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2023年10月30日月曜日

「効率化」と「手抜き」の紙一重

それぞれの企業が抱えている課題は様々なものがあり、その内容は企業によって違いがあるものの、生産性向上や業務効率化といった課題では、それを考えない企業はないでしょう。

 

「効率化」には、IT化や自動化、省力化、省人化、ペーパーレス化、業務プロセスの定型化、設備の高機能化や高速化、提供サービスの統合や廃止、その他ここには挙げきれない多くの手法があります。

特に人手不足が深刻になってきている昨今では、人手をかけなくても仕事が回るように、まずは身近なITツールの活用や、省人化の前段として、無駄な作業をなくすなどの業務見直しが盛んに行われています。

実は人手不足がより深刻な中小企業の方が、前例踏襲の手作業や非効率な人海戦術に頼っていることも多く、業務効率化は必須の取り組みとなっています。

 

しかし、これはある会社でのことですが、数名のベテラン社員が、これらの取り組みに対して「手抜き」という否定的な発言をしていました。顧客サービスの低下や社員の能力低下につながっているとの主張です。

 

顧客サービスの低下と言っているのは、文字通り提供サービスの内容が見直されて、昔からの流れで個別対応していたようなものが、一律の内容に統一されたことを指しています。

「顧客が困る」と言い、その言い分はわかりますが、そもそもこれまでやってきたという個別対応が、コスト除外の過剰サービスと見ることができ、私のような第三者から見れば、効率化の対象になるのは当然の部分です。

 

もう一つ、社員の能力低下と言っているのは、自動化やシステム化によって、特に若手社員が業務プロセスの詳細を知る機会がなくなってしまうため、人材育成上で問題があるとのことです。

「書類を手書きすることで覚えていく仕事もある」などと言いますが、こちらも言いたいことはわかるものの、例えば帳簿類を手書きしなげれば簿記が覚えられないかと言えばそんなことはなく、転記などは会計ソフトに任せておけば良いことです。プログラミングであれば、必ずしもソースコードを知らなくても作成できるツール類があります。

どちらも基礎知識を持っておくに越したことはありませんが、これから昔のやり方に戻ることは、ほぼ考えられません。これを手抜きというのは少し論点がずれている感じがします。

 

「効率化」と「手抜き」の差を説明すると、時間短縮や省力化によって質が向上、もしくは低下が起こらないのが効率化で、合わせて質の低下も起こってしまうのが手抜きということができます。

ただ、その境目を具体的に詰めていくと、サービス統合を質の低下と見ることもできますし、システム化などで知識を持たずに済んでしまうことを能力の低下と見ることもできます。

 

結局は「効率化」の取り組みによって得られるものと失うもののとらえ方であり、それは立場や役割によって違うものになるでしょう。

 

こうして見ていくと、「効率化」と「手抜き」の境界線は、意外に紙一重のように思います。

「効率化」を進めていく中では、いろいろなとらえ方があることを認識し、「手抜き」とならないように調整していくことが必要ではないでしょうか。

 

2023年9月25日月曜日

「在宅勤務」をしたい、したくない、させたい、させたくない

 コロナ禍を機に一気に広まった在宅勤務やテレワークですが、状況が落ち着くとともに、以前のような出社勤務の比率を徐々に戻している企業が増えてきています。

NTTのように「原則在宅」とする企業から、ホンダのように「原則週5日出社」とする企業までありますが、すべて元に戻すのではなく、在宅勤務やテレワークを一定の比率で維持するハイブリットな働き方を考える企業が多いようです。

 

コロナ以前からテレワークが進んでいたアメリカでは、対面の重要性が見直されて、どうやって社員を出社させるかが議論となっているといいますが、テレワークと出社の間での揺り戻しはこれまで何度も起きているとのことで、今は大きく増えた在宅勤務やテレワークから、少しずつ出社に戻そうという方向性なのだと思います。

 

個人的意見としては、出社もテレワークも一長一短があるので、それぞれの長所を活かすために組み合わせていくのが良いと思っていますが、これも一つの揺り戻し現象なのか、在宅勤務やテレワークへの否定的な話と、それに基づく動きが増えてきている感じがします。

 

企業で意思決定する人たちは、在宅勤務やテレワークなどあり得なかった時代を過ごしてきた人が多いと思われ、その人たちからは、自分たちの時代はこうだった、だからやっぱり対面で仕事をしなければだめだと言われることがよくあります。

ただ、いかにも正当のような理由をいろいろ挙げるものの、本音では「一日家にいるのが嫌だ」など、結局「自分たちがずっと続けてきた働き方との違いになじめない」ということを強く感じます。経営層にそういう考えの人が多い会社ほど、できるだけ多くの時間を出社勤務に戻そうとする動きが強いようです。

ここでは、在宅勤務になじんでうまく活用している人たちからの反発が増えて、会社と社員、上司と部下などの間で対立が生まれています。

 

また、働き手の中にも「在宅勤務をしたくない」という人は存在します。

先日話を聞いた人は、在宅勤務をしたくない理由として「仕事の生産性が上がらないから」と言っていました。ただ、なぜ生産性が上がらないのかという具体的な話を聞いていると、必ずしも理屈が通らないことが出てきます。

