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2023年9月25日月曜日

「在宅勤務」をしたい、したくない、させたい、させたくない

 コロナ禍を機に一気に広まった在宅勤務やテレワークですが、状況が落ち着くとともに、以前のような出社勤務の比率を徐々に戻している企業が増えてきています。

NTTのように「原則在宅」とする企業から、ホンダのように「原則週5日出社」とする企業までありますが、すべて元に戻すのではなく、在宅勤務やテレワークを一定の比率で維持するハイブリットな働き方を考える企業が多いようです。

 

コロナ以前からテレワークが進んでいたアメリカでは、対面の重要性が見直されて、どうやって社員を出社させるかが議論となっているといいますが、テレワークと出社の間での揺り戻しはこれまで何度も起きているとのことで、今は大きく増えた在宅勤務やテレワークから、少しずつ出社に戻そうという方向性なのだと思います。

 

個人的意見としては、出社もテレワークも一長一短があるので、それぞれの長所を活かすために組み合わせていくのが良いと思っていますが、これも一つの揺り戻し現象なのか、在宅勤務やテレワークへの否定的な話と、それに基づく動きが増えてきている感じがします。

 

企業で意思決定する人たちは、在宅勤務やテレワークなどあり得なかった時代を過ごしてきた人が多いと思われ、その人たちからは、自分たちの時代はこうだった、だからやっぱり対面で仕事をしなければだめだと言われることがよくあります。

ただ、いかにも正当のような理由をいろいろ挙げるものの、本音では「一日家にいるのが嫌だ」など、結局「自分たちがずっと続けてきた働き方との違いになじめない」ということを強く感じます。経営層にそういう考えの人が多い会社ほど、できるだけ多くの時間を出社勤務に戻そうとする動きが強いようです。

ここでは、在宅勤務になじんでうまく活用している人たちからの反発が増えて、会社と社員、上司と部下などの間で対立が生まれています。

 

また、働き手の中にも「在宅勤務をしたくない」という人は存在します。

先日話を聞いた人は、在宅勤務をしたくない理由として「仕事の生産性が上がらないから」と言っていました。ただ、なぜ生産性が上がらないのかという具体的な話を聞いていると、必ずしも理屈が通らないことが出てきます。

例えば、「他人の目がないとサボりがちになる」と言っていますが、その人はチームに属さず特命の作業を単独でやっている専門職の人なので、出社しても常に他人の目がある場所で仕事をしているわけではありません。「資料が会社にしかない」と言いますが、よく聞くと同じ情報をネットなどで見ることはできるそうです。「気持ちの切り替えができない」と言い、確かにそういう面はあるでしょうが、それがどのくらい生産性に影響があるのかはわかりません。

結局は「自分の今までの仕事の仕方を変えたくない」という感覚の部分が大きいように感じます。在宅勤務でメンタルダウンが増えたという話がありますが、このような心理的な要因が大きいのかもしれません。

 

出社勤務に回帰しなければならない理由に感覚的なものが多いのに対して、「在宅勤務がしたい」という人たちは、育児や介護などの家庭の事情、遠距離通勤の問題など、その理由とニーズがわりと具体的です。このこともお互いの不満や対立を生んでいる一因のように思えます。出社勤務を求める理由には、もう一歩の具体性や客観性が必要と考えられます。

 

在宅勤務と出社勤務のせめぎあいは、それぞれの会社が、自分たちの価値観に合わせてバランスを考えていくのだろうと思います。どちらが良いと明確に言うことはできませんが、個人のとらえ方は多様になっており、今後ますます企業選びの条件として大きくなっていくように感じます。

 

 

2023年8月21日月曜日

「自分がされてきたことをしてしまう」という人間の特性

 2023年の夏の甲子園大会の代表校で、坊主でない学校が7校あったそうです。

逆に言えば、未だに8割以上の学校が坊主刈りということであり、世間一般の高校生は坊主でない人が圧倒的に多い世の中にあって、それが話題になることはずいぶん異質な感じがします。

