2017年11月29日水曜日

「挨拶」「態度」を理由にした指導は感情的になりやすい



大相撲のある酒席であった暴力沙汰の問題が連日報道されています。
特に角界の横綱となれば、普通に考えられている以上の高潔な人格が求められますが、その行為をはたらいた張本人もそうですし、他にもその場に複数の横綱が同席していたことが、よけいに非難される材料となっています。
ビール瓶で殴ったとか、いや瓶は使っていないとか、そんなレベルの話が伝えられていますが、そもそも瓶で殴るのはダメだが素手なら良いなどという話ではありません。理由次第では暴力も仕方がないと言っているような論調は、とても危ない感じがします。

「挨拶が」「礼儀が」といった理由での暴力というのは、特に昔の体育会などではよく聞いた話です。暴力とまではいかなくても、やれ「態度が悪い」「挨拶がない」などといって、呼び出して締めるとか、説教をするといった話は、決して昔のことでなく、今の会社の中でもあちこちであります。
本人がいない場で「あいつは挨拶をしない」「態度が悪い」といった話がされることは良くありますし、その多くは自分よりも年下の者に対してのことです。

確かに「挨拶」「礼儀」は人間関係を円滑にする基本ですし、とても大事なことはわかりますが、それに対する指導がエスカレートして、それこそ暴力にまで至ってしまう頻度は、他のことが原因になっている場合よりも多い感じがしています。
そこで、なぜそうなるのかを考えてみましたが、その大きな要因は「挨拶」「礼儀」「態度」といったことが、人の不快感を刺激する度合いが高いからではないかと思います。仕事のミス、漏れ、遅さといったことよりも、感情的なところからの怒りにつながりやすいということです。

これは私が新人研修などの際に話すことですが、例えばなぜ「挨拶」が重要かというと、「挨拶」というのは相手の存在を認めたことをその相手に伝えるという行為だからで、「挨拶」をしないということは相手の存在を無視しているということであり、集団生活が本能として備わっている人間にとって、自分の存在を認められない、無視されるということは、最も不快で屈辱的なことになるからです。

「だから円滑な人間関係のためには“挨拶”が重要だ」という話になる訳ですが、ここで問題になるのは、挨拶をする側とされる側で捉え方の違いが出てくる場合があるということです。自分は「挨拶をしている」つもりなのに、相手は「挨拶をしていない」と感じてしまうような場合です。
こういう時に、感情を害した相手が自分よりも下と見れば、自分の不快な感情をそのまま相手にぶつけるような物言いになりがちでしょう。その感情の行き過ぎたところで暴力になってしまうということです。

繰り返しますが、「挨拶」「態度」に関する指導は、絶対に必要なことです。ただし、それに関する指導は感情的になりやすく、エスカレートしやすく、ともすれば暴力などに結び付きやすいことだと自覚する必要があります。
あらためて、「暴力」「暴言」は決して指導でも教育でもありません。


2017年11月27日月曜日

自分では「改善提案」でも、相手には「ダメ出し」になる



ある会社で社内改革のプロジェクトがあり、最終報告をしたプロジェクトリーダーが言ったのは、「結局不機嫌になるだけで取り入れようとする気が感じられない」ということでした。

そもそもは人事担当役員から降りてきたミッションでしたが、社長をはじめとした役員に対する報告会での反応が、まったく前向きとは思えなかったのだそうです。根掘り葉掘り質問された挙句に「これはすでにやっている」「これはできないことだと結論が出ている」など、もうわかりきったことだと言わんばかりの反応であったり、一部で継続検討を命じられたものは、枝葉の末端に近い提示項目ばかりであったり、問題意識があって変革が必要と思っている人たちの反応ではなかったのだそうです。

私もコンサルタントという仕事柄、組織の課題指摘、改善提案というのは常におこなっていることですが、これと同じような反応をされることは本当に数多くあります。
どんな会社でも不機嫌そうになる人は必ず数人いて、その先の改革が実行できるかどうかは、経営トップに問題意識があって改善提案を真摯に受け止めていて、その人がリーダーシップを発揮するような場合に限られていたりします。

私はこれをある意味では仕方がないことだと思っています。「課題指摘」や「改善提案」などという感情抜きのきれいな言葉を使っていても、実質的には「現状ではできていないこと」「足りないこと」「良くないこと」を指摘する、いわゆる「ダメ出し」ということには変わりがないからです。

「ダメ出し」を冷静に受けとめるには、相当に人間ができていなければ難しいことですし、経営トップや役員クラスのように、組織全体を取り仕切っている立場の人たちは、それなりの自信とプライドがありますから、よほど腹をくくっている人でない限りは、自分に対する「ダメ出し」をすべて素直に受け入れるような人はめったにいません。ちなみに私自身も、自分に対する「ダメ出し」があったとすれば、どこかで確実に不機嫌な態度が出てしまうでしょう。

