2018年1月26日金曜日

“現場主義”の中に隠れているかもしれない「判断の遅さ」



ちょっと気になるウェブ記事がありました。
アメリカ在住の著者が、先日の首都圏の大雪による交通機関での混乱を見て、日本人の危機管理について書いたものでした。

職場は「早めの終業」を指示していて、「雪の予報」もそれなりに正確だったにもかかわらず、いくつもの駅では入場制限が行われるなど混乱し、多くの帰宅難民が発生してしまいましたが、この一つの見方として「危機管理上のスピード感が足りない」といっています。

雪に弱い鉄道の問題も、「先走った判断が外れた場合の非難」というカルチャーの問題もあるとはしながらも、雨雲レーダーほか刻々と変化する気象情報が手に入るにもかかわらず、その情報を使って先手を打って、ダメージを最小限にするマネジメントができていないとのことです。

それは「論理や統計などの抽象概念から、リスクを取って判断することができない」ということで、もっとシンプルには、「目で見ないと納得できない」「実感しないと動けない」という問題があるとされていました。
日本の組織にある深層心理や習性として、「見える化をしないと動けない」という問題があり、例えば「テレワーク」がうまくいかないのは、「顔を合わせてコミュニケーションしないと安心できない」など、「見えない情報だけでは仕事が完結しない」という習性があるのではないかということでした。 
「目で見ないと納得しない日本人」という指摘がされていました。

私はこの記事を読んで、「日本人は・・・」などと言われると「みんながそうではない」と反論したくなってしまいますが、これらの指摘で思い当たることは多々あります。
例えば、今回の雪の件でも、「遅い時間の方が電車は空いて楽に帰宅できた」という人の話を聞きましたが、これも初めからそうなることを予測していたというよりは、「まあ大丈夫だろう」「じたばたしても仕方がない」などの結果論として、たまたまそうなったということです。
特に危機対応の行動はしなかったということですが、ここでの最悪の想定は、電車不通で帰れず、泊まる場所もないといった状況も考えられたわけで、危機管理として考えれば、無作為というのはやっぱり問題です。

私はこの「見える化をしないと動けない」「目で見ないと納得しない」ということに、悪い意味での「現場主義」というものを重ねています。

特に日本の場合、「現場主義」というのは、おおむね良い意味でとらえられます。確かに「答えは現場にあり」などと言われ、それ自体は間違いないことです。それが例えば現場の些細な変化から危険を読み取るであったり、先の状況を予測したりといったことであれば良いですが、「見える化をしないと動けない」「目で見ないと納得しない」ということがあるとすると、「現場主義」が判断ミスや遅れの言い訳になっていることがあり得ます。

リーダーに必要な能力の一つに、「危機管理」があります。「不確実なことを的確に先読みして対処する」ということになりますが、優れたリーダーは様々なデータや情報、自分の経験や感覚などを駆使して予測をします。もちろん現場も見ていますが、現象が見えた段階ではすでに遅いということを知っているので、「見たもの」だけに意識が偏りません。

「自分の目で見たもの」ばかりを重視して、それを「現場主義だ」と位置付けていると、判断ミスや遅れにつながります。「現場を見ることだけに偏るのは現場主義ではない」ということを、あらためて意識しておかなければなりません。


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