2022年6月27日月曜日

「チャレンジ」させたければ「サポート」しなければならない

ある会社の社長と話していた時のことですが、「若い社員がチャレンジをしたがらない」と言います。自分たちが若い頃とは違っているそうです。

確かに世の中一般では「最近の若者は失敗を恐れる」「無理をしたがらない」「仕事ばかりをそこまで優先しない」などと言われ、そういう傾向もないとは言えません。ただ、私自身は世代間に根本的な違いがあるようには感じていません。

 

私自身はシニア世代ですが、今でも若い頃でも同じように失敗は恐れます。成功確率が明らかに低いことに取り組むのは、「チャレンジ」ではなくただの「無謀」だと思います。

今の若者には、自分と比べても明らかにチャレンジングな取り組みをしている人が大勢いますし、もちろんそうでない人もいます。本当に人それぞれで、それは昔から変わりません。

 

一つ言えるのは、それぞれの価値観が昔以上に多様化していて、ステレオタイプな分類が意味を持たなくなってきていることです。

多くは自分との違いに注目し、その違いをもとに分類することによって物事を整理、理解しようと試みます。「今どきの若者・・・」をはじめとする世代論は、その代表的なものでしょう。

 

世代間ギャップというのは確かに存在しますが、例えば、満点の星空を見れば誰もがきれいだと思うでしょうし、気の合う人といれば落ち着くし、好きなものを食べれば気分は良いでしょう。程度に多少の違いはあっても、実は価値観が似たことの方がよほど多いことに気づきます。

一言でチャレンジといっても、何が該当して何が違うのかという基準は、人それぞれの感じ方次第であり、それは今も昔も変わりません。もし「若者がチャレンジをしたがらない」と感じることがあるのだとしたら、それは若い社員が置かれた環境の方に問題があるはずです。

 

最近耳にした言葉で、「チャレンジとは限界を超えるために必要なことであり、そこには失敗がつきものである」というものがありました。

すでに能力を持ち合わせているにもかかわらずうまくいかない状況というのは、能力を出し惜しみした結果であり、それは「失敗」ではなく「怠慢」であると言っています。

「失敗」というのは自分の限界を超えようとしたチャレンジの時に起こりやすく、そのチャレンジを尊重してサポートする体制がなければ大胆な仕事はできないとのことです。

 

そういうところからすると、「チャレンジしない」というのは、「それが可能な環境が備わっていない」という見方もできます。「失敗を責められる」「その結果不利益を被る」「誰も助けてくれない」など、チャレンジがしづらい環境になっていないか、そのことをクリアしなければ「社員がチャレンジしない」という指摘は成り立ちません。

 

「多少の失敗は気にするな」「周りも助けるから安心しろ」と背中を押せる環境を作らなければ、若くてもベテランでもチャレンジすることは難しくなります。それを世代論などで片づけてしまうと、本当の問題を見失います。注意しなければなりません。

 

 

2022年6月20日月曜日

「1on1ミーティング」が今一つうまくいかないとき

1on1ミーティングとは、上司と部下がお互いの信頼関係性づくりとともに、部下のパフォーマンス向上と人材育成などを主な目的として、週1回など比較的高頻度でおこなう1対1の話し合いをいいます。最近はこれを取り入れる企業が多く見られます。

 

これまで一般的だった人事評価面談とは少し異なり、あくまで部下が主役の扱いで、部下自身が考えて目標設定や行動につながるように、上司は支援役に徹することが大切とされます。しかし、実際にはなかなかそうなっていないことが多いようです。

 

つい先日、あるカフェでたぶん上司と部下が面談していると思われる場面に出くわしました。他人が大勢いる場所ですからそれほど深刻な話をしているわけではなく、もしかすると面談というより雑談のような感じだったのかもしれません。

あまり聞き耳を立てるのも失礼ですし、話がはっきり聞こえる状況でもなかったので、具体的な内容はよくわかりませんが、漏れ聞こえてくる単語からは、一応仕事の話だと思われました。

 

ここで気になったのは、上司と思われる人が、とにかく大部分の8割以上の時間を話し続けていたことです。部下と思われる人は、若干の質問や問いかけにあいづちを打ったり、反応したりはしているものの、話を聞かれているという感じではありません。あくまで見えている姿だけですが、上司の話を「聞かされている」ように見えます。

評価面談などのもっとオフィシャルな場になれば、さらに上司が話している比率が高いのかもしれませんし、もちろんそうでない場合もあり得ますが、この様子を見て思うのは、きっとこのコミュニケーションがこの二人の日常の姿なのだろうということです。

 

