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2023年10月16日月曜日

仕事を「抱え込む人」と「丸投げする人」

 マネージャー人材に関して、最近正反対の問題を投げかけられました。

部下に仕事を任せようとせずに、自分だけで「抱え込む」マネージャーと、相手のレベルを考慮せず、必要な情報もあまり与えずに、任せたなどといって仕事を「丸投げする」マネージャーです。

 

どちらも困った問題であることは間違いありませんが、どちらが多いかというと「抱え込む人」が問題とされることが多い気がします。仕事を「丸投げする人」の場合、部下が優秀だとサポートが少なくても仕事をこなしてしまうので、問題としてあまり表面化しないからです。それでも仕事の効率が上がらないとか、上司部下の関係性が悪くなるとか、必ず問題はあります。

ただ、「抱え込む人」の場合は、それ以外に仕事の属人化や部下が育たないという問題がプラスされるので、組織上の問題としてはより深刻な場合があるかもしれません。いずれの場合も、どこまで部下に任せて、どこから自分でやるのかという権限委譲の線引きなので、個人的な感覚に左右されていることも多いです。

 

私自身がいろいろな人と接してきて思うのは、「抱え込む人」も「丸投げする人」も、決して悪気はなく、どちらかといえば良かれと思ってそうしている人が多いということです。本人にそういう自覚があまりありません。

 

「抱え込む人」には、真面目で責任感の強い人が多く見られます。深層心理の中には「自分の存在意義を保ちたい」などの気持ちがあるかもしれませんが、目の前の仕事を自分が責任をもってやり遂げるという意志の強さを感じます。その結果として任せられない、抱え込む、属人化するといったことが起こっていますが、本人は会社を辞める気が一切ないので、たぶん自分がやることが会社への貢献と思っています。

一方の「丸投げする人」も、実は人材育成のためと思ってそうしていたりします。自分はできるだけ手を出さず、余計な口を出さず、本人が考えて仕事を経験することが大事だと思っていますが、部下にとってはそれが行き過ぎていて、「放置」「丸投げ」ととらえられてしまっています。相手のレベルに合わせて権限委譲するという点で問題があります。

 

なので、こういう場合に最初にやることは、抱え込み、もしくは丸投げの状況を本人に自覚してもらうことです。そのためにはただあるべき論を伝えるだけでは難しく、実際の業務の中で「この仕事は任せられるのでは?」「今の言い方で伝わる?」「この説明も必要では?」など、具体的に指摘していくことが必要になってきます。

身近な上司や同僚がその都度話したり、私たちのような社外人材が第三者の立場から指摘したりすることが有効であり、本人にはそもそも悪気がないので、自覚すれば改善するスピードは速くなります。

 

組織内で上の立場になるほど、周りから自分の仕事ぶりを指摘されることは少なくなり、問題があっても自覚することができにくくなっていきます。まずは周りから伝えることが重要です。

 

2023年10月2日月曜日

効果が実感しづらい?「メンター」たちの自己評価

「メンター制度」は、先輩社員が新入社員などに定期的な面談をおこない、不安や悩みなどを聞いてサポートする仕組みですが、これを行っているある会社で、ほんのちょっとのことですが、その環境づくりの支援をしています。

当初は現場の無理解があって実施しにくいなどの問題がありましたが、それらはもう解決して、私が今やっているのは、たまにメンター役の人たちから実施状況などの話を聞いて、困りごとや心配事があれば解決を手助けする程度のことです。

 

先日久しぶりに話を聞いたところ、ちょっとだけ気になることがありました。意外に重たい相談をされた人が何人かいて、それぞれ「自分の対応で良かったのだろうか」「もっとしてあげられることがあったのではないか」など、どちらかといえば反省ばかりしています。

他の人たちも、「いろいろ話してくれるようになったと思うが、本音がどうなのか」「信頼されているのかわからない」などといい、「役に立っているのかという実感はあまりない」といいます。

 

ただ、私が説明を聞く限りでは、以前よりも気軽にコミュニケーションできる関係づくりは進んでいるし、重たい相談事というのも、たぶんメンターがいなければ聞き出せなかったと思えることです。その後の対応でも、どうするかは私から見ても結構気を遣う難しいものですが、とても適切に処理しています。それでもメンター本人は「あれでよかったのだろうか」「もう少し良い方法があったのではないか」と自己評価は低いままです。

 

そんなことで、私からはあくまで見えている事実をもとに、メンターの存在意義を感じる良い対応だったことや、お互いの良い関係づくりが順調に進んでいるように見えることなどを伝えていくと、メンターたちの表情は少しずつ緩んでいきました。

 

私がしたのは、メンターたちが確信を持てずにいたことを、客観的な立場から「それで大丈夫」と伝えただけですが、考えてみれば、常に1対1の関係で行われるメンター制度の特性で、自分によほど自信があるか、もしくは相手から直接的な感謝の言葉でもない限りは、メンター自身が自分の存在価値を確信できることは少ないかもしれません。他の誰かからのちょっとした後押しや承認で、メンターの意識はずいぶん変わるように思います。

小さなことですが、実はこういうことがメンター制度の成否を左右しているのかもしれません。

 

2023年9月4日月曜日

安易な「二分割思考」に陥らないために

 「二分割思考」と言われるものがあります。

好きか嫌いか、敵か味方か、良いか悪いかなど、白黒をはっきり区別して、どちらかの極端に捉えてしまう考え方です。 6、7割くらいのほどほどなことや、白でも黒でもないグレーなことは認められないという、完全主義的な考え方でもあります。

 

