2017年9月22日金曜日

情報化社会では「釈迦に説法」に注意しなければならない



「釈迦に説法」という言葉があります。
とても詳しい人に物事を教えているという意味ですが、その使い方は「自分よりもよく知っている人や上手い人に物事を教えている様子の愚かさ」を例える時や、「詳しい人に教えければならない時に、自分が謙遜して言う」といった場合があります。

私のようなコンサルタントという立場では、超一流のビジネスパーソンに対しても、何かを教えなければならないということがあり得ます。はっきり言って相手の方が実力は上だったりしますから、伝え方には本当に気をつけなければなりません。

私がとにかく心がけているのは「偉そうな態度」「上から目線」「一方的な物言い」をせずに、誰に対しても謙虚に接するということですが、そうは言っても実際には足りておらず、「釈迦に説法」に陥ってしまっていることは、今までも数多くあっただろうと思います。

また、その分野の達人と言われるような実力者であればあるほど、他人がひけらかす中途半端な知識に対しては、「なるほど」などと言って受け流し、あえて指摘はしないので、自分が相当敏感になっていなければ「釈迦に説法」だったということにはまったく気づけません。あらためて、本当に気をつけなければいけません。

その一方、他人が陥っている「釈迦に説法」には、最近特に気になることが増えました。自分が意識しているせいで、他人の振る舞いは目につくということがあるのかもしれませんが、どうも自分が年令を重ねるほどに周りの人の平均年齢も上がり、そうやって経験を積んできた人ほど自分の知識をひけらかしたがる傾向があるようで、自分の知識に自信がある人、また相手のレベルを気にしない人など、この「釈迦に説法」の状態に気づかない人が多くなってきたと感じます。
そもそもコンサルタントという仕事をする人にはそんなタイプが多いので、よけいに自分の周りで目についているのかもしれません。

この「釈迦に説法」を気にしない理由は何かと考えると、自分の経験や知識、持っている情報量への自信だと思います。相手との比較で「こんなことは知らないだろう」「こんな経験はしたことがないだろう」ということですが、この自信は今の情報化社会では少し考え直さなければならなくなっています。

例えば、昔はある程度の人生経験を積まなければ知る機会がなかったことが、今はインターネットやSNSなどを駆使して情報収集すれば、疑似体験として知ることができる機会はかなりたくさんあります。一部の経験者しか接することができなかったような情報を、リアルな画像や動画などを通じて見ることができます。

もちろんそれはごく浅い情報かもしれませんが、少なくとも知識があることには違いありません。情報収集能力が高い若者は意外に多くのことを知っているので、例えば,年長者がいかに自慢げに語っても、実は若者にとっては既知のことというケースは意外にたくさんあります。
これは「知識」だけでなく「経験」ということでも同じで、ちょっと調べれば多くの人が語っている経験談に接することができます。目の前で自慢げに経験談を語っても、情報を持っている人にとっては、多くの話題の中の一つにしかすぎません。

そうは言っても、直接語り伝えることには間違いなく意味はあります。ただし、その語り方が問題だということで、相手の方が多くの知識、情報を持っている場合が確実に増えていることを認識しなければなりません。そのときの姿勢として、あくまで一つの見解、情報提供として「決めつけず、自慢せずに語る」ということが重要です。

「釈迦に説法」も、当の本人が恥ずかしいと思わないならば、それはそれでも良いのかもしれません。ただ、そういう人に限って若者に説教じみた話ばかりして嫌われていたりします。せっかく良い話をしていたとしても、相手に受け入れてもらえないのでは意味がありません。

情報化社会だからこそ、今まで以上に「釈迦に説法」には注意が必要な時代になっているのではないかと思っています。


2017年9月20日水曜日

小田急の沿線火災の件で思った、「意思決定の速さ」がリスクマネジメントにつながるということ



小田急線の沿線火災が車両に延焼した事故で、いろいろな検証記事が出ています。私はいつも利用している沿線住民なので、他人ごとではないということもあり、それぞれ興味深く見ています。
そもそも沿線の火事が電車に燃え移るという事故は、未だかつて前例がないそうで、まったくの想定外だったそうです。

大ざっぱな状況は、現場で電車に火事を知らせる目的で踏切の非常ボタンが押され、システムで電車は自動停止し、その停車位置が火災現場の真横であり、そこからあらためて電車を動かすには指令本部の確認、オペレーションが必要で、運転士は現場を確認して連絡する手順になっていたが、迅速な対応ができなかったということです。

記事を読んでいると、例えば非常ボタンはあくまで「踏切支障」を知らせるものなので、その使い方が良くなかったとか、現場で警察や消防が現場でその都度口頭で指示していて混乱したとか、いろいろ理由はあったようですが、鉄道での安全確保のそもそもの発想として、何か起こったらとにかく電車を「いかに“早く”止めるか」ということと、「安全確認ができないうちは“発車させない”」ということだったので、今回のように「いかに“安全な場所に”止めるか」ということと、「その場から逃れるために“すぐ発車させる”」という状況は想定されていませんでした。

