ラベル リーダーシップ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル リーダーシップ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年10月16日月曜日

仕事を「抱え込む人」と「丸投げする人」

 マネージャー人材に関して、最近正反対の問題を投げかけられました。

部下に仕事を任せようとせずに、自分だけで「抱え込む」マネージャーと、相手のレベルを考慮せず、必要な情報もあまり与えずに、任せたなどといって仕事を「丸投げする」マネージャーです。

 

どちらも困った問題であることは間違いありませんが、どちらが多いかというと「抱え込む人」が問題とされることが多い気がします。仕事を「丸投げする人」の場合、部下が優秀だとサポートが少なくても仕事をこなしてしまうので、問題としてあまり表面化しないからです。それでも仕事の効率が上がらないとか、上司部下の関係性が悪くなるとか、必ず問題はあります。

ただ、「抱え込む人」の場合は、それ以外に仕事の属人化や部下が育たないという問題がプラスされるので、組織上の問題としてはより深刻な場合があるかもしれません。いずれの場合も、どこまで部下に任せて、どこから自分でやるのかという権限委譲の線引きなので、個人的な感覚に左右されていることも多いです。

 

私自身がいろいろな人と接してきて思うのは、「抱え込む人」も「丸投げする人」も、決して悪気はなく、どちらかといえば良かれと思ってそうしている人が多いということです。本人にそういう自覚があまりありません。

 

「抱え込む人」には、真面目で責任感の強い人が多く見られます。深層心理の中には「自分の存在意義を保ちたい」などの気持ちがあるかもしれませんが、目の前の仕事を自分が責任をもってやり遂げるという意志の強さを感じます。その結果として任せられない、抱え込む、属人化するといったことが起こっていますが、本人は会社を辞める気が一切ないので、たぶん自分がやることが会社への貢献と思っています。

一方の「丸投げする人」も、実は人材育成のためと思ってそうしていたりします。自分はできるだけ手を出さず、余計な口を出さず、本人が考えて仕事を経験することが大事だと思っていますが、部下にとってはそれが行き過ぎていて、「放置」「丸投げ」ととらえられてしまっています。相手のレベルに合わせて権限委譲するという点で問題があります。

 

なので、こういう場合に最初にやることは、抱え込み、もしくは丸投げの状況を本人に自覚してもらうことです。そのためにはただあるべき論を伝えるだけでは難しく、実際の業務の中で「この仕事は任せられるのでは?」「今の言い方で伝わる?」「この説明も必要では?」など、具体的に指摘していくことが必要になってきます。

身近な上司や同僚がその都度話したり、私たちのような社外人材が第三者の立場から指摘したりすることが有効であり、本人にはそもそも悪気がないので、自覚すれば改善するスピードは速くなります。

 

組織内で上の立場になるほど、周りから自分の仕事ぶりを指摘されることは少なくなり、問題があっても自覚することができにくくなっていきます。まずは周りから伝えることが重要です。

 

2023年8月21日月曜日

「自分がされてきたことをしてしまう」という人間の特性

 2023年の夏の甲子園大会の代表校で、坊主でない学校が7校あったそうです。

逆に言えば、未だに8割以上の学校が坊主刈りということであり、世間一般の高校生は坊主でない人が圧倒的に多い世の中にあって、それが話題になることはずいぶん異質な感じがします。

他の競技の名門校などでも、丸刈りのチームを見かけますが、やっぱり野球が明らかに多いと感じます。理由はたぶん昔の軍隊か何かの流れで、競技力などに関する合理的な理由ではないでしょう。

思えば、私たちの子供時代の何十年前までさかのぼっても、野球のうまかった子が「坊主が嫌だ」という理由で野球部には入らないことがありました。野球界はこんな些細なことで、実は良い才能を失っていたのかもしれません。

他にも、ようやく女子マネージャーがベンチ入りできるようになったとか、以前は練習補助も認められていなかったとか、時代錯誤を感じる話がたくさんあります。それで良いと判断する意思決定者たちの存在には、大きな問題があると思います。

 

代表校の中でも、監督や選手間のフラットな関係性も含めて、神奈川県代表の慶応高校が紹介される機会が多いようで、監督はチームの考え方を積極的に発信しています。

坊主頭については、それ自体に問題はないが、「昔からこれが当たり前」と思考停止していることや、「そこから飛び出るのが嫌」という同調圧力の方が罪深いと話しています。

 

この監督のインタビュー記事を見ていて目についたことに、指導者に関するものがありました。それは「高校野球に関わる大人、特に指導者が、なぜエゴイスティックになってしまうか」という話です。

その理由に挙げられていたのは、「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性のようなものが現れてしまっていること」でした。自分が現役時代に指導者から体罰を受けたり、高圧的な言動をとられたりすると、それが自分の中のベースになってしまい、自覚がないままに同じ言動をとってしまっているという、負のスパイラルを生んでいると言っていました。

 

