で野球部には入らないことがありました。野球界はこんな些細なことで、実は良い才能を失っていたのかもしれません。

他にも、ようやく女子マネージャーがベンチ入りできるようになったとか、以前は練習補助も認められていなかったとか、時代錯誤を感じる話がたくさんあります。それで良いと判断する意思決定者たちの存在には、大きな問題があると思います。

 

代表校の中でも、監督や選手間のフラットな関係性も含めて、神奈川県代表の慶応高校が紹介される機会が多いようで、監督はチームの考え方を積極的に発信しています。

坊主頭については、それ自体に問題はないが、「昔からこれが当たり前」と思考停止していることや、「そこから飛び出るのが嫌」という同調圧力の方が罪深いと話しています。

 

この監督のインタビュー記事を見ていて目についたことに、指導者に関するものがありました。それは「高校野球に関わる大人、特に指導者が、なぜエゴイスティックになってしまうか」という話です。

その理由に挙げられていたのは、「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性のようなものが現れてしまっていること」でした。自分が現役時代に指導者から体罰を受けたり、高圧的な言動をとられたりすると、それが自分の中のベースになってしまい、自覚がないままに同じ言動をとってしまっているという、負のスパイラルを生んでいると言っていました。

 

まったく同じ話が、企業のマネジメントや人材育成の中でもあります。

パワハラなどは典型で、上司からされて嫌だったはずなのに、自分が上司になると同じことをします。人材育成でも、昔の職人のような「見て覚えろ」という放置プレイが今でもあります。見て覚えることはとても大事ですが、そこにコツや注意点ほかの指導があって、初めて人材育成が成り立ちます。本人の気づきだけに委ねてしまうのは、少なくとも企業で本来やるべき効率的な人材育成とは言えません。

 

こういうことが起こる原因の一つが、前述の「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性」と思えます。パワハラ的なことを問題と考えない思考停止で自分も同じ行動を取ることや、自分に教わった経験がなく、同じくそれを問題と考えない思考停止で自分も教えないなどの行為は、まさにこれに当てはまります。負のスパイラル、負の伝承ということができるでしょう。

 

この流れを断ち切るには、「自分がされたこと」に疑問や問題意識を持ち、より良い形に改善していこうと「考えること」「思考停止に陥らないこと」です。高校野球で新たな動きが話題になるのも、思考停止せずに考える指導者が増えている証明の一つと思います。

企業でのマネジメントや人材育成でも、同じことが望まれます。

 

2023年7月3日月曜日

任せられない?任せてくれない?

 ある会社でこんなことがありました。

多くの会社と同じく、次世代人材の育成が課題になっています。「候補者がいない」「成長が遅い」など、いろいろ理由が出てきますが、私から見るともう一つ上のレベルの仕事をやらせていないように見えます。

能力よりも少し上の仕事を経験させて、力量をストレッチしていく取り組みを続けなければ人材は育ちませんが、あまり権限委譲に積極的でない人たちが多いように感じます。

そのことを指摘すると、みんな「必要なことはわかっているのですが…」と考え込み、「でもまだ任せるのは早く感じる」「任せられない」といいます。でも自分たちの感覚よりはもう一歩進めて、「仕事を任せること」を意識していかなければ、人材は決して育ちません。

 

別の会社で、これとは反対の出来事がありました。

ある社員が、面談の中で「上司が自分に仕事を任せてくれない」といいます。自分でもできると思う顧客との商談や交渉などを、最後は上司がまとめる形になることが多く、「信用されていない」と感じてしまうそうです。ただ、本人の経験年数や性格、顧客とのかかわり度合いといったことを聞いていると、その状況に合わせて適切に任されているように思えます。本人の自己評価が少し過大なのか、それとも任されていないと感じてしまう何かがあるのか、詳しいことまではわかりません。

 

この「任せられない」と「任せてくれない」のせめぎあいは、多くの会社で見かけます。

本人が仕事を「任せてほしい」と思う気持ちは好ましいことであり、その気持ちをできるだけ満たしてあげることが良いとは思います。

その一方、過剰な負荷にならないようにフォローすることも当然必要で、どこまで任せてどこからフォローするかという線引きには難しさがあります。この点は上司の判断基準次第で、大胆な人も慎重な人もおり、一応できるだけ権限委譲を進めるべきという一般論はありますが、適正な判断基準を一概にいうことはできません。そのさじ加減が本人の気持ちと違っていると、場合によっては「任せてくれない」と感じてしまう可能性はあります。

