2021年11月29日月曜日

「小学生時代のメンタル」を思い出す?

MLBエンゼルスの大谷翔平選手が、満票でMVPを獲得したというニュースがありました。そのくらいの評価を受けて当然とは思っていたものの、実際に受賞したことで、その凄さをあらためて感じます。

そんな彼が最近記者会見をおこないましたが、その時の内容や話しぶりなどを、コミュニケーション論などが専門である明治大学の斉藤孝教授が、あるテレビ番組の中で分析していた話に興味をそそられました。

 

一番初めに「無駄な謙遜をしない」という特徴を挙げていて、自身の現状把握や客観視する能力が高いといっています。

確かに自分を過大評価したり卑下したりせず、できることはできる、できていないことはできていないとはっきり区別し、次の課題を明確にしているところは、素人の私にも感じられることでした。

 

また「自分で自分を評価しない」という点も挙げていて、これは「評価というのは他人がするもの」というニュアンスですが、同じく野球のイチロー選手や、ほかの一流アスリートにも共通している部分でした。

「自分でコントロールできないことには一喜一憂しない」というのは、重要なメンタルだと思います。

 

大谷選手に関する一連の解説の中で、一番興味深かったのは「身近な向上心」という話でした。

常に身近な課題やテーマを見つけて、それに取り組み続けるということですが、これは一流の人だけの特別なことではないといいます。

実は幼児や小学生くらいの年代であれば誰でも必ず持っているもので、例えば跳び箱が4段飛べたから次は5段とか、九九で六の段まで覚えたから次は七の段とか、そんなステップを踏みながら継続的にチャレンジしていくことだそうです。

 

このように、子供の頃は日常的に普通にやっていたことなのに、大人になると現状に勝手に満足してしまったり、保守的になって次への取り組みをやめてしまったり、成長することをあきらめていたり面倒になっていたりするなど、年齢が上がるとともに失われてしまっているケースが多いことを、大谷選手はまさに昔のままで持ち続けるところが特徴的だそうです。「小学生の頃のメンタル」を継続して持ち続けていると言えるそうです。

 

「小学生時代のメンタル」が失われていると言われると、確かに思い当たることがいろいろあります。今は「これができた」「うれしい」まではあったとしても、「じゃあ次は・・・」とまでには、なかなかなっていません。ゴールに到達したことに安住してしまい、次に進まなかったり、進むまでに時間がかかったりします。

小学生くらいの頃は、やりたくなかったり不得意だったり面倒だったり、そんな状況はあったものの、常に「身近でできそうな次のこと」に取り組んでいた気がします。それがいつ頃から薄れていったのか、今となってはそんな記憶も定かではありません。

 

大谷選手の常に課題を持った継続的な向上心を、「小学生時代のメンタル」と言われると、私たちのような凡人でも、意識の仕方次第で取り組むことができそうな感じがします。

あらためて「身近な向上心」の大切さを感じています。

 

2021年11月22日月曜日

「働かないおじさん」はそんなに大勢いるのか?

ある会社で、俗に言われる「働かないおじさん」が問題として提起されています。年長の男性社員ですが、「不活性シニア」などと呼ばれ、その活性化は「不良社員対策」などと、いかにも反抗的で悪そうな、物騒な印象の表現をされています。

 

その中で、実際に「不活性シニア」「不良社員」に該当する人が、いったいどれくらいいるのかを細かく精査してみると、明らかに該当するような人は結局見当たらなかったそうです。

もちろんクレイマー的な社員が在籍していたことはありますが、シニア男性に限られていたわけではありませんし、そういう人はそもそも辞めてしまうので、長く在籍している年長社員に存在している可能性はほとんどありません。

 

実際にいたのは、その人の報酬と発揮しているパフォーマンスが釣り合っていないと思われる人たちでした。その人たちも自分なりに会社に貢献しようという気持ちはあり、ただ仕事をせずにさぼっているわけではありません。ただ、役職定年や業務の変更で、何をすればよいのかを見失っていたり、年齢のせいもあって、やはり新しいことについていくのが難しくなっていたりすることはありました。