他の競技の名門校などでも、丸刈りのチームを見かけますが、やっぱり野球が明らかに多いと感じます。理由はたぶん昔の軍隊か何かの流れで、競技力などに関する合理的な理由ではないでしょう。

思えば、私たちの子供時代の何十年前までさかのぼっても、野球のうまかった子が「坊主が嫌だ」という理由で野球部には入らないことがありました。野球界はこんな些細なことで、実は良い才能を失っていたのかもしれません。

他にも、ようやく女子マネージャーがベンチ入りできるようになったとか、以前は練習補助も認められていなかったとか、時代錯誤を感じる話がたくさんあります。それで良いと判断する意思決定者たちの存在には、大きな問題があると思います。

 

代表校の中でも、監督や選手間のフラットな関係性も含めて、神奈川県代表の慶応高校が紹介される機会が多いようで、監督はチームの考え方を積極的に発信しています。

坊主頭については、それ自体に問題はないが、「昔からこれが当たり前」と思考停止していることや、「そこから飛び出るのが嫌」という同調圧力の方が罪深いと話しています。

 

この監督のインタビュー記事を見ていて目についたことに、指導者に関するものがありました。それは「高校野球に関わる大人、特に指導者が、なぜエゴイスティックになってしまうか」という話です。

その理由に挙げられていたのは、「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性のようなものが現れてしまっていること」でした。自分が現役時代に指導者から体罰を受けたり、高圧的な言動をとられたりすると、それが自分の中のベースになってしまい、自覚がないままに同じ言動をとってしまっているという、負のスパイラルを生んでいると言っていました。

 

まったく同じ話が、企業のマネジメントや人材育成の中でもあります。

パワハラなどは典型で、上司からされて嫌だったはずなのに、自分が上司になると同じことをします。人材育成でも、昔の職人のような「見て覚えろ」という放置プレイが今でもあります。見て覚えることはとても大事ですが、そこにコツや注意点ほかの指導があって、初めて人材育成が成り立ちます。本人の気づきだけに委ねてしまうのは、少なくとも企業で本来やるべき効率的な人材育成とは言えません。

 

こういうことが起こる原因の一つが、前述の「“自分がされてきたことをしてしまう”という人間の特性」と思えます。パワハラ的なことを問題と考えない思考停止で自分も同じ行動を取ることや、自分に教わった経験がなく、同じくそれを問題と考えない思考停止で自分も教えないなどの行為は、まさにこれに当てはまります。負のスパイラル、負の伝承ということができるでしょう。

 

この流れを断ち切るには、「自分がされたこと」に疑問や問題意識を持ち、より良い形に改善していこうと「考えること」「思考停止に陥らないこと」です。高校野球で新たな動きが話題になるのも、思考停止せずに考える指導者が増えている証明の一つと思います。

企業でのマネジメントや人材育成でも、同じことが望まれます。

 

2023年7月31日月曜日

「定年なりたて」の人たちの働き方を聞いて

 私自身は会社員ではないので、「定年」はまったく関係ありませんが、身近な同世代の人たちが「定年」を迎えるようになり、現状の働き方や境遇の話を聞くことが増えました。

 

まず、そのままスッパリ退職したという人は、私の知人の中にはまだ一人もいません。

会社にそのまま残って再雇用という人が一番多いですが、ほとんどの場合で給料は大きく下がります。

 

ある技術職の人は、会社の再雇用制度を使うとびっくりするくらい低賃金だそうで、いろいろ話し合った結果、業務委託契約に切り替えて仕事をすることにしたそうです。65歳まで働ける保証はなくなりますが、まぁどうにかなるだろうとのことでした。

 

別の人で、結構な技術と経験を要する職種の人は、自分しかできない仕事がまだいろいろあるそうで、定年と言っても仕事内容はまったく同じで、かえって忙しくなっているそうです。にもかかわらず給料だけは下がっていて、結構不満を言っていました。スケジュールと経費使用はわりと自由で任されているので、多少は仕方がないかなとも言っていました。

 

