2023年1月30日月曜日

「人の主体性を奪う方法」とは

人事施策として、「提案制度」や「自己申告制度」など、本人からの提案や意見、希望などを聴く仕組みは、よく見かけるものです。この導入や運用について相談されることも度々あります。うまく活用している会社がある一方、うまくいかずに形骸化、自然消滅しているような会社もあります。

 

いろいろな会社の状況を見ていると、うまくいかないパターンは大体共通しています。

提案制度であれば、導入当初になかなか提案が出されず、提案件数を増やす働きかけをすることが多いですが、問題はここから先で、例えばこんな感じです。

 

提案件数をノルマ化する

どうでもよい雑な提案が増える

  ↓

提案が取り入れられることはない

  ↓

提案のネタが枯渇する

  ↓

制度が機能せず、有名無実化する

 

ここで本来やるべきことは、提案のノルマ化ではなく、提案が実現する事例を増やすことです。意見が取り入れられることが浸透すれば、提案件数は自然に増えていきます。もちろん個人的な不満や到底受け入れられないようなものも出てきますが、質の良い提案も相対的に増えます。

これは自己申告制度でも同じで、希望を聞くからにはそれをいかに実現できるようにするかが重要になります。いくら異動希望などを出しても、それがかなわないとわかった瞬間から、人は発言することをやめてしまいます。

 

ある著名な元アスリートが書き込んだツイッターのつぶやきに、「人の主体性を奪うには」というものがありました。「人の主体性を奪うには『提案をさせて採用しない。意見を言わせて受け取らない』を繰り返すと効果的です。命令で押さえつけるよりもこの方が無力感を覚えさせます」とのことです。

これらは、抵抗や回避が困難な状況に置かれ続けると、「何をしても意味がない」ということを学習して、そこから逃れる努力をしなくなる「学習性無気力」とも共通することです。

 

企業が求める人材像として、「自律性」「主体性」といったものが良く挙げられます。「うちのマネージャーは…」とか「若手社員が…」などといって、これが不足していると嘆く経営者や幹部社員をよく見かけます。

しかしこれは、その人が本来持っている「自律性」や「主体性」が、その会社の環境によって奪われているという可能性もあります。もっとさかのぼって学校教育や親の教育、家庭環境などに原因があるのかもしれません。

 

私の周りには、経営者や自営業者が多いためか、この「自律性」「主体性」を持っていない人に出会うことがあまりありません。みんな自分たちの意思で行動しなければならない環境にいる人たちです。「自律性」「主体性」の有無は、その人が置かれた環境による部分が、意外に大きいのではないかと感じます。

そうだとすれば、環境を変えればもっと「自律性」「主体性」を育てることが可能ということになります。いま一度、自分たちの身の周りの環境を見直す必要があるように思います。

 

2023年1月23日月曜日

「見ていること」を伝える意味

 心理学用語に、他者からの期待を受けることでその期待に沿った成果を出すことができるという「ピグマリオン効果」というものがあります。

これと似たものには「ホーソン効果」というものがあり、こちらは、労働条件や経済的な条件よりも、「注目されている」という意識が生産性を向上させるという実験結果から実証されたものです。

この違いは、他者からの「期待」だけに限らず、「注目されている」「関心を持たれている」という意識が動機づけにつながっている点です。

 

ピグマリオン効果とは反対のものとして、「ゴーレム効果」というものがあるそうです。こちらは相手に対して期待できない、見込みがないと思っていると、本当にその通りの悪い結果になってしまうとのことです。

いずれにしても、他人からの目があるかないか、どのように見られているかという視線が、人の動機づけに大きく影響するというものです。

 

これを実感したことは、期待する側とされる側の両方において、多くの人が何かしら経験したことがあるのではないでしょうか。その場面は子育て、団体行動、チームスポーツなど、様々だと思います。会社組織やチームの中でも、もちろんあったことでしょう。

 

マネジメントにおいて、期待を持った目で「見ているよ」と相手に伝えることは、様々な面で良い効果をもたらしますが、ともすればそのことをあえて伝えないままでいるケースを見かけることがあります。お互いが長い付き合いでつながっているときや、いちいち言わなくてもわかっているだろうという意識が働くような関係のときです。

