2017年3月13日月曜日

「他人に期待すること」の良し悪し



私の知人のある会社の社長には、ご自分の後継者と考えている期待の人材がいます。
社長のほうからは常に期待と信頼を伝え、様々な場面に同行させることを心がけ、自分が持っているものをできるだけその人に伝えようとしています。期待されている本人も、社長の思いを理解して、一生懸命に頑張っています。
社長によれば、まだまだ不足していることも多いようですが、自分の力がおよぶ限りは支えていこうと考えているとのことです。

一方、別のある会社の部長ですが、毎日の仕事で常に大きなストレスを抱えています。
聞けばご自分の部下たちが、思うような行動、働きをしてくれないそうです。部長からすれば、いちいち指示されなくてもやるべきことなのに、それが実行されていなかったりします。部下の経験レベルからして、常識で考えればわかりそうなことが放置されていたり、手を抜いたりしていることがあるそうです。勝手に別のやり方をして不都合が出ていることもあるとのことです。
部長の役割として割り切っているつもりですが、そんなことをいちいち指示しなければならないストレス、「なぜこんなことがわからないんだ」という部下への不満が、日々募っているということです。

前者の社長のように期待の人材に出会えたとすれば、それはとても幸せなことですが、多くの人が実際に思い当たることというのは、後者の部長のような、他人が自分の思い通りにならないイライラではないでしょうか。

私自身の話としては、実はどちらのケースもあまり経験したことがありません。
前者のように、自分が思い入れを込められる期待の人材に出会えていないということでは、あまり幸せではないのかもしれません。
後者のことで言えば、若い頃は他人の行動や言動に対して、非常識であるとか無責任であるとか能力が足りないとか、その他何かと不満を持つことはありました。しかし、いろいろ経験していく中で、「他人が自分の思い通りにならないのは当然であり、期待通りになることの方が稀である」という心構えが身についてきてからは、そういう感情はほとんどなくなりました。

タレントのタモリさんの言葉として、書籍などで紹介されているものの中に「他人にも自分にも期待しない」という内容のものがあるそうです。そうすれば、他人に対していちいち感情的にならずに済み、人間関係も円滑になるのだそうです。

「他人に期待すること」が良い作用をするのは、“適切な人材に適切な期待をし、それを相手に適切に伝えることでやる気につなげる”ということであり、悪い作用をするのは、“期待が過剰であり、達成されないことが相手を非難する材料になっている”という場合だと思います。

紹介したケースで言えば、前者の社長は長い付き合いをしてきて気心が知れた、信頼している相手に対する実現可能な期待であり、この期待を伝えることが相手のやる気にもつながっています。
後者の部長の場合は、過剰な期待が多分に混じっていて、達成できないことで部下を責めている可能性があり、そうであれば部下のやる気を削いでいるかもしれません。

「他人に期待しない」というのは、自分の精神衛生上は良いのかもしれませんが、相手に良い刺激を与えることはありません。一方「他人に期待する」ということは、思い通りにならないことは多くても、相手のやる気を促すことができるかもしれません。

好ましいのは両方を使い分けることであり、前提として重要なのは、「適切な人材に適切な期待をする」ということなのだと思います。
私の場合であれば、もっと積極的に“他人への期待”を伝えていくべきなのかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