まったく同じ話が、企業のマネジメントや人材育成の中でもあります。

パワハラなどは典型で、上司からされて嫌だったはずなのに、自分が上司になると同じことをします。人材育成でも、昔の職人のような「見て覚えろ」という放置プレイが今でもあります。見て覚えることはとても大事ですが、そこにコツや注意点ほかの指導があって、初めて人材育成が成り立ちます。本人の気づきだけに委ねてしまうのは、少なくとも企業で本来やるべき効率的な人材育成とは言えません。

 

こういうことが起こる原因の一つが、前述の「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性」と思えます。パワハラ的なことを問題と考えない思考停止で自分も同じ行動を取ることや、自分に教わった経験がなく、同じくそれを問題と考えない思考停止で自分も教えないなどの行為は、まさにこれに当てはまります。負のスパイラル、負の伝承ということができるでしょう。

 

この流れを断ち切るには、「自分がされたこと」に疑問や問題意識を持ち、より良い形に改善していこうと「考えること」「思考停止に陥らないこと」です。高校野球で新たな動きが話題になるのも、思考停止せずに考える指導者が増えている証明の一つと思います。

企業でのマネジメントや人材育成でも、同じことが望まれます。

 

2023年7月10日月曜日

「従わせる」より「したくなるように仕向ける」

 マイナンバーカードに関する様々なトラブルが批判されています。

デジタル化の推進自体に反対する人はそんなに多くはないはずで、今回の問題は、その進め方に関する稚拙さや強引さといったことに原因があると思います。

 

情報をアナログからデジタルに変換する際には、多くの場合で何らかの入力作業が必要になるはずで、必ずそこがミス発生のポイントとなります。

ミスをゼロにすることはできませんが、減らすためのシステム上の措置や期間的な余裕を見込むのが一般的ですが、「デジタル化を進めるためにカードを普及させる」という手段が目的化していて、ミス発生への考慮や制度設計そのもののあいまいさから、いろいろ無理が生じているように見えます。

 

中でも私が気になったのは、定期的な通院の際に「マイナンバーカードの提示がないと、今月から自己負担金が余分にかかるようになる」と言われた時です。でも従来の保険証と両方提示しなければならないそうです。こちらに降りかかるのは負担金が増えるというデメリットだけで、良くなることは当面何もありません。

このやり方は、利用者の利便性を向上させるのではなく「使わないと損になるぞ」という脅しによって「従わせる」という発想です。トラブルなく使える環境が整っていないにもかかわらずです。

強制されることが大嫌いな私は、利便性が確立されて普通に使えるようになるまで、このカードは絶対持ち歩かないと心に決めました。

 

私自身、マイナンバーカードは発行開始当初から持っていて、理由は自営業なので確定申告が楽になると期待してのことでした。ただ、当初はパソコン用のカードリーダーを自分で買わなければならないとか、添付書類は結局郵送しなければならないとか、いろいろ面倒なので使わずに放置している状態でした。

実際に使うようになったのはここ数年のことで、確定申告で書類添付が不要になったり、各種証明書のコンビニ発行ができたり、ついでにコロナ禍で様々な給付金の手続きが便利だったりするなど、いろいろ制度が整ってきて利便性が増したと感じられるようになったからです。「使おうと思えるような環境が整った」という理由が大きく、使いたくなるように「仕向けられた」と思います。これが今起こっている問題に対する対応とは、根本的に違っているところです。

 

企業の中でも、指示命令によって「従わせる」という風土が強い会社に出会うことがあります。

一見すると判断が早く、その後もスピード感を持って進められるように思えますが、実際には社員がそもそもの意図を理解、納得できていないために、動きが鈍かったりミスやトラブルが多かったりします。そういう会社では、社員が自分で考える姿勢が薄く、自律的な考え方をする社員は居心地が悪いため定着していなかったりします。

 

一方、社員が「したくなるように仕向ける」ということに長けている会社があります。それぞれの社員から意見を聴いたり、話し合いの機会を作ったり、社員にとって何らかのインセンティブを設けたり、やる内容は様々ですが、その目的は「自分がそうすると決めた」と思わせることです。そういうプロセスを踏むことで、それぞれの社員が自律的で前向きに行動するようになります。

 

心理学の中に、すべての行動は自らの選択であり、その時の自分にとって最善と思われる行動を選択しており、行動を決めるのは自分だけなので、相手の行動を直接変えることはできないとする「選択理論」という考え方があります。

すべての場面で応用することは難しいかもしれませんが、この考え方に基づけば、圧力や威嚇、脅しなどで「従わせる」より、その選択を「したくなるように仕向ける」ということが重要になります。

このことを理解していれば、マイナンバーカードのトラブルもずいぶん軽減されていたのではないでしょうか。

 

 

2023年6月5日月曜日

若手中心なのに「今どき」とは少し違う会社

 最近接点があった会社で、平均年齢30歳そこそこの会社ですが、「今どきの若者」とはちょっと違うことがたくさんあって、いろいろ興味深かったことがありました。

 

まず目についたのは、社員旅行や飲み会をはじめ、社員同士のレクレーションなど、昭和っぽいと言われそうな社内行事がたくさんあり、しかもその参加率がとても高かったことです。社員の本音がどうなのかわからないところもありますが、旅行については「来年はどこそこに行きたい」などと話し合っているので、それなりに楽しみにしているようです。

