2020年5月7日木曜日

「匿名」が良くないときと必要なとき 


最近は家にいる時間が長くなっていることもあり、これまで以上にネットニュースなどの情報をよく見ます。
そのコメント欄を見ていると、共感できるものとそうでないもののどちらもありますが、全般的にきつい言葉での強い批判や、相手の罵倒、暴言に近い書き込みが数多く目につきます。

こういうことから思うのは、やはり「匿名」だと他人に向けた攻撃性が助長されるということです。電話や手紙、SNSなどによる嫌がらせや侮辱、暴言といったことは、自分の素性が相手に知られないことがわかった上での行為です。

攻撃的な書き込みを見たり、嫌がらせ行為の報道などを聞いたりするたびに、「この人たちは自分の身元が知られるとわかったら同じことをするのだろうか」と思います。自分には火の粉が降りかからない場所にいて、一方的に他者を攻撃するのは卑怯です。
「匿名」という安全地帯が崩れれば、こんな不快な行為は減らせるのではないでしょうか。

一方、「匿名」という話で、以前こんな経験をしました。
ある会社でおこなった研修でのことですが、終了時に書いてもらうアンケートで、受講した社員数人に記名を拒否されて、研修に対する批判的な意見とともに、なぜ記名が必要なのかと書かれていました。

別の機会にこの社員たちに話を聞くことがあり、そこであらためて尋ねてみると、以前上司から会社の組織運営に関して意見を求められて、思っていたことを素直に伝えたところ、後で社長から直接呼び出されて、考えが間違っているなどと一方的に否定されたことがあるそうです。
さらにダメな考え方の象徴のように他の社員に発表され、それ以降は会社にかかわることで、上司に余計な意見は言わないと心に決めたといいます。
「匿名」でない限り、安心して発言できない組織風土の会社だということです。

また、ハラスメントの告発や不正の通報なども、特に通報した社員が相手にわかってしまうことは、避けなければならない場面があります。
はっきりと「この人から」と言った方が良い場合と、反対に「匿名」であることを保証してあげなければならない場合があります。当事者同士の力関係であったり、相談窓口に対する信頼感であったり、その他いろいろな事情がからんできますから、一概に「こうすればよい」とは言い切れません。

企業人事としてしっかり考えておかなければならないのは、こういったいろいろな場面で、「匿名」ということに対して十分なバランス感覚を持って、相当な気遣いをしなければならないということです。
例えば、何らかのテーマで意見収集をする場合、「匿名」の方が自由な意見や苦言、批判は集めやすい反面、当事者意識がない無責任な意見が増える可能性があります。
また、ハラスメントの被害者と加害者のように、強者と弱者がいる関係では、特に弱者の匿名性には配慮が必要なことが多々あります。

「匿名」でエスカレートする攻撃性や無責任がある一方、「匿名」でなければ発言者の安全が守れないようなこともあります。プライバシーへの配慮は当然のことです。
場面に応じて使い分けをよく考えなければなりません。


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