2018年12月27日木曜日

「感情的」は悪いことではない


他人から「感情的だ」と言われると、それはあまり良い意味ではないことがほとんどでしょう。
特に仕事の場面での「感情的」というのは、論理的、冷静、落ち着きの正反対の意味で使われ、感情を抑えて振る舞うのが良いこと、当然のこととされます。何があっても「感情的」にならないように心掛けている人が多いでしょうし、私もその意識は同じです。

ただ、仕事の中から感情をすべて排除することはできません。あからさまな態度で周りを不快な気持ちにさせるような感情はよくありませんが、人間は感情の動物ですから、嫌なものは嫌ですし、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いです。
表には出さなくても、自分の身の回りで起こったことや人間関係について、必ず何かしらの感情を持っています。その感情とは、「快」か「不快」かを直感的に判断しているといわれ、もっともらしい理由をつけても、結局は後付けの理屈ということは多々あります。

組織でのマネジメントをしたり、チームでリーダーシップが必要だったりする場面で、この感情に配慮することは、実際には必須の要件となります。相手の感情を無視して、理屈や理性だけで判断していても、効果的な組織運営はできません。

例えば、何かミスやトラブルが起こったとき、誰か一人だけの責任ということばかりではありません。それがみんなのミスや見落としがちょっとずつ重なって起こったものだったとき、自分の責任を全否定するまでではなくても、心のどこかに他の誰かを責めたくなる感情があるはずです。多くの人は、その感情を隠して「自分にも責任がある」「ミスはお互い様」などと言い聞かせて、論理的、理性的に振る舞おうとします。
もしもそこで、感情をあらわにして一方的に他人を責める人がいたとしたら、同じく感情的に許せないと反応してしまうのではないででしょうか。

しかし、このお互いの感情を事前に確認しあっていたとしたらどうでしょうか。不満な気持ち、申し訳ない気持ち、逃げたい気持ち、強がりたい気持ちなど、感情にはいろいろありますが、それを理性で抑えずに、あえてぶつけあって確認し合うと、その後の納得性は増します。相手の本音を知ったと思えるからです。

理屈っぽいきれいごとだけでなく、様々な負の感情も含めてコントロールしなければ、良い組織運営はできません。
優秀な組織には、メンバーのモチベーションを高めていく「モチベーター」が必要だと言われます。モチベーションの中には多くの感情に関わる要素が含まれ、この感情面からチームを盛り上げるリーダーがいますが、これは「感情的」になることを悪いものとして排除していては成り立たないことです。

「感情的」なのは悪いことばかりではなく、誰でも良くない感情は持つものであり、それを示して認識し合うことや、その気持ちに配慮することが必要です。
人は誰でも論理、筋道、正論だけでは納得できないことがたくさんあります。

もしもすべての問題が論理的、理性的に処理され、感情が見えない職場があったとしたら、そちらの方がよほど問題です。


2018年12月24日月曜日

「生産性が低い」の指摘は本質を見失うことがある


あるテレビ番組で、「日本における基礎研究の危機」という特集がありました。
このところ日本人学者のノーベル賞受賞が続いていますが、今後は難しくなるだろうという話でした。

ある大学学長の話によれば、昨今の日本では学術論文数での競争力が落ちていて、他の先進国では伸びているにもかかわらず、日本の場合はほぼ横ばいで、人口あたりの数では30位以下、論文の質でも40位以下、博士課程の学生数も減少していて若い研究者が育ちにくく、将来の研究に悪影響を与えるだろうとのことでした。

しかし、政府からは国立大学の予算削減や研究費の削減が続いていて、その理由は論文を産出するコストが高く、研究生産性が低いとされているためとのことでしたが、実際には大学の研究者が教育だけでなく多くの雑務をおこなっていることや、報酬の低さや生活の不安定さによって研究者を続けられずに諦めているなどの原因があると指摘していました。

この学長の言い分も政府の見解も、どちらもそれなりに裏付けがあるはずなので、一概にどちらが正しいとは言えませんが、「生産性」という言葉が出てくると、私は同じような指摘で企業での残業削減の話を思い出します。

日本の長時間労働は、働く人の「労働生産性」が低いことが原因で、付き合い残業や生活残業など、無駄な時間をかけた仕事ぶりが問題だという指摘で、特に経営者は「労働生産性」の国際比較などの数字を示しながら、これを強く主張していました。