 

飲み会と表現しましたが、お店で宴会をするばかりではなく、ランチ会とかケータリングを使った社内懇親会とか、サプライズで始まるピザパーティーとか、その中身はいろいろです。参加を強制されることはないですし、お酒は飲むときも飲まない時もあります。そんな中で社員は、「仕事」とも「プライベート」とも言えないような時間を、わりと楽しそうな様子で一緒に過ごしています。

 

「仕事」と「プライベート」の区別をあまり気にしていないのか、社員同士は仕事を離れたところでも結構交流しているようです。共通の趣味に取り組んでいたり、休みの日でも一緒に遊んでいたりします。

要は社員同士が仲良しなのですが、基本的に中途採用ばかりの会社なので、みんな経歴や境遇は違いますし、若いとは言ってもそれなりのベテラン世代の人たちもちらほら見かけます。決して同じような属性の人たちばかりがつるんでいる感じではありません。

 

経営陣は30~40代の比較的若い年齢の人が多いですが、見ていて気づいたのは、誰も威張ったり偉そうに振る舞ったりしないことです。緊急事態や専権事項は除きますが、一方的な命令をせずに関係者としっかりコミュニケーションを取りながら物事を決めていきます。上から威圧することがないので、当然ですがパワハラのような問題も起こりません。上下関係に委縮せず、わりと本音で話し合える環境があります。

売上利益などの目標は掲げていますが、そこまで厳密に追いかけているわけではなく、あまりガツガツしていません。ダメだと思えば下方修正のようなことも躊躇せずに行います。

入社してきた人には、みんながウエルカムな雰囲気で話しかけ、仲間として溶け込めるようにいろいろ世話を焼きます。社員が食事をしたり遊んだりする場に代わる代わる誘っています。なじみやすい人を選んでいるという側面はありますが、早くなじめるような働きかけがいろいろあります。

「働きやすさ」を求めていった結果として、こうなっていったのではないでしょうか。

 

こんなことから個人的に思い出したのは、私の高校時代で一番一体感があったクラスのことです。仲良しグループは複数ありましたが、それぞれお互いに認め合っていて、クラス全体で何かやろうという時は、誰がリーダーということもなく協力し合っていました。いじめなど一切なく、クラスの中に全員の居場所がありました。

お互いを認め合って尊重し合うこの会社の雰囲気は、その当時のことを思い出すところがありました。

 

実際に仕事をしている中では、たぶんそんな綺麗ごとだけでは済まないですし、外部からは見えないいろいろな問題があるでしょうが、少なくともみんなが毎日仲良く仕事をしている様子を見ていると、競争、他人の評価、上下関係、指示命令、支配、威圧などのありがちな職場の風景は、実は不要なことではないかと思ってしまいます。

 

仕事は日常のことであり、それが必要な時期はあったとしても、基本的に修行や鍛錬とは異なるものです。厳しさばかりでは、人間はいつか疲弊してつぶれてしまうかもしれません。

多くの人が心を穏やかにして働ける環境は、あらためて大事なものだと感じた経験でした。

 

 

2023年3月27日月曜日

「ゆるんだ雰囲気」とは何を指すのか

 ワールドベースボールクラシック(WBC)は、日本が優勝して幕を閉じました。私は最近あまり野球を見ていませんでしたが、久しぶりにレベルが高い良いゲームを見て、あらためて野球の面白さを感じました。

 

大会が終わり、監督がどんな考え方で、どんなアプローチをしてチーム作りを進めていったかというエピソードもいろいろ聞こえてきて、「選手を信頼する」という姿勢が成功要因として挙げられています。

メジャー組が中心になって、適度なリラックスと一体感が両立するような、良い空気感をチームにもたらしていたと思いますが、それを必ずしも良しとしない意見もあったという話を聞きました。

特に直前の国内での練習試合であまり調子が上がっていなかったころに、チーム内のコーチ陣などからも「雰囲気が緩すぎる」「締め直さないと勝てない」「このまま選手任せでいいのか」という声があったそうです。

監督は「選手に任せるところはしっかり任せる。選手の力を発揮させられれば勝ち切れる」と言って、そのままの方針を貫いた形で結果を出しましたが、チーム内外には規律や体育会気質を好む人間もいて、この方針には賛否があったようです。

 

WBCの代表チームとは、異なるアプローチをした例で思い出すのは、かつてラグビー日本代表を率いたエディー・ジョーンズ氏です。選手とのあつれきを恐れず、厳しい言動と自らの率先垂範で選手を追い込み、常に緊張感を持続させて、負け癖がついたチームの意識変革を進めて結果を出しました。

監督から選手への信頼やリスペクトはあったでしょうが、その関係性は常に緊張感を伴うもので、「厳しすぎる」とは言われても、「ゆるんでいる」といわれることは一切なかったでしょう。

 

こうやって見ると、チームの雰囲気づくりというのは正解がなく、チームが置かれた状況によって様々だと言うことができますが、一つだけ気になるのは、そもそも「ゆるんだ雰囲気」とはどんな状態を指しているのかということです。