例えば、「他人の目がないとサボりがちになる」と言っていますが、その人はチームに属さず特命の作業を単独でやっている専門職の人なので、出社しても常に他人の目がある場所で仕事をしているわけではありません。「資料が会社にしかない」と言いますが、よく聞くと同じ情報をネットなどで見ることはできるそうです。「気持ちの切り替えができない」と言い、確かにそういう面はあるでしょうが、それがどのくらい生産性に影響があるのかはわかりません。

結局は「自分の今までの仕事の仕方を変えたくない」という感覚の部分が大きいように感じます。在宅勤務でメンタルダウンが増えたという話がありますが、このような心理的な要因が大きいのかもしれません。

 

出社勤務に回帰しなければならない理由に感覚的なものが多いのに対して、「在宅勤務がしたい」という人たちは、育児や介護などの家庭の事情、遠距離通勤の問題など、その理由とニーズがわりと具体的です。このこともお互いの不満や対立を生んでいる一因のように思えます。出社勤務を求める理由には、もう一歩の具体性や客観性が必要と考えられます。

 

在宅勤務と出社勤務のせめぎあいは、それぞれの会社が、自分たちの価値観に合わせてバランスを考えていくのだろうと思います。どちらが良いと明確に言うことはできませんが、個人のとらえ方は多様になっており、今後ますます企業選びの条件として大きくなっていくように感じます。

 

 

2023年9月11日月曜日

「2-6―2の法則」のとらえ方の話

 「2-6-2の法則」とは、組織や集団において、優秀とされる人が2割、中くらいもしくは普通の人が6割、成績不振や働かないなど、パフォーマンスが悪い人が残り2割の割合で存在するというものです。明確な裏付けがあるのかはわかりませんが、多くの人が経験的に納得しているようなところがあります。

 

この法則は、「働きアリの法則」とも言われることがあります。働きアリの集団を観察していると、よく働くアリが2割、ほとんど何もせず働いていないアリが2割程度、残りの6割が普通程度の働きで、この集団から働かない2割のアリを排除しても、残ったアリからまた2割程度の働かないアリが現れることから、集団の中でのバランスの根拠のように扱われています。

様々な会社の経営者や管理者の中には、この法則から2割の戦力外がいるのは仕方がなくあきらめるしかない、上位の2割が組織を引っ張らなければならないという人たちがいます。

 

しかし、私が最近読んだ記事で、このようなものがありました。

働いているアリでも、時間が経つと徐々に疲労して働けなくなってくるそうで、そうするとそれまであまり働いていなかったアリが、代わりに働き始めるそうです。すべてのアリが疲労して働けなくなってしまうと集団が維持できないので、集団を維持、継続するために余力として持っているのが、働かない2割のアリではないかという話でした。

 

企業においては、最近は効率化重視という観点から、無駄を省いたギリギリの組織運営を求められることが増えています。一方で、組織を安定的に機能させてそれを継続していくためには、一定程度の余裕、余力は必要です。働かない2割は、その中でただの無駄な人材というわけではないと見ることができます。結局は役割の与え方や働かせ方のほうに問題があるように思います。

 

また、「2-6-2の法則」というと、優秀とされる2割ばかりに注目して、その人たちを中心に組織運営を組み立てようとする傾向があります。役職や処遇、人事評価などでその人たちを優先し、普通に働く6割の人は、働かない2割の人とあまり変わらない評価がされていたりします。

 

ただ、「2-6-2の法則」が真実であれば、2+6の8割の人は普通以上の仕事をしているという見方ができ、そのおかげで組織が成り立っているとも言えます。

にもかかわらず、普通の6割の人をあえて相対評価などで序列付けしていることがあります。普通に働いているのに序列付けの結果でマイナス評価が下されていたりしますが、それでやる気が出る人はたぶんいませんから、そういう評価をすること自体に意味があるのだろうかと思います。

 

「2-6-2の法則」を安易にとらえ、2割が優秀で2割が使えない人など決めつけるのは、組織運営としてあまり得策ではないように思います。

組織を構成するすべての人は、何かしらの役割を持っているという考え方が、実は「2-6-2の法則」なのではないでしょうか。

 

 

2023年8月21日月曜日

「自分がされてきたことをしてしまう」という人間の特性

 2023年の夏の甲子園大会の代表校で、坊主でない学校が7校あったそうです。

逆に言えば、未だに8割以上の学校が坊主刈りということであり、世間一般の高校生は坊主でない人が圧倒的に多い世の中にあって、それが話題になることはずいぶん異質な感じがします。

他の競技の名門校などでも、丸刈りのチームを見かけますが、やっぱり野球が明らかに多いと感じます。理由はたぶん昔の軍隊か何かの流れで、競技力などに関する合理的な理由ではないでしょう。

思えば、私たちの子供時代の何十年前までさかのぼっても、野球のうまかった子が「坊主が嫌だ」という理由で野球部には入らないことがありました。野球界はこんな些細なことで、実は良い才能を失っていたのかもしれません。

