2015年5月18日月曜日

「働かないオジサンの言い分」と似ていると感じるいくつかの話


あるウェブ上の記事で、「働かないオジサンの言い分」という話が出ていました。

50代読者からの投書だそうで、その内容は
「年功序列の給与の中で、若い頃は安月給で働かされ、会社には十分貢献してきたはずで、いま多少働きが悪くてもその頃の“貸し”がある。途中で処遇を引き下げたり、クビを切るようなやり方はルール違反だ。」
「若者は“使えないのに給料が高い”と言うが、自分たちも年をとれば、能力は確実に低下するし、体力も落ちる。自分たちもいずれ、若者にののしられるかもしれないとすれば、それが天にツバする行為だと早く気づくべきだ」
というものでした。

私はこの話に同情する点はあると思うものの、年功序列が崩れてからはもう10数年から20年近く経ちますから、当時30代だった人が今さらこんな話をするのは、自分の境遇を他責にしている感じがして、あまり良いとは思えません。
そもそもこの考え方では、会社だけでなく、本人も不幸になってしまっているのではないかと思います。

この話を聞いた時、私は「世代間扶養」という言葉を思い出してしまいました。公的年金で言われる“現役世代が受給者を支える仕組み”のことです。
所管官庁は、いろいろな理屈で「若い世代が損をする仕組みではない」と言っていますが、今の財政状況を考えれば、そう言い切ってしまうのはどう考えても詭弁でしょう。
「個人や世代の差による損得を論じる性質のものではない」とも言っていますが、社会保障の話を精神論で言いくるめるような姿勢には違和感を持ってしまいます。

さらにもう一つ、お金の貸し借りに関するトラブルの中にも、同じような話があると思います。金利を払ってもらえるものとして貸したのに、それが見込めないか、場合のよっては返ってこないような話です。借りたものを返さないことが一番問題ではあるものの、先になっての身入りが増えるからと、貸した側にも責任の一端はあると思います。

これらの話に共通するのは、「昔の貸しをいま(もしくはこれから)返してもらう」という考え方です。しかも比較的長期間に渡った貸し借りです。ここで言えるのは、将来のことは結局その時にならなければわからないということで、貸しが返ってこないことが許せないならば、貸しは作るべきではないと思うのです。

給料はその時の働きに見合った金額にするべきですし、年金も多少の再分配はするとしても、個人の積み立て方式にした方が良いと思います。お金の貸し借りも避けるべきでしょう。

それぞれ起こっていることには、簡単に変えられない事情があるでしょう。ただ、長期に渡る貸し借りという考え方をほどほどにとどめれば、いろいろな問題がずいぶん軽減されるのではないでしょうか。 
助け合いや相互扶助の考え方は大切でしょうが、そんなことを思いました。


0 件のコメント:

コメントを投稿