努力や能力が足りない面はあるでしょうが、自分なりには順応方法を考えて、それなりの行動もしています。しかし、その仕事振りのままでは「給料に見合わない」などと冷たい見方をされています。相応の経験者という扱いになるので仕方がないところもありますが、周りが教えたりサポートしたりということは少なく、放置された感じになっていることが多い印象です。

 

一方、報酬のアンバランスというのは、社員本人の問題ではありません。年齢や勤続や年次評価などの組み合わせで、あくまで制度にのっとって決められたものです。不正をしたりごまかしたりしたわけではありません。これまでの制度が時代背景や会社の実態に合わなくなってきたということですが、これは会社の事情であり、社員に責任はありません。

 

決められた仕組みの中で、与えられた仕事を真面目にこなしてきた人が大半なのに、「給与に見合わない」と批判されます。「新しいことに手を出さない」「変化に対応できない」というのは確かにありますが、個人差はあっても年齢とともに順応性が衰えるのはやむを得ないところがあります。

世間のイメージでは、いかにもやる気がなく、仕事をせずに会社にしがみついているだけの「働かないおじさん」ですが、正真正銘の「働かない人」は実はほとんどおらず、その実態は「働きたくてもどうすればよいかわからない」「何とかしたいが自分ではどうにもできない」など、基本的には真面目な人が大半のように感じます。

 

そうだとすれば、ただ「働かないおじさん」と批判的に見て、排除や抑え込みをしようとするのは、いい解決策ではありません。

報酬とパフォーマンスのバランスを取る制度に移行しつつ、その人の経験や資質、性格などに配慮した役割を見つけ、周囲からもサポートをしながら最大限の力を発揮してもらえるようにしなければなりません。以前は偉かった相手でも、教える、手伝うといったことが必要でしょう。

 

年下からすると、年長者はいろいろ扱いが面倒かもしれませんが、少子高齢化の環境下では、できるだけ仕事をしてもらわなければなりません。頑固な人、横柄な人、威張る人、腰が重い人、その他いかにも良くない年寄りの振る舞いをする人はいますが、多くは自分も年下を助けて役に立ちたいと思っています。

 

「働かないおじさん」よりは、真面目に働いて「役に立ちたいおじさん」の方が多い気がします。活かす手段はいろいろあるはずです。

 

2021年11月15日月曜日

「名もなき業務」を軽視すると現場が混乱する

最近は男性の育児参加や家事分担が当たり前になり、率先して取り組む人も増えてきました。「男は仕事で女は家庭」という古い価値観は、好むと好まざるとにかかわらず、もう通用しなくなっています。

 

そんな中で「名もなき家事」という言葉があります。

掃除、洗濯、炊事などの言葉では表せない、すき間にある様々な家事のことで、例としては「脱いだ洗濯物を裏返しから直す」「玄関の靴を揃える、しまう」「トイレットペーパーを交換する」「シャンプーを詰め替える」「コップ、空き缶、ペットボトルを洗う、片付ける」「排水溝のごみや髪の毛を取る」「ごみの分別」など、ものすごく細かい家事ですが、家族の誰かが必ずやらなければならないことで、挙げればきりがありません。そして、この「名もなき家事」を担っているのは、圧倒的に女性の場合が多いそうです。

 

確かイクメンを推進する団体で活動している男性だったと思いますが、自分の家でこの「名もなき家事」をリストにして夫婦での分担を調べたところ、7割以上を妻が行っていたことが分かり、細かい仕事に気づいていなかった自分を反省したという話がありました。

 

同じような話は会社にもあります。「名もなき業務」といってもよい、すき間に埋もれた小さな仕事です。

これはいくつもの会社で見かけたことですが、あまり目立たない社員や評価がそれほど高くない社員からの退職希望であったり、業務上の異動であったりというときに、その上司や部門長が「業務上は特に問題ない」と言っていたにもかかわらず、実際に業務から外れると全く現場が回らなくなってしまうようなことがあります。こういった時に大きく影響していると思われるのが、この「名もなき業務」です。

 