他にも、ようやく女子マネージャーがベンチ入りできるようになったとか、以前は練習補助も認められていなかったとか、時代錯誤を感じる話がたくさんあります。それで良いと判断する意思決定者たちの存在には、大きな問題があると思います。

 

代表校の中でも、監督や選手間のフラットな関係性も含めて、神奈川県代表の慶応高校が紹介される機会が多いようで、監督はチームの考え方を積極的に発信しています。

坊主頭については、それ自体に問題はないが、「昔からこれが当たり前」と思考停止していることや、「そこから飛び出るのが嫌」という同調圧力の方が罪深いと話しています。

 

この監督のインタビュー記事を見ていて目についたことに、指導者に関するものがありました。それは「高校野球に関わる大人、特に指導者が、なぜエゴイスティックになってしまうか」という話です。

その理由に挙げられていたのは、「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性のようなものが現れてしまっていること」でした。自分が現役時代に指導者から体罰を受けたり、高圧的な言動をとられたりすると、それが自分の中のベースになってしまい、自覚がないままに同じ言動をとってしまっているという、負のスパイラルを生んでいると言っていました。

 

まったく同じ話が、企業のマネジメントや人材育成の中でもあります。

パワハラなどは典型で、上司からされて嫌だったはずなのに、自分が上司になると同じことをします。人材育成でも、昔の職人のような「見て覚えろ」という放置プレイが今でもあります。見て覚えることはとても大事ですが、そこにコツや注意点ほかの指導があって、初めて人材育成が成り立ちます。本人の気づきだけに委ねてしまうのは、少なくとも企業で本来やるべき効率的な人材育成とは言えません。

 

こういうことが起こる原因の一つが、前述の「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性」と思えます。パワハラ的なことを問題と考えない思考停止で自分も同じ行動を取ることや、自分に教わった経験がなく、同じくそれを問題と考えない思考停止で自分も教えないなどの行為は、まさにこれに当てはまります。負のスパイラル、負の伝承ということができるでしょう。

 

この流れを断ち切るには、「自分がされたこと」に疑問や問題意識を持ち、より良い形に改善していこうと「考えること」「思考停止に陥らないこと」です。高校野球で新たな動きが話題になるのも、思考停止せずに考える指導者が増えている証明の一つと思います。

企業でのマネジメントや人材育成でも、同じことが望まれます。

 

2023年8月7日月曜日

契約したらきっと「パワハラ的」だったと思われる会社の話

 私が独立して仕事をするようになって16年目になりますが、幸いなことに「困ったクライアント」には出会ったことがありません。

しかし、他の人に話を聞くと、意外に困った経験をしている人が多くいます。

 

最も悪質でひどいのは報酬の踏み倒しですが、例えば事業再生など企業のマイナスを食い止めるような仕事をしている人は、結構そういう目にあっている話を聞きます。基本的にお金がない会社、負債がある会社との取引なので、そういうトラブルに巻き込まれやすいのでしょう。

 

もう一つの困りごとは、様々な形で「パワハラ的」な振る舞いをする会社です。多いのは契約にない無償労働の強要とか、事後の一方的な値切りとか、脅しやマウントを取るといったような、まさにパワハラの王道のような話もあります。

 

なぜ私がこういう困ったクライアントに出会わなかったかというと、確かに運はありますが、そういう様子がありそうなクライアントとは、仕事の話があっても断ってきたからです。

 

まず、私の場合は専門分野が人事や組織の改革改善なので、そういうニーズがあるのはビジネスが伸びていて真面目に組織を作ろうと考えている会社です。成長している会社なので、不払いなどの金銭トラブルになる心配はほぼありません。たまにリストラ的な話が来ることはありますが、私の専門ではないので仕事を請けることはありません。

 

もう一つの「パワハラ的」なところでは、相手とやり取りしている中での自分の勘のようなものがあります。単純なものでは、交渉相手が何とか強い立場を取ろうと駆け引きをしてくるときです。強く出たり、反対に急におだてたり、高額報酬の話をしてきたかと思えば、その前段は無償でやるべきだと言ってきたり、ごくまれに恫喝のような態度を取られることもありました。

私の仕事は、お互いのパートナーシップで協働することが重要なので、駆け引きが必要になるような関係では成り立ちません。お話をいただいても結果的にお断りすることになります。

 

なぜこんな話をするかと言うと、某大手中古車販売会社の「パワハラ」の話が連日話題になり、さらに不動産や金融など、他の業種でも同じような経験をした人の話がたくさん出てくるようになり、なぜそんなことが普通に行われて、しかもそれに耐えている人がなぜこんなに大勢いるのだろうかと考えていたことがあります。

 

たぶん私のように、危うい相手を事前に気づく人はきっと大勢いて、ただし自分の上司は私が契約先を選別するように選ぶ自由はなく、解決するには社内異動を待つか転職するかのいずれかしかありません。それまでの一定期間は「パワハラ的」なものを受け入れざるを得ない環境に置かれてしまいます。やはり会社と社員の間には力関係の問題があります。

 

