2019年9月30日月曜日

“友達だから”言える?言えない?


関西電力の役員らが、原発立地自治体の元助役から、多額の金品を受領していたという報道がありました。
会社の説明では総額3億2000万円分とのことで、「高額なため、返す機会をうかがって各自で預かっていた」とのことですが、まずいと思ったら返却する方法などはいくらでもあったはずで、原発という国家事業の中で、大きな利権が絡む関係者間でのやり取りが、その程度の話で済むとは思えません。
これから真相につながる話がいろいろ出てくるでしょうが、私の気持ちは「日本を代表する大企業の経営者が結局この程度のものか」という落胆です。それなりの社会的地位にある人が、私腹を肥やしたり、自分だけ体よく逃げ切ろうとしていたりする話があまりに多く、人間はそんなものなのかと思います。

この話に関連して、もう一つがっかりしたことがあります。
経団連の中西会長が、記者会見でのこの件に関する質問に対して、「詳細な情報が分かっていない」としたうえで、「八木さんも岩根さんもお友達で、うっかり変な悪口も言えないし、いいことも言えない。コメントは勘弁してください」と笑みを浮かべて言っていたことです。
たぶん、「事情をよく知らないことに対して、うかつなことは言えない」という意味でしょうが、それを「友達だから言えない」というのは、反対に「友達でなければ言える」ということになります。中立的な立場であるべきだと思う経営者団体のトップの発言としては、身内びいきの偏った印象を持ってしまいました。

これは、「友達だからこそ言える」という考え方もあります。親しい間柄だからこそ、言いづらいことや苦言を呈することができるということですが、ここからすれば、「言えない」というのは、本当の意味での友達ではないことになります。
私自身も友人や知人の仕事依頼を受けることがありますが、どちらかと言えば相手の性格を知っているとか、以前からの信頼関係があるといったことで、「普通ならば言いにくいことでも伝えやすい」ということがあります。

この「言える」「言えない」と似た話で、職場の上司、部下、同僚の間で、「言いにくいので言わない」ということがあります。その時の理由は「落ち込んでしまう」「ショックを受ける」などマイナスの感情を持たれたくないという場合と、「機嫌を損ねる」「ふてくされる」「キレる」といった感情的な反応を避けたい場合のいずれかが多いようです。お互いの相性や性格の不一致を「言えない」の理由にされることもあります。「辞められたら困るから」と言われることは、最近特に増えました。

ただ、そうやって「言わない」という選択をした後の様子を見ていると、良い結果につながっていることはほとんどありません。
良い状況の時に「余計なことを言わない」はありますが、言いにくいことがあるということは、何か良くない状況があるときです。「言いにくい良くないこと」を言わないままでは、それが当事者に伝わらないままで放置され、何も状況が変わりません。

ビジネスの場面では、友達であろうがなかろうが、苦手だろうが何だろうが、どんなに言いにくくても、必要なことはきちんと伝えなくてはなりません。考えなければならないのは「言うか言わないか」ではなく、「どう言えば理解、納得されやすいか」です。いつ、誰が、どんな場所で、どんな言い方で、どんな雰囲気でするかなどを考えて、マイナスの影響が少なくて済むように工夫するのです。

「友達だから言えない」は、お互いがその程度の関係なのか、それとも今までそういうビジネスをしてきたのか、どちらなのでしょうか。
難しいことですが、ビジネスの場で「言いにくいから言わない」で済ますことが、あってはなりません。


2019年9月26日木曜日

「教えを乞うこと」がうまい人


ずいぶん前に、知り合いのゴルフインストラクターが話していたことですが、その人は「女性の方が素直にアドバイスを受け入れるので上達が早い」と言っていました。

女性の多くは、どんなアドバイスでも、とりあえずそれを受け入れて一生懸命やってみようとするのに対して、男性の場合は、アドバイスしてもなかなか納得できない人がいて、「自分には合わない」とか「それは違う」などという人もいるそうです。

男性が女性がと決めつけるのはどうかと思いますが、そういう傾向があるのは私も感じることがあります。

例えば、私が人事コンサルタントだと知ると、「自分も人事の仕事をしていたことがある」と言ってくる人が、結構たくさんいます。
これが女性の場合は、単なる共通の話題づくりと思うことがほとんどですが、男性の場合はもう少しいろいろで、「自分だって知っている」「素人とは違う」というような、自分を盛りたいニュアンスを感じることがあります。
さすがに私に対して張り合ってきたり、マウンティングを仕掛けられたりということはほぼありませんが、「同業者はライバル」などと言って距離を取るような人もいます。自分のプライドを保つには良いのかもしれませんが、そういう人を見ると、何かいろいろ損をしているのではと思ってしまいます。

これとは反対に、他人からの「教えを乞うこと」がうまい人がいます。相手の知識や経験をうまく使って、自分に活かそうとする人ですから、コンサルタントとしてはその冥利に尽きる人です。ついいろいろ情報提供したり、手伝ったりしたくなってしまいます。

