2021年12月27日月曜日

「生産性」と「長時間労働」と「過剰品質」に関する話

あるウェブ記事に、日本における長時間労働と生産性の低さの原因についての考察が書かれていました。

顧客からの要望と上司の要望という二つの原因があり、それぞれの要望に過剰にこたえていることで、仕事量を増やして労働時間が長くなっていたり、単位時間当たりの費用対効果のバランスを考えずに働いて、生産性を下げてしまったりしているとの指摘でした。

顧客と上司の「二神教社会」が問題で、欧米のようにそれぞれの相手との対等な関係性が必要だとされていました。

 

記事の中には、1%の不良品があっても返品対応すればよいと考える社会(欧州)と、不良品率は0.1%以下でなければ許さない社会(日本)という対比があり、その0.9%の差のためには労働時間を1~2割延ばさなければならず、それではコストパフォーマンスにはまったく見合わず、顧客要望を突き詰めていくと、労働時間が延びて生産性は悪くなっていくとありました。

 

これらを単純化して言うと、要望に対する採算度外視の過剰適応、過剰品質ということになりますが、この指摘は私自身も様々な現場を見てきた中で、うなずける部分が多いところです。

ただ、ここにしいて追加すると、顧客や上司の要望以外にも、社員が自分自身の考えで、あえてそうしているという場合があります。「顧客からの過剰な要望には対応不要」などと指示したとしても、自己判断で労働時間や採算を度外視した、過剰な対応をしていることがあります。

 

これは、顧客と直接接する社員自身が、「良い関係を築きたい」「喜んでもらいたい」「感謝されたい」など、相手との関係性を最優先しているためです。結果として契約外の作業や業務支援、時間外や休日返上での対応などを行っていて、しかも本人は「顧客のため」に最善だと納得して行動しています。たぶん顧客に都合よくつけ込まれているところも、顧客が善意にとらえて甘えているところもあるでしょう。

そして、それが適切な売上につながっているかというと、決してそうではありません。無償サービスやボランティアと同じような形になり、ただ仕事量が増え、それに合わせて残業時間が増え、会社はそれに残業代を支払っていますが、それに見合った成果にはつながっていません。

日本的な「おもてなし」と同じ感覚かもしれませんが、課金されない無償労働の習慣は、決して好ましいことではありません。社員が上司から命令されて嫌々対応するばかりではなく、自己判断で自ら進んで過剰な顧客要望に応えている場合があることも、認識しておかなければなりません。

 

海外では、例えば役所に公的な手続きをして行っても、「担当者がバカンス中で不在なので3週間後にもう一度来て」と平気で言われることがあるなどと聞きます。人が待っていても終了時間になれば窓口を閉めてしまうなどとも聞きます。ただし、これはサービスを受ける側も自分が逆の立場ならばそういうものだと理解していて、サービスをあきらめているところがあるといいます。

 

サービスに関する捉え方が日本とは基本的に違っていて、単純な良し悪しで言い切ることはできませんが、製品の品質や労働に見合う正当な対価を受けていないと考えれば、日本の賃金が増えていない一因と見ることもできます。

一朝一夕には直せないことですが、考えていかなければならない課題と思います。

 

 

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