2019年6月17日月曜日

身近には意外にいない「指摘、ダメ出しをくれる人」


あるテレビ番組で、高齢者の限定免許が検討されている話題が取り上げられていました。75歳以上では、自動ブレーキや踏み間違い防止などの安全装置がついた車の運転に限るという案らしいです。
一つの対策ではありますが、75歳以上でも問題ない人もいるでしょうし、反対にそれ以下の年齢でも危険な人はいます。年齢で区切る難しさが話されている中で、出演者の一人だった武田鉄矢さんがこんな話をしていました。

ご自身が、年令とともにセリフが覚えづらくなり、特定の人名や地名などが全然入ってこないことがあるそうです。最近はある舞台でセリフが飛んでしまって、冷や汗をかくことがあったそうですが、そういうことが年とともに起こるようになったと感じているそうです。
そんな中で、自分ではまだ大丈夫だと思っていても、実は他人から見ると危ういことがあるのではないかと思い、ご自身のマネージャーには「ダメだと思ったらダメだと言ってくれ」と伝えているそうです。「自分の衰えを自分だけで自覚するのは難しく、誰か第三者の目が必要だ」と言っていました。

この話で、今の私自身にも思い当たることが数多くあります。
一番は、ダメ出しをされたり、何か指摘を受けたりする機会が、年齢とともに減って来たことです。自分の先輩にあたる人からは、今でもいろいろな指導をしてもらえますが、自分の年齢が上がるとともに、そういう人は減っています。
私の場合は、社外の専門家として仕事をしているせいか、指導者や先生として扱われることが多いです。個人的にはあまり好ましいと思っていませんが、そうなるのは仕方がないところもあります。
そんな関係性では、何かを指摘されたり、ダメ出しをされたりすることが非常に少なくなり、ダメ出しイコール契約終了なので、何かあってもそれを修正するまでの時間の猶予が得られません。もちろん、自分の非は自分で考えなければなりませんが、実際にやろうとすると、なかなか難しいものです。
忌憚なく意見を言ってもらったり、意見の違いを言い合ったりできる関係は、かなり意識的に作らなければなりません。

同じことは、会社の経営者や管理職でも言えます。偉くなるほど苦言を呈してくれる人が少なくなり、自分で気づきを得る機会が減っていきます。
自分の身近に指摘やダメ出しをしてくれる人がいる経営者や管理者は、何か判断を間違ったときの修正が早いですが、そういう人は、自分で意識して苦言をもらえる相手を身近に置いています。
自分自身を客観視する意識はとても重要ですが、100%自分でやることには限界があります。やはり「信頼できる第三者」が必要です。

さらに、若手であっても、同じく自分に課題を指摘してくれる存在は大事です。ただ、最近は様々な理由で、それがやりづらくなっている様子が見受けられます。
例えば、若手がなかなか納得せずに説明を求め続けるために、上司が根負けしてそのまま放置するケースがあります。納得した上で行動したい若手の考えはわかりますが、それに対応する上司には、かなりの根気が必要です。根気が尽きてしまう上司の気持ちもわかります。
自分の納得を優先し過ぎることで、経験のチャンスを失うことがありますから、時には納得が半信半疑でも、上司に従ってみることで得られるものがあるはずです。

正直言って「煙たい存在」になりがちな、「指摘、ダメ出しくれる人」ですが、誰にとってもそういう人が身近にいてくれることにメリットがありますし、意識的に求めなければ、そういう人はなかなか身近には現れません。

どんな立場にいる人でも、自分の足りないことを「指摘、ダメ出ししてくれる人」の存在は、とても重要です。
そういう人がいるならばその人を大事にし、いないならば自分なりに見つける努力が必要だと思います。
 

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