例えば、軍隊のように「上からの命令は絶対」という組織をゆるいということはないでしょうが、上からのいじめやパワハラのようなことがおこなわれていれば、そのチームの規律は「ゆるんでいる」といえます。

一方で、上下関係が「ゆるんだ雰囲気」だったとしても、上下に関係なく、その時々で最善の指示や意見がお互いに交わされるような状況であれば、建設的で生産性も高まることが期待でき、決して「ゆるんだ雰囲気」のチームではありません。

 

今回の野球と、以前のラグビーでのアプローチの違いは、選手の意識改革が必要だったか否かによるものだと思います。みんなプロ意識が高い大人の選手たちにあえて意識改革を求める必要はなく、一方負け癖がついていて甘さがあるプロ意識が低い選手たちには、厳しさを求めて意識改革をしなければ目標達成はできなかったという違いです。ただし、ここでの厳しさとは、接し方や威圧感、精神論のような厳しさではなく、目標設定と取り組みプロセスに関する厳しさです。

 

何が「ゆるんだ雰囲気」にあたるかは、メンバーがどのくらいのレベルに達しているかで異なります。自己管理ができて意識が高いプロフェッショナルならば、リラックスはしてもゆるむことはなく、まだ未熟さがあるメンバーであれば、規律やルールで枠にはめて管理することも必要です。どちらの場合も適正なバランスを取る必要があり、それを見極めるリーダーの力量が問われます。

どちらかというと、規律を好んで枠にはめたがるリーダーが多いと感じる日本では、それが行き過ぎてメンバーの力を発揮させられないことが大いにあると感じます。指導者やリーダーたちの意識改革も、合わせて必要かもしれません。

 

 

2023年3月6日月曜日

今どきの高校応援部の自然体の上下関係

 ある高校の応援部に密着したテレビ番組があり、それを見ていて思ったことです。学校としても部活動としても、歴史があるとのことでした。

 

私自身の応援部に対するイメージは、理不尽とも思える厳格な上下な関係と、時には体罰もあり得るようなパワハラ的な体質です。

それを経験してきた人たちにとっては、その環境で鍛えられたことが大切な思い出と経験になっているのでしょうが、今となってはあまり良いとは思えない昭和的な組織といえるでしょう。

 

そんな先入観で見ていたせいもありますが、先輩後輩をはじめとした部内での上下の関係性は、ずいぶんイメージとは違ったものでした。

練習中の雰囲気は、昔のそれと同じでとても厳しいものでしたが、違っていたのは上級生からの威圧するような言葉や暴力的な態度が一切ないことでした。そして練習が終わると、学年関係なく仲良く談笑しています。けじめをつけるときはきちんとつけ、そうでないときは和気あいあいとしたメリハリがあります。

団旗を神聖なものとして厳格に取り扱うことなど、昔からの数々の伝統は守りながら、上下関係に関する部分はずいぶん変わってきています。

 

ある日の練習ですが、OBの先輩が指導しに来ました。現役学生は当然のように緊張していますが、それは私が思っている昔のイメージのような怖さや威圧感によるものではなく、実力がある人に見られて指導されることへの緊張のようでした。あこがれのプロ選手から手ほどきを受ける緊張感と同じです。

また先輩OBの接し方も私の先入観とは違っていて、威圧的なところは全くなく、「ここに気をつけるときれいな姿勢に見える」などと技術的な指導をしていて、褒めるところは褒め、直すべきところは指摘をしています。最後に全員の取り組み姿勢を褒め、頑張れと励まして帰っていきました。

 

もう一つ紹介されていた別の高校では、次期応援リーダーは女性でした。その引き継ぎまでの男性の現リーダーとの接し方は、苦言も伴う厳しさがある熱血なものでしたが、上下関係はあってもお互いがリスペクトしている様子がとてもよくわかるものでした。

どちらの学校にも共通して感じたのは、お互いが信頼感を持って尊重し合う自然体の上下関係です。

 

最近私が多く接する企業内の問題に、パワハラに関わるものがあります。典型的なことが当事者は無意識のままで行われていたり、果たしてそれがハラスメントと言えるのかが微妙と思えるものがあったり、その内容は様々です。

当然ですが、そうなれば上司と部下など当事者同士の人間関係はぎくしゃくします。変によそよそしくなったり、必要以上に距離を取っていたり、ご機嫌取りや無視といったことも起こります。そしてこれらはすべて、前述の高校応援部のような「自然体」とはかけ離れたものばかりです。

 

こういう話をすると、「部活動と仕事は違う」「OBよりもさらに年齢差が大きい」など、いろいろ反論があると思います。しかし、反論してくる人ほど、自分の価値観にこだわって違うものを認められず、相手の考え方を尊重できず、フラットに話し合える関係を築くことができていません。これはもちろん、部下をはじめとした相手側にも、同じような問題が見られることがあります。

 

ただ、人間関係の作り方を見ていると、若い世代の方が「自然体での上下関係」を作ることには長けているように感じます。応援団のような古いスタイルを踏襲していそうな団体でさえ、時代に合わせて合理的に変えるべきところは変えています。高校生ができていることを、大人たちの組織である企業では、まだまだできていないことがあるように感じます。

 