最近目にした記事によれば、加齢とともに、この「二分割思考」にとらわれやすくなる傾向があるそうです。理由は前頭葉の萎縮が進んでいくためだそうで、前頭葉が衰えると無意識のうちに物事の決めつけが激しくなり、白か黒か、善か悪かで考えやすくなるそうです。

例えば、長年親しく付き合ってきた友人でも、ささいな誤解や行き違いから決裂して疎遠になってしまうようなことが起こるのは、こんなところに一因があるそうです。

自分が完璧主義者になりやすく、他人を敵に回しやすくなるので、孤立しやすくなるとも言います。思考の偏りが強いためうつを発症しやすく、かかると治りにくい傾向があるといいます。

 

このことは加齢だから仕方がないということではなく、「二分割思考」に陥らない思考法を身につけることで、防止や緩和ができるそうです。

それは「曖昧さへの耐性」で、グレーな部分があることを認めていくことだといいます。

「3割は自分と違うが、7割は同じ」「嫌なこというが、よいところもある人」などと思うことで、相手にいちいち腹を立てずに済みます。思考のグレーの度合いをその時に応じて柔軟に変えていけると、心が成熟していると言えるそうです。

このように「二分割思考」に陥るのは、あまり良いことがなさそうに思えますが、最近は加齢などと関係なく、白か黒か、敵か味方かという極端な議論がされるケースが多いように感じます。

例えば企業内でも、どうも話が一方的で適切な議論がされているのか疑問に感じることがあります。そんな時に議論の様子を聞いてみると、声の大きい一部の意見だけで話が進められていたり、上司が一方的に指示していたり、安易に多数決で決めていたりします。グレーな部分を明らかにして埋めようとはしていなかったり、多様な考え方を調整しようとしていなかったりすることが往々にしてあります。

どちらかというと、グレーな部分を認めないという「二分割思考」を、若いうちから訓練しているようにも見えてしまいます。

 

「二分割思考」の一因に、加齢による前頭葉の衰えがあるとのことでしたが、今の様子を見ていると、白か黒かで考えることが普通になっていて、グレーさや多様さを受け入れたり判断したりする経験が少ないため、そもそも前頭葉が未熟なのではないかと思うことがあります。

極端な思考が敵を作り、孤立を生んでしまうのは、特に同じ組織の中ではまったく好ましいことではありません。

 

今のように情報が大量で多様な時代だからこそ、グレーな部分を認めて受け入れていく「曖昧さへの耐性」が重要になっているように思います。

 

2023年8月21日月曜日

「自分がされてきたことをしてしまう」という人間の特性

 2023年の夏の甲子園大会の代表校で、坊主でない学校が7校あったそうです。

逆に言えば、未だに8割以上の学校が坊主刈りということであり、世間一般の高校生は坊主でない人が圧倒的に多い世の中にあって、それが話題になることはずいぶん異質な感じがします。

他の競技の名門校などでも、丸刈りのチームを見かけますが、やっぱり野球が明らかに多いと感じます。理由はたぶん昔の軍隊か何かの流れで、競技力などに関する合理的な理由ではないでしょう。

思えば、私たちの子供時代の何十年前までさかのぼっても、野球のうまかった子が「坊主が嫌だ」という理由で野球部には入らないことがありました。野球界はこんな些細なことで、実は良い才能を失っていたのかもしれません。

他にも、ようやく女子マネージャーがベンチ入りできるようになったとか、以前は練習補助も認められていなかったとか、時代錯誤を感じる話がたくさんあります。それで良いと判断する意思決定者たちの存在には、大きな問題があると思います。

 

代表校の中でも、監督や選手間のフラットな関係性も含めて、神奈川県代表の慶応高校が紹介される機会が多いようで、監督はチームの考え方を積極的に発信しています。

坊主頭については、それ自体に問題はないが、「昔からこれが当たり前」と思考停止していることや、「そこから飛び出るのが嫌」という同調圧力の方が罪深いと話しています。

 

この監督のインタビュー記事を見ていて目についたことに、指導者に関するものがありました。それは「高校野球に関わる大人、特に指導者が、なぜエゴイスティックになってしまうか」という話です。

その理由に挙げられていたのは、「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性のようなものが現れてしまっていること」でした。自分が現役時代に指導者から体罰を受けたり、高圧的な言動をとられたりすると、それが自分の中のベースになってしまい、自覚がないままに同じ言動をとってしまっているという、負のスパイラルを生んでいると言っていました。

 

まったく同じ話が、企業のマネジメントや人材育成の中でもあります。

パワハラなどは典型で、上司からされて嫌だったはずなのに、自分が上司になると同じことをします。人材育成でも、昔の職人のような「見て覚えろ」という放置プレイが今でもあります。見て覚えることはとても大事ですが、そこにコツや注意点ほかの指導があって、初めて人材育成が成り立ちます。本人の気づきだけに委ねてしまうのは、少なくとも企業で本来やるべき効率的な人材育成とは言えません。

 

こういうことが起こる原因の一つが、前述の「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性」と思えます。パワハラ的なことを問題と考えない思考停止で自分も同じ行動を取ることや、自分に教わった経験がなく、同じくそれを問題と考えない思考停止で自分も教えないなどの行為は、まさにこれに当てはまります。負のスパイラル、負の伝承ということができるでしょう。

 

この流れを断ち切るには、「自分がされたこと」に疑問や問題意識を持ち、より良い形に改善していこうと「考えること」「思考停止に陥らないこと」です。高校野球で新たな動きが話題になるのも、思考停止せずに考える指導者が増えている証明の一つと思います。