システム頼りということの怖さや、何か起こってから初めてわかるというのはありますが、この件についてある専門家が言っていたことで、私が印象的だったことがあります。それはシステムがどうこう言うような複雑な話ではなく、「警察や消防からの第一報が指令本部に入るルールになっていれば防げた事態ではなかったか」ということでした。
特に緊急時のコミュニケーションでは伝言ゲームを避ける工夫が必要で、それはわりと原則的なことですが、今までの手順にはそれが必要な事態の想定はなかったということです。

この手の話は会社の中でもよくあることで、例えば真っ先に知らせるべきリーダーへの連絡が遅れて対応が後手に回ってしまった、責任者に知らせずに処理しようとしたが対応しきれず問題が大きくなってしまったなどということがあります。どちらも全体状況を把握し、なおかつ現場に直接アクションできる人への伝達がされていない、もしくは遅れているということで、どちらの場合も問題は結果的に大きくなってしまいます。

今回起こったことは電車での事故ですが、運行再開には「慎重な意思決定」が優先され、それに向けた対応だけしか決められていなかったことで、結果として想定外ということになってしまいました。
似たようなことは組織のマネジメントでも起こり得ることですが、「慎重な意思決定」に慣れてしまっていると、いざという時にスピードアップすることはなかなかできなくなります。
「意思決定の速さ」は、平常時よりも緊急時やトラブル発生時により強く求められるということで、そのためにはやはり日頃から準備をしておかなければなりません。

今回の件から、「意思決定の速さ」はリスクマネジメントにもつながることで、常に意識していなければならないものだと痛感しているところです。


2017年9月18日月曜日

「正しさ」より「わかりやすさ」でリーダーを選ぶらしいことの危うさ



脳科学者として著名な中野信子氏のインタビュー記事を読んでいた中で、「本当に正しい人」より「わかりやすい人」が選ばれるという話に目が留まりました。

ある実験で4人の学生に数学の問題を解かせ、答えの選択肢の中で、最初にAさんが「これが正しい」と答えると、他の2名がそれに追随し、そのあと少ししてDさんが「こういう計算結果だから正しいのはこの答えだ」と言う形でのトライアルを繰り返していくそうですが、それを続けると、4人の中ではDさんの答えが正しく、一番数学が得意だということがわかっていきます。
そして最後に「どの人をリーダーに選ぶか」と尋ねると、正しい答えを出すDさんではなく、真っ先に自信をもって答えるAさんが選ばれるのだそうです。

これは毎回そういう結果になるそうで、中野さんは「集団の意思決定では、回りくどい正しさよりも、簡潔にみんなを納得させられるリーダーシップが重要視されるということだ」とおっしゃっていました。

こういう話を聞いてから、以前のことをいろいろ考えてみると、私も同じ経験をしたと思われることが、意外に多かったのではないかということに気づきます。語っている内容はともかく、自分の考えを一番先に述べる人が、結果的に組織のリーダーになっているということです。
これは特に経営者には多い感じがしますが、組織のリーダーだから先に自分の考えを言うということばかりではなく、先に自分の考えを言う人だから、その結果としてリーダーに選ばれた、もしくはリーダーとして認められていったということがあるのかもしれません。

ここから考えていくと、リーダーに選ばれる、もしくは認められるためには、人の意見を聞くよりは、もしくは正しいことを言うよりは、真っ先に自分の意見を言うことが重要だということになります。
今まで多くの組織を見てきて、こうやって「先に自分の意見を言うわかりやすい人」がリーダーになっているケースは、確かに多いと感じます。

ただ、この「真っ先に言う自分の意見」が“正しいリーダーシップに基づくもの”であれば問題はありませんが、私が見ている限りでは、後になってから問題を起こすリーダー、見込み違いだったと失望を買うリーダーには、どちらかといえばこのタイプの人が多いと感じます。

これはある会社で見たことですが、「自分の意見を持っていて行動力があり、リーダーシップがある」と評価されている人材をマネージャーに抜擢したところ、「自分の意見」として発信される内容が、自分の都合で周りに無理を強いるものであったり、私欲と見られても仕方がない行動があったりするなどの問題が見られるようになり、そこから部下の信頼を失い、結果としてマネージャーから外さざるを得なくなったということがありました。
マネージャーの「自分の意見」が偏っていることに気づいて、早めに処置することができたということでは良かったのでしょうが、そこに気づくことができずに、リーダーにふさわしくない人材がリーダーを務め続けているというケースは、たぶんたくさんあることでしょう。
「組織が向かう方向を示せない」「物事が決められない」など、リーダーとしての能力そのものが欠けているのは困りますが、「誤った方向に引っ張る」というリーダーも困りものですし、一見するとリーダーシップがあるように見えてしまうということでは、こちらの方が問題かもしれません。

人間の心理として、「わかりやすい人」がリーダーになりやすいことはある程度仕方がないとしても、リーダーが誤った方向に向かってしまうと、その後からの揺り戻しが大きくなります。
やはり、リーダーの発言の「正しさ」も、きちんと見極めていかなければならないということを痛感します。