 

「任せられない」と「任せてくれない」の対立を解決するには、結局は当事者の上司と部下が、お互いによく話し合って、お互いが歩み寄りながら対応していくしかありません。

任せてほしいという気持ちは大切ですが、任せられないことには「まだ早い」「まだ無理」など、何か必ず理由があります。任せてほしければこの上司の懸念を払しょくして、「任せても良い」「任せてみよう」と思わせなければなりません。

 

上司は権限委譲の意識をしっかり持つこと、部下は実績作りや日々のコミュニケーションなどから、信頼を得ていかなければなりません。

両者が歩み寄って認識を合わせていくことしか、解決方法はないように思います。

 

 

2023年6月19日月曜日

不安感の強すぎる人

 仕事でもプライベートでも、何かしらの不安というのは誰にでもあるものです。

ただ、その気持ちがあまりにも強すぎるのは、決して良いことではありません。

 

最近お話しをしたある会社の人の中に、この不安感をとにかく強く持ってしまっていると感じる人がいました。

何をするにも「自分ではできないのではないか」「失敗するのではないか」と恐れていて、特に新しいことや経験が浅いことには、なかなか踏み出すことができません。

できるレベルのことだと説明して、勇気づけて、フォローを約束して、ようやく納得して動き始めますが、それでも常に不安でストレスの度合いは高いままです。他人に迷惑をかけてはいけないと思うようで、フォローを求めてこないと思ったら、どこかでお手上げになってすべて投げ出してしまおうとするなど、極端な対応が見られることがあります。

とにかく自分に自信がなく、自己肯定感が低い傾向ですが、その要因にはもともとの性格もあるでしょうし、完璧主義や思い込みのような思考パターンの癖、さらには成功体験がない、褒められたことが少ない、トラウマを抱えているなど、これまでの経験による後天的な要素もあるでしょう。

 

不安になる大きな要因というのは、「先行きがどうなるか予想できないこと」にあります。

そもそも、これから先に起こることを正確に予想できる人は誰もいませんが、「こうすれば7割がたはうまくいく」「ここさえ間違えなければ失敗は防げる」など、過去の経験から一定の幅の中で予測することはできます。良し悪しはともかく、例えば「この上司を怒らせない方法」などは、たぶん経験から得られるもので対応することができ、無用な叱責を避けられることがわかれば、不安が軽減されることは確かでしょう。みんなそうやって不安と向き合って対処しているものです。

 

この「不安感の強すぎる人」と話していて思ったのは、自分がそれなりにうまくいったことでも、そこにはあまり目が向いていないことです。成功しているのにそう思っていない、褒められているのに気づいていないといったことが多く見受けられました。

そんな話をこちらからいろいろ投げかけてみると、初めは「えっ…」と驚いた様子で、そこから半信半疑の表情になり、徐々に「そういうものでしょうか」と自分のことを少し肯定的にとらえることができ始めたようでした。

 

必要以上の不安感から脱するには、現実的な見方をして自分の状況を客観視することが大事ですが、自分だけで整理することが難しい場合は、第三者からの問いかけやフォローが必要になります。

上司や同僚との間でそんなやり取りができていれば良いですが、スピード優先で時間的余裕がない環境、コロナ禍の影響や世代間ギャップなどによるコミュニケーション不足など、それぞれの自己肯定感を高めるような取り組みは、なかなか行えていない様子が多く見られます。

 

不安感の強さは、本人の気持ちが弱いのではなく思考パターンと自己客観視の問題が大きく、その緩和を手助けすることは決して甘やかしではありません。

本人の視野が広がるような周りからのちょっとした働きかけで、不安はずいぶん緩和、改善することができ、そのことで本人は落ち着いてパフォーマンスを発揮することができるようになります。

もし身近にそんな人がいたら、少し話を聞いてあげて欲しいと思います。

 

 

2023年5月1日月曜日

「伝承」の大切さ

最近のテレビ番組で見たことですが、コロナ禍でずっと中止や延期になってきた行事が復活してきて、大学生サークルの新人歓迎会なども同じように再開されてきているそうです。

ただ、約4年間のブランクがあることで、サークル内に誰も経験したことがある人がいない状態になっていて、例えば先輩たちがみんなを盛り上げようと頑張りすぎて、先に酔いつぶれてしまったりするようなことがあるそうです。