定年の数年前に転職した人がいて、やっぱり給料は安くなり、その代わり仕事内容はずいぶん楽になったそうです。本人は「あんまり期待もされないおまけみたいな仕事」と言っていますが、数字など気にしなくいいのは気楽だとも言っていました。

 

ごく少数ですが、定年になっても一切何も変わらないという人もいました。

ある人は、とにかく全国に出張が多く、それは定年になっても何も変わらず、さすがに体力的にきつくなってきているので、出張だけは減らしてほしいなどと言っていました。

 

ついでに自分のことを言えば、今のところはこれまでのように変わらず仕事をしています。契約がなくなれば仕事はなくなりますが、これは今に始まったことではありません。まだ当分は仕事をするつもりなので、とにかく依頼された仕事で確実に成果をあげていくしかできることはありません。すべては自分次第なので、不満という感覚は一切ありません。

 

こうやって周りのリアルな話を聞くようになると、今まで意識が向いていなかったことに気づくようになります。

思ったのは、「働く能力が結構無駄にされているのではないか」ということです。

同じ仕事で給料だけ下がれば、当然やる気は失われるのでパフォーマンスは上がりにくくなります。

働く気がある人やその能力がある人から、一律に仕事を取り上げているようなところがありますが、それでは立ち行かない現場を目にします。結果として、仕事内容は今までのままやってもらいたいが、会社の制度上で給料だけは下がるという現象になっています。

 

「定年」というのは、その人の仕事能力や希望とはリンクせず、60歳という一律の年令を基準にして、みんな一律にご隠居扱いする仕組みです。この一律の中には、活かせるものを無駄にしていることが結構ある感じがします。

 

今の人手不足の環境下で、シニアを活かそうとする企業は増えている感じがしますが、まだ全体の大きな流れとまでは言えません。また、同世代から見ても、扱いが面倒くさそうなシニアがいることも事実です。定年で区切りがついて、周りがほっとするようなこともあるのかもしれません。一方では、元気で若々しく、能力も高く、謙虚な人も大勢います。本当に人それぞれです。

 

いろいろ話を聞く中で、「定年」という仕組み自体が、そろそろ時代背景に合わなくなってきているのかもしれないと感じています。

 

 

2023年7月24日月曜日

「心理的安全性」に関する勘違いいろいろ

 「心理的安全性」とは、自分の言動や行動による他人の反応から怖さや恥ずかしさを感じることなく、人間関係が壊れたり罰を受けたりする心配もなく、誰もが安心して活動できるような職場環境やチームの状態をいいます。

大手IT企業のGoogle社が、チームの成功や生産性向上に役立つという調査結果を発表したことから注目されるようになった心理学用語ですが、最近はわりと一般的にも認知されるようになってきた言葉ではないでしょうか。

しかし、言葉が定着してきたことによって、その理解の仕方に勘違いや誤解が見受けられる場面が増えてきた気がしています。

 

つい最近目にした記事ですが、ある会社のマネージャーからの相談で、自分の部下から「マネージャーは心理的安全性がある環境を作っていない」と責められていて、いろいろ取り組んでいるが批判はおさまらず、どうすれば良いだろうかという内容でした。

しかし、そもそも「心理的安全性」というのは、関係しているすべての人が、お互いに自己開示をしながら、徐々に作り上げていくものであり、誰かが一方的に環境を作ることはできません。こういう発言をしてマネージャーを責める部下自身が、チームの心理的安全性を阻害しているとも言え、そこには本来の意味に対する勘違いがあります。

マネージャーやチームの中心人物が、率先して自己開示をしていく必要はありますが、部下にも自分が一緒になって作り上げていくものという認識がなければ、心理的安全性は生まれません。

 

また、最近よく聞くのは、「心理的安全性」が、仕事上の甘えや緩みを生むのではないかという話です。仲良しグループの甘い環境では、ミスを気にしなくなったり、責任感が失われたりするのではないかという懸念が言われます。