組織の改革、改善を進めるためには、結局この「ダメ出し」をスタートにするしかありませんが、そうであれば、この「ダメ出し」をいかに受け入れやすい形にするかということが重要になってきます。

この一つの方法として、仮に本題からは離れていても、まずは手をつけやすい末端の課題を糸口にするということがあります。改革改善には突破口を作ることが必要ですし、新規事業などと同じようにまずはスモールスタートで、そこから徐々に変革することに慣らしていくというやり方があります。

もう一つは、「ダメ出し」の伝え方に関することで、参考になる考え方に「ロサダの法則」というものがあります。これはアメリカでの研究の結果ですが、人間が叱られても受け入れることができるのは、約3回褒められて1回というものです。これが良い組織の場合では、「褒める」と「叱る」の比率が6:1になるとのことです。
ここから行くと、「ダメ出し」の前段で、会社の長所や強みを褒めて認め、その上で課題指摘を進めていくことが必要になります。私は実際にやってみていますが、初めから感情的に否定するような反応をされることはなくなったので、それなりの効果はあると思います。

組織改革を進めるにあたって、「課題指摘」や「改善提案」といった言葉で、いかにも自分たちが正論だというような形で迫っても、それは絶対に逆効果で物事は進まなくなります。組織の中で偉い方々も、しょせんは感情を持った人間です。ネガティブな指摘に対して否定的に反応してしまうのは、人間として普通のことです。

自分にとっては「指摘」「提案」でも、相手にとって「ダメ出し」であるということは理解してあげなければなりません。そう考えれば、実を取るためのいろいろなやり方が思いつくのではないでしょうか。


2017年11月24日金曜日

ファミレスの休業日導入で思う「休まないこと」が当たり前になっている怖さ



ファミリーレストラン「ロイヤルホスト」の運営会社であるロイヤルホールディングスは、2018年から元日と5月、11月のそれぞれ1日ずつ、計3日間の一斉休業日を設ける方針を固めたという記事を目にしました。
社長は「休んだ分の売り上げはなくなるが、従業員が働きやすい職場になることで、お客様の満足度も上げられると判断した」とのことでした。

実はこの話を目にしたとき、私は「ファミレスには定休日がない」ということは、あらためて「そういえばそうだ」と気づいたというのが正直なところで、これまで一度も意識したことがありませんでした。
確かにどこのどんな業態の店でも、一日中閉まっているところは見たことがないですが、「休業日がない」ということについて、強く恩恵を感じていたというほどではありません。休まずに営業し続けることは相当に大変なはずですが、その大変さが顧客にはほとんど伝わっていないように感じます。
数年前から24時間営業の廃止や営業時間の短縮がおこなわれていることは認識していたものの、「いつでも営業している」ということが、それくらい当たり前の認識になっていたということです。

このことを働く側の人たちの立場で職場環境として考えたとき、いくらシフトで回しているとは言っても「休業日なし」が当たり前の認識になっているということは、かなり大変なことではないかと思います。

最近になって、安い商品、安価なサービス、その他安さや便利さの裏には、必ずそれを引き受けている人たちの存在があるということが認識されるようになってきました。それは多くの場合、現場の末端で働く人たちの長時間労働や安い賃金によって成り立っているといわれます。立場の弱い人ほど、そのしわ寄せを引き受けざるを得なくなっています。

これは別の記事で見たことですが、個人経営の飲食店はこのところどんどん減っているそうで、その理由として、やはり経営的に厳しく長時間労働にならざるを得ないことや、仕事自体も大変できつい労働環境になりがちなことから、後継者がいないままで経営者の高齢化が進み、店を閉めざるを得ないケースが多いのだそうです。
古くからある店の閉店を惜しむ声はあちこちで聞きますが、ではそういう人たちがその店をいつも利用していたのかといえば、決してそうではありません。お客は安さや便利さを優先して、大資本のチェーン店などに流れてしまいがちになり、そうやってお客がいなくなってしまえば店は続けられません。

ここ最近いろいろな取り組みが進められる「働き方改革」では、企業は高生産性や高付加価値を、働き手は過重労働や働き方の制約から解放された余裕ある働き方を目指すものですが、ともすればこれらはトレードオフの関係になってしまうものです。

もしも立場の強い者が自分たちの都合ばかりを押し通そうとすれば、どこかで誰かがそのしわ寄せを受け止めなければなりません。みんなが少しずつの不便や不都合を許容して受けとめなければ、それに見合うメリットも享受することはできません。
「ファミレスは年中無休」など、今まで当たり前だと思い込んでいたこともゼロベースで見直していかなければ様々な改革は進みませんし、一部の人たちだけが負担を受け持つことになりかねません。それでは長続きさせることもできません。

本来はすごく大変なことであるにもかかわらず、それが当たり前だと思い込んでしまっているのは、とても怖いことだと感じています。