 

他にも、例えば地域の自治会が主催しているようなお祭りで、役員が誰もが祭りの幹事を経験したことがない状況になっていて、いろいろ苦労しているという話を聞きます。1年ごとに役員が交代していくような組織も多いので、やり方を聞くにはずいぶん前の役員までさかのぼらなければならず、さらに聞かれた人も4年以上と時間が経ちすぎていて、あまり様子を覚えていないようなことがあるようです。

こんなことから、これまではあまり意識していなかったことですが、物事を継続しておこなって関係者に「伝承」していくことで成り立っていたことが、実は多かったということを実感します。

 

この「伝承」ということから思い出すことがあります。

日本を代表する神社である伊勢神宮で、20年に1度の頻度で内宮外宮の正宮やその他の別宮、橋なども造り替えられる式年遷宮です。

それが行われる理由として、宗教的な意味もありますが、宮大工や神宝製作の匠の技を伝える技術伝承という目的があるとのことです。

20年という期間は、人生が50年程度と思われる当時の寿命でも、人生で2度は遷宮に携わることができ、次世代へ技術を継承していくのに合理的だったからだといいます。

今は平均寿命が80歳以上となりましたが、当時では技術を正確に伝えるには精いっぱいの年限だったと思われますが、こういうことを積み重ねていくことで、技術をはじめ様々な文化や思想なども伝えていたということです。

 

今、多くの企業でも、この「伝承」が問題になっています。うまくいかない理由には、年齢構成で世代のギャップが大きくなっている組織の問題であったり、伝承がシニア世代からの押し付けになっていて若い世代がそれを敬遠していることだったり、古いノウハウを軽視しがちな雰囲気があったり、他にもいろいろなことがあります。

 

ある会社では、もう80歳近い嘱託社員の技術者がいて、3~5年に一度くらいの頻度でその人しか経験したことがない技術を使った仕事の案件があるそうで、その技術伝承のために高齢でも会社に残ってもらっているそうです。ご本人は「もうそろそろお役御免にしてほしい」と笑いながら話していましたが、会社としてはこうやって意識的に技術伝承をしていくことが必要ということを感じます。

「伝承」の大切さを認識し、これを続けていかなげればなりません。

 

 

2023年4月24日月曜日

「ホワイトすぎる」という理由の退職

 最近、若手社員が「仕事がゆるすぎる」「職場がホワイトすぎる」などの理由で、退職するケースが増えているといいます。

以前と比べて、長時間労働をはじめとした職場環境の課題改善に取り組む企業が増え、その環境は改善が大きく進んでいるといいます。定時で当たり前のように帰れる職場も増えているようですが、そんな職場環境を「ゆるい」と感じている人が、全体の3分の1以上に上るという調査結果もあるそうです。

大企業や有名企業に入れば安心という時代ではなく、職場がゆるいと「もっとスキルや経験を身に付けなくて大丈夫なのか」と不安になってしまうことが、退職に至ってしまう理由の一つに挙げられています。

 

これと似たような退職理由を、私はもう30年近く前に身近で聞いたことがあります。安定したシステム開発のプロジェクトに、中途採用の若手社員が配属されましたが、半年ほどたったところで、「このプロジェクトは自分がいなくても問題なく回っていくので、自分の経験にならないしやりがいも感じない」と言って退職してしまいました。トラブルもなく安定して働きやすいと思われる環境を、「経験が積めない」「面白くない」「やりがいがない」などと感じる人は、昔からいたのだと思います。ハードワークを当たり前に強制されることも多い時代だったので、あまり表面化することがなかったのでしょう。

 

今の若い世代は、プライベートな時間やワークライフバランスを重視すると言われ、確かにそういう傾向を感じるところはありますが、その一方、多数派ではないかもしれませんが、「若いうちにいろいろ経験したい」「家庭を持つまでは仕事中心」など、スキルアップ重視でハードワークもいとわないという若手社員は一定数います。

特に最近は、「他部署や違う会社で、自分のスキルは通用しないのではないか」という不安感も持つ人も多いので、環境が整っていて、仕事のストレスは少なく、周りの人はみんなやさしく、残業はなくて休みは取りやすいというような典型的なホワイト企業では、自分が成長できないのではないかと思ってしまう人はいるでしょう。