ただ、これから先は少し様子が変わってくるかもしれません。人材の売り手市場が普通となり、転職先の選択肢は増えていくでしょう。それがしやすい環境が進めば、あえて「パワハラ的」な理不尽を我慢しながら働き続ける必要はなくなります。そこで働く人がいなければ、おかしなことをする会社は淘汰されていきます。パワハラが市場原理の中でマイナスであれば、それをするところは減っていくでしょう。私がクライアントを選ぶのと同じことができるようになります。

 

パワハラが起こるのは、それにつながるメリットが何かあるからです。個人の感情を満たすことや会社の利益になることなどいろいろですが、そんなメリットがなくなって逆に損することが増えれば、おかしな行為はかなり減らすことができそうです。すべてなくすのは無理でも、ずいぶん良くなる感じがします。対等な関係というのは、やっぱり重要なことだと思います。

 

 

2023年7月24日月曜日

「心理的安全性」に関する勘違いいろいろ

 「心理的安全性」とは、自分の言動や行動による他人の反応から怖さや恥ずかしさを感じることなく、人間関係が壊れたり罰を受けたりする心配もなく、誰もが安心して活動できるような職場環境やチームの状態をいいます。

大手IT企業のGoogle社が、チームの成功や生産性向上に役立つという調査結果を発表したことから注目されるようになった心理学用語ですが、最近はわりと一般的にも認知されるようになってきた言葉ではないでしょうか。

しかし、言葉が定着してきたことによって、その理解の仕方に勘違いや誤解が見受けられる場面が増えてきた気がしています。

 

つい最近目にした記事ですが、ある会社のマネージャーからの相談で、自分の部下から「マネージャーは心理的安全性がある環境を作っていない」と責められていて、いろいろ取り組んでいるが批判はおさまらず、どうすれば良いだろうかという内容でした。

しかし、そもそも「心理的安全性」というのは、関係しているすべての人が、お互いに自己開示をしながら、徐々に作り上げていくものであり、誰かが一方的に環境を作ることはできません。こういう発言をしてマネージャーを責める部下自身が、チームの心理的安全性を阻害しているとも言え、そこには本来の意味に対する勘違いがあります。

マネージャーやチームの中心人物が、率先して自己開示をしていく必要はありますが、部下にも自分が一緒になって作り上げていくものという認識がなければ、心理的安全性は生まれません。

 

また、最近よく聞くのは、「心理的安全性」が、仕事上の甘えや緩みを生むのではないかという話です。仲良しグループの甘い環境では、ミスを気にしなくなったり、責任感が失われたりするのではないかという懸念が言われます。

しかし、こちらも大きな誤解であり、「心理的安全性」は、ただ楽で居心地が良い職場環境ではありません。心理的安全性があるからこそ、お互いに言いにくいことが言い合える環境になり、報告、連絡、相談、提案、ミスや誤りの指摘などのコミュニケーションが活発に行われるようになります。相手と意見が違っても、対立を恐れずに自分の考えを伝えることができるなど、お互いが本音で率直に話し合うことができ、その結果として、成果や生産性向上につながるものとされます。

ある意味では厳しい仕事環境ということもでき、もしもメンバーの緊張感が失われていたり、居心地の良すぎて馴れ合いになっていたり、生産性が低下していたりするのであれば、それは心理的安全性が高い環境ということはできません。

 

「心理的安全性」という言葉が浸透するにつれて、ただお互いにやさしい言葉ばかりをかけ合い、誰も厳しいことを言わず、明るく楽しく穏やかな職場であれば、心理的安全性が高いと思う人が増えている気がしますが、心理的安全性の本質はそうではありません。

無用な忖度、遠慮、委縮などをせず、自分が本音で周りの人に接することができるような環境が、心理的安全性の高さです。

 

そもそも、他人にそれを要求したり、相手を疑ったりしている時点で、それは心理的安全性にはつながらないことに気づかなければなりません。

 

 

2023年7月10日月曜日

「従わせる」より「したくなるように仕向ける」

 マイナンバーカードに関する様々なトラブルが批判されています。

デジタル化の推進自体に反対する人はそんなに多くはないはずで、今回の問題は、その進め方に関する稚拙さや強引さといったことに原因があると思います。

 

情報をアナログからデジタルに変換する際には、多くの場合で何らかの入力作業が必要になるはずで、必ずそこがミス発生のポイントとなります。

ミスをゼロにすることはできませんが、減らすためのシステム上の措置や期間的な余裕を見込むのが一般的ですが、「デジタル化を進めるためにカードを普及させる」という手段が目的化していて、ミス発生への考慮や制度設計そのもののあいまいさから、いろいろ無理が生じているように見えます。

 

中でも私が気になったのは、定期的な通院の際に「マイナンバーカードの提示がないと、今月から自己負担金が余分にかかるようになる」と言われた時です。でも従来の保険証と両方提示しなければならないそうです。こちらに降りかかるのは負担金が増えるというデメリットだけで、良くなることは当面何もありません。

このやり方は、利用者の利便性を向上させるのではなく「使わないと損になるぞ」という脅しによって「従わせる」という発想です。トラブルなく使える環境が整っていないにもかかわらずです。

強制されることが大嫌いな私は、利便性が確立されて普通に使えるようになるまで、このカードは絶対持ち歩かないと心に決めました。

 