特に日本では文化の共有性が高いハイコンテクストな環境にあるため、「空気を読む」など非言語の共通認識などに頼って、言葉による説明が少ない傾向があります。最近は様々な面で多様化が進み、ずいぶん変わってきてはいますが、期待しているのにそれを口に出さない、評価しているのに褒めないといった様子を見かけることがまだまだあります。また、世代や価値観の違いに遠慮があるのか、どう伝えてよいのかわからない、だからあえて伝えていないといったこともあるようです。

 

つい最近ある会社で聞いたことですが、寡黙で淡々と仕事をするタイプで、ちょっとした雑談などで話しかけてもあまり乗ってこない若手社員がいるそうですが、ある日その社員の机の上に、あまり見慣れない専門書が置いてあるのを見つけたそうです。

あえて触れない方が良いのかもしれないと思いつつも、思い切ってそのことを本人に聞いてみると、実は自分なりに知識不足を感じていることがあり、ちょっと難易度は高いながらも、自分なりに勉強してみようと思い立ったのだそうです。

本人がその話をする口調はいつものように淡々としていたそうですが、表情がいつもと違ってうれしそうに見えたそうです。自分の影の努力に気づいてくれた、見ていてくれたということから、期待を感じたうれしさだったのではないでしょうか。

 

これとは違って、「見ている」と伝えることで、不正やさぼり、ルーズな行動を抑制するという効果もあります。例えば盲判(めくらばん)など、中身を見ずに承認してしまっていることが相手にわかってしまうと、手続きが形骸化してチェックの意味をなさなくなってしまいます。

これを数回に一度であっても、本人に確認の問合せを行ったりすると、相手に「見ている」ということが伝わって、ルーズな運用を防ぐことができます。「監視」というニュアンスになってしまうかもしれませんが、「見ていること」が伝われば無用なトラブルがなくなります。

 

人間が行動を変える際の大きな要素の一つが、誰かが自分を「見ていること」です。それを相手に伝えるのは大事なことだと思います。

 

2023年1月16日月曜日

「働かない○○」と言われるシニア世代の働かせ方、活かし方

「働かないおじさん」が、中高年男性のお荷物社員を指す言葉として、定着してしまった感があります。

大した仕事をせずに会社に居座っているように見える存在が、若手社員の士気を下げていると問題視されますが、当事者となる世代の人たちから直接話を聞いていると、そこまではっきり開き直っている人に出会うことはほとんどありません。多くの人は真面目にきちんと仕事をして、何らかの貢献をしたいと考えています。

そんな本人たちは、自分のスキルの陳腐化や時代遅れ感は認識していて、自分なりに改善する意思はありますが、その一方で、具体的に何をしてよいのかがつかみきれていないところがあります。また、仕事をしたい、貢献したいという気持ちを持っていても、その機会が与えられない、期待もされていないということで、気持ちをなえさせていたりする様子も見られます。

 

このすれ違いを縮めることができれば、働き手と会社の双方にとって好ましいはずですが、そんな状況を整理して書かれている記事が目に留まりました。

ベストセラーとなった「ワークシフト」「リデザイン・ワーク」などの著者であるリンダ・グラットン氏による、「働かないおじさんが即戦力になる一石二鳥の真実」というタイトルの記事です。

 

ここでの指摘は、中高年の働き方が若者重視で逆に画一化してしまっているのではないかというものです。

老いや生産性に関する固定観念にとらわれるあまり、60代以上の人たちの機会を狭めていないかという点と、新しい働き方のモデルでは、20代や30代のニーズや願望ばかりに目を向けているため、50代以上の人たちのニーズや願望を軽んじているのではないかという点を指摘しています。

 

人間の知的スキルには、年齢を重ねるにつれて、長年かけて蓄えられる知見や人的ネットワーク、知識や知恵、戦略である「結晶性知能」と、情報処理や記憶保持、演繹的推論を行う能力である「流動性知能」の二つがあり、どちらに強みを持っているかは、人生を通じてたえず変わり続けるものとしています。

10代後半であれば、計算や物事のパターンを見出したりするスピードが速いかもしれないし、30代であれば、短期記憶が最も強力な時期かもしれません。それが40~50代になると、他者理解の能力が最も高まるそうです。

「人は何歳でもある種のことが上手になりつつあり、ある種のことが下手になりつつあり、ある種のことに関しては伸び悩んでいる。ある年齢ですべて、あるいはほとんどの能力が頂点に達することはないだろう」という指摘がされています。

 

