2017年11月6日月曜日

「一体感」を求めることが、行き過ぎた「同調圧力」になっていないか



最近、まったく別の会社のマネージャーから、それぞれ同じような話を聞きました。
自分の配下にいるメンバーに中に、「協調性がない」「空気を読まない」「他の人と合わせようとしない」という人がいて、自分のグループがまとめづらくなっているのだそうです。他のメンバーたちからも何となく浮いていて、マネージャーは「一体感が作れない」と困っています。

また、こういうメンバーに限って、指示していないことを勝手に進めていたり、逆に指示しなくても当然やっているはずと思っていることが取り組まれていなかったりします。マネージャーにとっては「手間がかかる部下」であり、「チームワークを乱すメンバー」となっていることが多いでしょう。

このような扱いづらいメンバー、部下というのは、リーダー的な経験をしたことがある人であれば、程度の差はあれ一人や二人は必ず出会ったことがあると思います。
私自身も20代後半から30歳前後の頃には、特にそういう経験がありますが、その頃の自分のレベルでは、残念ながらうまく折り合いがつけられたとは言い難い状況でした。やはり、問題があるのは他のメンバーに合わせられないその人であり、その人が変わらなければ解決しないものだと思っていました。

部門やチーム、グループをまとめる立場であれば、そこに「一体感」をもたらすのは必要なことですし、重視していることでもあると思います。それを乱す人に対しては、不快でいら立たしい思いになるでしょうし、できれば直してほしい、変わってほしいと思うでしょう。さらに、それが部門やチームの成果に悪影響があるならば、無理やりにでも変えさせなければならないこともあります。

それのことは前提として、私が最近耳にして気になっている言葉に、「同調圧力」というものがあります。
言葉の意味を調べると、「ある特定の集団における何かしらの行動や主張について、多数派の集団が少数派の集団に対して同調を迫るためにかける圧力のことで、明白・意識的におこなわれる場合もあれば、暗黙・無意識のちにおこなわれる場合もある」とされています。

私が思ったのは、グループをまとめるために求めている「一体感」というものと、この「同調圧力」の境目はどこにあるのかということです。チーム成果を求める上で、「一体感」は必要なものだとして、これが行き過ぎて「同調圧力」となっていることが、思った以上に数多くあるのではないかということです。

例えば、企業理念や基本的な価値観を共有することは、会社としての「一体感」を持つ上では必要ですが、リーダーやマネージャーの個人的な価値観、もっと言うと好き嫌いにあたるようなことまでは、部下やメンバーが同意する必要はありません。
しかし、リーダーやマネージャーにとっては、それがある方が部門やグループをまとめやすくなるので、「一体感」と称して、そこまでの同意や共感を求めていることがあります。もしそうだったとすれば、これは必要以上の「同調圧力」だといわれても仕方がありません。

これは私自身の過去の経験でも、この「同調圧力」をかけていたのではないかということは、思い当たることがいくつもあります。その当時は特に疑問を持っていませんでしたが、今になって思えば、「組織」と「個人」のバランスの中で、自分に合わない「個人」を排除していたのではないかという反省があります。

グループをまとめる上で必要な「一体感」を作り出すことと、これが行き過ぎて「同調圧力」となっていることの境目について、明確な定義は難しいですが、相手が圧力を感じたのだとすれば、やはりそれは行き過ぎなのだろうと思います。
たぶんはっきりわからないのでしょうが、この境目があることは、リーダーとして意識しておく必要があると思います。



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