2021年12月20日月曜日

してもらった経験がないとわからない

ツイッターでちょっと話題になっていた投稿が目に入りました。病気の「看病」のしかたにその人の人生が表れるというものです。

投稿者が学生寮にいた時の経験で、看病をする側に立った時に、すぐうどんを作りはじめる人、補水飲料とフルーツ缶詰を買いにいく人、枕元に500円玉を置く人、そして何も思い浮かばない人などいろいろいて、基本的にはその人が経験した「看病」が、自分自身の引き出しになってそのまま再現されているとのことです。自分が大切に看病された経験がある人は、相手にも同じように対応するので、それを見ると「これまでの人生でどれだけ大事にされてきたか」がわかるとありました。

これは良し悪しでも周りのせいでもなく、あとからでもいろんな経験をすることで、自分の引き出しにしていけばよいとのことでした。

 

また、この投稿のリプライの中には「読んで腑に落ちた」というものがあり、その人は自分が具合が悪かったときに、同居していたパートナーが心配していないわけでもなかったそうですが、看病らしいことを全く何もしてくれず、それがなぜかと考えたことがあったそうです。

投稿を読み、このパートナーは子供の頃の家庭が貧しかったとのことで、両親が朝早くから夜遅くまでいつも働き詰めで、たぶん丁寧な看病をされた記憶がなく、されたことがなければ他人にもできるはずがないと気づいたとのことでした。

「自分がしてもらったこと」が経験となり、自分の引き出しになっていくのだというまとめもありました。

 

「相手がしてくれないこと」に不満を持つのは、誰にでもよくあることです。気が利かないとか、空気が読めないとか、常識を知らないとか、これくらいやって当然とか、いろいろな言い方を耳にします。

ただし、その中には別に悪気があるわけではなく、自分が同じ立場で経験したことがないせいで、「何をしたらよいのかわからない」ということも数多く含まれています。

できる人にはできない人の気持ちはわからず、お金持ちにはお金がない人の苦労はわかりません。少し切り口は違いますが、「名選手、必ずしも名監督にあらず」という話も、自分にできてしまうことをできない人に指導するのは難しいということで、できない経験がないからわからないという点では同じようなことです。

 

仕事の場面でも「会社が…」「上司が…」という不満は、何かしら感じたことがあると思います。

しかし、これは上司であっても会社であっても、自分が気を利かすことは、誰かに気を利かせてもらった経験がなければできず、やって当然と思うことは、それを自分がやってもらった経験、当然のことと思わされる経験がなければ、やはりできません。

会社は人間そのものではありませんが、そこには社風のような人格的なものは存在し、自社で経験してきたことが商品に活かされていたり、職場環境への配慮があったりします。その会社が引き出しとして持っているか否かは、様々な場面で見えてくることがあります。

 

「相手目線で」「相手の立場に立って」といいますが、自分自身にも同様の経験がないと、本当の意味でそれをすることはできません。他人が自分にしてくれたこと、他人が他人にしている振る舞いを見て、それを自分の経験として取り入れて「自分の引き出しを増やしていくこと」は、とても大切で重要な姿勢だと思います。

 

 

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