自分と異なる価値観であっても、一度それを認めて受け入れて、その上で関係づくりをしていくという点では、若い世代を見習わなければならないことがあるように思います。

 

 

2023年2月27日月曜日

よく働く社長とそうでもない社長とその周りの社員たちのこと

 私が一緒に仕事をしている社長さんたちは、概してよく働く人たちです。オーナーとしての責任感であったり、自分の事業へのこだわりであったり、仕事のやりがいや面白味だったり、自社への愛着だったり、その事情はいろいろです。

自分の会社をいろいろな面で良くしたい、強くしたいと考える人たちだからこそ、私たちのような社外専門家に仕事を依頼しようと考えるのかもしれません。このように良く働く社長ほど、リーダーシップも強い傾向があるようにも思います。

 

その一方で、そこまで仕事熱心ということでもなく、仕事ぶりにゆったりとした余裕を感じる社長さんたちもいます。会社が軌道に乗っている余裕、自身の生活基盤やライフステージの状況など、こちらも事情は様々です。ごく少数、本当に働かない道楽ばかり社長さんもいるにはいますが、過去に頑張った結果として今があるはずなので、一概に批判できることでもありません。

 

このどちらのタイプの社長にも、周りには社員の人たちがいます。リーダー、マネージャー、役員など、その立場はいろいろですが、良く働く強い社長とそうでもない社長では、周りの社員のタイプに少し違いを感じます。一言でいえば、自律的な意思決定の有無、量の違いです。

 

やはり、よく働いて現場に関与することも多い社長は、基本的に本人がいろいろな場面に顔を出し、自身の指示や意向を伝えます。かなりのマイクロマネジメントと思えることもありますが、そうせざるを得ない様子も見受けられます。

そういう社長の周りの社員たちは、何かを自分で判断しようとするよりも、「社長はどう考えるか」「社長に認めてもらうにはどうするか」を真っ先に考える傾向があります。自分の意思を持つ前に社長に聞いてしまった方が早いということが起こるので、自分で考えることをしなくなる傾向が見られます。

要は、社長が自分でいろいろやって決めていくため、周りの社員たちがうまく育ってこないのですが、社長は自社のマネージャーたちの力量不足を言うことが多い感じがします。

 

一方、そこまで仕事熱心には見えない社長の周りでは、結構優秀なマネージャー人材が目につくことがあります。右腕と言われるような全体を仕切れる人や、自部門をうまくマネジメントして結果を出している管理者などがいます。前者の社員たちと違っているのは、「自分で判断、決断しようとすること」です。必ずしも自分の思い通りの意思決定ができないとしても、自分ならこうするという意思を持っています。

 

これは結局、権限移譲の問題で、任せる範囲が多いほど人材が育つということになる訳ですが、「だったら何でも任せればよい」「もっと権限委譲を進めるべき」と言って済むものではありません。

できることは部下に任せていこうという意識は、仕事熱心な社長かそうでもない社長かに関わらず、多くの人が持っています。この権限移譲を進める難しさは、そのさじ加減をどうするかにあります。

 

そもそも、自分のこだわりが強いことや求めるレベルが高いことは、なかなか他人に任せることはできないもので、もし任せるにしても、その範囲は狭くなりがちでペースは遅くなりがち、時間も結構かかります。自分がすでに高いレベルに到達していると、「まだ足りない」といってなかなか一人前とは認められません。

こういう心理はそう簡単に変えられるものではなく、特にトップマネジメントからの権限移譲が進みづらい大きな理由の一つになります。

 

マネージャーが育たない原因の一つに権限移譲が不足しているという問題があり、ここには社長自身のマネジメントスタイルが影響していることが多々あります。

この解決方法は、ちょっと無理ではないかと思っても任せてみる、口出ししたくなってもあえて我慢する、手を貸さずに見守るといったことを、社長自身の感覚よりももう一歩進めてやらせてみるということに尽きます。ただ、状況は様々であり、安易に進められないという気持ちもわかります。

人材育成というのは、こんなことからも難しさを感じます。

 

 

2023年2月20日月曜日

機嫌の良い上司、悪い上司

 先日、ある企業で働く女性との雑談の中で、「仕事が大変」「つらい」という話が出てきました。

よく聞くことがある話の感じもしますが、「何がつらいのか」と尋ねてみると、たった一言「上司に対するストレス」「パワハラ」だといいます。もう少し細かく聞くと、世間一般でイメージするようなパワハラとは少し違った話でした。

 

問題は「上司のご機嫌」だそうで、とにかく顔色をうかがいながらコミュニケーションを取らなければならないことが多いといいます。タイミングを間違えると「今は話しかけないで!」などとコミュニケーションを拒否されることが度々あるといい、当然ですが、指示を仰いだり確認事項があったりしても滞ってしまって、仕事は進まなくなります。上司の機嫌の良し悪しを気にしなければならないことが、大きなストレスになっているそうです。

 

この上司は、決して気が強かったり横柄に威張っていたりするわけではなく、こちらが強く出ると、急に謝ったりすねたりするなど、いずれにしても面倒な反応が返ってくるといいます。どちらかといえば気が小さいような人だそうで、自分より上役に対してはペコペコしているなど弱く、自分から積極的に動くことも少ないそうです。話を聞く限りでは、単純に自分の感情をコントロールする力が足りない人という感じがします。

