2017年11月3日金曜日

そのやり方は本当に目的に合っているのか?



関西の公立高校で、地毛が明るい色の女子生徒に、「髪を黒く染めろ」と執拗に強要したことが強く批判されています。
これが30年以上前であれば、確かに毛染めが非行とつながると見られた時期もありましたが、今はもうそんな時代ではありません。私は相当にあきれていますが、こういうことが正義だと考えた大人たちがいたということも事実です。なぜそうなってしまったのか、誰かの圧力なのか、洗脳なのかはよくわかりませんが、少なくともそれが当然の常識、しきたり、ルールになっていたということです。
たくさんの大人が関わっていたにもかかわらず、「なぜそれが必要なのか」「それは今でも必要なことなのか」と考える人がいなかったことの怖さを感じます。

これは会社でも見受けられることで、よく考えれば必要がないことを、「前からやっているから」という理由だけで続けていることがあります。
また、同じような目的であっても、会社によって全く違うやり方をしていたりします。

少し前に、ある会社の社員懇親会に参加する機会がありました。一部の顧客も呼んでいますが、主には社内の懇親を深めることが目的の立食形式のパーティです。
ただし、社長をはじめとした一部の役員だけには、会場の中央に着席する椅子とテーブルが用意されていて、偉い人はそこに集まっています。

会が始まると、その席のお世話をする数名の社員がつき、料理を取ってきたりお酒のお酌をしたりしています。他の社員たちは一応挨拶をしにお偉いさんの席に立ち寄りますが、本当に型通りの挨拶をして、二言三言の言葉を交わして離れていきます。
こういう感じの宴会はそれほど珍しいことではなく、どこの会社でもよく見かける雰囲気のものですが、私はこういうやり方がとても気になってしまいます。このやり方が「この会のもともとの目的に合っているのか」と思ってしまうからです。

そもそも社員懇親会というのは、純粋に社員同士が交流して、できれば人脈を広げたり深めたり、会社の一体感につなげたりすることが目的であるはずです。また、立食パーティという形式も、席の移動をしやすくして、より多くの人と交流しやすくするのが目的の一つです。

しかし、偉い人だけに席が用意されているというのは、「この人たちだけは交流する輪に入らない別の種類の人」というメッセージを与えますし、社内の階層の違いがはっきりわかります。世話係がいて、自分たちが取り立てて動く必要もないとなれば、もはや立食パーティに参加しているとは言い難いです。
これが「社長をはじめとした役員と社員の格差を理解させる」とか「社内の偉い人たちを接待する」という目的の会であれば、このやり方でもよいのでしょうが、果たしてそうだったのかということです。

これはずいぶん前に別の会社で見かけた光景ですが、やはり同じような一部顧客も交えた社員懇親の立食パーティで、社長をはじめとした役員は、みんな野球場の売り子さんと同じビールサーバーを背負わされていました。そこには風船がついていて、遠くからでもわかるようになっています。一部の高齢な人を除いては、全役員がそのスタイルです。

要は「上の者がお酌をしてまわれ」「出席者にサービスしろ」ということのようで、その会に出席している顧客や社員は、風船の下に行けば誰か偉い人がいてビールを注いでくれるということになります。そうなると、社長や役員たちの周りはどこも人が集まり、そこで多くの人と言葉を交わし、その会話もそれなりに弾んでいます。
「こういう時くらいは上下の垣根をなくし、より交流を深めて会社の一体感を作りたい」という目的から考えたことだったそうです。

私が好感を持つのは後者のような会社で、実際にそういう会社の方が業績も良かったりしますが、どちらのやり方が良いかを一概にいうことはできません。それぞれの会の目的が違っているかもしれないからです。ただ、そもそもの目的を見失っていることが数多くあります。

ここからはあくまで想像ですが、前者のような会社では、偉い人の中に「立食はつらい」とか「椅子が欲しい」という人がいて、そういう要望に応えていくうちに、だんだん元の目的から逸脱していったのではないかと思います。
もしもこの会が何年にもわたって継続されているようなものであれば、当初の目的などはすでに意識されておらず、「こういうもの」というしきたりのようになってしまっているのだと思います。
偉い人たちが、何となく自分たちが楽なように振る舞い、周りがそれに合わせることが普通になっていく中で、本来の目的が失われて行ってしまったのではないでしょうか。

あくまで宴会という直接仕事とは関係がない場でのことですが、これと同じように本来の目的がいつの間にか見失われてしまっていることは、仕事の上でも多々あるはずです。
「そのやり方は本当に目的に合っているのか?」ということは、常に問いかけ続けなければなりません。


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