私自身、マイナンバーカードは発行開始当初から持っていて、理由は自営業なので確定申告が楽になると期待してのことでした。ただ、当初はパソコン用のカードリーダーを自分で買わなければならないとか、添付書類は結局郵送しなければならないとか、いろいろ面倒なので使わずに放置している状態でした。

実際に使うようになったのはここ数年のことで、確定申告で書類添付が不要になったり、各種証明書のコンビニ発行ができたり、ついでにコロナ禍で様々な給付金の手続きが便利だったりするなど、いろいろ制度が整ってきて利便性が増したと感じられるようになったからです。「使おうと思えるような環境が整った」という理由が大きく、使いたくなるように「仕向けられた」と思います。これが今起こっている問題に対する対応とは、根本的に違っているところです。

 

企業の中でも、指示命令によって「従わせる」という風土が強い会社に出会うことがあります。

一見すると判断が早く、その後もスピード感を持って進められるように思えますが、実際には社員がそもそもの意図を理解、納得できていないために、動きが鈍かったりミスやトラブルが多かったりします。そういう会社では、社員が自分で考える姿勢が薄く、自律的な考え方をする社員は居心地が悪いため定着していなかったりします。

 

一方、社員が「したくなるように仕向ける」ということに長けている会社があります。それぞれの社員から意見を聴いたり、話し合いの機会を作ったり、社員にとって何らかのインセンティブを設けたり、やる内容は様々ですが、その目的は「自分がそうすると決めた」と思わせることです。そういうプロセスを踏むことで、それぞれの社員が自律的で前向きに行動するようになります。

 

心理学の中に、すべての行動は自らの選択であり、その時の自分にとって最善と思われる行動を選択しており、行動を決めるのは自分だけなので、相手の行動を直接変えることはできないとする「選択理論」という考え方があります。

すべての場面で応用することは難しいかもしれませんが、この考え方に基づけば、圧力や威嚇、脅しなどで「従わせる」より、その選択を「したくなるように仕向ける」ということが重要になります。

このことを理解していれば、マイナンバーカードのトラブルもずいぶん軽減されていたのではないでしょうか。

 

 

2023年6月12日月曜日

「社員同士の距離感」の遠さ近さで見えること

 企業の人事支援をいろいろな会社でおこなっていると、その会社の「社員同士の距離感」がいつも目につきます。仕事柄で結構緻密に観察しているということもあります。

ここで言っている距離感とは、お互いの心理的な距離のことで、親近感と言い換えてもいいかもしれませんし、仲の良さとも似ているかもしれません。

 

もうおわかりの通り、業績が良い、働きやすい、社員が辞めないという好循環の会社は、この「社員同士の距離感」の平均値が近いことが多いです。あくまで平均値なので、プライベートでは会社の人と付き合わない、社員との関係は仕事上だけという人もいますが、それでも仕事中の会話の頻度や接点の数は、距離感の近い会社の方が間違いなく多いように見えます。

 

社員同士の関係には、「プライベートも付き合う友人」のような濃い関係から、「たまには仕事以外で食事したりする」「一緒に仕事をしたことがある」「会社ではよく話す」「面識はあって会話したことがある」などの中間的な関係、さらに「存在だけ知っている」「面識がない」という希薄な関係までのレベルがあります。

「平均値が近い」と言っている意味は、全体的な関係性のレベルが高め、濃いめの方にシフトしているということです。

 

距離感が近い理由は、あまり一概に言える感じではありません。別に年中飲み会やパーティーをやっているわけではなく、趣味や嗜好が似た人ばかりを集めているわけでもありません。

年齢の近い人が多い、面倒見の良い人がいる、公私ともにイベントが多い、情報共有意識が高い、気軽に雑談できる雰囲気、長時間労働があまりなく業務量がわりと適正、上下関係が緩やか、プロジェクト制やチームでいろいろな人と仕事をするなど、本当にいろいろな要因があり、それらが総合した結果としてお互いの距離感が近づいているようです。意図的に取り組んでいることも自然にそうなっていることもあり、会社それぞれで事情は違います。仮に別のところで同じような取り組みをしても、確実な再現性がある感じではありません。

 

そんな中でも共通しているのは、とにかくコミュニケーションの機会が多いことです。仕事の話も、趣味や遊びなどプライベートな話も、対面、電話、メール、チャット、その他いろいろな方法でコミュニケーションを取り合っています。

仕組み作りや雰囲気づくり、個人的な気遣いなどはありますが、とにかく疎遠な人や孤立した人、事情がわからず戸惑う「浦島太郎」的な人がほとんどいません。

 

逆に距離感が遠い会社を見ていると、仕事に追われて余裕がない、個人ベースで縦割りの業務分担、お互いの面識が薄いまたはお互いを知らない、上下関係がきつい、情報共有の意識が低いなど、コミュニケーションがしにくい、もしくは不要となってしまう要因がいくつもあります。

社員同士はそれに慣れているのであまり問題とは思っていませんが、協力し合えば簡単にできることを一部で抱え込んでいたり、情報の偏りがあったり、相談しづらさや頼みづらさがあったり、小さな不都合、非効率が数々積み重なっています。

