2014年1月6日月曜日

「判断」は頭で、「決断」はハートで


野球の野村克也さんのコラムで、「不真面目の勧め」という話があり、これがとても印象に残りました。

要約すると、以下のような内容でした。

「ビジネスでも同じだろうが、勝負事には“判断”“決断”の両方が要求される」
「なんらかの基準があってなされるのが“判断”であるのに対し、“決断”には基準がない」
「基準がないから“決断”はいわば賭けであり、勇気が必要なものである」
「賭けには失敗がつきものだが、真面目一辺倒の人間は失敗を極度に恐れるから、的確な“判断”はできても、実行する“決断”ができない。そもそも失敗するリスクがあるようなことは、はなからやろうとしない。」
「大きな果実を得るために、成長しようとするならば、ある程度の不真面目さが必要である」

特に心に残ったのは、
「失敗を恐れる人は、“判断”はできても“決断”はできない」
“判断”は頭で行い、“決断”はハートで行う」
という二つの言葉です。

私が真面目かどうかは別にして、特に失敗したくない時というのは、いろいろなことをロジックで考えて、何とか失敗することを避けようとします。
失敗しないように、事前事後でできるだけの手を尽くすということは、それはそれで当たり前なことだと思いますが、結果的には“無難に”“安全に”という傾向が強くなり、新規の取り組みや、前例が少ないことでは、あまり大きな飛躍は無くなってしまっているように感じます。

また、人材育成の場面で、新入社員や若手社員に素直で真面目な人が増えてきたような印象がありますが、これが若者に対する一般論として言われる、「失敗を恐れてチャレンジしない」という話と少し通じる感じがします。

成功も失敗も含めていろいろな経験を積んでいけば、「判断」をする能力は上げていくことができると思いますが、「決断」というのは、それだけでできるようにはならないように思います。
「判断」する“頭”はある程度は作れるけど、「決断」をするだけの“ハート”は、単に経験を積んだからといって、一概に作れるとは言えないということでしょう。

何でも“判断”という形の理屈ばかりで考えず、勝負どころでは論理を超えた“決断”が必要なことは理解できますが、頭でわかっていてもなかなか実行できるものではありません。
ただ、“決断”が必要な勝負どころはできるだけ見誤らないように、『「判断」は頭で、「決断」はハートで』という言葉だけは、常に意識しておこうと思います。


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