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2023年8月21日月曜日

「自分がされてきたことをしてしまう」という人間の特性

 2023年の夏の甲子園大会の代表校で、坊主でない学校が7校あったそうです。

逆に言えば、未だに8割以上の学校が坊主刈りということであり、世間一般の高校生は坊主でない人が圧倒的に多い世の中にあって、それが話題になることはずいぶん異質な感じがします。

他の競技の名門校などでも、丸刈りのチームを見かけますが、やっぱり野球が明らかに多いと感じます。理由はたぶん昔の軍隊か何かの流れで、競技力などに関する合理的な理由ではないでしょう。

思えば、私たちの子供時代の何十年前までさかのぼっても、野球のうまかった子が「坊主が嫌だ」という理由で野球部には入らないことがありました。野球界はこんな些細なことで、実は良い才能を失っていたのかもしれません。

他にも、ようやく女子マネージャーがベンチ入りできるようになったとか、以前は練習補助も認められていなかったとか、時代錯誤を感じる話がたくさんあります。それで良いと判断する意思決定者たちの存在には、大きな問題があると思います。

 

代表校の中でも、監督や選手間のフラットな関係性も含めて、神奈川県代表の慶応高校が紹介される機会が多いようで、監督はチームの考え方を積極的に発信しています。

坊主頭については、それ自体に問題はないが、「昔からこれが当たり前」と思考停止していることや、「そこから飛び出るのが嫌」という同調圧力の方が罪深いと話しています。

 

この監督のインタビュー記事を見ていて目についたことに、指導者に関するものがありました。それは「高校野球に関わる大人、特に指導者が、なぜエゴイスティックになってしまうか」という話です。

その理由に挙げられていたのは、「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性のようなものが現れてしまっていること」でした。自分が現役時代に指導者から体罰を受けたり、高圧的な言動をとられたりすると、それが自分の中のベースになってしまい、自覚がないままに同じ言動をとってしまっているという、負のスパイラルを生んでいると言っていました。

 

まったく同じ話が、企業のマネジメントや人材育成の中でもあります。

パワハラなどは典型で、上司からされて嫌だったはずなのに、自分が上司になると同じことをします。人材育成でも、昔の職人のような「見て覚えろ」という放置プレイが今でもあります。見て覚えることはとても大事ですが、そこにコツや注意点ほかの指導があって、初めて人材育成が成り立ちます。本人の気づきだけに委ねてしまうのは、少なくとも企業で本来やるべき効率的な人材育成とは言えません。

 

こういうことが起こる原因の一つが、前述の「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性」と思えます。パワハラ的なことを問題と考えない思考停止で自分も同じ行動を取ることや、自分に教わった経験がなく、同じくそれを問題と考えない思考停止で自分も教えないなどの行為は、まさにこれに当てはまります。負のスパイラル、負の伝承ということができるでしょう。

 

この流れを断ち切るには、「自分がされたこと」に疑問や問題意識を持ち、より良い形に改善していこうと「考えること」「思考停止に陥らないこと」です。高校野球で新たな動きが話題になるのも、思考停止せずに考える指導者が増えている証明の一つと思います。

企業でのマネジメントや人材育成でも、同じことが望まれます。

 

2023年5月8日月曜日

「一つの会社で働き続けるデメリット」という話

 人手不足と採用難の環境下であることから、退職防止、定着促進に取り組む企業が数多くあります。私も企業の組織作りを支援する立場なので、そのための人事施策には頻繁に関わります。

 

社員にとって様々な意味で「良い会社」であれば、そんなに簡単に人は辞めません。

入社間もない人の早期離職が問題になることがありますが、初めからすぐ辞めるつもりで入社する人はいません。そういう決断をしなければならないほどのミスマッチや認識違いがあったということですが、こういうことを本人の能力不足や順応性不足として、自分たちのことはあまり反省しない会社が相変わらずあります。やはりこれでは「良い会社」とは言えない訳で、いろいろ真面目に考え直さなければ、いつか行き詰まってしまう時が来るでしょう。