 

私は企業におけるリーダー素養の一つとして、「いつでも機嫌が良いこと」は大事なことだと思っています。

もちろん組織の目的やミッションによって、強さや威厳を示さなければならないリーダーはいますが、企業の中でのリーダーには、必ずしもそれは必要ないと思います。大事なのは「円滑なコミュニケーションをとる力」で、「いつも機嫌が良い人」というのはそのために重要な要素です。

 

例えば、必要な情報を早く得るためには、「周りが話しかけづらい雰囲気」というのは好ましくありません。いつも機嫌がよくて、できれば明るくて、何でも話しかけやすい上司の方がコミュニケーションを取りやすく、その結果として良い情報も悪い情報も集まりやすく、その情報を得るために要する時間も早くなります。

誰でも不機嫌な時はありますが、特に男性の場合は年齢を重ねていくほどに、本人は普通の顔をしているつもりでも、周りから見ると表情や態度が怖く不機嫌に見えるそうです。肌のたるみとかシワとか加齢でどうしようもないことはありますが、椅子の座り方や腕組みなど、本人は無意識でも威圧感を与えていることがあります。他人からどう見えているかを、あえて意識することも必要でしょう。

 

私の知人に、いつ会っても常に機嫌のよい人がいます。いつも口角が上がっていて表情が明るく、誰にでも分け隔てなく話しかけ、人の悪口を言うところを見たことがありません。年齢や性別を問わずに友人が多く、人を介していろいろな情報が素早く集まってきます。良いことでは先行者利益などで得をすることが多く、悪いことには早くから対応できて傷を負わずに済みます。

 

企業内のリーダーにとって、「いつでもご機嫌」というのは重要な要素です。機嫌が悪くてもそれを表情には出さず、平常心を保つ理性が必要です。

そういうことが、実は仕事の成果にもつながっているように思います。

 

2022年11月28日月曜日

「マッチョな職場」が生産性を損なうという話

 「マッチョな職場、つらくないですか?」という新聞記事がありました。

弱みを見せたら負け、仕事が最優先で長時間労働は当たり前、競争を好み勝つことを最優先するといったマッチョイズム(男らしさの規範)の強い職場が、逆に生産性を損ねているのではないかという指摘です。

 

生産性や創造性は、多様性がある環境下で生まれるものであり、同じような価値観を持った人ばかりが集まって、どんなに議論しても生まれるものではありません。

「自分らしさ」という自尊感情から自己肯定感などが高まり、それによって組織内のコミュニケーションがしやすくなり、イノベーションというのはそんな中から生まれるものですが、マッチョイズムはどちらかといえばこの「自分らしさ」を阻むものです。

 

日本の職場では正社員や管理職ともに男性比率が高く、昔ながらの「男らしさ」という規範も合わさって、マッチョな組織文化になりがちなところがあるとのことです。

最近でこそ「心理的安全性」など、組織内の対人関係におびえることなく、自由に意見がいえる職場環境の重要性が言われるようになり、実際に取り組む企業も出てきています。しかし、実際の現場を見ていると、到底そこには達していない企業がまだまだたくさんあります。先進的と評判の大企業であっても、そのような側面を見かけます。

 

この記事では、特に日本の管理職の課題は、男性的な価値観と関連していることが多いと言っています。負けを認めるわけにはいかないので助けを求めず、その結果としてメンタルダウンなどの不健全な状態に陥ったりします。セクハラやパワハラといった問題は、男性が引き起こすことの方が多いでしょう。本人としては無理しながら頑張っているのでしょうが、結果的に組織全体のパフォーマンスは下がり、生産性も損なっています。

記事ではこの対策として、評価などを気にせずフラットに相談することができる仕組み作りが必要と言っています。確かにその通りですが、誰でも相談できる環境は、そう簡単に作り出せるものではありません。中小企業のように人員が限られた組織では特にそうです。

 

この「マッチョな職場」の対極はどこにあるのかを考えたとき、ふと思い出したところが二つあります。

一つはある広告関連の企業ですが、社長も含めた社員7、8人が全員女性の会社です。創業メンバー3人と後から入った数人での構成ですが、特徴は全員あまり上昇志向がないことです。売上目標はありますが、「みんながほどほどに生活できればいい」という感じであまり達成にこだわっていません。それよりは「こんなサービスがあったら便利だよね」とか「このクライアントの期待には応えなければ」とか、そんなことの優先度が高いようです。社員同士は年齢が近いこともあって、みんなよく話をしていますし、ギスギスした感じがなく穏やかなので、対人関係の遠慮はなさそうです。また売上にこだわっていないといいながら、顧客からの評判は良く当面の業績は順調な様子でした。

女性が集まることに対して、特有の陰湿さなどを言う人がいますが、女性ばかりの会社だとこんな感じになるのだと、とても印象に残りました。

 