 

全員が全員親密である必要はなく、もちろん多様性は重要ですが、一方で、気心の知れた者同士の方が、仕事はスムーズに進みやすく、結果も良いことが多いでしょう。

 

自社の「社員同士の距離感」は、当たり前になっていて気づきにくいものですが、あらためて一度問い直してみて、問題があると感じたら何か取り組んでみることも必要ではないでしょうか。

 

 

2023年6月5日月曜日

若手中心なのに「今どき」とは少し違う会社

 最近接点があった会社で、平均年齢30歳そこそこの会社ですが、「今どきの若者」とはちょっと違うことがたくさんあって、いろいろ興味深かったことがありました。

 

まず目についたのは、社員旅行や飲み会をはじめ、社員同士のレクレーションなど、昭和っぽいと言われそうな社内行事がたくさんあり、しかもその参加率がとても高かったことです。社員の本音がどうなのかわからないところもありますが、旅行については「来年はどこそこに行きたい」などと話し合っているので、それなりに楽しみにしているようです。

 

飲み会と表現しましたが、お店で宴会をするばかりではなく、ランチ会とかケータリングを使った社内懇親会とか、サプライズで始まるピザパーティーとか、その中身はいろいろです。参加を強制されることはないですし、お酒は飲むときも飲まない時もあります。そんな中で社員は、「仕事」とも「プライベート」とも言えないような時間を、わりと楽しそうな様子で一緒に過ごしています。

 

「仕事」と「プライベート」の区別をあまり気にしていないのか、社員同士は仕事を離れたところでも結構交流しているようです。共通の趣味に取り組んでいたり、休みの日でも一緒に遊んでいたりします。

要は社員同士が仲良しなのですが、基本的に中途採用ばかりの会社なので、みんな経歴や境遇は違いますし、若いとは言ってもそれなりのベテラン世代の人たちもちらほら見かけます。決して同じような属性の人たちばかりがつるんでいる感じではありません。

 

経営陣は30~40代の比較的若い年齢の人が多いですが、見ていて気づいたのは、誰も威張ったり偉そうに振る舞ったりしないことです。緊急事態や専権事項は除きますが、一方的な命令をせずに関係者としっかりコミュニケーションを取りながら物事を決めていきます。上から威圧することがないので、当然ですがパワハラのような問題も起こりません。上下関係に委縮せず、わりと本音で話し合える環境があります。

売上利益などの目標は掲げていますが、そこまで厳密に追いかけているわけではなく、あまりガツガツしていません。ダメだと思えば下方修正のようなことも躊躇せずに行います。

入社してきた人には、みんながウエルカムな雰囲気で話しかけ、仲間として溶け込めるようにいろいろ世話を焼きます。社員が食事をしたり遊んだりする場に代わる代わる誘っています。なじみやすい人を選んでいるという側面はありますが、早くなじめるような働きかけがいろいろあります。

「働きやすさ」を求めていった結果として、こうなっていったのではないでしょうか。

 

こんなことから個人的に思い出したのは、私の高校時代で一番一体感があったクラスのことです。仲良しグループは複数ありましたが、それぞれお互いに認め合っていて、クラス全体で何かやろうという時は、誰がリーダーということもなく協力し合っていました。いじめなど一切なく、クラスの中に全員の居場所がありました。

お互いを認め合って尊重し合うこの会社の雰囲気は、その当時のことを思い出すところがありました。

 

実際に仕事をしている中では、たぶんそんな綺麗ごとだけでは済まないですし、外部からは見えないいろいろな問題があるでしょうが、少なくともみんなが毎日仲良く仕事をしている様子を見ていると、競争、他人の評価、上下関係、指示命令、支配、威圧などのありがちな職場の風景は、実は不要なことではないかと思ってしまいます。

 

仕事は日常のことであり、それが必要な時期はあったとしても、基本的に修行や鍛錬とは異なるものです。厳しさばかりでは、人間はいつか疲弊してつぶれてしまうかもしれません。

多くの人が心を穏やかにして働ける環境は、あらためて大事なものだと感じた経験でした。

 

 

2023年5月29日月曜日

「社外メンター」の役割を求められる機会が増えてきた?

 最近目にした記事に、「社外メンター」に関するものがありました。

 

「メンター」とは、助言者や理解者といった意味の言葉で、ビジネスにおいては特に何かを教えたりするのではなく、自身が仕事やキャリアの手本となって、新入社員や若手社員に助言や指導をして、その人の成長や精神的な支援をする人を指します。

メンター制度は多くの企業で導入されていますが、社内のメンターではしにくいサポートや人材育成ができるというメリットから、この役割を社外の専門家などのプロフェッショナルに求める「社外メンター」を利用する企業が増えているとのことです。

 

「社内の誰か」を相手にしたコミュニケーションでは、どうしてもどこかに利害関係が生じてしまいますが、様々な企業の状況などを知っていて客観的な視野を持った第三者の社外専門家が、直接社員から悩みや不満を聞いたりアドバイスをしたりすることは、企業の人事施策を進めていくうえで多くのメリットがあると評価されてのことのようです。

 