 

しかし、もし「良い会社」だったとしても、退職を完全に防ぐことはできません。ある調査によれば、勤務先を退職した経験のある人は20代で7割弱、40代では9割以上となっており、理由はともかく退職というのは誰でも普通に経験していることです。

今はどんな大企業でも、優良と言われる企業でも、ずっと安定した形で成長、存在し続けることが難しい時代になりました。そんな中で最近よく言われるのが、「一つの会社で働き続けるデメリット」という話です。

 

良く挙げられるデメリットとしては、

・スキルアップがしにくい

・仕事や人間関係での視野が狭くなりがちである

・環境変化に適応しづらい

・収入が上がりにくい

・自分の市場価値、社外価値が低くなる

などがあります。

 

要は安定していることによって起こってくるマイナスの側面といえ、自分のキャリアに関して会社への依存度が高いということもできるでしょう。

 

しかし、だからと言ってみんながみんな、転職すべきと推奨するような話でもありません。

自分なりに意識すれば、別に転職しなくても、このデメリットを回避する方法はたくさん考えられます。

 

「スキルアップ」に関しては、時代の変化に対応するために、新しい知識やスキルを学ぶ「リスキリング」が話題になるように、会社から離れて自分なりに学ぶという方法があります。

「視野を広げる」ということでは、社外のコミュニティに参加する、副業などの形で会社以外のビジネスに関わるなどの方法が考えられます。

「自分の市場価値を知る」という意味では、その気がなくてもあえて転職活動をしてみて、自分が他社からどのように評価されるかを聞くといった方法もあります。

大きな会社であれば、社内異動によって全く別の仕事を経験する機会を得て、これらのデメリットを解消することもできるでしょう。

 

一つの会社で働き続けることには、会社からの信用、職場環境や人間関係、収入の安定などのメリットがあります。このメリットを活かしながら、デメリットを減らしていくという考え方もできます。

いずれにしても、会社に過度に依存せず、環境変化への適応力を身につけておくことだけは、確実に必要な取り組みだと思います。

 

2023年5月1日月曜日

「伝承」の大切さ

最近のテレビ番組で見たことですが、コロナ禍でずっと中止や延期になってきた行事が復活してきて、大学生サークルの新人歓迎会なども同じように再開されてきているそうです。

ただ、約4年間のブランクがあることで、サークル内に誰も経験したことがある人がいない状態になっていて、例えば先輩たちがみんなを盛り上げようと頑張りすぎて、先に酔いつぶれてしまったりするようなことがあるそうです。

 

他にも、例えば地域の自治会が主催しているようなお祭りで、役員が誰もが祭りの幹事を経験したことがない状況になっていて、いろいろ苦労しているという話を聞きます。1年ごとに役員が交代していくような組織も多いので、やり方を聞くにはずいぶん前の役員までさかのぼらなければならず、さらに聞かれた人も4年以上と時間が経ちすぎていて、あまり様子を覚えていないようなことがあるようです。

こんなことから、これまではあまり意識していなかったことですが、物事を継続しておこなって関係者に「伝承」していくことで成り立っていたことが、実は多かったということを実感します。

 

この「伝承」ということから思い出すことがあります。

日本を代表する神社である伊勢神宮で、20年に1度の頻度で内宮外宮の正宮やその他の別宮、橋なども造り替えられる式年遷宮です。

それが行われる理由として、宗教的な意味もありますが、宮大工や神宝製作の匠の技を伝える技術伝承という目的があるとのことです。

20年という期間は、人生が50年程度と思われる当時の寿命でも、人生で2度は遷宮に携わることができ、次世代へ技術を継承していくのに合理的だったからだといいます。

今は平均寿命が80歳以上となりましたが、当時では技術を正確に伝えるには精いっぱいの年限だったと思われますが、こういうことを積み重ねていくことで、技術をはじめ様々な文化や思想なども伝えていたということです。