もう一つは近所の飲食店で、典型的な家族経営の店です。お父さん、お母さん、おばあちゃんに息子、ときどき娘が手伝いに来る感じですが、本当の家族ですからお互いに遠慮はありませんし、競争も必要ありません。たぶん弱みも知っているし、地雷さえ踏まなければ何でも言い合える関係です。まさにマッチョとは無縁です。

 

これらはもちろん事業規模も違うし、社会的な立場も違っていますが、「組織」で「ビジネス」をしていることに変わりはありません。

ただ楽して仕事しようとするのは好ましいとは言えなくても、仕事を続けていくうえで、健康で穏やかに働くことは大事です。そこに果たして「マッチョさ」は必要なのかと考えてしまいます。

 

 

2022年10月24日月曜日

「失敗」が起こる理由のいろいろ

 失敗というのは、なければないに越したことはなく、誰でも避けたいものです。ただ、どうしても起こってしまう、避けたくても避けられないものでもあります。

 

失敗には、大きく分けて二通りのものがあります。

一つ目は、ケアレスミスや不注意と言われることの結果による失敗です。仕事や生活の中での抜け、漏れ、忘れ物といったことがあたります。

ある会社では、会社の入館証であるICカードをなくすと、始末書を書かなくてはならないそうです。そこまでではなくても、必ず何らかの叱責を受け、「以後気を付けます」などと謝罪することになるでしょう。こういう処分をする会社は多いですが、始末書を書いたり叱責を受けたりしたからと言って、紛失のようなケアレスミスや不注意がすべて防げるわけではありません。本人が反省して、少し注意力が増す程度の効果はあるかもしれませんが、しょせんは見せしめでしかありません。

こういうことは、それぞれの人が少なくとも何らかの注意をしていて、そういう中でも起こってしまいます。

もしケアレスミスや不注意による失敗を100%なくそうとすれば、人間の注意力に依存しないように仕組みを変えるしか方法はありません。例えば、入館証を生体認証に変えれば、カード自体が不要になって紛失という失敗自体がなくなります。確認漏れや転記ミスは、その作業自体を自動化、機械化してなくしてしまえば良いことです。人間のミスは絶対に無くすことはできないので、それを防ぐ仕組みがないままで個人を責めるのは、少し理不尽なことです。

 

二つ目は、チャレンジした結果としての失敗です。そもそも、失敗というのは自分の能力の限界を超えようとしたときに起こりやすいものだとされます。まだ経験していないレベルのことにチャレンジしたようなときです。

ここでの失敗の理由を見極めるときに、注意しなければならないことがいくつかあります。

まず、その失敗が能力の出し惜しみの結果として起こったものだったとしたら、それは失敗ではなく「怠慢」になります。起こってしまった好ましくない事象が、能力を最大限に発揮した上での「失敗」なのか、それとも能力があるのに使わなかった「怠慢」の結果なのかは、しっかり切り分けなければ、以後の対策を見誤る恐れがあります。

 

もう一つ、「これくらいできて当たり前」ということを、誰かが「失敗」したとします。しかし、その「できて当たり前」のことが、その人には未経験のことだったとしたら、本人の能力レベルからすればチャレンジであり、失敗の可能性は当然高くなります。そこでの失敗を「できて当たり前」だからとの理由でその人の責任にしてしまうのは、失敗の本質を見誤っています。本人の能力レベルを考慮せず、「できて当たり前」といって仕事を与えた上司にも責任があります。

 

人材育成の過程では、どこかで必ずその人の限界を超えるチャレンジが必要になります。チャレンジに失敗はつきものであり、それが起こることを予想してサポートしなければ、成長につながる経験を積むことはできません。上司による部下の能力レベルの見極めと、それに応じた仕事の与え方は、実は失敗ととても密接に結びついています。チャレンジを避ければ失敗は減りますが、新たな経験を積む機会がなくなり、人材の成長は望めません。

チャレンジによる「失敗」は、ただ避けようとするのではなく、それが起こるという前提で、その理由と内容をしっかり見ておく必要があります。

 

「失敗」の理由と中身には、いろいろなことがあります。

 

 

2022年10月17日月曜日

やる気を「出させる」ではなく「出るように仕向ける」

 つい最近もある会社のマネージャーから、「部下のやる気を出させるにはどうしたらよいか?」と質問されました。この手の悩みは、人をまとめたり指導したりする立場の人であれば、誰もが何かしら持っています。

やる気を出させる、モチベーションを高めるなどといって、様々な理論や取り組みが紹介され、その効果はあったりなかったりわからなかったり、結果もまた様々でしょう。この様子からすれば、少なくとも明らかな正解は存在していないことがわかります。

中には「最近の若い者はやる気がない」など、世代論で批判する人がいますが、それは的外れな話です。高齢でも若くても、やる気がある人はあるし、ない人にはありません。また、やる気が出る対象は人それぞれで、身の回りのすべての物事に対してやる気満々などという人は間違いなくいません。興味のあるもの、やりがいを感じるものにはやる気が出て、それ以外のものにやる気が出ることは、たぶんあまりありません。

 

やる気やモチベーションと言われるものの扱いが難しいのは、それが人それぞれの心の中にあるものだからです。「やる気を“出させる”」と言ってしまうと、それはその人の心の中を変えるのと同じことです。