従来からの評価面談でも、最近の1on1ミーティングでも同じですが、これらが今一つうまくいかない場合に共通しているのが、「上司の話が多すぎること」です。

よく見かけるのは、上司が部下に一応質問したり問いかけたりはしますが、その話を聞いた後に自分が3倍くらい話し続けるパターンです。内容は様々なアドバイスであったり、場合によってはお説教ととれるような内容であったりしますが、とにかく話の量が多いのです。

上司としては、決して悪気があるわけではなく、むしろ部下に気をつかって一生懸命盛り上げて一生懸命アドバイスした結果でそうなっています。

 

私が見てきた中で、面談や1on1がうまくいかないという上司のほとんどには、部下に質問する量が圧倒的に少ない様子が見受けられます。上司自身が話したいことや伝えたいことへの意識が強すぎて、部下からの話をあまり聞いていません。またその自覚がないことも多いようです。

 

面談や1on1が今一つうまくいかないと感じたときは、質問を通じて相手の様子を聞き、相手に考えさせることが大切です。「話を聞いてもらった」と実感しなければ、相手は徐々に話すことをやめていきます。「話しても無駄」と心のどこかで思ってしまうからです。

 

「聞いてもらった」と思わせるには、相手にできるだけ多く話してもらわなければなりません。そのためには「質問すること」がとても重要です。

上司は質問力を磨かなければなりません。

 

2022年6月13日月曜日

誰にでもフラットに接するリーダー

最近いろいろなメディアを見ていて、些細なことですが目に留まったものが二つありました。

一つは「謙虚さは大事だが頭が良い人にしか通用しない」という言葉です。能力がない人ほど相手の謙虚な振る舞いに気づかずなめた態度を取ってくるそうです。私自身がそこまで謙虚にふるまっているかはわかりませんが、そういう経験は確かにあります。そういう人との付き合いが続いたことはありません。

一方、この言葉に続けて「頭が良い人は謙虚な人のことをちゃんと見ているから大丈夫」とも言っています。実力がある人ほどマウントを取ろうとしないということは、今までの経験で何となくそう思います。自分自身はそういう意識でありたいと思います。

 

もう一つは、サッカー日本代表の元監督で、最近逝去されたイビチャ・オシム氏の話です。

監督の仕事として、選手が30人いれば30番目までの序列をつけることはやらなければならないことですが、オシムさんはすべての選手に対する接し方がフラットで、すべての選手を同じように褒め、同じように怒り、同じように視線を向けていたといいます。指導を受けていた選手たちは口をそろえて、いつも公平に見られていることで、すべての選手が意気に感じて前向きに成長していくことができたと言っています。

また、常に選手自身に考えることを要求していたといいます。自分が思っていた常識とは正反対の指摘をされることがあったり、プレーに対して多くの選択肢を示してくれるがその答えは絶対に言わないそうです。すべての選手に問いかけて本人に考えさせることは、やはりそれぞれの成長につながったという実感があるそうです。

一見厳格で近寄りがたい雰囲気があるが、内面では愛情にあふれていることが伝わってくるとのことでした。

 

この「すべての人にフラットに接する」ということは、私自身が一番共感して目指したいことであり、でもなかなかやり切れない憧れのことでもあります。

私のこれまでの出会いの中で、自分がお手本にしたいと思うリーダーが何人かいます。

その人たちは、全員が誰に対しても分け隔てなく謙虚に接し、決して威張ったり媚びたりせず、自慢話などをせずに相手の話をよく聞き、肩書や立場に関係なくフラットな関係を作ってくれる人たちです。

全員が経営者でしたが、すべての会社がコンスタントに業績をあげ、社員たちもいきいきと働いていました。経営者というのは、ともすれば自己主張や自慢を含んだ自分の話をするのが好きな人が多いですが、それとは一線を画すような人たちでした。

 

最近、リーダーに対して「強さ」を求めがちな傾向があると感じています。引っ張る力、まとめる力、率先垂範などですが、「強いリーダー」が成り立つためには「従うメンバー」が必要であり、メンバー自身が考えるというよりはリーダーの考えに従うことが求められ、フラットではなく上下関係、主従関係となります。

自分の考えが受け入れられないとわかれば、その人は考えることをやめて成長を止めてしまうか、自分の考えが通せる立場になろうとして、会社を辞めるなど主従関係を解消しようとします。リーダーがメンバーのフラットな関係が作れれば、成長が止まることも関係が解消されてしまうことも避けられます。

 

オシムさんの場合、監督であるご自身と選手との間は、何でも言い合えるようなフラットな関係ではありません。指導者である監督と指導を受ける選手というヒエラルキーは存在しています。