しかし、こちらも大きな誤解であり、「心理的安全性」は、ただ楽で居心地が良い職場環境ではありません。心理的安全性があるからこそ、お互いに言いにくいことが言い合える環境になり、報告、連絡、相談、提案、ミスや誤りの指摘などのコミュニケーションが活発に行われるようになります。相手と意見が違っても、対立を恐れずに自分の考えを伝えることができるなど、お互いが本音で率直に話し合うことができ、その結果として、成果や生産性向上につながるものとされます。

ある意味では厳しい仕事環境ということもでき、もしもメンバーの緊張感が失われていたり、居心地の良すぎて馴れ合いになっていたり、生産性が低下していたりするのであれば、それは心理的安全性が高い環境ということはできません。

 

「心理的安全性」という言葉が浸透するにつれて、ただお互いにやさしい言葉ばかりをかけ合い、誰も厳しいことを言わず、明るく楽しく穏やかな職場であれば、心理的安全性が高いと思う人が増えている気がしますが、心理的安全性の本質はそうではありません。

無用な忖度、遠慮、委縮などをせず、自分が本音で周りの人に接することができるような環境が、心理的安全性の高さです。

 

そもそも、他人にそれを要求したり、相手を疑ったりしている時点で、それは心理的安全性にはつながらないことに気づかなければなりません。

 

 

2023年7月10日月曜日

「従わせる」より「したくなるように仕向ける」

 マイナンバーカードに関する様々なトラブルが批判されています。

デジタル化の推進自体に反対する人はそんなに多くはないはずで、今回の問題は、その進め方に関する稚拙さや強引さといったことに原因があると思います。

 

情報をアナログからデジタルに変換する際には、多くの場合で何らかの入力作業が必要になるはずで、必ずそこがミス発生のポイントとなります。

ミスをゼロにすることはできませんが、減らすためのシステム上の措置や期間的な余裕を見込むのが一般的ですが、「デジタル化を進めるためにカードを普及させる」という手段が目的化していて、ミス発生への考慮や制度設計そのもののあいまいさから、いろいろ無理が生じているように見えます。

 

中でも私が気になったのは、定期的な通院の際に「マイナンバーカードの提示がないと、今月から自己負担金が余分にかかるようになる」と言われた時です。でも従来の保険証と両方提示しなければならないそうです。こちらに降りかかるのは負担金が増えるというデメリットだけで、良くなることは当面何もありません。

このやり方は、利用者の利便性を向上させるのではなく「使わないと損になるぞ」という脅しによって「従わせる」という発想です。トラブルなく使える環境が整っていないにもかかわらずです。

強制されることが大嫌いな私は、利便性が確立されて普通に使えるようになるまで、このカードは絶対持ち歩かないと心に決めました。

 

私自身、マイナンバーカードは発行開始当初から持っていて、理由は自営業なので確定申告が楽になると期待してのことでした。ただ、当初はパソコン用のカードリーダーを自分で買わなければならないとか、添付書類は結局郵送しなければならないとか、いろいろ面倒なので使わずに放置している状態でした。

実際に使うようになったのはここ数年のことで、確定申告で書類添付が不要になったり、各種証明書のコンビニ発行ができたり、ついでにコロナ禍で様々な給付金の手続きが便利だったりするなど、いろいろ制度が整ってきて利便性が増したと感じられるようになったからです。「使おうと思えるような環境が整った」という理由が大きく、使いたくなるように「仕向けられた」と思います。これが今起こっている問題に対する対応とは、根本的に違っているところです。

 

企業の中でも、指示命令によって「従わせる」という風土が強い会社に出会うことがあります。

一見すると判断が早く、その後もスピード感を持って進められるように思えますが、実際には社員がそもそもの意図を理解、納得できていないために、動きが鈍かったりミスやトラブルが多かったりします。そういう会社では、社員が自分で考える姿勢が薄く、自律的な考え方をする社員は居心地が悪いため定着していなかったりします。

 

一方、社員が「したくなるように仕向ける」ということに長けている会社があります。それぞれの社員から意見を聴いたり、話し合いの機会を作ったり、社員にとって何らかのインセンティブを設けたり、やる内容は様々ですが、その目的は「自分がそうすると決めた」と思わせることです。そういうプロセスを踏むことで、それぞれの社員が自律的で前向きに行動するようになります。