 

今、多くの企業でも、この「伝承」が問題になっています。うまくいかない理由には、年齢構成で世代のギャップが大きくなっている組織の問題であったり、伝承がシニア世代からの押し付けになっていて若い世代がそれを敬遠していることだったり、古いノウハウを軽視しがちな雰囲気があったり、他にもいろいろなことがあります。

 

ある会社では、もう80歳近い嘱託社員の技術者がいて、3~5年に一度くらいの頻度でその人しか経験したことがない技術を使った仕事の案件があるそうで、その技術伝承のために高齢でも会社に残ってもらっているそうです。ご本人は「もうそろそろお役御免にしてほしい」と笑いながら話していましたが、会社としてはこうやって意識的に技術伝承をしていくことが必要ということを感じます。

「伝承」の大切さを認識し、これを続けていかなげればなりません。

 

 

2023年4月24日月曜日

「ホワイトすぎる」という理由の退職

 最近、若手社員が「仕事がゆるすぎる」「職場がホワイトすぎる」などの理由で、退職するケースが増えているといいます。

以前と比べて、長時間労働をはじめとした職場環境の課題改善に取り組む企業が増え、その環境は改善が大きく進んでいるといいます。定時で当たり前のように帰れる職場も増えているようですが、そんな職場環境を「ゆるい」と感じている人が、全体の3分の1以上に上るという調査結果もあるそうです。

大企業や有名企業に入れば安心という時代ではなく、職場がゆるいと「もっとスキルや経験を身に付けなくて大丈夫なのか」と不安になってしまうことが、退職に至ってしまう理由の一つに挙げられています。

 

これと似たような退職理由を、私はもう30年近く前に身近で聞いたことがあります。安定したシステム開発のプロジェクトに、中途採用の若手社員が配属されましたが、半年ほどたったところで、「このプロジェクトは自分がいなくても問題なく回っていくので、自分の経験にならないしやりがいも感じない」と言って退職してしまいました。トラブルもなく安定して働きやすいと思われる環境を、「経験が積めない」「面白くない」「やりがいがない」などと感じる人は、昔からいたのだと思います。ハードワークを当たり前に強制されることも多い時代だったので、あまり表面化することがなかったのでしょう。

 

今の若い世代は、プライベートな時間やワークライフバランスを重視すると言われ、確かにそういう傾向を感じるところはありますが、その一方、多数派ではないかもしれませんが、「若いうちにいろいろ経験したい」「家庭を持つまでは仕事中心」など、スキルアップ重視でハードワークもいとわないという若手社員は一定数います。

特に最近は、「他部署や違う会社で、自分のスキルは通用しないのではないか」という不安感も持つ人も多いので、環境が整っていて、仕事のストレスは少なく、周りの人はみんなやさしく、残業はなくて休みは取りやすいというような典型的なホワイト企業では、自分が成長できないのではないかと思ってしまう人はいるでしょう。

 

こういったことも、結局は「多様化している価値観」の一種であり、みんながみんなそう思っているわけではないですし、ホワイト企業が悪い訳でもありません。かといってただ居心地が良い環境を作ればよいということでもありません。

その人の志向に合わせて成長を支援していくことと、合わせて働きやすい環境づくりも進めて、より多くの人が満足できる職場作りが必要になっています。

ステレオタイプで判断せずに、より多くの価値観に対応することが、ますます重要になってきています。

 

 

2023年4月10日月曜日

「次世代育成」の悩みの様子

 私がお手伝いしている会社の多くが持っている課題の一つに、「次世代育成」があります。

事業承継など経営者の世代交代に関する課題については、それを専門に指導するコンサルタントや、代替わりを支援するようなビジネスがいろいろありますが、同じような人材育成上の課題はそれよりも下の階層でも起こっています。

 

組織内での世代交代は、大企業であれば次を担う人材は数多くいて、その人達の道を閉ざさないように、役職定年制などを設けて強制的に道を譲る仕組みが取り入れられていたりしますが、中小企業ではそう簡単にはいきません。

