2018年4月13日金曜日

「サボり」と「息抜き」は何が違うか


ある新聞に「サボりのススメ」という記事がありました。3人の著名人がご自身の経験や考えを語ったもので、サボりの効用として「雑談でのやり取りがアイデアになる」「自分の立ち位置を見渡す踊り場が必要」「社会が完璧を求めすぎて生産性を下げている」など、手を抜く、休む、サボるというのは決して悪いことではないという話でした。
私もまったくその通りだと思います。

その一方、企業の中で「サボること」を積極的に認めるのは、ちょっと難しいことです。その時の状況や相手の信頼度によって、サボりを「見て見ぬふり」はできますが、やはり自分に都合が良い解釈で、限りなくサボろうとする人がいます。
喫煙ルームに行くたびに30分、1時間と帰ってこない、それが一日5回も6回もあるなどという話を聞くことがありますが、業務時間中の行動として、それはさすがに度が過ぎているでしょう。
しかし、そういう人に限って、その行動は単なる「休憩」「息抜き」だと主張します。

では「サボり」と「息抜き」は何が違うかを考えてみると、見た目の様子は同じように仕事をしていないので、たぶんほとんど変わりません。
違うのは内面的な気持ちの問題です。仕事の効率を上げるため、生産性を高めるため、成果を上げるために、張りつめた状態を一度ゆるめるということであれば、これは「休憩」「息抜き」であり、良い意味での「サボり」と言えます。
これに対して、ただやりたくないことから逃れるため、楽をしたいためとなると、これは悪い意味での正真正銘の「サボり」になるでしょう。

そして、これが内面的な気持ちの問題ということは、それが「サボり」か「息抜き」かという区別は、他人から見ていても、とてもわかりづらいということになります。見極める方法は一つしかなく、その人の日々の行動を継続的に観察して、仕事の進め方や結果、成果との見合いで判断していくしかありません。

「サボりのススメ」が通用するのは、真面目に取り組む人、何かを成し遂げてきた人、自己管理能力が高い人など、要は信頼できる自律した人材ということになります。
もちろん「サボり」と「息抜き」の境目がそれほど明確にある訳ではありませんし、どんなに自律した人でもやりたくない、逃げたいという気持ちのときはあるでしょう。そういうことまで含めて「サボりのススメ」と言っているはずですが、悪い意味での「サボり」の比率が圧倒的に高い人は、確実に存在しています。「働かないおじさん」などは、そんな一例と言えるでしょう。

行き詰まったことを投げ出してみる、ゆるんだ時間を作るといったことは、絶対に必要で大事なことです。
その一方、サボり癖の人が「サボりのススメ」と聞いて、そうだそうだと言っているとしたら、それはちょっと困りものです。
「サボり」というのは、それをポジティブにできる人とできない人がいます。特にリーダーやマネージャーの立場では、部下やメンバーたちの日頃の素行はしっかり見ておかなければなりません。

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