そんなことを言われて、あらためて私個人の企業支援の状況を考えてみると、この「社外メンター」と同じ役割や活動を求められていることが増えているように感じます。

ただし、知らない企業からいきなりそういう話になるということではなく、ある程度のお付き合いを経て、いろいろ内情を知っているような企業からの求めです。

組織風土調査などを通じて、社員全般からの話を聞く機会が多いので、それなりに情報を把握しているということもあります。

 

私の場合は、専門分野が人事、組織、採用、人材開発に関わるものですが、社員とのメンター面談で話題になるのはそれだけでなく、個人のキャリアやスキルに関するもの、上司や部下をはじめとした周囲との人間関係に関わること、さらに専門的なことなども含めて多岐に渡ります。

面談ではただ聞くだけで終わること、似た事例の他社状況などを説明すること、実際にアドバイスすることなど様々ですが、遠慮や躊躇があって聞けない話があるだろうとの事前想定よりも、結構本音に近いと思われるストレートな話が、思った以上に出てきます。

「会社や上司などには言いにくいことを、発言者を個人特定しない約束のもとで聞く」という形で行いますが、いろいろ質問して聞き出そうとする働きかけが必要な時はあるものの、多くの人が現場に埋もれて把握しづらいことを話してくれます。言いたいことはいろいろあるけど言えない、聞いてもらえる場や相手がないという様子が感じられます。

 

社外メンターがいるからと言って、何かが急に良くなったり問題が解決したりすることは基本的にありません。それでも、「社内では言いづらいけど誰かに聞いてほしい」という問題は思いのほか多いようで、そのことに対応する手段の一つとして社外メンターが重宝されつつあるようです。

 

そんな「社外メンター」は、これからどんどん活用される機会が増えていくのではないかと思います。社内と社外で役割分担することはやはり有効です。

私も期待された役目が果たせるように、しっかり話を聞いて施策につなげていくようにしていきたいと思います。

 

 

2023年5月22日月曜日

「会議」と「ミーティング」を混同していないか

 最近は、「会議の改革」に取り組んでいる会社が目につきます。生産性向上を目的として、その進め方を工夫して回数や時間を減らそうとしています。パワポ禁止、資料はA4用紙1枚まで、着席せずに立ったままといった実施方法を取っていたり、直接的に回数や時間数を制限していたりします。議題は事前に、必ず結論を出すなど、ごく基本的なことがあえて言われていることもあります。

 

社内での打ち合わせは、「会議」と言われたり「ミーティング」と言われたりしますが、言葉が違うということは、一応その意味にも違いがあるとされます。

まず「会議」の定義は、ある議題や目的について、複数の人が集まって議論を行うことです。明確な目的や議題があるものを言い、その議題や目的に対して必ず意思決定がされます。そのため必ず意思決定ができる責任者が参加し、他のメンバーも議題や目的に対して意思決定に関与するか、意見が言える人に限られます。

ただ意見を出し合うだけで、何も決まらないもしくは決められない場は、会議という定義から外れます。

 

これに対して「ミーティング」は、参加者全員での情報共有やコミュニケーションが主な目的になるものとされます。

参加者は役職や立場に限定されることはなく、内容も現状報告や意見交換など様々です。比較的少人数で行われることが多く、必ずしも意思決定の場である必要はないのが、会議との最も大きな違いです。

 

そんなことは当たり前に知っているという人も多いかもしれませんが、この「会議」と「ミーティング」が意外に区別されていないと思われることに、結構よく出会うことがあります。

 

例えば、「無駄な会議」という指摘の中に、「会議がただの報告会になっている」というものがあります。「資料の朗読になっている」「発言者が限られている」「特に何か議論されるわけでない」などと言われますが、このままだと、会議とミーティングのどちらの定義にも当てはまりません。

報告に対して、何らかの指示が出されたり意思決定がされたりするのであれば、「会議」の定義は満たします。内容的に無駄な時間があるとしても、すべてを無駄ということはできません。

 

一方、意思決定がされないのであれば「ミーティング」ということになりますが、この参加者が大人数ということになると、それをミーティングとは言いづらくなります。報告を情報共有と位置付ければ、目的としては一応合致しますが、特に意思決定者が出席しなければならないものではなくなります。

 

こんなことから見ると、わりと多くの会社で行われている「報告だけの役職者会議」などは、「会議」と「ミーティング」があいまいになっている典型例となります。

 

よく実施される「会議の改革」では、目的を明確にする、時間を決める、参加者を厳選する、意見交換しやすい雰囲気づくりやファシリテートをするなどといった取り組みが言われますが、その場が会議なのかミーティングなのかによって、意識しなければならない内容や優先順位は変わります。

 

今やっているのは「会議」なのか「ミーティング」なのかを混同せずに区別する意識も、「会議の改革」には必要なことではないかと思います。

 

2023年5月15日月曜日

効率ばかりでない「適切な余裕」の大切さ

 ここ最近、いくつかの会社で組織課題を見つける一環として、それぞれの社員を対象にしたヒアリングをおこなっています。

意図としては、第三者の社外専門家が客観的な立場で話を聞くことで、潜在化している課題が明らかにしたいということですが、どの会社でも一方的な不平や不満が言われることは一切なく、非常に真面目で建設的な話がされています。

