2022年1月10日月曜日

「意味あるコミュニケーション」の不足という話

直近で時間があったので、その中で「奇跡のレッスン」という番組動画をまとめて見ていました。スポーツや芸術の一流指導者が子どもたちに1週間のレッスンを行い、技術だけでなく心の変化も起こして、子どもたちの成長していく様子を描くドキュメンタリーです。

 

すべての指導者はまったく分野が違うにもかかわらず、指導方法には数多くの共通点がありました。

一つは「“ダメ出しをして修正させる”ということを一切しないこと」です。褒めることが圧倒的に多く、失敗しても問題ないと勇気づけて、さらに良くなるにはどうすればよいかを子供たちに考えさせます。「欠点を指摘して、指導者の言う通りに直させる」という日本の現場にありがちな指導とは、正反対のアプローチです。

 

そしてもう一つが「コミュニケーションを重視する」ということです。

チームやグループで取り組むことでは、分野を問わず「コミュニケーション」に関する指摘がありました。その内容は「具体的な意思疎通をする」「意味があるコミュニケーション」ということで、日本人が思っているざっくりとしたあいまいなコミュニケーションとは少し違います。

 

例えば、隊列を組んでの声を出しながらのジョギングや、練習中の「ナイス」「ファイト」といった声などは、日本の部活動ではよく見かける光景ですが、何となく活気があるようには見えるものの、特に意味があるやり取りをしているわけではありません。一流コーチは、ジョギングしている時の声出しを見て、「何か意味がある掛け声なのか」と質問していました。

その後の試合形式の練習では、お互いの声掛けがなくなり、みんなが淡々とプレーしていましたが、それを見たコーチが「お互いのプレーを助けるために意味があるコミュニケーションをしよう」と投げかけていました。そのコミュニケーションとは、それぞれのポジションの確認、やりたいプレーの意思表示、ゲーム中の状況に応じたコーチングやアドバイスといったことです。

 

今は変わってきているかもしれませんが、私が経験したような昔ながらの部活動では、「声を出せ」とは言われるものの、確かにそれでお互いに意味があるやり取りをしていたわけではありません。今でも同じような指摘がされるということは、まだまだそういうケースは多いということでしょう。

 

この様子を見ていて思ったのは、企業の現場でも同じことが起こっているということです。例えば、定例的な報告会議で同じような話が形骸化して繰り返されていて、意味がない、誰も聞いていないといった現象が起こっていたりしますが、これは意味があるコミュニケーションが行われている状況とは言い難いものです。

 

日本企業では、過去の経験で感じ取る、空気を読む、あうんの呼吸など、言葉にしないコミュニケーションが求められることがよくあります。これは、同じような価値観を持った者同士であれば、それなりに通じることはありますが、昨今の多様化した価値観の中では、言葉で表現せずに伝わることはどんどん少なくなっています。にもかかわらず、「常識」「気づき」「空気を読む」などの言い方で、言葉にしなくても理解するのが当たり前のような話が今でもあります。

 

できたことよりできなかったことに注目して、その修正ばかりにこだわる点、褒めるよりもダメだしの比率が多い点、教え過ぎて本人に考える機会を与えない点などは、学校や職場にかかわらず、人材育成の上では好ましくないことだと理解されているはずです。しかし、実際にはなかなか実践できていません。私自身も同じで、意識はしているもののついダメ出しが先行してしまったり、考えさせる前に答えを言ってしまったりすることがあります。これは「意味があるコミュニケーション」という点でも同様です。

 

日本の人材育成のあり方には、分野を問わずに共通した課題があると感じます。「けなさない」「教え過ぎない」、そして思っていることをきちんと言葉で表現する「意味があるコミュニケーション」は、特に重要なことではないかと思います。

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