ある会社では、役職定年制を取り入れてみたものの、誰かが役職を退いてもその後を担う人材がいない事態が多発して、制度を撤回したところがあります。組織内で役職者とその次の世代の間で年齢や経験に大きなギャップがあるなど、世代や人材レベルの連続性がないために、制度が機能しなかったようです。

多くの中小企業でも似たような状況があり、役職や序列の固定化が起こるのは好ましいとは言えませんが、それを回避したくても次を担う人材がいないために、やむを得ずに現状を維持しているということがあります。

 

以前ある会社で、部長クラスにヒアリングして出てきた課題も、「自分の次を任せられる人材がいない」ということでした。そうは言いつつも、現状の体制の中からとりあえず「次の人材」を選定して、その人たちに対する権限移譲や育成を行っているので、課題を意識してその対策を進めている様子は見られ、決して何も進んでいないという状況ではありません。

ただ、指導している部長たちが異口同音に言うのは、「レベルが足りない」「意識が低い」「意欲が見えない」など、指導している次世代人材が「物足りない」という声です。「自分たちはこうしてきた」「自分はこうやっている」「こんな勉強をしてきた」などといい、そこに到達していないからまだまだダメだといいます。

 

その話を聞いていて私が思ったのは、「自分と同じでないことを取り上げてダメだと言っている」ということです。業務能力のことだけでなく、仕事への向き合い方や優先度の付け方といった、個人的な価値観にかかわるようなことにも自分と同じレベルを求めていて、何か自分のコピーを作りたがっているような印象でした。

 

部長たちには、指導している部下たちの3年前の様子を振り返ってもらったのですが、そうやってあらためて考えてもらうと、みんなそれなりに進歩しているという評価が出てきました。

例えば部下の「意欲がない」と言っている部長は、部下は指示したことにはしっかり取り組んでおり、手を抜いたり文句を言ったりすることもなく、真面目に業務をこなしているといいます。以前よりは間違いなく任せられることは増えているそうですが、「自分は常に仕事のことを考えていた」「自分はもっと人脈を広げる努力をしていた」など、自分との比較で「物足りない」と言っていました。実際にはそれなりに人材が育ってきているのに、自分を基準にして評価が厳しくなりすぎているように見えました。

 

自分の役割を他人に引き継いで任せるというのは、自分にこだわりがありすぎるとそれが意外に難しくなることがあります。仕事というのは、実際にやってみて経験を積まなければ、できるようになりませんが、他人がやるからには自分のやり方とは違いがあり、結果の出方も違ってきます。そのことを許容したうえで任せなければ人材を育てることはできませんが、自分のコピーを求めて、それができないから「物足りない」「任せられない」というのは、人材育成上ではあまりいいことではありません。

 

「次世代人材が育っていない」という話の裏には、「ほかの考え方、やり方、優先順位を許容できない」という指導する側の問題もあるように感じます。自分のコピーを求めて「物足りない」と言っていると、本当の成長度合いを見誤る恐れがあります。部下の成長は、客観性をもって見極めていかなければなりません。

 

2023年2月13日月曜日

「伸びしろの見極め方」「才能開花のさせ方」という話

 ある新聞に、「若者の才能を見逃さない」という、プロ野球スカウト部長のインタビュー記事が目に留まりました。日本ハムファイターズのGM補佐兼スカウト部長である大渕隆氏へのインタビューです。

この方は、大谷翔平選手をドラフト指名した際に、本人は当初直接のメジャー入りを目指していたものを、自身の能力を最大限に生かすには、まず日本球界でプレーすることが適切だという客観的なデータを示して翻意させたというエピソードを持っています。

 