ある会社で、周りからは「仕事ができない」とお荷物のように言われたり、担当業務を「誰でもできる」などと見下されたりしていた社員が、家庭の事情で退職することになりました。周りの社員たちは「別にいなくなっても問題ない」などと言い、当然ですが自分たちの業務にあまり関係があるとは思っていません。

本人は業務をしっかり引き継いだ上で退職しようとするのに、周りの人たちは重要なこととは考えていないのか、あまりきちんと話を聞いていない様子です。

 

そんな状況のままでこの人が退職したのち、現場の業務は徐々に混乱し始めます。「ファイルの在り場所がわからない」「資料がそろわない」「事前のデータ更新がされていない」など、発生する問題は様々です。

それぞれは決して難しい仕事ではありませんが、退職した社員は「関係先に資料を催促して期限までに揃える」「ばらばらに集まってくるデータファイルを整理して格納する」「紙資料を確実にファイリングする」など、あまり表には出ないが自分の仕事を確実にこなし、みんなの作業が進めやすくなる環境づくりをいろいろやっていたことがわかってきました。

「この話は誰に」ということをよく知っていて、問い合わせや確認を効率よくやっていたことや、関係先から必要な情報を期限までに集めることが、実は結構大変だったことが明らかになってきます。

 

その後、あらためてこの退職した社員と相談し、家庭の事情と折り合うような形で、当面パートタイムで仕事に復帰してもらうことになりました。この人の仕事を「誰でもできる」などという人は、もう一人もいません。

 

「辞めても問題ない」「現場は十分回る」と言っていたのに、実際にはそうではないケースはどの会社でもあり、その一因には周囲からあまり見えていない「名もなき業務」の存在があります。

一見「その人がいなくてもできる」「誰でもできる」ように見えても、もっと詳細を見極めなければ実態がどうなのかはわかりません。

「名もなき業務」をはじめとした小さな仕事を軽視すると、自分たちが痛い目を見る可能性があります。注意しなければなりません。

 

2021年11月8日月曜日

「リーダーは・・・」のあるべき論や決めつけや思い込み

あるプロ経営者のインタビュー記事が印象に残りました。

新しい環境に経営トップとして飛び込めば、当然歓迎されないことはあるけれども、社員をまとめて利益を上げなければなりません。

記事の中ではそんな時に「前任者のスタイルを変えなければいけない」と思い込んでいる人がいて、何でも自分流に変えようとするが、現状のやり方で成果が出ているのなら、あえて変える必要はなく、またうまくいっていないことでも、一方的に新しいやり方を押しつけることは、反発されるだけなのでしないそうです。

 

できれば社員と協力して、どんな課題があるかを抽出し、課題が出てきたら全員で解決方法を議論して、今後どう取り組んでいくかを決めていくことで、多少時間がかかってもお互いに信頼関係が生まれて物事がスムーズに運ぶといい、物事を変えるには、「自分のおかげかも」「私も頑張った」と思えるようにすることが重要だと言っています。

記事のタイトルは『「嫌われても構わない」というマネジメントは幼稚だ』とあり、周囲に嫌われては駄目で、どうしたら相手に受け入れてもらえるかを考えて行動するのが、マネジメントの仕事だと締めくくられていました。

「嫌われることを恐れないのがリーダー」という言葉を聞いたことがありますが、確かにそういう面はあっても、それとは反対のことを言っているこの記事の方が、私の現場感覚には合っていました。

 

トップリーダーとして組織に乗り込んでいって、自分の考えで変革を進めて、それが思い通りになれば本人の達成感は大きいでしょうが、そのやり方では必ずどこかに歪みが起こっています。しかし、その歪みにこのタイプのリーダー自身が気づくことはありません。その歪み自体を「あって当然」「仕方がないこと」として、問題視していないからです。

その歪みの多くは社員からの不満や不信ですが、最終的に社員からの共感が得られていなければ、組織改革は結局達成できません。

 

「リーダーは・・・」「リーダーだから・・・」というあるべき論は、至るところで見聞きします。多くはリーダー経験者が自分の体験をもとに話していることで、それぞれ根拠はあるでしょう。

