2015年4月15日水曜日

決して多くない「自分の意志で引退できる人」と、定年後の継続雇用のこと


あるテレビ番組で、プロ野球OBの張本勲氏が、サッカーの三浦知良選手に対して「もうお辞めなさい」と発言したということで、ネット上ではかなりの批判が見られます。

一方の三浦選手は、「『これなら引退しなくていいよと言わせてみろ』と(張本氏に)言われてるんだな」と、前向きに受け取ったとのコメントを出されていて、三浦選手の方が一枚上手だったような感じがしますが、この“引退”という話で、以前ある芸能人が言っていたことを思い出しました。

一字一句がその通りの内容ではありませんが、概略として、
「いつ引退?とか言われるけど、仕事の声がかからなくなったら、続けたくても引退せざるを得ない
「結局は自分のニーズが無くなったら引退な訳で、それは自分で決められることではない
「仕事があるうちはまだ望まれているものだと思って、とりあえず続けようと思う」
というようなことをおっしゃっていたと思います。

また、これはサッカーのある代表選手の話ですが、
「代表引退とかいうけれど、自分の意志にかかわらず、選ばれなくなったらそれが引退だ」と言っていました。

この「引退は自分の意志では決められない」ということは、私は本当にその通りだと思います。
私のようなコンサルタントも、仕事が無くなれば、自分の意志にかかわらず廃業を考えなければならなくなるでしょう。

自分の意志で“引退”を決められる人は、恵まれた才能がある、誰からも認められる成果を残したなど、ごく一部の一流の人にしか許されないことではないかと思います。

これが企業に勤めるサラリーマンの場合はどうでしょうか。
まず、多くの会社には定年があります。入社した時から辞める時が年令で決まっているというのは、“自分の意志で決められない”という中でも、相当に理不尽な部類ではないかと感じます。働く側が不満に思っても仕方がないでしょう。

その一方で、企業には、定年後であっても65歳までは継続雇用することが義務付けられています。
定年後の継続雇用について、特に企業側の反応はあまり前向きとは言えないことが多いですが、これは社員本人が辞めると言わない限り、会社が雇い続けなければいけないという面があるからだと思います。本来は一部の一流の人しかできない、“引退は自分の意志で決められる”ということです。

会社側は成果とコストが見合わないからとお荷物扱いをし、一方で社員の側も、自分の能力を高める努力をしないで組織にしがみつこうとします。組織に残る以外の選択ができないのは、そういうキャリアにしてしまった会社の責任でもあるし、キャリアを人任せにしてしまった本人の責任でもあります。

最近は、定年制をなくし、年長者でも働きやすい環境を作って業績を伸ばしている会社があります。不安定さから必ずしも良い捉え方をされない歩合給も、ある程度の生活基盤ができた年長者からすれば、自分の都合に合わせた働き方ができるということがメリットになるようです。会社と社員のお互いの事情が一致した、望ましい形だと思います。

雇う側と働く側のいびつな関係は、やはりお互いにとって幸せなことではないと思います。


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