記事にはいくつもの示唆に富んだ内容がありましたが、私が一番共感したのは、「“見えないもの”に焦点を当てなければ、自分たちの仕事に意味はない」という言葉です。

球速や身体能力などの見えるデータは、もちろん評価の確認に使いますが、そこを重視しすぎるとうまくいかないことが多いといいます。大事なのは数字にならない「考える力」や「強い思い」などの「見えないもの」だと言っています。

 

いくつか挙げられていたポイントには、

・人間同士なので伝わってくる第一印象を大事にする。

・ピンチになった時にその人の本質が出やすい。

・ユニフォームの着こなしやグラブの手入れ、野球ノートの書き方なども材料になる。

といったものがありましたが、中でも「企業の人は“20分の採用面接では何もわからない”などというけれど、むしろ1回の方が良い時もある」という話は、私も同じことを思いながら実践、指導してきた経験があるので、とても共感するところがありました。

 

「一つの常識というフィルターにかけたらふるい落とされる者がたくさん出るから、私たちは評価基準や引き出しを何通りも持たなければならない」といい、そうでなければ大谷選手の二刀流もなかったかもしれないと言っています。

「若者を枠にはめるのではなく、その人しか持っていない才能を開花させなければならない」

「“組織の常識”というフィルターにかけて才能を見逃していることが、どんな組織のもあるのではないか」と締めくくられていました。

 

私がいつも怖いと思っている言葉の一つに、「常識」というものがあります。人を枠にはめる典型的な言葉だからです。「そんなの常識」「これくらい常識」「当たり前の常識」など、いろいろな言い方がされますが、そもそも「常識」というのは、10人いればほぼ10通りに分かれる多様なものです。

パワハラにあたるかもしれないためか、最近は見かけませんが、以前は上司が部下に、「これくらいのことが常識でわからないのか」などと叱責していることがありました。当時はそれで通用していましたが、そもそも常識は人それぞれなので、きちんと言葉にしていないなら、本来はわかるわけがありません。

そういう決めつけによって排除してしまった才能が数多くあったのだとすれば、それはとてももったいないことです。

 

「その人しか持っていない才能を開花させなければならない」ということは、組織で採用や育成に関わる人は、十分認識しておかなければならないと思います。

 

 

2022年7月11日月曜日

自分の存在意義と人材育成

企業の人材育成は、どこでも常に課題に挙げられるものです。しかし、「順調」「うまくいっている」という企業は決して多くはありません。

指導者や育成環境が重要だと言われる一方、恵まれない環境であっても自分の力で成長していく人材がいます。指導者のおかげなのか、環境が良かったのか、それとも本人の実力なのかを明確に切り分けるのは難しいことです。

「採用基準が低い」「教え方が悪い」など、人材育成がうまくいかない責任をなすり合う様子を目にしたことがありますが、そもそも企業の中にそういう姿勢があること自体、人材育成に好ましい環境とは言えません。

 

優秀なアスリートがあるコーチのもとからは次々と育つことや、優秀な人材を輩出し続ける教育機関があることを見ていると、やはり人の成長はその人の能力だけの問題ではないことがわかります。企業の中でも、配属した新入社員がいつも辞めてしまうような部署がある一方、能力的に厳しいかも知れないと思うような人材でも、一定の戦力になるまでしっかり育てあげる部署もあるように、教える人や環境、任せる仕事内容などによって、人材育成の成果は大きく左右されます。

まずは教えて、やらせてみて、フィードバックするということを繰り返さなければ、人は育ちません。

 

最近ある会社で、自分の仕事を抱え込んで誰にも教えようとしないという社員の問題が挙がりました。営業職の比較的ベテランですが、その人しかわからない顧客や人脈、情報がいくつもあり、それを周囲に共有したり引き継いだりするように求めても、一向に取り組もうとはしません。

部下も数人いますが、そのあたりの情報共有はほとんど行われず、質問してもほとんど答えてくれることがないそうです。

 

本人への指導と改善が必要とのことで、直接ヒアリングをしてみたところ、こんなことを言いました。

「自分しかできない仕事を持っていなければ、自分の存在価値が薄れてしまう」

 