短期間では難しく、それが周囲の思い通りになるとは限りませんし、そもそも変わるのかどうかもわかりません。逆にその人の人生観が変わるような出来事をきっかけに、考え方が急に大きく変わることもあります。ただしそんな出来事は、周りに都合よく起こるものではありません。

 

しかし、だからと言って何もせずに放置していてもよいわけではありません。褒める、叱る、話を聴く、フィードバックする、相談に乗る、寄り添う、その他何らかの働きかけは必要であり、その方法は相手によってすべて異なる多様なものです。

 

「やる気を“出させる”」には、どこか他人からの命令や強制のようなニュアンスが混じってしまいます。相手のことを思っているつもりの行動も、それが相手に伝わらなければ、ただの命令、強制、余計なおせっかいになります。

これを「やる気が“出るように仕向ける”」という考え方にシフトすると、取り組み方も変わってきます。いつ変わるかわからないので、働きかけを継続することが大事になり、相手の気持ち次第なので、その相手に合わせた多様で柔軟な対応が必要になります。

やる気を「出させる」「高める」というより、やる気を「邪魔しない」ことが重要になり、それを削いだり反感を持たれたりする態度や行動を避けることが求められます。

 

やる気を「出させる」ではなく、「出るように仕向ける」と考えたほうが、取り組みや働きかけが望ましい形になります。

植物を芽吹かせるには、適量の水と肥料を一定期間に継続して与え続けなければなりません。中には芽が出ない種子もあるでしょうが、それは水と肥料を与えてみなければわかりません。「やる気」というのは、そんなことに似ている気がします。

 

 

2022年10月3日月曜日

普通になりすぎていて気づけない「無駄な仕事」

 少し前に、会社都合の余剰人員に対して、その人たちを集めてまったく無駄な仕事をさせる嫌がらせをして、自主退職に追い込む「追い出し部屋」という話題がありました。

どこかに荷物を運ばせて、その荷物をまた元に戻させるような仕事を延々と続けさせたという話もあり、事実かどうかまではわかりませんが、明らかに無駄だとわかる仕事を指示していたといわれています。

 

ここ最近、いろいろなところで「無駄な仕事」に関する話を耳にしました。

一つは、最近目にしたツイッターのつぶやきで、「エクセルで計算した資料を、上司から“念のため電卓で確認して”と言われて残業になった」というものがありました。

私は絶対やりませんが、エクセルで作成した表を手計算で確認するという作業は、結構あちこちで行われているようです。

確かにエクセルも人間が作った帳票なので間違いはあるでしょうが、それは出力結果を電卓などで確認するよりも、シートの中の数式を確認すればよいことです。そうすれば、いずれは誤りがすべて直されて確認作業は不要になります。しかし、上司にリテラシーがないために無駄なアナログ作業を強いられたり、「重要資料でのエクセル使用禁止」という通達が出た会社もあると聞きました。

 

もう一つの話は、ある会社の総務部が総出で遅くまで残業している理由が、数百人分のタイムカードをエクセルに毎月手入力する作業のためだといいます。関係者が「データを直接扱えるタイムレコーダーなど1台10万円もせずに買えるはずでは?」と尋ねると、「事業部長から“そんな投資をする余裕はない”と却下された」とのことです。サービス残業をさせていて経費はかからないものという認識のようで、無駄な仕事というだけでなく、なかなか悪質性の高い話です。

 

こういった仕事を、近年では「ブルシット・ジョブ(日本語訳で“クソどうでもいい仕事”)」といい、その定義は「本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完全に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている」とあります。

例えば、参加している本人たちさえ無駄と思っている会議でも、その会議のために誰も読まない資料を丁寧に作成する仕事や、会議中のコーヒーを手配する仕事、会議開催を連絡する仕事などが多々ありますが、それにストレスを感じていても、誰もそれを「ムダだからやめよう」とは言わないようなことだそうです。

 

私も自分の仕事柄、様々な会社で「無駄な仕事」と思えるものを目にすることがありますが、その多くは無駄ということに気づいていないか、多少はわかっていてもあまり深刻にとらえていません。その仕事の進め方を他と比べる機会がなく、自分たちにとって「普通のこと」になりすぎていて、それが無駄だということや、もっと効率的なやり方があるということを認識できていません。

また、無駄な仕事を生み出しているのは、上司である場合がほとんどです。経費の感覚がずれていたり、コストパフォーマンスの認識がなかったり、自分が知っている方法だという理由で、非効率な仕事を強制していたりします。

 

こういったことを放置すれば、当然ですが業績には悪影響となって跳ね返ってきます。従業員満足は低下し、人材不足に悩むことになるかもしれません。

しかし、「無駄な仕事」というのは、当事者は意外に気づけないものです。自分たちにとって「普通のこと」になっているからです。こうなるのを防ぐには、「この仕事には意味があるのか」「他にもっと良いやり方はないのか」を、常に考え続けるしかありません。ここではITリテラシーも重要です。

自分たちの「普通」の中に埋もれた「無駄な仕事」は、身近に意外にたくさんあるはずです。