そういう人に共通しているのは、自分の知らないこと、わからないことを「それは知らない」「わからない」とはっきりと言えることです。マウンティングのような態度はもちろん、絶対に知ったかぶりをしません。
そして、アドバイスを鵜呑みにはしませんが、できることはできる限りやろうとします。やるための条件や方法を一生懸命考えます。支援する立場からすると、まさに「支え甲斐のある人」なのです。

実は私自身は、他人に相談したり助けを求めたりするのが苦手で、「教えを乞うこと」がうまくはありません。何でも自力で解決したい気持ちが強く、あまり他人を頼りません。
職業柄で支える側に立つことが多いので、仕方ないところもありますが、もう少し考え方を変えないと、これから困ることが増えてくると思っています。

ただ、変なプライドはなく、知らないことは「知らない」と普通に言えるので、そういう事態になれば、「教えを乞うこと」はそれなりにできるだろうとも思っています。

「教えを乞うこと」がうまい人は、私の周りにたくさんいるので、まずはその姿勢をお手本にしてみようと思います。


2019年9月23日月曜日

「就職氷河期世代支援」に関するいろいろな動きを見て


兵庫県の宝塚市が、バブル崩壊後の「就職氷河期世代」に限定した正規職員の採用試験を実施したという話題がありました。
3名の募集に対して1635人が一次の筆記試験を受験し、競争倍率は545倍という高率だったそうで、宝塚市の市長は、「氷河期世代の多くの人に支援が必要と実感したが、宝塚だけでは砂漠に一滴の水を落とすようで、他の自治体も採用を広げてほしい」と話したとのことでした。

政府では、内閣府が就職氷河期世代に向けた、3年間の集中支援プログラムを発表しています。職業訓練や資格取得支援、キャリア相談などの求職者支援が中心で、過去に雇用保険に加入していなかった人も一部対象にするようです。

これに対して、経営者団体の経団連は、「雇用保険制度見直しに関する提言」という中で、「就職氷河期世代」の対策に、使用者が負担する「雇用保険」の財源を使うのは慎重であるべきとして、反対意見を提示しています。

それぞれの立場で、三者三様の動きですが、見ていくといろいろ気になることがあります。
まず、宝塚市の採用ですが、立派な取り組みだと思いながらも、やはり焼け石に水だということと、もう一つは、雇った市側も採用された働き手も、それぞれが結構苦労するのではないかということです。
雇う側はできることから少しずつ任せ、辛抱強く教えていくしかありませんが、働く側の方が、仕事を覚える苦労、なかなか思い通りに身につかないプレッシャーなどで、実はより大変かもしれません。
40歳前後の年齢になり、なおかつ未経験の仕事、ブランク期間があるなどとなると、どんなに能力がある人でも順応する力は落ちます。それをどう乗り越えるかを考えると、別の支援も必要になるでしょう。

次に内閣府の支援プログラムですが、ここでの問題は具体的な職業訓練の内容です。過去の職歴と求人条件のギャップを、何らかの形で埋めなければなりませんが、現状で行われてきたものを見ても、例えば訓練を受講したからすぐに仕事ができるはずもなく、実務能力とのギャップがまだまだ大きいです。いろいろ新しい取り組みも始められていますが、さらにこれまでの発想の枠を超える必要があるでしょう。

最後に、これが一番の問題だと思いますが、国や自治体は「氷河期世代の支援が必要」という立場に立っているのに対して、経団連だけはずいぶん後ろ向きということです。
「就職氷河期世代」が産まれてしまった背景を考えれば、多くは景気後退による採用縮小ですが、大手企業を中心にした新卒一括採用に偏った採用方法にも原因の一端があります。採用時期や年齢の間口が狭いため、たまたまの巡りあわせで思ったような職を得られなかった人がたくさんいて、それを挽回するチャンスは与えられていません。

今は空前の人手不足と言われていて、今後もそれが進んでいくとわかっているにもかかわらず、この経団連の発言は「今さらその年齢や経歴の人材を雇う気はない」「教育なんかしても無駄」と言っているように聞こえてしまいます。ごく小さな利害関係の中に閉じこもっているかのようです。

ある程度の年齢に達した人材を、教育などを通じてあらためて戦力化するのは、確かにハードルは高いですが、そういう人をただ切り捨てていては、もう成り立つ時代ではありません。一部の外資企業では、仮に能力基準の1割しかない人でも、例えばそれを2割に引き上げれば、その分業績向上につながるという考え方をしています。
人材に関しては、今は「選別」よりも「活用」が重要になっていますが、そこからはずいぶんずれている感じがします。経済団体として、もっと前向きな姿勢を見せるべきです。

さらに全体として、「就職氷河期」以外の世代でも、同じように巡りあわせに恵まれず、困難な状況に陥っている人がいます。年代だけで区切らない支援も必要でしょう。

こうやっていろいろ考えれば考えるほど、難しいことがたくさんありますが、それぞれの立場からそれぞれ取り組んでいけば、改善できることはたくさんあります。
難しくても、やれることからやるしかありません。