 

ただし、それぞれが部下や周りとの接し方、マネジメントのしかたやスキルアップのしかたなど、悩みや迷い、その他課題を抱えています。私からはできる限りのアドバイスをして、それが効果的なこともそうでないこともありますが、そういうコミュニケーションの場を肯定的にとらえてくれる人が多いのは有難いことです。

 

そんな中で出てくる課題として多いのは、「余裕がない」「時間がない」という話です。中小規模の企業ということもありますが、一人の社員が担当する業務範囲が広く、なおかつ自分の代わりの人材はいないことも多く、結局その人の責任感だけで業務遂行が保たれていることも少なくありません。

「休暇が取れない」「ストレスが大きい」といった話につながっていることが多く、「相談する人がいない」といった問題もよく耳にします。

ただし上司や他の社員などとコミュニケーションを取りづらいなどということはあまりなく、話せばみんな親身になって対応してくれようとはするものの、他の人では自分の仕事をあまり理解できなかったり、人員に余裕がないので結局何も解決しなかったりするようです。

 

以前出会ったある会社の社長は、多少収益を圧迫したとしても、人員数や業務量などを調整して、マンパワーの余裕を10%程度持つことを常に考えていたと言っていました。理由は、何か突発事情や緊急事態が起こったときに、対応できなくなってしまうからだそうです。

 

生活用品の企画、製造、販売を行うアイリスオーヤマでは、あらゆる設備の稼働率7割以下にとどめていて、例えば工場の稼働スペースが7割を超えたら、増床するか新たな工場を建てるかという対応をするそうです。

具体的な需要があるわけではないので、当面はただの予備スペースとなりますが、急に何かの需要があったとき、その予備ですぐ生産開始できるなど、需要変動に対する対応力が高くなるからだといいます。

1~2割増し程度の急な出荷増には対応できたとしても、5割を増すような注文には、同社のように事前の体制がなければ対応することはできず、コロナ禍で世の中が急激なマスク不足に陥った時、同社がすぐにマスク増産に対応できたのは、こんな理由があったそうです。

昨今で、景気動向に関わらずに業績を伸ばしている企業では、設備稼働率に余裕を持たせる経営を行っている会社が少なくないそうで、これは中小企業であっても同様だといいます。

 

「適切な余裕」を見込んだ組織運営は、これから重要な経営課題になっていくのではないでしょうか。

 

2023年4月3日月曜日

環境を整えなければ「自分で判断」はできない 

マスクの着用が個人の判断に任されたとのことで、その様子は少しずつ変わり始めているようです。

 

先日、ランチタイムにある飲食店へ入りましたが、スタッフは全員マスクを外していました。同じ店内でスタッフによってばらばらというわけにはいかないでしょうし、店の方針でそうやって統一したのでしょう。

その一方、医療機関などはまだこれまでと同じところが多いようです。ただ、病院というのは病気の人が集まるところなので、もともとマスクを使うことが多い場所ですから、そういう判断も理解できることです。

ただ、このどちらの場合も、「個人の判断」とは少し違ったところで決められているのは確かです。

 

会社でも対応の仕方はいろいろで、まだしばらくの間は着用を求めて様子を見るというところ、社外の人と接するときだけは着用するようにするが、それ以外は着用しなくてもよいことにしたところ、あえて会社からは指示せず、本当に個人判断に任せようというところなどがあります。

ただこちらも、「自分で決めてよい」と言われていても、何となく同調圧力を感じながら、現状では様子を見ている人たちが結構いるように思います。

 

ある会社では、部門長ごとの判断ということにしたそうですが、マスク嫌いの部長は配下の全メンバーに外すことを求め、外すことに慎重な部長は現状維持でいるそうです。

外したいメンバーが続けて着用を強制されれば、それを不満に思うことが想像できますが、逆にマスク嫌いの部長のもとでは、「花粉症なのでマスクをしたいけど、着用して部長に反抗しているように見えても嫌なので、仕方なく外している」という人がいました。もはや個人の判断で決めている状況とは言えませんが、「自分で判断」を可能にするには、それなりの環境整備が必要ということがわかります。

 

いま、社員に「自律・自立」「判断・決断」を求める会社が増え、その不足が問題だと話す経営者や管理者が多くいます。もちろん社員本人たちの自覚や能力向上は必要ですが、合わせてそれができるような環境づくりが不足している会社が多いと感じます。

やはり経営者や上司からの言葉や無言での圧力がありますし、同調圧力、昔からのしきたり、不文律、その他さまざまな環境があり、みんなその中で「自分の判断」をしています。本当の自分の意思によるものとは限らず、自分なりに考えたものではない可能性もあり、それは自律性からは少し離れたものです。「自律・自立」が不足するに決まっています。

 

最近よく取り上げられる「心理的安全性」は、お互いが遠慮や気兼ねをせずに何でも言い合える関係性を言いますが、自分で判断できるようにするためにも同じような環境が必要です。

環境が整わないと、自分で判断することはできず、自律した人材を育てることはできません。