 

心理学の中に、すべての行動は自らの選択であり、その時の自分にとって最善と思われる行動を選択しており、行動を決めるのは自分だけなので、相手の行動を直接変えることはできないとする「選択理論」という考え方があります。

すべての場面で応用することは難しいかもしれませんが、この考え方に基づけば、圧力や威嚇、脅しなどで「従わせる」より、その選択を「したくなるように仕向ける」ということが重要になります。

このことを理解していれば、マイナンバーカードのトラブルもずいぶん軽減されていたのではないでしょうか。

 

 

2023年6月26日月曜日

ある会社の人事制度改訂で「当事者意識」が高かった理由

 会社の人事制度策定や改訂は、基本的に社長、役員、人事部など、「会社側」にあたる人たちが主導することがほとんどです。最近は人事の関する戦略や施策が重要な経営戦力の一つと位置付けられるので、会社が主導する形になるのが普通のことといえるでしょう。

 

ただ、ここ最近で支援している会社に、このパターンとは少し異なった取り組みをしているところがあります。「会社の評価制度を整備してほしい」という声が、現場の管理職をはじめとした社員からあがり、会社側がそのボトムアップの要望に応えてこれまでの制度を改訂し、新たな運用を始めた会社です。

 

この会社の様子を見ていると、一般的にみられる人事制度改訂の時の様子とは、結構違っていることがあります。一番大きなことは、制度運用に向けた取り組みが主体的で、手抜きをせず真面目で、前向きに制度を活用していこうという姿勢が、経営陣や管理者など制度運用の中心になる人たちから強く感じられるところです。

 

普通であれば、人事制度というのはやっぱり上からの決定で降りてくることであり、周知が足りない、目的が理解できていない、内容に納得感が薄い、仕事が増えて面倒など、前向きとは言えない反応がどこかに必ず出てきます。

しかし、この会社では、そういったネガティブな反応がまったくありません。事前準備で何度か研修などを実施していますが、必要なことを身に着けようという姿勢が強く感じられます。それ以外でも理解できないことがあれば積極的に質問し、まずは決められたことに前向きに取り組んで、うまく行かないことがあればみんなで相談して直していけばよいと考えています。

 

この姿勢の違いの理由を考えていくと、行きつくことはやはり「当事者意識」の高さです。社員が自ら求めていたものが導入されたことで、「自分たちが責任をもって取り組まなければ言い訳できない」という意識を、少なくとも管理職以上は全員持っているようです。

 

私も今まで多くの会社の人事制度に関わる支援をしてきていますが、当然「当事者意識」の重要性は意識しています。

例えばプロジェクトを立ち上げて制度の議論に社員を参加させたり、社員から様々な意見を聴く場を作ったり、議論の途中経過を含めて説明する機会を何度か設けたりするなど、当事者意識を高めることにつながりそうな取り組みを必ず行います。それでも制度を何年か運用して、ある程度慣れてくるまでは、みんなが当事者意識を持ってくれるまでにはなかなか達しません。

しかしこの会社では、そんなところがまったく見られません。

 

あらためて、組織運営において社員の「当事者意識」が重要なことと、そこにはもともとの自分たちの意思が、同じくとても重要だということを感じます。

周りから刺激された結果ではない、自分たちが初めから持っていた「当事者意識」には、やっぱりかないません。

 

 

2023年6月5日月曜日

若手中心なのに「今どき」とは少し違う会社

 最近接点があった会社で、平均年齢30歳そこそこの会社ですが、「今どきの若者」とはちょっと違うことがたくさんあって、いろいろ興味深かったことがありました。

 

まず目についたのは、社員旅行や飲み会をはじめ、社員同士のレクレーションなど、昭和っぽいと言われそうな社内行事がたくさんあり、しかもその参加率がとても高かったことです。社員の本音がどうなのかわからないところもありますが、旅行については「来年はどこそこに行きたい」などと話し合っているので、それなりに楽しみにしているようです。

 

