2017年3月6日月曜日

「家庭内管理職」の話とつながっていると思ったこと



「家庭内管理職」という言葉が脚光を浴びているのだそうです。

「同居する父が、管理職だった有名企業を数年前に退職後、家でも管理職のように振る舞い、困っています」という相談が新聞に掲載され、他の雑誌にも取り上げられたことから広がっているそうです。

実際に起こっている状況がいろいろ挙げられていて、
「自分自身の過大評価していて、やたらと過去の栄光を持ち出す」
「重箱の隅をつつくように細かいダメ出しをして、そのくせ自分ではやらない」
「面と向かって意見されることがなくなっていたせいか、反論に対して異常に怒る」
などとあり、時には家庭内だけでなく、町内会や自治会といった地域の集まりが対象になることもあるようです。

こういう問題は、若い人であればこの心理があまり理解できず、自分は絶対にそうならないと思っていて、それが年令とともに少しずつ分かるような気がしてきたり、無意識のうちにその当事者になっていたりするなど、ライフステージによって捉え方が変わってくるものだと思います。

一緒に生活する家族はたまったものではないでしょうが、もしこれと同じことを会社でやっていたとしても、同じように部下からは確実に嫌われる上司だと思います。
たぶん自分を取り巻く環境が変わったことを受け入れられないという心理的な問題が大きくあって、より極端に行動になってしまっているという面もあるのでしょう。

私の周辺には幸いここまでの人はいませんが、これまで私が多くの会社の管理職、もしくは退職された元管理職の方々と話していて、この「家庭内管理職」につながっていると思ったことがあります。

それは、「他人に命令することに躊躇がない」という人がいることです。
実際にどんなことがあったかというと、お互いは同じ社内という訳ではなく、人間関係の距離感、信頼関係、上下関係といったものが微妙と思われるような間柄でも、ハッとするような命令口調で話をしてしまう人がいるということです。協働しようとか分担しようという内容ではなく、「自分はやらないが、あなたがやりなさい」というような、一方的な命令に近い内容の話です。

私がこれを感じる相手は、どちらかといえば大企業出身の方が多かったですが、日常業務においても「自分が指示して部下が服従」という比率が高く、マネジメントだけに徹する“管理職らしい管理職”が育ちやすいのは、どちらかといえば大企業の方が多いということではないかと思っています。

マネジメントに徹するというのは、現場には入らないということなので、「自分はやらない」ということが前提での指示命令になります。これは会社のような閉じた組織の中では日常的にあることでしょうが、それ以外の一般社会の中では、どちらか一方だけに負担を強いるということはそれほど多くなく、そもそもあまり好まれることではありません。

「自分はやらないが、お前がこうやってやれ」などという話は、通用するのは社会の限定された一部だけであるはずなのに、それが仕事を中心にした日常生活の中で染みついてしまったということでしょう。

「家庭内管理職」の記事に書かれていた解決法には、「できるだけ距離を置くこと」などとあり、「年がいってから生き方を変えるというのは至難のこと」とも書かれていました。
それでも、「自分の行動、言動が通用するのはごく一部の世界だけ」という自覚があれば、多少なりとも変えることはできるはずです。

「他人に命令することに躊躇がない」というのは、一般社会ではあまり好まれない、普通とはいえないことです。それを理解しておくだけでも、「家庭内管理職」などと言われる人は、もっと減らせるのではないでしょうか。若い人ほど今のうちから、だと思います。

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