企業でのマネジメントや人材育成でも、同じことが望まれます。

 

2023年8月7日月曜日

契約したらきっと「パワハラ的」だったと思われる会社の話

 私が独立して仕事をするようになって16年目になりますが、幸いなことに「困ったクライアント」には出会ったことがありません。

しかし、他の人に話を聞くと、意外に困った経験をしている人が多くいます。

 

最も悪質でひどいのは報酬の踏み倒しですが、例えば事業再生など企業のマイナスを食い止めるような仕事をしている人は、結構そういう目にあっている話を聞きます。基本的にお金がない会社、負債がある会社との取引なので、そういうトラブルに巻き込まれやすいのでしょう。

 

もう一つの困りごとは、様々な形で「パワハラ的」な振る舞いをする会社です。多いのは契約にない無償労働の強要とか、事後の一方的な値切りとか、脅しやマウントを取るといったような、まさにパワハラの王道のような話もあります。

 

なぜ私がこういう困ったクライアントに出会わなかったかというと、確かに運はありますが、そういう様子がありそうなクライアントとは、仕事の話があっても断ってきたからです。

 

まず、私の場合は専門分野が人事や組織の改革改善なので、そういうニーズがあるのはビジネスが伸びていて真面目に組織を作ろうと考えている会社です。成長している会社なので、不払いなどの金銭トラブルになる心配はほぼありません。たまにリストラ的な話が来ることはありますが、私の専門ではないので仕事を請けることはありません。

 

もう一つの「パワハラ的」なところでは、相手とやり取りしている中での自分の勘のようなものがあります。単純なものでは、交渉相手が何とか強い立場を取ろうと駆け引きをしてくるときです。強く出たり、反対に急におだてたり、高額報酬の話をしてきたかと思えば、その前段は無償でやるべきだと言ってきたり、ごくまれに恫喝のような態度を取られることもありました。

私の仕事は、お互いのパートナーシップで協働することが重要なので、駆け引きが必要になるような関係では成り立ちません。お話をいただいても結果的にお断りすることになります。

 

なぜこんな話をするかと言うと、某大手中古車販売会社の「パワハラ」の話が連日話題になり、さらに不動産や金融など、他の業種でも同じような経験をした人の話がたくさん出てくるようになり、なぜそんなことが普通に行われて、しかもそれに耐えている人がなぜこんなに大勢いるのだろうかと考えていたことがあります。

 

たぶん私のように、危うい相手を事前に気づく人はきっと大勢いて、ただし自分の上司は私が契約先を選別するように選ぶ自由はなく、解決するには社内異動を待つか転職するかのいずれかしかありません。それまでの一定期間は「パワハラ的」なものを受け入れざるを得ない環境に置かれてしまいます。やはり会社と社員の間には力関係の問題があります。

 

ただ、これから先は少し様子が変わってくるかもしれません。人材の売り手市場が普通となり、転職先の選択肢は増えていくでしょう。それがしやすい環境が進めば、あえて「パワハラ的」な理不尽を我慢しながら働き続ける必要はなくなります。そこで働く人がいなければ、おかしなことをする会社は淘汰されていきます。パワハラが市場原理の中でマイナスであれば、それをするところは減っていくでしょう。私がクライアントを選ぶのと同じことができるようになります。

 

パワハラが起こるのは、それにつながるメリットが何かあるからです。個人の感情を満たすことや会社の利益になることなどいろいろですが、そんなメリットがなくなって逆に損することが増えれば、おかしな行為はかなり減らすことができそうです。すべてなくすのは無理でも、ずいぶん良くなる感じがします。対等な関係というのは、やっぱり重要なことだと思います。

 

 

2023年7月24日月曜日

「心理的安全性」に関する勘違いいろいろ

 「心理的安全性」とは、自分の言動や行動による他人の反応から怖さや恥ずかしさを感じることなく、人間関係が壊れたり罰を受けたりする心配もなく、誰もが安心して活動できるような職場環境やチームの状態をいいます。

大手IT企業のGoogle社が、チームの成功や生産性向上に役立つという調査結果を発表したことから注目されるようになった心理学用語ですが、最近はわりと一般的にも認知されるようになってきた言葉ではないでしょうか。

しかし、言葉が定着してきたことによって、その理解の仕方に勘違いや誤解が見受けられる場面が増えてきた気がしています。

 

つい最近目にした記事ですが、ある会社のマネージャーからの相談で、自分の部下から「マネージャーは心理的安全性がある環境を作っていない」と責められていて、いろいろ取り組んでいるが批判はおさまらず、どうすれば良いだろうかという内容でした。

しかし、そもそも「心理的安全性」というのは、関係しているすべての人が、お互いに自己開示をしながら、徐々に作り上げていくものであり、誰かが一方的に環境を作ることはできません。こういう発言をしてマネージャーを責める部下自身が、チームの心理的安全性を阻害しているとも言え、そこには本来の意味に対する勘違いがあります。

マネージャーやチームの中心人物が、率先して自己開示をしていく必要はありますが、部下にも自分が一緒になって作り上げていくものという認識がなければ、心理的安全性は生まれません。

 

また、最近よく聞くのは、「心理的安全性」が、仕事上の甘えや緩みを生むのではないかという話です。仲良しグループの甘い環境では、ミスを気にしなくなったり、責任感が失われたりするのではないかという懸念が言われます。