 

こういったことも、結局は「多様化している価値観」の一種であり、みんながみんなそう思っているわけではないですし、ホワイト企業が悪い訳でもありません。かといってただ居心地が良い環境を作ればよいということでもありません。

その人の志向に合わせて成長を支援していくことと、合わせて働きやすい環境づくりも進めて、より多くの人が満足できる職場作りが必要になっています。

ステレオタイプで判断せずに、より多くの価値観に対応することが、ますます重要になってきています。

 

 

2023年4月17日月曜日

「通知表廃止の小学校」と「企業での人事評価」の問題意識が似ていたこと

ある小学校で、様々な問題意識から通知表を廃止して、その後どうなっていったかを紹介した記事がありました。

全校で千人を超える大規模校ですが、校長は以前から通知表の在り方に疑問を持っていたそうで、教員に対して「良い評価が多ければ喜び、そうでなければ悲しむだけで、それでは意味がないのではないか」と問題提起したそうです。通知表をやめることも視野に入れた問いかけです。

 

ある教員は、評価といわれると、通知表やテストのようなものばかりが頭に浮かびがちだが、毎日の授業で子どもの取り組みに声をかけたり、提出物にコメントを付けたりするのも評価の一つの形であり、子どもたちの学びを後押しする観点で考えたとき、通知表は望ましい評価の手段だろうかという問題意識を持っていたそうです。

教員たちの意見交換と話し合いは2年間に及び、最終的に通知表の廃止が決まりました。

 

その後は試行錯誤の連続だったそうで、例えば通知表の代わりにこれまで以上に子どもの変化や成長をメッセージで伝えたり、提出物をこまめに返して保護者に学習状況を知らせたりしようと心がけましたが、「時間がかかりすぎて授業づくりができない」「本末転倒だ」と頭を抱える教員もいたとのことです。

保護者からも賛否両論があったものの、激励する意見は多く、「テストや宿題で子どもの得意、不得意は分かる」「数字だけでは評価されない、細かい部分まで見てくれている」「日常を評価してもらい、子どもにとってより励ましを得られている」といったコメントがあったそうです。

一方では、「日ごろの頑張りが一目で分かるものだったので、なくなってしまって残念」「社会に出ても評価はつきまとう」「ずっと競争が続くのだから、自分がどの位置にいるのか知っておくべきだ」といった懐疑的な意見もあったそうです。

 

通知表廃止から二年が経過したころに実施した運動会で、それまで紅白対抗の点数で競ってきたことをやめ、ある学年の団体競技では、目標を「本番で練習よりタイムを縮める」と決めました。

すると、子どもたちは順位よりもタイムに注目していて、タイムを発表するたびに歓声が上がり、順位が最下位だったクラスの子どもでも、「自己ベストが出た」と大喜びで教員に報告してきたといいます。

校長は、あくまで小学校だからできたことであり、中学高校での通知表廃止は極めて難しいものであり、さらに社会に出ても競争や他人の評価と無縁でいられないことは承知していますが、「他人と比べる」という価値観から離れて、評価はどうあるべきかを突き詰めた期間を経て、学校の様子は確かに変わり始めたという実感があるそうです。

 

この「他人と比べない評価」という話は、実は企業でも同じ問題意識による取り組みが行われ始めています。「ノーレイティング」と呼ばれるものですが、評価ランクなどをつけて社員を序列化するのではなく、能力が高い人も低い人も、それぞれの力量に合わせた目標を設定して、それぞれが自己ベストを目指すといった考え方です。

それが会社の業績貢献につながるものであり、それを推進するための仕組みの一つが、最近注目される「1on1ミーティング」です。本人の育成や成長を目的にして、短サイクルで目標設定とフィードバックを繰り返す一対一の面談を言います。

 

人事評価というのは、多くの企業で実施されていますが、運用によっては好ましくない状況を作り出してしまう可能性があります。勝ち組と負け組の明確化、社員の序列付けによる嫉妬、不満、えこひいきといったもの、能力不足を理由にした一方的な社員切り捨てといったものです。

これから評価制度を導入しようという企業がある一方、それを合理的ではない、生産性は高まらないと考えて廃止する企業も出てきています。

 

人が人を評価することは難しく、そこで生まれる問題はどこも似通っています。それに対処する際の考え方、方法にも共通することが多いように感じます。