はっきりとは言いませんが、どうも本人の意識として、他人に仕事を教えることは、自分の仕事を奪われる可能性があり、自分の存在意義を保ち続けるには「自分しかできない仕事」を抱え続ける必要があり、その結果をして情報共有や人材育成をできるだけ避けようとする行動につながっている様子でした。「出る杭を打たなければ自分の立場が危うくなるかもしれない」という意識です。

 

こういう話は、いろいろな企業で実はときどき耳にすることがあります。

かつては定年間近の社員が自身の雇用延長を勝ち取るため、その時の自分の担当業務を抱え込んで、誰にもかかわらせようとしないなどということがありました。最近は聞かなくなりましたが、それは継続雇用が法律でも義務付けられ、勝ち取る必要がない普通のことになったからでしょう。

 

私たちのようなコンサルタントの中にも、自分の存在価値を保つためにノウハウ開示は必要最低限しか行わないという考え方の人がいました。ただ、やり方を知っただけで存在価値を失う程度のノウハウでは、それを隠したところで大した差にはなりません。「知っている」と「できる」が違っているところに、私たちの存在価値があります。

 

企業の人材育成がうまく進まない要素の中に、このような心理的障壁が含まれている場合があります。教えることを恐れる、不安に思うような環境があるならば、改善しなければなりません。

 

 

2022年6月27日月曜日

「チャレンジ」させたければ「サポート」しなければならない

ある会社の社長と話していた時のことですが、「若い社員がチャレンジをしたがらない」と言います。自分たちが若い頃とは違っているそうです。

確かに世の中一般では「最近の若者は失敗を恐れる」「無理をしたがらない」「仕事ばかりをそこまで優先しない」などと言われ、そういう傾向もないとは言えません。ただ、私自身は世代間に根本的な違いがあるようには感じていません。

 

私自身はシニア世代ですが、今でも若い頃でも同じように失敗は恐れます。成功確率が明らかに低いことに取り組むのは、「チャレンジ」ではなくただの「無謀」だと思います。

今の若者には、自分と比べても明らかにチャレンジングな取り組みをしている人が大勢いますし、もちろんそうでない人もいます。本当に人それぞれで、それは昔から変わりません。

 

一つ言えるのは、それぞれの価値観が昔以上に多様化していて、ステレオタイプな分類が意味を持たなくなってきていることです。

多くは自分との違いに注目し、その違いをもとに分類することによって物事を整理、理解しようと試みます。「今どきの若者・・・」をはじめとする世代論は、その代表的なものでしょう。

 

世代間ギャップというのは確かに存在しますが、例えば、満点の星空を見れば誰もがきれいだと思うでしょうし、気の合う人といれば落ち着くし、好きなものを食べれば気分は良いでしょう。程度に多少の違いはあっても、実は価値観が似たことの方がよほど多いことに気づきます。

一言でチャレンジといっても、何が該当して何が違うのかという基準は、人それぞれの感じ方次第であり、それは今も昔も変わりません。もし「若者がチャレンジをしたがらない」と感じることがあるのだとしたら、それは若い社員が置かれた環境の方に問題があるはずです。

 

最近耳にした言葉で、「チャレンジとは限界を超えるために必要なことであり、そこには失敗がつきものである」というものがありました。

すでに能力を持ち合わせているにもかかわらずうまくいかない状況というのは、能力を出し惜しみした結果であり、それは「失敗」ではなく「怠慢」であると言っています。

「失敗」というのは自分の限界を超えようとしたチャレンジの時に起こりやすく、そのチャレンジを尊重してサポートする体制がなければ大胆な仕事はできないとのことです。

 

そういうところからすると、「チャレンジしない」というのは、「それが可能な環境が備わっていない」という見方もできます。「失敗を責められる」「その結果不利益を被る」「誰も助けてくれない」など、チャレンジがしづらい環境になっていないか、そのことをクリアしなければ「社員がチャレンジしない」という指摘は成り立ちません。