しかし、こちらも大きな誤解であり、「心理的安全性」は、ただ楽で居心地が良い職場環境ではありません。心理的安全性があるからこそ、お互いに言いにくいことが言い合える環境になり、報告、連絡、相談、提案、ミスや誤りの指摘などのコミュニケーションが活発に行われるようになります。相手と意見が違っても、対立を恐れずに自分の考えを伝えることができるなど、お互いが本音で率直に話し合うことができ、その結果として、成果や生産性向上につながるものとされます。

ある意味では厳しい仕事環境ということもでき、もしもメンバーの緊張感が失われていたり、居心地の良すぎて馴れ合いになっていたり、生産性が低下していたりするのであれば、それは心理的安全性が高い環境ということはできません。

 

「心理的安全性」という言葉が浸透するにつれて、ただお互いにやさしい言葉ばかりをかけ合い、誰も厳しいことを言わず、明るく楽しく穏やかな職場であれば、心理的安全性が高いと思う人が増えている気がしますが、心理的安全性の本質はそうではありません。

無用な忖度、遠慮、委縮などをせず、自分が本音で周りの人に接することができるような環境が、心理的安全性の高さです。

 

そもそも、他人にそれを要求したり、相手を疑ったりしている時点で、それは心理的安全性にはつながらないことに気づかなければなりません。

 

 

2023年7月3日月曜日

任せられない?任せてくれない?

 ある会社でこんなことがありました。

多くの会社と同じく、次世代人材の育成が課題になっています。「候補者がいない」「成長が遅い」など、いろいろ理由が出てきますが、私から見るともう一つ上のレベルの仕事をやらせていないように見えます。

能力よりも少し上の仕事を経験させて、力量をストレッチしていく取り組みを続けなければ人材は育ちませんが、あまり権限委譲に積極的でない人たちが多いように感じます。

そのことを指摘すると、みんな「必要なことはわかっているのですが…」と考え込み、「でもまだ任せるのは早く感じる」「任せられない」といいます。でも自分たちの感覚よりはもう一歩進めて、「仕事を任せること」を意識していかなければ、人材は決して育ちません。

 

別の会社で、これとは反対の出来事がありました。

ある社員が、面談の中で「上司が自分に仕事を任せてくれない」といいます。自分でもできると思う顧客との商談や交渉などを、最後は上司がまとめる形になることが多く、「信用されていない」と感じてしまうそうです。ただ、本人の経験年数や性格、顧客とのかかわり度合いといったことを聞いていると、その状況に合わせて適切に任されているように思えます。本人の自己評価が少し過大なのか、それとも任されていないと感じてしまう何かがあるのか、詳しいことまではわかりません。

 

この「任せられない」と「任せてくれない」のせめぎあいは、多くの会社で見かけます。

本人が仕事を「任せてほしい」と思う気持ちは好ましいことであり、その気持ちをできるだけ満たしてあげることが良いとは思います。

その一方、過剰な負荷にならないようにフォローすることも当然必要で、どこまで任せてどこからフォローするかという線引きには難しさがあります。この点は上司の判断基準次第で、大胆な人も慎重な人もおり、一応できるだけ権限委譲を進めるべきという一般論はありますが、適正な判断基準を一概にいうことはできません。そのさじ加減が本人の気持ちと違っていると、場合によっては「任せてくれない」と感じてしまう可能性はあります。

 

「任せられない」と「任せてくれない」の対立を解決するには、結局は当事者の上司と部下が、お互いによく話し合って、お互いが歩み寄りながら対応していくしかありません。

任せてほしいという気持ちは大切ですが、任せられないことには「まだ早い」「まだ無理」など、何か必ず理由があります。任せてほしければこの上司の懸念を払しょくして、「任せても良い」「任せてみよう」と思わせなければなりません。

 

上司は権限委譲の意識をしっかり持つこと、部下は実績作りや日々のコミュニケーションなどから、信頼を得ていかなければなりません。

両者が歩み寄って認識を合わせていくことしか、解決方法はないように思います。

 

 

2023年6月19日月曜日

不安感の強すぎる人

 仕事でもプライベートでも、何かしらの不安というのは誰にでもあるものです。

ただ、その気持ちがあまりにも強すぎるのは、決して良いことではありません。

 

最近お話しをしたある会社の人の中に、この不安感をとにかく強く持ってしまっていると感じる人がいました。

何をするにも「自分ではできないのではないか」「失敗するのではないか」と恐れていて、特に新しいことや経験が浅いことには、なかなか踏み出すことができません。

できるレベルのことだと説明して、勇気づけて、フォローを約束して、ようやく納得して動き始めますが、それでも常に不安でストレスの度合いは高いままです。他人に迷惑をかけてはいけないと思うようで、フォローを求めてこないと思ったら、どこかでお手上げになってすべて投げ出してしまおうとするなど、極端な対応が見られることがあります。

とにかく自分に自信がなく、自己肯定感が低い傾向ですが、その要因にはもともとの性格もあるでしょうし、完璧主義や思い込みのような思考パターンの癖、さらには成功体験がない、褒められたことが少ない、トラウマを抱えているなど、これまでの経験による後天的な要素もあるでしょう。

 

不安になる大きな要因というのは、「先行きがどうなるか予想できないこと」にあります。

そもそも、これから先に起こることを正確に予想できる人は誰もいませんが、「こうすれば7割がたはうまくいく」「ここさえ間違えなければ失敗は防げる」など、過去の経験から一定の幅の中で予測することはできます。良し悪しはともかく、例えば「この上司を怒らせない方法」などは、たぶん経験から得られるもので対応することができ、無用な叱責を避けられることがわかれば、不安が軽減されることは確かでしょう。みんなそうやって不安と向き合って対処しているものです。