ただ、実際の「生産性の低さ」の中は、サボっている、能力が低いといった個人の業務効率が悪いことばかりが原因ではありません。
重複したテーマでの会議や打ち合わせの多さ、書類や事務手続きの多さや煩雑さ、意思決定までの時間の長さや手間の多さなど、仕事の進め方や環境によるものが数多くあります。
そもそも労働生産性という数字も、天然資源が多い国や、金融や為替機能を通じた不労所得のたぐいが多い国の方が高く出る傾向がありますから、地道にコツコツ物作りをしている会社や、労働集約的なサービスが多い日本では、その低さの原因を「働く人の生産性」だけに求めると、私は本質を見誤ると思っています。

少し前にも、LGBTに関連した話で「生産性」という言葉が使われましたが、それ以外でも業績や成果が上がらない原因として「生産性」が挙げられるとき、それが相手に対する一方的な問題指摘とされていることが多いと感じます。「相手の生産性が上がらないのは、自分にも問題があるはず」とはならないのです。

かつて「業績が悪いのは社員が働かないから」と発言してひんしゅくを買った大手企業の社長がいましたが、似たようなニュアンスの話は今でも多くの場所から耳にします。
「生産性が低い」といって、その責任を一方に押し付けてしまうと、本当の原因を見失います。「生産性」の良し悪しには、周りのすべてのことが関わっています。
「生産性」という言葉には注意が必要です。


2018年12月20日木曜日

制度を定着させるには「使う人」と話し合う


育児や介護による休業制度は、1991年に法律が制定され、徐々に改訂を進めながら今に至っています。今でも男性の取得率の低さなどの問題が言われ、さらに導入当初は休業する当事者の経済的な負担や数多くの制約がありましたが、今はそこから比べればずいぶん環境が整備され、企業の現場での関係者の認識も制度の必要性も理解され、その利用も進んで定着してきています。

しかし、そんな今の時代でも、中小零細企業の中には、未だに育児休業の取得実績がない、復職できない、産休後はみんな退職してしまうという会社がまだまだあります。平気な顔で「中小企業に育児休業なんて無理」などと言い切る人がいますから、20年以上前の感覚で止まってしまったままです。
ひな型通りの規程は作られていますが、一度も利用実績がないので、何が良いのか悪いのか、ほとんど理解されていないのは、無理もないところでしょう。

育児や介護の分野は、すでに義務化されていることなので、環境問わずにやるしかありませんが、最近は「働き方改革」の一環で、在宅勤務をはじめとしたリモートワークの制度、短時間勤務や勤務地限定のように仕事をする時間や場所に柔軟性を持たせる制度など、多くの新しい制度が検討、導入されています。

これも大企業であれば、制度導入に合わせて対象者を見つけ、運用を重ねて制度をブラッシュアップしていくことができますが、中小企業の場合はそうはいきません。制度はあるがいつまでたっても利用者がいないとか、最初にうんと苦労してしまったために、以降の取り組みが敬遠されてしまっているとか、有名無実の制度になっていることが多々あります。

その一方で、様々な制度をうまく導入して定着させている会社がありますが、そういう会社に共通しているのは「制度ありきではない」ということです。
ある会社では、育児中の社員からの要望で在宅勤務の制度を導入しましたが、一般的な決め事はしたものの、それ以降は実際に運用する中で、未確定だった部分や使いにくいなどの不都合な部分を制度の中に組み込んでいきました。具体的には勤務時間を把握するルールや、IT環境の使い勝手が課題になり、本人と会社が話し合いながら決めていったそうです。

その後しばらくしてから二人目の利用希望者が出てきて、その人とも同じように制度の決め事の見直しをおこない、それが三人目くらいになると、ほぼ会社の実態に合った形で、実効性のある制度が作り上げられていったそうです。

うまくいかない、定着しない、尻つぼみになってしまった会社は、このすり合わせの部分をあまりやっていないか、途中で力尽きてやめてしまっていることが多いようです。

初めからきちんとした形の制度を示すのは、もちろん意味があることですが、すべての問題を想定することはできません。ここで「決まりだから従え!」とやってしまうと、利用者は増えず、制度は定着せず、せっかくの取り組みが意味を持たなくなってしまいます。

もう一つ、私が重要だと思うのは、制度がなくても社員の側から「こんなことができないだろうか」と相談や要望が会社にあがってくるような組織風土です。一方的なわがままでなく、会社と話し合いながらルールを決めていっていることからも、会社と社員の間の信頼関係がうかがえます。

会社としての新しい取り組みの成否は、やはりこんな基本的な人間関係が重要なことは確かなようです。