2018年6月8日金曜日

本当にそれは「自分たちだけの都合」になっていないか


ある会社の社内ミーティングで、「今やっている○○サービスをやめられないか」という話が出ました。
社会的な意義がある取り組みだと評価されていますが、相手がごく一部に限られ、それに対応する手間がかかって面倒なのだそうです。

少しの話し合いで、それをやめるメリットが社内にしかなく、それだけの理由でやめるのは対外的に説明できないという結論で、実施方法を見直して継続することになりましたが、このようなケースは典型的な「自分たちだけの都合」に基づくものなので、わりとしっかり「それでは良くない」という歯止めがかかります。

ただし、実際に起こるのは、こんなわかりやすいことばかりではありません。気づかないうちに「自分たちだけの都合」に陥ることがあります。

例えば、顧客対応をする窓口に「○○の時期は大変混み合ってお待たせすることがあるのでご了承ください」などという張り紙や但し書きを見ることがあります。
ある会社で「自社でもそういった顧客への周知が必要だ」という意見が上がり、「やろうやろう」とみんなの意見がまとまりかけたところ、あるマネージャーが言ったのは、「それは結局自分たちだけの都合ではないか」という指摘でした。
「“事前に伝えれば待たせても良い”ということは一切ないし、いかにお客様を待たせないようにするかを考えるのが本来のサービスではないか」という意見です。

その後さらに話し合い、この会社ではお客様をできるだけ待たせないで対応できるようにしようということで、混み合うことが予想される時間帯には対応する窓口の数と対応人数を増やすことにしました。誰でも窓口対応ができるように、それまで担当したことがない社員には、接客方法や事務処理方法を経験者が指導することにしました。

また、これはわりと有名な話だと思いますが、ディズニーランドでは成人式の日に晴れ着の振袖で入場するゲストが大勢いて、ただ、中に水に濡れるようなアトラクションがあります。
そのため、振袖では濡れる可能性があるので乗れない旨をお詫びするパンフレットや、お詫びの品を配ることを検討していたそうです。
しかし、「せっかくアトラクションを楽しみに来たゲストを、なぜ乗せないようにすることばかりを考えるのか」と指摘され、あらためて検討した結果、振袖の上からすっぽり着られる防水のウェアを用意したとのことでした。

これらの例のように、一見すると顧客のためを考えたり、社外の人たちに配慮したりしているつもりでも、結果的にはそれが「自分たちだけの都合」「内輪の事情」になっていることがよくあります。
ただ、当事者たちは相手のことを一生懸命考えて配慮しているつもりなので、それが結局は「自分たちだけの都合」に陥っていることには気づきにくくなります。

気づくためには「最も優先すべきこと」「本来あるべき姿」を、今一度冷静によく考えるしかありません。
また、少人数で考えず、多くの人の視点を得ることも大事です。そして何よりも、「これは自分たちだけの都合になっていないか」という疑問を持つことです。

あらためて自分たちの身の回りに起こっていることが、一方的な「自分たちだけの都合」に陥っていないかを、見直してみてはいかがでしょうか。


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