 

この「不安感の強すぎる人」と話していて思ったのは、自分がそれなりにうまくいったことでも、そこにはあまり目が向いていないことです。成功しているのにそう思っていない、褒められているのに気づいていないといったことが多く見受けられました。

そんな話をこちらからいろいろ投げかけてみると、初めは「えっ…」と驚いた様子で、そこから半信半疑の表情になり、徐々に「そういうものでしょうか」と自分のことを少し肯定的にとらえることができ始めたようでした。

 

必要以上の不安感から脱するには、現実的な見方をして自分の状況を客観視することが大事ですが、自分だけで整理することが難しい場合は、第三者からの問いかけやフォローが必要になります。

上司や同僚との間でそんなやり取りができていれば良いですが、スピード優先で時間的余裕がない環境、コロナ禍の影響や世代間ギャップなどによるコミュニケーション不足など、それぞれの自己肯定感を高めるような取り組みは、なかなか行えていない様子が多く見られます。

 

不安感の強さは、本人の気持ちが弱いのではなく思考パターンと自己客観視の問題が大きく、その緩和を手助けすることは決して甘やかしではありません。

本人の視野が広がるような周りからのちょっとした働きかけで、不安はずいぶん緩和、改善することができ、そのことで本人は落ち着いてパフォーマンスを発揮することができるようになります。

もし身近にそんな人がいたら、少し話を聞いてあげて欲しいと思います。

 

 

2023年6月12日月曜日

「社員同士の距離感」の遠さ近さで見えること

 企業の人事支援をいろいろな会社でおこなっていると、その会社の「社員同士の距離感」がいつも目につきます。仕事柄で結構緻密に観察しているということもあります。

ここで言っている距離感とは、お互いの心理的な距離のことで、親近感と言い換えてもいいかもしれませんし、仲の良さとも似ているかもしれません。

 

もうおわかりの通り、業績が良い、働きやすい、社員が辞めないという好循環の会社は、この「社員同士の距離感」の平均値が近いことが多いです。あくまで平均値なので、プライベートでは会社の人と付き合わない、社員との関係は仕事上だけという人もいますが、それでも仕事中の会話の頻度や接点の数は、距離感の近い会社の方が間違いなく多いように見えます。

 

社員同士の関係には、「プライベートも付き合う友人」のような濃い関係から、「たまには仕事以外で食事したりする」「一緒に仕事をしたことがある」「会社ではよく話す」「面識はあって会話したことがある」などの中間的な関係、さらに「存在だけ知っている」「面識がない」という希薄な関係までのレベルがあります。

「平均値が近い」と言っている意味は、全体的な関係性のレベルが高め、濃いめの方にシフトしているということです。

 

距離感が近い理由は、あまり一概に言える感じではありません。別に年中飲み会やパーティーをやっているわけではなく、趣味や嗜好が似た人ばかりを集めているわけでもありません。

年齢の近い人が多い、面倒見の良い人がいる、公私ともにイベントが多い、情報共有意識が高い、気軽に雑談できる雰囲気、長時間労働があまりなく業務量がわりと適正、上下関係が緩やか、プロジェクト制やチームでいろいろな人と仕事をするなど、本当にいろいろな要因があり、それらが総合した結果としてお互いの距離感が近づいているようです。意図的に取り組んでいることも自然にそうなっていることもあり、会社それぞれで事情は違います。仮に別のところで同じような取り組みをしても、確実な再現性がある感じではありません。

 

そんな中でも共通しているのは、とにかくコミュニケーションの機会が多いことです。仕事の話も、趣味や遊びなどプライベートな話も、対面、電話、メール、チャット、その他いろいろな方法でコミュニケーションを取り合っています。

仕組み作りや雰囲気づくり、個人的な気遣いなどはありますが、とにかく疎遠な人や孤立した人、事情がわからず戸惑う「浦島太郎」的な人がほとんどいません。

 

逆に距離感が遠い会社を見ていると、仕事に追われて余裕がない、個人ベースで縦割りの業務分担、お互いの面識が薄いまたはお互いを知らない、上下関係がきつい、情報共有の意識が低いなど、コミュニケーションがしにくい、もしくは不要となってしまう要因がいくつもあります。

社員同士はそれに慣れているのであまり問題とは思っていませんが、協力し合えば簡単にできることを一部で抱え込んでいたり、情報の偏りがあったり、相談しづらさや頼みづらさがあったり、小さな不都合、非効率が数々積み重なっています。

 

全員が全員親密である必要はなく、もちろん多様性は重要ですが、一方で、気心の知れた者同士の方が、仕事はスムーズに進みやすく、結果も良いことが多いでしょう。

 

自社の「社員同士の距離感」は、当たり前になっていて気づきにくいものですが、あらためて一度問い直してみて、問題があると感じたら何か取り組んでみることも必要ではないでしょうか。

 

 

2023年6月5日月曜日

若手中心なのに「今どき」とは少し違う会社

 最近接点があった会社で、平均年齢30歳そこそこの会社ですが、「今どきの若者」とはちょっと違うことがたくさんあって、いろいろ興味深かったことがありました。

 

まず目についたのは、社員旅行や飲み会をはじめ、社員同士のレクレーションなど、昭和っぽいと言われそうな社内行事がたくさんあり、しかもその参加率がとても高かったことです。社員の本音がどうなのかわからないところもありますが、旅行については「来年はどこそこに行きたい」などと話し合っているので、それなりに楽しみにしているようです。

 