 

「多少の失敗は気にするな」「周りも助けるから安心しろ」と背中を押せる環境を作らなければ、若くてもベテランでもチャレンジすることは難しくなります。それを世代論などで片づけてしまうと、本当の問題を見失います。注意しなければなりません。

 

 

2022年1月31日月曜日

「今どきの若者は…」と思う人は自分の行動を振り返ってみる

 

相変わらず、「今どきの若者論」のような話に定期的に出会います。古代エジプトの頃からそんな記述が見つかるといいますから、これはもはや人間の本能ではないかと思えてしまいます。

 

つい最近目にした記事には、こんなことが書かれていました。

・管理職や年長者に対して、言葉遣いがなれなれしい

・メモを取らない

・自分で考えずに答えだけを聞こうとする

・同じことを何度も聞いてくる

・話が取り留めなくまとめられない

・仕事での昇進や昇格など、上を目指す意欲がない

など。

 

記事では、あるマネージャーが伝えたいことをメモで準備して、それを話していても相手は何も反応がなく、話が終わったところで「そのメモした紙をください」と言われて唖然としたなどというエピソードが語られていました。

「さすがにそれは…」と思う気持ちもわかりますし、挙げられたことはそれぞれ確かにそういうところはあるかもしれないと思いますが、そもそもこれはすべての若者に当てはまるわけではなく、さらに若者だけに限った話ではありません。

 

言葉がなれなれしかったり、話がまとまらなかったりするのは、どちらかといえば高齢者の方がその傾向が強いです。自分が敬語を使わず相手にそれを要求するのは、本音では相手を見くだしているからで、不遜と言われても仕方ありませんし、自分が理路整然と話せないのに相手を批判するのは理屈が通りません。

 

メモを取らない人は年齢問わず大勢見かけ、これは管理職クラスの人でも同じです。そういう人に限って同じことを何度も聞いてきたり、大事なことを忘れていたりしますが、若者が指摘されていることと似たようなものです。

上を目指す意欲がないのは、若者がそのことに意義や魅力、メリットを感じないからで、これはただ辛そうに仕事をしている(させられている?)上の世代にも責任があります。

 

「今どきの若者」の話が時代を問わずに年長者から出てくるのは、一つは自己評価だけで「自分はできている、そうやってきた」と思い込んでしまっているからです。

「自分はいちいち指示されなくても、自ら考えて行動していた」と思っている人でも、周りから直接「気が利く」「指示待ちでない」などと評価された経験がある人は少ないはずで、誰にも自分勝手な解釈による思い込みの可能性があります。そうだとすれば、客観的事実は年長者も若者も大差がないかもしれません。

 

もう一つは「自分の昔を忘れていること」です。

私自身のことで振り返ってみると、昔はまあまあ生意気だったので、態度や話し方を注意されたことは何度もあります。メモする習慣なんて社会人になるまでありませんから、先輩に言われて渋々始めたことです。その後の業務経験を重ねる中で、「書いておかないと忘れる、間違う」と感じて、自然にメモするようになっていったと思います。

今となっては教える側の立場もわかるので、「本人に考えさせたい」と思いますが、自分も若い頃にはさっさと答えを教わった方が楽だし効率的なので、そういう行動をしていたと思います。

 

「今どきの若者」と言い出す年長者の多くは、「自分のことを棚に上げている」か、もしくは「自分も大差ないことに気づいていない」かのどちらかに見えます。きっと人間の能力ではそこから抜け出すことが難しいため、同じことが太古の時代から繰り返されているのでしょう。

 

「今どきの若者」のような世代間ギャップの話は、絶対になくならないものです。そうであるなら、そこで違いばかりを嘆くより、お互いが気分良く付き合えるように、うまく折り合う方法を考えていく方が建設的です。また、それを実践できている人たちは大勢います。

自分の行動を振り返ってみれば、気づけることがいろいろあるはずです。