飲み会と表現しましたが、お店で宴会をするばかりではなく、ランチ会とかケータリングを使った社内懇親会とか、サプライズで始まるピザパーティーとか、その中身はいろいろです。参加を強制されることはないですし、お酒は飲むときも飲まない時もあります。そんな中で社員は、「仕事」とも「プライベート」とも言えないような時間を、わりと楽しそうな様子で一緒に過ごしています。

 

「仕事」と「プライベート」の区別をあまり気にしていないのか、社員同士は仕事を離れたところでも結構交流しているようです。共通の趣味に取り組んでいたり、休みの日でも一緒に遊んでいたりします。

要は社員同士が仲良しなのですが、基本的に中途採用ばかりの会社なので、みんな経歴や境遇は違いますし、若いとは言ってもそれなりのベテラン世代の人たちもちらほら見かけます。決して同じような属性の人たちばかりがつるんでいる感じではありません。

 

経営陣は30~40代の比較的若い年齢の人が多いですが、見ていて気づいたのは、誰も威張ったり偉そうに振る舞ったりしないことです。緊急事態や専権事項は除きますが、一方的な命令をせずに関係者としっかりコミュニケーションを取りながら物事を決めていきます。上から威圧することがないので、当然ですがパワハラのような問題も起こりません。上下関係に委縮せず、わりと本音で話し合える環境があります。

売上利益などの目標は掲げていますが、そこまで厳密に追いかけているわけではなく、あまりガツガツしていません。ダメだと思えば下方修正のようなことも躊躇せずに行います。

入社してきた人には、みんながウエルカムな雰囲気で話しかけ、仲間として溶け込めるようにいろいろ世話を焼きます。社員が食事をしたり遊んだりする場に代わる代わる誘っています。なじみやすい人を選んでいるという側面はありますが、早くなじめるような働きかけがいろいろあります。

「働きやすさ」を求めていった結果として、こうなっていったのではないでしょうか。

 

こんなことから個人的に思い出したのは、私の高校時代で一番一体感があったクラスのことです。仲良しグループは複数ありましたが、それぞれお互いに認め合っていて、クラス全体で何かやろうという時は、誰がリーダーということもなく協力し合っていました。いじめなど一切なく、クラスの中に全員の居場所がありました。

お互いを認め合って尊重し合うこの会社の雰囲気は、その当時のことを思い出すところがありました。

 

実際に仕事をしている中では、たぶんそんな綺麗ごとだけでは済まないですし、外部からは見えないいろいろな問題があるでしょうが、少なくともみんなが毎日仲良く仕事をしている様子を見ていると、競争、他人の評価、上下関係、指示命令、支配、威圧などのありがちな職場の風景は、実は不要なことではないかと思ってしまいます。

 

仕事は日常のことであり、それが必要な時期はあったとしても、基本的に修行や鍛錬とは異なるものです。厳しさばかりでは、人間はいつか疲弊してつぶれてしまうかもしれません。

多くの人が心を穏やかにして働ける環境は、あらためて大事なものだと感じた経験でした。

 

 

2023年4月24日月曜日

「ホワイトすぎる」という理由の退職

 最近、若手社員が「仕事がゆるすぎる」「職場がホワイトすぎる」などの理由で、退職するケースが増えているといいます。

以前と比べて、長時間労働をはじめとした職場環境の課題改善に取り組む企業が増え、その環境は改善が大きく進んでいるといいます。定時で当たり前のように帰れる職場も増えているようですが、そんな職場環境を「ゆるい」と感じている人が、全体の3分の1以上に上るという調査結果もあるそうです。

大企業や有名企業に入れば安心という時代ではなく、職場がゆるいと「もっとスキルや経験を身に付けなくて大丈夫なのか」と不安になってしまうことが、退職に至ってしまう理由の一つに挙げられています。

 