飲み会と表現しましたが、お店で宴会をするばかりではなく、ランチ会とかケータリングを使った社内懇親会とか、サプライズで始まるピザパーティーとか、その中身はいろいろです。参加を強制されることはないですし、お酒は飲むときも飲まない時もあります。そんな中で社員は、「仕事」とも「プライベート」とも言えないような時間を、わりと楽しそうな様子で一緒に過ごしています。

 

「仕事」と「プライベート」の区別をあまり気にしていないのか、社員同士は仕事を離れたところでも結構交流しているようです。共通の趣味に取り組んでいたり、休みの日でも一緒に遊んでいたりします。

要は社員同士が仲良しなのですが、基本的に中途採用ばかりの会社なので、みんな経歴や境遇は違いますし、若いとは言ってもそれなりのベテラン世代の人たちもちらほら見かけます。決して同じような属性の人たちばかりがつるんでいる感じではありません。

 

経営陣は30~40代の比較的若い年齢の人が多いですが、見ていて気づいたのは、誰も威張ったり偉そうに振る舞ったりしないことです。緊急事態や専権事項は除きますが、一方的な命令をせずに関係者としっかりコミュニケーションを取りながら物事を決めていきます。上から威圧することがないので、当然ですがパワハラのような問題も起こりません。上下関係に委縮せず、わりと本音で話し合える環境があります。

売上利益などの目標は掲げていますが、そこまで厳密に追いかけているわけではなく、あまりガツガツしていません。ダメだと思えば下方修正のようなことも躊躇せずに行います。

入社してきた人には、みんながウエルカムな雰囲気で話しかけ、仲間として溶け込めるようにいろいろ世話を焼きます。社員が食事をしたり遊んだりする場に代わる代わる誘っています。なじみやすい人を選んでいるという側面はありますが、早くなじめるような働きかけがいろいろあります。

「働きやすさ」を求めていった結果として、こうなっていったのではないでしょうか。

 

こんなことから個人的に思い出したのは、私の高校時代で一番一体感があったクラスのことです。仲良しグループは複数ありましたが、それぞれお互いに認め合っていて、クラス全体で何かやろうという時は、誰がリーダーということもなく協力し合っていました。いじめなど一切なく、クラスの中に全員の居場所がありました。

お互いを認め合って尊重し合うこの会社の雰囲気は、その当時のことを思い出すところがありました。

 

実際に仕事をしている中では、たぶんそんな綺麗ごとだけでは済まないですし、外部からは見えないいろいろな問題があるでしょうが、少なくともみんなが毎日仲良く仕事をしている様子を見ていると、競争、他人の評価、上下関係、指示命令、支配、威圧などのありがちな職場の風景は、実は不要なことではないかと思ってしまいます。

 

仕事は日常のことであり、それが必要な時期はあったとしても、基本的に修行や鍛錬とは異なるものです。厳しさばかりでは、人間はいつか疲弊してつぶれてしまうかもしれません。

多くの人が心を穏やかにして働ける環境は、あらためて大事なものだと感じた経験でした。

 

 

2023年5月29日月曜日

「社外メンター」の役割を求められる機会が増えてきた?

 最近目にした記事に、「社外メンター」に関するものがありました。

 

「メンター」とは、助言者や理解者といった意味の言葉で、ビジネスにおいては特に何かを教えたりするのではなく、自身が仕事やキャリアの手本となって、新入社員や若手社員に助言や指導をして、その人の成長や精神的な支援をする人を指します。

メンター制度は多くの企業で導入されていますが、社内のメンターではしにくいサポートや人材育成ができるというメリットから、この役割を社外の専門家などのプロフェッショナルに求める「社外メンター」を利用する企業が増えているとのことです。

 

「社内の誰か」を相手にしたコミュニケーションでは、どうしてもどこかに利害関係が生じてしまいますが、様々な企業の状況などを知っていて客観的な視野を持った第三者の社外専門家が、直接社員から悩みや不満を聞いたりアドバイスをしたりすることは、企業の人事施策を進めていくうえで多くのメリットがあると評価されてのことのようです。

 

そんなことを言われて、あらためて私個人の企業支援の状況を考えてみると、この「社外メンター」と同じ役割や活動を求められていることが増えているように感じます。

ただし、知らない企業からいきなりそういう話になるということではなく、ある程度のお付き合いを経て、いろいろ内情を知っているような企業からの求めです。

組織風土調査などを通じて、社員全般からの話を聞く機会が多いので、それなりに情報を把握しているということもあります。

 

私の場合は、専門分野が人事、組織、採用、人材開発に関わるものですが、社員とのメンター面談で話題になるのはそれだけでなく、個人のキャリアやスキルに関するもの、上司や部下をはじめとした周囲との人間関係に関わること、さらに専門的なことなども含めて多岐に渡ります。

面談ではただ聞くだけで終わること、似た事例の他社状況などを説明すること、実際にアドバイスすることなど様々ですが、遠慮や躊躇があって聞けない話があるだろうとの事前想定よりも、結構本音に近いと思われるストレートな話が、思った以上に出てきます。

「会社や上司などには言いにくいことを、発言者を個人特定しない約束のもとで聞く」という形で行いますが、いろいろ質問して聞き出そうとする働きかけが必要な時はあるものの、多くの人が現場に埋もれて把握しづらいことを話してくれます。言いたいことはいろいろあるけど言えない、聞いてもらえる場や相手がないという様子が感じられます。

 

社外メンターがいるからと言って、何かが急に良くなったり問題が解決したりすることは基本的にありません。それでも、「社内では言いづらいけど誰かに聞いてほしい」という問題は思いのほか多いようで、そのことに対応する手段の一つとして社外メンターが重宝されつつあるようです。

