2016年10月10日月曜日

新・電通事件で見える「人を見下す職場」の不愉快さ



広告代理店大手の電通で、新入社員の女性の過労自殺が起こってしまい、労災認定がされたという報道がありました。

電通といえば、1991年にも今回と同じような事件があり、それが長時間労働によるうつ病の発症と、その結果としての自殺という一連の因果関係が初めて認められて労災認定され、企業の安全配慮義務が明確にうたわれた判例として有名です。
メンタルヘルスの研修をやると、必ずと言っていいほど取り上げられるものですが、今回また同じような事件が起きてしまったということで、とても残念で腹立たしい気持ちになります。

さらに今回は、亡くなられた方のSNSへの投稿が記録として残っているようで、その内容を見ると、あまりにも異常な労働実態が広く行われていたと思われることや、セクハラ、パワハラにあたるような上司からの言動も見受けられ、問題としてはかなりタチが悪く、しかも根深いように思われます。

過去の事件を反省し、会社として改善に向けた取り組みをしているような話を聞いていましたが、仮に一部の部署だったとしても、そんな過去の誤りに対する当事者意識がなく、同じようなことを続けていたということでしょう。

今回特に気になるのは、上司が労働実態を知っていたと思われるにもかかわらず、その改善どころか相手の疲労困憊した様子や身なりを叱責したり、女性であることを揶揄したりするなど、どう見ても嫌がらせとしか思えない対応をしているところです。
かなり年上の上司もいたようですが、もしも自分の娘だったら同じことをしたのだろうかと、そもそもの人格に疑問を持ってしまいます。

このような「相手を見下す態度」は、個人の性格による場合もありますが、組織全体の風土として定着してしまっていることもあります。

組織の特徴として、「人を見下す職場」に多いのは、外部からの人材の流入が少なく、役職と年次が入れ替わる下剋上のような事象がほとんどないことです。昔ながらの体育会系部活動などでも同じようなことがありますが、これは日本の学校では飛び級や留年は、一部の大学などを除いてほとんどなく、学年が入れ替わるようなことはほぼ起こらないからです。
序列が固定化されているような組織ということですが、今回いろいろな情報を見ていると、どちらかといえば組織に由来する問題の方が多いように見受けられます。

こんなことから、「人を見下す職場」の風土を改善しようと思えば、その方法としては単純で「固定化された序列を崩す」ということになります。
年次によらない役職任命がされ、自分の部下が上司になるような可能性があるとすれば、パワハラなどは起こりにくくなりますし、外部からの人材が増えてくれば、だんだんと序列に組み込みづらくなり、年次だけで上だ下だとは言いづらくなっていきます。

ただ、今まで年功的な色彩が強かった組織であればあるほど、実際にはそこまでドラスティックに改革することは難しく、問題があることはわかっていても、年次の逆転はごく一部に留めているようなところが多いです。
結果として問題はそのまま残り、「人を見下す職場」の風土は温存されます。そんな中で今回のように不幸な出来事が起こってしまいます。

「人を見下す職場」というのは、見下されている側はもちろん、見下す側にとっても良いことは何一つありません。働く上ではお互いに不快な職場でしかなく、そんな職場に属するチームが良い成果をあげられる訳がありません。

今回の件では、若い命が失われた憤りだけでなく、「人を見下す職場」の不愉快さも合わせて感じています。


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