これと似たような退職理由を、私はもう30年近く前に身近で聞いたことがあります。安定したシステム開発のプロジェクトに、中途採用の若手社員が配属されましたが、半年ほどたったところで、「このプロジェクトは自分がいなくても問題なく回っていくので、自分の経験にならないしやりがいも感じない」と言って退職してしまいました。トラブルもなく安定して働きやすいと思われる環境を、「経験が積めない」「面白くない」「やりがいがない」などと感じる人は、昔からいたのだと思います。ハードワークを当たり前に強制されることも多い時代だったので、あまり表面化することがなかったのでしょう。

 

今の若い世代は、プライベートな時間やワークライフバランスを重視すると言われ、確かにそういう傾向を感じるところはありますが、その一方、多数派ではないかもしれませんが、「若いうちにいろいろ経験したい」「家庭を持つまでは仕事中心」など、スキルアップ重視でハードワークもいとわないという若手社員は一定数います。

特に最近は、「他部署や違う会社で、自分のスキルは通用しないのではないか」という不安感も持つ人も多いので、環境が整っていて、仕事のストレスは少なく、周りの人はみんなやさしく、残業はなくて休みは取りやすいというような典型的なホワイト企業では、自分が成長できないのではないかと思ってしまう人はいるでしょう。

 

こういったことも、結局は「多様化している価値観」の一種であり、みんながみんなそう思っているわけではないですし、ホワイト企業が悪い訳でもありません。かといってただ居心地が良い環境を作ればよいということでもありません。

その人の志向に合わせて成長を支援していくことと、合わせて働きやすい環境づくりも進めて、より多くの人が満足できる職場作りが必要になっています。

ステレオタイプで判断せずに、より多くの価値観に対応することが、ますます重要になってきています。

 

 

2023年4月17日月曜日

「通知表廃止の小学校」と「企業での人事評価」の問題意識が似ていたこと

ある小学校で、様々な問題意識から通知表を廃止して、その後どうなっていったかを紹介した記事がありました。

全校で千人を超える大規模校ですが、校長は以前から通知表の在り方に疑問を持っていたそうで、教員に対して「良い評価が多ければ喜び、そうでなければ悲しむだけで、それでは意味がないのではないか」と問題提起したそうです。通知表をやめることも視野に入れた問いかけです。

 

ある教員は、評価といわれると、通知表やテストのようなものばかりが頭に浮かびがちだが、毎日の授業で子どもの取り組みに声をかけたり、提出物にコメントを付けたりするのも評価の一つの形であり、子どもたちの学びを後押しする観点で考えたとき、通知表は望ましい評価の手段だろうかという問題意識を持っていたそうです。

教員たちの意見交換と話し合いは2年間に及び、最終的に通知表の廃止が決まりました。

 

その後は試行錯誤の連続だったそうで、例えば通知表の代わりにこれまで以上に子どもの変化や成長をメッセージで伝えたり、提出物をこまめに返して保護者に学習状況を知らせたりしようと心がけましたが、「時間がかかりすぎて授業づくりができない」「本末転倒だ」と頭を抱える教員もいたとのことです。

保護者からも賛否両論があったものの、激励する意見は多く、「テストや宿題で子どもの得意、不得意は分かる」「数字だけでは評価されない、細かい部分まで見てくれている」「日常を評価してもらい、子どもにとってより励ましを得られている」といったコメントがあったそうです。

一方では、「日ごろの頑張りが一目で分かるものだったので、なくなってしまって残念」「社会に出ても評価はつきまとう」「ずっと競争が続くのだから、自分がどの位置にいるのか知っておくべきだ」といった懐疑的な意見もあったそうです。

 

通知表廃止から二年が経過したころに実施した運動会で、それまで紅白対抗の点数で競ってきたことをやめ、ある学年の団体競技では、目標を「本番で練習よりタイムを縮める」と決めました。

すると、子どもたちは順位よりもタイムに注目していて、タイムを発表するたびに歓声が上がり、順位が最下位だったクラスの子どもでも、「自己ベストが出た」と大喜びで教員に報告してきたといいます。

校長は、あくまで小学校だからできたことであり、中学高校での通知表廃止は極めて難しいものであり、さらに社会に出ても競争や他人の評価と無縁でいられないことは承知していますが、「他人と比べる」という価値観から離れて、評価はどうあるべきかを突き詰めた期間を経て、学校の様子は確かに変わり始めたという実感があるそうです。

