2021年4月26日月曜日

辛そうな業務の指示は「初めは“論理”で、最後は“感情”で」

リーダーやマネージャーの立場になると、初めからつらさが見えている仕事でも、部下の誰かに依頼してやってもらわなければならない場面に出会うことがあると思います。

 

こういったとき、「上からの指示だから」「いいから黙ってやれ」などと権威で抑えつける人がいます。指示する側も本音では困っていたり、他にどうすることもできなかったりということもありますが、それでも最近は、相手が納得するためのプロセスをあまり重視せずに省略することが増えている感じがします。それほど相手の気持ちを気遣う余裕がなくなってしまっているということなのでしょうか。

 

これは私よりも年上のベテラン社長からの言われたことがある言葉ですが、厳しさやつらい状況が初めから見えているような仕事を部下に指示しなければならない時の心得として、「初めは論理で、最後は感情で」と言っていました。

その仕事の厳しさを和らげる環境整備の努力はしますが、だいたいはそれだけでは足りません。そこで初めのうちはその事情を論理的に説明し、そこでは悪い話も含めてすべての情報を包み隠さず伝え、筋道を通して十分にその仕事の必要性を話すそうです。すべてのことを論理的に、隠し事をせず誠実に話すことで、お互いの信頼関係を築いていきます。

 

そもそもつらい仕事というのは難易度が高い仕事であることがほとんどで、それを任せられるのは相応の能力がある限られた一部の人になります。その人に納得してもらわなければ仕事は回りません。誠実に論理的な説明をすれば、それなりに納得してくれることがほとんどですが、それでも本音の部分では「できればやりたくない」「なぜ自分が」など納得しきれていないことがあります。

 

そんなとき、最後の最後で必要になるのは、「君以外にいない」「あなたの力を貸してほしい」「私の顔にめんじて」など、心を込めて一生懸命に話して感情に訴えて、本心からも納得してもらうことだそうです。そのためには相手から、「この人にそこまで頼まれたら仕方ない」と思われるような信頼関係が必要で、「嘘をつかない」「隠し事をしない」「過大評価や過小評価をせず事実を話す」といったことを通じた日頃からの信頼関係があるからこそ、相手の感情を揺さぶることができるということでした。

 

ともすれば論理だけで相手を論破して自分の思い通りにさせようとすることや、逆に理屈が通っていないのに感情だけに訴えかけて、相手を言いくるめようとする態度を目にすることが増えました。

人間が物事を納得するには、最後は感情によるところが大きく、いくら理屈が合っているからといって納得できるとは限りません。また論理が成り立っていなければ、感情に訴えてもいかにも丸め込もうとしているかのような印象で、同じく納得は得られません。

 

「初めは論理で、最後は感情で」という言葉の通り、この両方を場面に応じて使い分けることが重要であり、最後の最後は「感情」が優先するということを理解しておかなければなりません。さらにそのためには日々の信頼関係の積み重ねが活きてくるということを、十分に心にとめておく必要があります。

 

最後に余計な一言ですが、昨今の政府の感染対策は、これらのことをすべて無視しているように感じます。納得と信頼が得られないのは当然のように見えてしまいます。

 

つらいことをやり遂げるには、「初めは論理で、最後は感情で」が大切なことだと感じます。

 

 

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