こんなところから、年長の働き手は、職場で自分たちの「結晶性知能」による知恵やノウハウを提供する役割を果たすことができ、経験が少ない若い社員でも、これをいつでも使うことができるようになるため、「若い社員」と「年長の社員」を組み合わせるような仕事のデザインが、最も生産的ではないかと言っています。また、「流動性知能」のスキルを持った若手が不足している業種でも、この年長者の役割は特に大きな価値を持つとしています。

「年長社員に活躍できる場を提供すれば、貴重な戦力になると考えるのは決して絵空事ではなく、彼らは若い人たちにはない知識やスキル、人脈をたくさん持っている」と締めくくられていました。

 

私の同世代は、ちょうど定年に差し掛かる年齢であるため、知人友人の多くが仕事環境の変化に遭遇し始めています。中には仕事をリタイヤする人もいますが、ほとんどの人が仕事を続け、企業勤務であれば元の会社に残る人がほとんどです。

ただし仕事の中身や処遇は千差万別で、まったく条件が変わらず仕事を続ける人がいるかと思えば、給料が下がる、雑務ばかりの仕事になるなど、あまり戦力とは見なしていないような対応も見られます。それでやる気を出せと言われても、やはり難しいものがあるでしょう。

 

年長者の「結晶性知能」をいかに埋もれさせずに活用するかは、これから多くの企業が取り組むべき課題のように感じます。

 

 

2023年1月9日月曜日

採用活動での「誇張」と「謙遜」

いくつか目についたアンケート調査で、新卒中途に限らず就職活動で自身の経歴や面接での回答を“盛った”経験のある人が6~7割に上るという結果がありました。程度に差はあれ、面接に臨む応募者の大半は、自分の実績や経験を何らかの形で誇張していることになります。

 

例えば新卒採用では、学生時代に力を入れてきたこと、いわゆる「ガクチカ」に関する質問がよくされます。学業、部活やサークル活動、アルバイトなど、語られる対象は人それぞれですが、ほとんどの人がそれなりの内容を答えます。そうは言っても、やはり内容の薄い人や真偽のほどが怪しい人はいます。

 

ここで、立派な内容が語られれば面接での評価が高いかと言えば、一概にそうとは言えません。見方によっては、内容が薄い人の方が正直だと言えるかもしれませんし、そもそも学生時代に打ち込める物を見つけられた人は希少かもしれません。部活動やアルバイトの経験が、そのまま仕事に活きることは多くはありませんから、あくまで応募者の人柄や素養、自社との相性をはかるための一つの材料でしかありません。

 

もうかなり前のことですが、ある知人の会社に応募してきた外国籍の人の経歴が、自社の求める要件にぴったりだったそうです。面接でのやり取りも自信満々で、こちらの期待していることを何でも「できる」「経験がある」と言っていたようで、社長や採用担当者はこの人を気に入って採用することになりました。

しかし、入社してすぐに、面接では自信満々に「できる」と言っていた内容は、実際にはほぼ未経験だったことがわかったそうです。他にもいろいろ見込み違いがあったらしく、すべて虚偽とは言えないようでしたが、かなりの誇張があったようです。ずいぶんもめた末に退職していったという話でした。

この会社の社長と担当者は「できないことまでできると言い切ってしまう神経が理解できない」「日本人だったらそこまで誇張しない」などと言っていましたが、盛った経験のある人が6、7割ということからすれば、国籍に関係なくこういうことがあってもおかしくはありません。

 

これとは逆に、もし採用面接で自分の経歴を常に「謙遜」して話す人がいたとしたら、それを「謙虚な人柄」などと肯定的にとらえることはたぶん少ないです。自信があることのアピールがあって、その上で見せた謙虚さであれば、そこで初めて総合的なプラスにとらえられます。謙虚さだけで採用に結びつくことは、たぶんほとんどありません。

 

こうやって見てくると、採用活動の中で「誇張」や「盛り」が起こるのは、応募者の心理から見ても必然といえます。逆に企業側がそういうエピソードを求めているために、「誇張」や「盛り」を助長させてしまっているという見方もできます。本当は入社してからの方が大事なのに、その前段で化かし合いのようなことが行われるのは、あまり好ましいこととは思えません。

企業の立場からすれば、応募者の本質を十分に見極めていくしかありませんが、一方的に「応募者の噓」を責めることはできないように思います。