 

この「他人と比べない評価」という話は、実は企業でも同じ問題意識による取り組みが行われ始めています。「ノーレイティング」と呼ばれるものですが、評価ランクなどをつけて社員を序列化するのではなく、能力が高い人も低い人も、それぞれの力量に合わせた目標を設定して、それぞれが自己ベストを目指すといった考え方です。

それが会社の業績貢献につながるものであり、それを推進するための仕組みの一つが、最近注目される「1on1ミーティング」です。本人の育成や成長を目的にして、短サイクルで目標設定とフィードバックを繰り返す一対一の面談を言います。

 

人事評価というのは、多くの企業で実施されていますが、運用によっては好ましくない状況を作り出してしまう可能性があります。勝ち組と負け組の明確化、社員の序列付けによる嫉妬、不満、えこひいきといったもの、能力不足を理由にした一方的な社員切り捨てといったものです。

これから評価制度を導入しようという企業がある一方、それを合理的ではない、生産性は高まらないと考えて廃止する企業も出てきています。

 

人が人を評価することは難しく、そこで生まれる問題はどこも似通っています。それに対処する際の考え方、方法にも共通することが多いように感じます。

 

 

 

2023年1月30日月曜日

「人の主体性を奪う方法」とは

人事施策として、「提案制度」や「自己申告制度」など、本人からの提案や意見、希望などを聴く仕組みは、よく見かけるものです。この導入や運用について相談されることも度々あります。うまく活用している会社がある一方、うまくいかずに形骸化、自然消滅しているような会社もあります。

 

いろいろな会社の状況を見ていると、うまくいかないパターンは大体共通しています。

提案制度であれば、導入当初になかなか提案が出されず、提案件数を増やす働きかけをすることが多いですが、問題はここから先で、例えばこんな感じです。

 

提案件数をノルマ化する

↓

どうでもよい雑な提案が増える

  ↓

提案が取り入れられることはない

  ↓

提案のネタが枯渇する

  ↓

制度が機能せず、有名無実化する

 

ここで本来やるべきことは、提案のノルマ化ではなく、提案が実現する事例を増やすことです。意見が取り入れられることが浸透すれば、提案件数は自然に増えていきます。もちろん個人的な不満や到底受け入れられないようなものも出てきますが、質の良い提案も相対的に増えます。

これは自己申告制度でも同じで、希望を聞くからにはそれをいかに実現できるようにするかが重要になります。いくら異動希望などを出しても、それがかなわないとわかった瞬間から、人は発言することをやめてしまいます。

 

ある著名な元アスリートが書き込んだツイッターのつぶやきに、「人の主体性を奪うには」というものがありました。「人の主体性を奪うには『提案をさせて採用しない。意見を言わせて受け取らない』を繰り返すと効果的です。命令で押さえつけるよりもこの方が無力感を覚えさせます」とのことです。

これらは、抵抗や回避が困難な状況に置かれ続けると、「何をしても意味がない」ということを学習して、そこから逃れる努力をしなくなる「学習性無気力」とも共通することです。

 

企業が求める人材像として、「自律性」「主体性」といったものが良く挙げられます。「うちのマネージャーは…」とか「若手社員が…」などといって、これが不足していると嘆く経営者や幹部社員をよく見かけます。

しかしこれは、その人が本来持っている「自律性」や「主体性」が、その会社の環境によって奪われているという可能性もあります。もっとさかのぼって学校教育や親の教育、家庭環境などに原因があるのかもしれません。

 

私の周りには、経営者や自営業者が多いためか、この「自律性」「主体性」を持っていない人に出会うことがあまりありません。みんな自分たちの意思で行動しなければならない環境にいる人たちです。「自律性」「主体性」の有無は、その人が置かれた環境による部分が、意外に大きいのではないかと感じます。

そうだとすれば、環境を変えればもっと「自律性」「主体性」を育てることが可能ということになります。いま一度、自分たちの身の周りの環境を見直す必要があるように思います。