ただそこでは、本人のキャラクターや周囲の環境に左右されていることも多々あり、決めつけや思い込みといったことも含まれています。

 

例えば「リーダーは背中を見せろ」「率先垂範」が否定されることはほぼありませんが、実践するにはリーダーの能力が、スキルや人格まで含めた多くの面でメンバーよりも優れていなければなりません。それはなかなか難しいことです。

また「先頭で引っ張る」というリーダーシップスタイルしかなく、メンバーを「支える」「支援する」「意見を聞く」「自律を求める」という側面はどうしても希薄になります。一般に言われるリーダー的な性格の人には向いていても、そうではない性格の人は、同じスタイルではなかなかうまくいきません。 

陣頭指揮で「采配」を振るう以外に、裏方や世話役として「差配」するというリーダーシップもあり、様々なリーダーシップスタイルを認めることが、より良い組織につながっていきます。

 

「リーダーは・・・」「リーダーだから・・・」のあるべき論や決めつけや思い込みは、できるだけ減らしていくことが望ましいと思います。

 

2021年11月1日月曜日

頑張りすぎた計画作りの弊害

年度も下期に入ったところですが、そろそろ来季に向けた計画作りを始める会社もあると思います。

様々な会社で見てきた事業計画作りの様子には、それぞれの会社の個性が強く見られます。どんな会社にも何らかの計画や目標が必ずありますが、計画作りに関する手間のかけ方を見ていると、割とアバウトな目標設定のみというところがあったかと思えば、かなり多くの時間をかけて緻密に組み立てようとする会社があるなど、その取り組み方には大きな差があります。

どちらかというと、歴史がある会社の方が過去からの慣例も含めて詳細に詰めようとし、歴史の浅い新興企業の方が全般的に大まかという印象です。

 

一概に良し悪しは言えませんが、私が見ている中で特に最近感じることが多いのは、計画作りに労力を注ぐ会社の方に、かえってその弊害が起こっていることです。環境や条件、前提が変わってしまって計画見直しが必要な時、それをするのに時間がかかる、もしくは見直し自体ができないという状況に陥っているのです。

手間をかけて緻密に組み立てた計画であるがゆえに見直しづらい気持ちや、一度決めた計画は守り通すべきという心理、見直す手続きが複雑、会社や上司からの計画維持を求めるプレッシャーなど、様々な事情がありますが、根底には「苦労して一度作り上げたものだから壊したくない」という様子が見え隠れします。

こういう会社では、個人の目標管理でも同じことが起こります。期初に設定したものの、その後の状況変化で目標達成が難しくなったもの、意味がなくなったものなどがあっても、目標の見直しや変更をできるだけ避けようとします。意図的というよりは無意識のうちにそうなっているようにも見えます。

 

昨今はVUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性)の時代と言われ、先行きの予測が難しい環境になっています。当然計画作りは難しく、実際にも計画通りにいかないことが多くなっていますが、そこで従来からのように「目標を守り通す」と考えることは、かえって問題を大きくします。

 

私が見ている限りでは、若い会社ほど当初目標や計画にこだわらず、状況に合わせてどんどん見直しを進めていく様子があります。変えるのは必須なことで善であるという感覚です。計画や目標は状況次第で変わる物という認識なので、その策定に多くの時間や労力は投入しません。計画作りで頑張りすぎていないので、見直しに柔軟な姿勢があります。

 

もう一つ、計画作りを頑張りすぎると、計画ができたところで「終わった」という達成感を持ってしまい、それ以降の計画達成に向けた取り組みがおろそかになってしまう場合があります。練習しすぎて本番の試合がダメだった話に似ています。

計画作りや目標設定は、目指すゴールを定める上で必要なことですが、重要なのはそれらの達成に向けた具体的な行動であり、準備段階で力を使い過ぎてしまうと、肝心な行動をする力が足りなくなってしまいます。

 

今の環境を考えると、計画作りは頑張りすぎず、見直しを積極的に柔軟におこなうことの必要性が増しています。「走りながら考える」という姿勢がより一層必要になってきています。