2022年10月3日月曜日

普通になりすぎていて気づけない「無駄な仕事」

 少し前に、会社都合の余剰人員に対して、その人たちを集めてまったく無駄な仕事をさせる嫌がらせをして、自主退職に追い込む「追い出し部屋」という話題がありました。

どこかに荷物を運ばせて、その荷物をまた元に戻させるような仕事を延々と続けさせたという話もあり、事実かどうかまではわかりませんが、明らかに無駄だとわかる仕事を指示していたといわれています。

 

ここ最近、いろいろなところで「無駄な仕事」に関する話を耳にしました。

一つは、最近目にしたツイッターのつぶやきで、「エクセルで計算した資料を、上司から“念のため電卓で確認して”と言われて残業になった」というものがありました。

私は絶対やりませんが、エクセルで作成した表を手計算で確認するという作業は、結構あちこちで行われているようです。

確かにエクセルも人間が作った帳票なので間違いはあるでしょうが、それは出力結果を電卓などで確認するよりも、シートの中の数式を確認すればよいことです。そうすれば、いずれは誤りがすべて直されて確認作業は不要になります。しかし、上司にリテラシーがないために無駄なアナログ作業を強いられたり、「重要資料でのエクセル使用禁止」という通達が出た会社もあると聞きました。

 

もう一つの話は、ある会社の総務部が総出で遅くまで残業している理由が、数百人分のタイムカードをエクセルに毎月手入力する作業のためだといいます。関係者が「データを直接扱えるタイムレコーダーなど1台10万円もせずに買えるはずでは?」と尋ねると、「事業部長から“そんな投資をする余裕はない”と却下された」とのことです。サービス残業をさせていて経費はかからないものという認識のようで、無駄な仕事というだけでなく、なかなか悪質性の高い話です。

 

こういった仕事を、近年では「ブルシット・ジョブ(日本語訳で“クソどうでもいい仕事”)」といい、その定義は「本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完全に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている」とあります。

例えば、参加している本人たちさえ無駄と思っている会議でも、その会議のために誰も読まない資料を丁寧に作成する仕事や、会議中のコーヒーを手配する仕事、会議開催を連絡する仕事などが多々ありますが、それにストレスを感じていても、誰もそれを「ムダだからやめよう」とは言わないようなことだそうです。

 

私も自分の仕事柄、様々な会社で「無駄な仕事」と思えるものを目にすることがありますが、その多くは無駄ということに気づいていないか、多少はわかっていてもあまり深刻にとらえていません。その仕事の進め方を他と比べる機会がなく、自分たちにとって「普通のこと」になりすぎていて、それが無駄だということや、もっと効率的なやり方があるということを認識できていません。

また、無駄な仕事を生み出しているのは、上司である場合がほとんどです。経費の感覚がずれていたり、コストパフォーマンスの認識がなかったり、自分が知っている方法だという理由で、非効率な仕事を強制していたりします。

 

こういったことを放置すれば、当然ですが業績には悪影響となって跳ね返ってきます。従業員満足は低下し、人材不足に悩むことになるかもしれません。

しかし、「無駄な仕事」というのは、当事者は意外に気づけないものです。自分たちにとって「普通のこと」になっているからです。こうなるのを防ぐには、「この仕事には意味があるのか」「他にもっと良いやり方はないのか」を、常に考え続けるしかありません。ここではITリテラシーも重要です。

自分たちの「普通」の中に埋もれた「無駄な仕事」は、身近に意外にたくさんあるはずです。

 

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