ただ、リーダーである監督自身が、メンバーである選手たちを公平でフラットに扱うことで、組織の一体感と個人の成長につなげていました。「強いリーダー」でありながら、「従うメンバー」を求めていないことに違いを感じます。

 

「誰にでもフラットに接する」というリーダーの振る舞いは、組織とメンバーが成長する上でのポイントになる感じがします。

 

 

 

2022年6月6日月曜日

「在宅勤務」と「通勤負担」の関係

ここ最近は新型コロナ感染の状況も落ち着いてきて、ずっとオンラインでしか話せなかった人たちと、久しぶりに対面する機会が増えてきました。

実際に対面できてリアルで話していると、やはりオンラインと比べて数段コミュニケーションが取りやすく、あらためて人と会うことの大切さを感じています。

 

一方、仕事に限って言えば、長くリモートワークをやってきて、それで十分にこなせることがわかったことが多々あります。例えばお互いがすでに面識がある関係での定例会議などでは、オンラインミーティングの方が簡単に招集できて会場の手配も不要なことや、場所の移動がなく短いインターバルで複数のミーティングに参加できることなど、場合によっては効率的だと思うことがあります。

 

最近は大手企業でコロナ前と同様の100%出社勤務の体制に戻すところが出てきたり、アメリカの有名IT企業でも、原則は出社で、リモートワークは認めるが賃金には格差をつけたりするなど、対面重視のところがあります。

その一方で、コロナ終息に関わらず、これからもずっと100%に近い在宅勤務を続けると宣言しているところもあります。コロナ禍を機にオフィスフロアを縮小してしまった会社もあるので、そういうところは今後もリモートワークが主体となるのでしょう。

 

考え方として一番多いのは、状況に応じて両方を使い分けることを認めるハイブリット型ですが、その実施比率は会社によって様々です。

 

働く社員の側も、リモートワークに関するとらえ方はいろいろですが、一番多いのは両方をうまく組み合わせて働ければ良いと考える人でしょう。在宅でもできる仕事はあるし、その一方、対面でなければできないことや、その方が効率的な場合があることは、みんな十分に理解しています。

会社から100%出社することを求められるようになって、これまで在宅勤務のメリットを大いに感じてきた人は不満を持ち、転職を考える人も出てきたという話も聞きます。一度多様化したものをまた元に戻そうというのは、社員から出る不満や多少の人材流出には目をつぶり、強引に進める覚悟がなければ難しいでしょう。

 

様々なアンケート調査などで、在宅勤務のメリットとして最も多く挙がるのは「通勤負担の軽減」です。単に通勤にかかる時間が削減されるだけでなく、身体的な負荷が減って仕事の効率があがったり、可処分時間が増えて家事、育児、その他プライベートに充てられる時間と心に余裕ができたりといった意見があります。

 

この声を裏付けるような話があります。

私がいくつかの地方企業で在宅勤務に関する考えを聞いた時のことですが、社員のほとんどが在宅勤務には後ろ向きで、「家で仕事をするなんて嫌」「仕事とプライベートはしっかり分けたい」などと言います。

話を聞いていてわかったのは、特に首都圏では当たり前の「通勤負担」がほとんどないということです。多くの人が自家用車で通勤し、時間は長くても30分程度ということで、みんな負担感を持っていません。「仕事とプライベートを切り替えるのに通勤時間は必要」などという人もいました。

要は職住近接ということですが、生活環境によって働き手の感じ方は大きく違うことがわかります。

 

在宅勤務のニーズの多くが、「通勤負担の軽減」だとすると、リモート以外にも方法はいろいろ考えられます。

コロナ以前からある制度ですが、2駅ルールや3駅ルールなどといって、会社に近くに住んだ者に家賃補助や手当支給をする制度があります。まだ持ち家率が低い若い社員が多い会社で見られます。

複数個所に小規模のサテライトオフィスを設けて、社員は自宅から近いオフィスに出勤することで通勤負担を減らす取り組みがあります。全国展開しているシェアオフィスと契約して、その場所を利用しているところもあります。

ラッシュを避けた時差通勤、会社による通勤バスの運行や社用車通勤の承認、直行直帰の運用なども、通勤負担に関連する取り組みと言えます。

 

これらのことに在宅勤務を組み合わせて、総合的な通勤負担軽減の取り組みを進めれば、出社か在宅かの二択を迫ったり、メリットとデメリットを言い合ったりするような不毛な議論は必要がなくなります。

在宅勤務を求める理由には、通勤以外にも様々な事情があり、必要な施策はさらに広がります。

いずれにしても、働き方が大きく変化してきていることだけは間違いありません。