 

そんな「社外メンター」は、これからどんどん活用される機会が増えていくのではないかと思います。社内と社外で役割分担することはやはり有効です。

私も期待された役目が果たせるように、しっかり話を聞いて施策につなげていくようにしていきたいと思います。

 

 

2023年5月22日月曜日

「会議」と「ミーティング」を混同していないか

 最近は、「会議の改革」に取り組んでいる会社が目につきます。生産性向上を目的として、その進め方を工夫して回数や時間を減らそうとしています。パワポ禁止、資料はA4用紙1枚まで、着席せずに立ったままといった実施方法を取っていたり、直接的に回数や時間数を制限していたりします。議題は事前に、必ず結論を出すなど、ごく基本的なことがあえて言われていることもあります。

 

社内での打ち合わせは、「会議」と言われたり「ミーティング」と言われたりしますが、言葉が違うということは、一応その意味にも違いがあるとされます。

まず「会議」の定義は、ある議題や目的について、複数の人が集まって議論を行うことです。明確な目的や議題があるものを言い、その議題や目的に対して必ず意思決定がされます。そのため必ず意思決定ができる責任者が参加し、他のメンバーも議題や目的に対して意思決定に関与するか、意見が言える人に限られます。

ただ意見を出し合うだけで、何も決まらないもしくは決められない場は、会議という定義から外れます。

 

これに対して「ミーティング」は、参加者全員での情報共有やコミュニケーションが主な目的になるものとされます。

参加者は役職や立場に限定されることはなく、内容も現状報告や意見交換など様々です。比較的少人数で行われることが多く、必ずしも意思決定の場である必要はないのが、会議との最も大きな違いです。

 

そんなことは当たり前に知っているという人も多いかもしれませんが、この「会議」と「ミーティング」が意外に区別されていないと思われることに、結構よく出会うことがあります。

 

例えば、「無駄な会議」という指摘の中に、「会議がただの報告会になっている」というものがあります。「資料の朗読になっている」「発言者が限られている」「特に何か議論されるわけでない」などと言われますが、このままだと、会議とミーティングのどちらの定義にも当てはまりません。

報告に対して、何らかの指示が出されたり意思決定がされたりするのであれば、「会議」の定義は満たします。内容的に無駄な時間があるとしても、すべてを無駄ということはできません。

 

一方、意思決定がされないのであれば「ミーティング」ということになりますが、この参加者が大人数ということになると、それをミーティングとは言いづらくなります。報告を情報共有と位置付ければ、目的としては一応合致しますが、特に意思決定者が出席しなければならないものではなくなります。

 

こんなことから見ると、わりと多くの会社で行われている「報告だけの役職者会議」などは、「会議」と「ミーティング」があいまいになっている典型例となります。

 

よく実施される「会議の改革」では、目的を明確にする、時間を決める、参加者を厳選する、意見交換しやすい雰囲気づくりやファシリテートをするなどといった取り組みが言われますが、その場が会議なのかミーティングなのかによって、意識しなければならない内容や優先順位は変わります。

 

今やっているのは「会議」なのか「ミーティング」なのかを混同せずに区別する意識も、「会議の改革」には必要なことではないかと思います。

 

2023年3月27日月曜日

「ゆるんだ雰囲気」とは何を指すのか

 ワールドベースボールクラシック(WBC)は、日本が優勝して幕を閉じました。私は最近あまり野球を見ていませんでしたが、久しぶりにレベルが高い良いゲームを見て、あらためて野球の面白さを感じました。

 

大会が終わり、監督がどんな考え方で、どんなアプローチをしてチーム作りを進めていったかというエピソードもいろいろ聞こえてきて、「選手を信頼する」という姿勢が成功要因として挙げられています。

メジャー組が中心になって、適度なリラックスと一体感が両立するような、良い空気感をチームにもたらしていたと思いますが、それを必ずしも良しとしない意見もあったという話を聞きました。

特に直前の国内での練習試合であまり調子が上がっていなかったころに、チーム内のコーチ陣などからも「雰囲気が緩すぎる」「締め直さないと勝てない」「このまま選手任せでいいのか」という声があったそうです。

監督は「選手に任せるところはしっかり任せる。選手の力を発揮させられれば勝ち切れる」と言って、そのままの方針を貫いた形で結果を出しましたが、チーム内外には規律や体育会気質を好む人間もいて、この方針には賛否があったようです。

 

WBCの代表チームとは、異なるアプローチをした例で思い出すのは、かつてラグビー日本代表を率いたエディー・ジョーンズ氏です。選手とのあつれきを恐れず、厳しい言動と自らの率先垂範で選手を追い込み、常に緊張感を持続させて、負け癖がついたチームの意識変革を進めて結果を出しました。

監督から選手への信頼やリスペクトはあったでしょうが、その関係性は常に緊張感を伴うもので、「厳しすぎる」とは言われても、「ゆるんでいる」といわれることは一切なかったでしょう。

 

こうやって見ると、チームの雰囲気づくりというのは正解がなく、チームが置かれた状況によって様々だと言うことができますが、一つだけ気になるのは、そもそも「ゆるんだ雰囲気」とはどんな状態を指しているのかということです。

例えば、軍隊のように「上からの命令は絶対」という組織をゆるいということはないでしょうが、上からのいじめやパワハラのようなことがおこなわれていれば、そのチームの規律は「ゆるんでいる」といえます。

一方で、上下関係が「ゆるんだ雰囲気」だったとしても、上下に関係なく、その時々で最善の指示や意見がお互いに交わされるような状況であれば、建設的で生産性も高まることが期待でき、決して「ゆるんだ雰囲気」のチームではありません。

 

今回の野球と、以前のラグビーでのアプローチの違いは、選手の意識改革が必要だったか否かによるものだと思います。みんなプロ意識が高い大人の選手たちにあえて意識改革を求める必要はなく、一方負け癖がついていて甘さがあるプロ意識が低い選手たちには、厳しさを求めて意識改革をしなければ目標達成はできなかったという違いです。ただし、ここでの厳しさとは、接し方や威圧感、精神論のような厳しさではなく、目標設定と取り組みプロセスに関する厳しさです。

 

何が「ゆるんだ雰囲気」にあたるかは、メンバーがどのくらいのレベルに達しているかで異なります。自己管理ができて意識が高いプロフェッショナルならば、リラックスはしてもゆるむことはなく、まだ未熟さがあるメンバーであれば、規律やルールで枠にはめて管理することも必要です。どちらの場合も適正なバランスを取る必要があり、それを見極めるリーダーの力量が問われます。

どちらかというと、規律を好んで枠にはめたがるリーダーが多いと感じる日本では、それが行き過ぎてメンバーの力を発揮させられないことが大いにあると感じます。指導者やリーダーたちの意識改革も、合わせて必要かもしれません。

 

 

2023年3月20日月曜日

「パワハラ上司あるある」という記事を見て思うこと

ここ最近、いくつかの会社でパワハラにかかわる話を耳にしました。

「それを理由で辞めた社員がいる」「注意されても直す気がない上司がいる」「パワハラと言われることを恐れてコミュニケーションを取らないマネージャーがいる」などの直接的な問題から、パワハラにあたるとは思えないことへの過剰反応、パワハラと主張することでの上司攻撃など、逆パワハラと言えなくもないような事例まで、起こっていることは様々です。

「相手が嫌だと感じれば、それはハラスメントに該当する」という話はあるものの、状況は本当に様々で、かなり悪質と思えるような典型的なものからどっちもどっちと思ってしまうようなもの、さらに明らかな言いがかりのようなものまで、とても大きな幅があります。

ただ、表面化していることの多くは、どこか共通点があるように感じる事象です。

 

そんな中で目にしたのが、「パワハラ上司あるある」という記事でした。

パワハラに陥りやすい上司の特徴として、以下のようなものが挙げられていました。

・言葉遣いが荒い

・上から目線で偉そう

・怒りっぽい

・自分の機嫌で態度が違う

・他責思考でミスや失敗を部下のせいにする

・責任感がない

・常にイライラしている、ストレスをためている

・嫌なことを部下に押し付ける

・プライドが高い・自己顕示欲が強い

・自分の上司には従順

・自己中心的

・支配欲、権力志向が強い

・完璧主義

・神経質、心配性

・臆病、小心、コンプレックスを抱えている

・朝令暮改で話に一貫性がない

・人格軽視

など。

違う資料を調べれば、さらに多くのものが挙がってくるのではないでしょうか。

 

一通り見たところでは、典型的なパワハラ上司が思い浮かぶ一方で、この中の一つや二つの項目は、誰でも多少なりとも当てはまってしまうのではないかということを思います。

私自身を振り返ってみても、ある部分では自己中心的になることがありますし、特定の状況に陥った時には神経質になったり心配したりすることがあります。言葉遣いなど自分では問題ないと思っていても、相手の基準では荒さを感じるかもしれず、やはり注意をしなければと思います。

 

ここで挙げられた項目には、周りの人の気づきやフォローで状況を改善できることと、本人が直さなければどうしようもないことの二通りのものが含まれています。

例えば、「上司に従順」という人は、自分の態度や行動について、上司から叱責されたり釘を刺されたりすると、結構な割合で改善することがあります。

「ミスを部下のせいにする」であれば、上司をはじめとした周囲の人が、きちんと状況を把握すれば実態はわかりますし、「嫌なことを押し付ける」も業務指示のしかたの問題なので、周りから指摘したり正したりすることはできます。

 

問題なのは、本人の性格や資質、態度に起因するようなパワハラ行為の場合です。

「言葉遣いが荒い」「偉そう」「怒りっぽい」「自分の機嫌で態度が違う」「自己中心的」といったことは、そもそも本人がそのことに気づいていなかったり、問題と思っていなかったりすることが多くあります。また、それを誰かから指摘されたとしても、自分ではなかなか直すことができません。本人の感情に由来するパワハラなので、その時の気分次第で突発的に起こるため、その人のさらに上位の人が常に見張ってでもいない限り、行為を止めることができません。

実際に起こっているパワハラ問題で、解決が難しいもののほとんどがこのパターンです。

 

こういう時の対応策を相談されることがありますが、私からの答えはいつも同じで、「この人と部下との接点をなくすこと」です。組織変更、役職降格、一人部署への異動など、方法はいろいろありますが、基本的には部下を持たせず、仕事で誰かに指示命令をする機会をなくすように進言します。そういう対処はなかなか難しい場合があるのは確かですが、「それができなければ解決することもできない」と伝えます。

もしかすると長い期間見守れば、少しずつ改善することはできるかもしれませんが、それまでの間はパワハラ被害者が増え続けるわけで、その状況を放置することはできません。

 

現場を見ていて思うのは、特に感情によるパワハラだけは、会社が毅然とした態度で対応する以外に解決する方法はありません。「パワハラ上司あるある」も、その項目によってとらえ方はまちまちのように感じます。