2014年10月31日金曜日

男性ではなかなか理解しきれない女性の「職場の悩み」


日本産業カウンセラー協会が「働く人の電話相談室」で受け付けた相談のうち、約6割が女性からのもので、悩みを抱える人が男性の2倍以上に上るとのことです。

また相談があった悩みの3割は「職場の悩み」で、そのうち4割は「人間関係」、さらにここに「パワハラ」や「いじめ」といったものまで含めると、7割近くが「同僚」や「上司」との人間関係に関わるものだそうです。

女性の方が周囲との人間関係に敏感で、なおかつ繊細ということが言えるのかもしれませんが、私の人事業務の経験の中でも、男である私にはちょっと理解できないようなことは、何度かありました。

例えば、ある会社の女性社員から、「○○さんが視界に入って目障りで仕事がしづらいので、席替えをするように会社に言って欲しい」と言われたことがあります。
その時私は少しイラッとしながら「そんな子供っぽい個人的な感情には、会社は対応できないでしょう」と伝えましたが、本人はきわめて真顔の本気でしたから、こういう要望を出すことは、彼女にとっては当然の行動だったのだと思います。

これは極端な例かもしれませんが、働く女性から聞く話では、男性同士ではあまり無い、女性特有といっても良いような人間関係に関することをよく耳にします。

先日も、普段はいつも車で移動している女性が近くのパート先だけは自転車で行くので、なぜかと聞くと、現場を仕切っている古株の女性パート数人が、数少ない駐車場を占領しているので、他の人は車では通えないのだそうです。不満はあってもとても言い出せる雰囲気ではないそうです。

またある会社では、勤務態度も良く評価も高い女性社員が急に退職したいというので、その理由を聞くと、ある同僚女性と一緒に働くことが嫌だと言います。くわしく聞いても仕事を辞めるほどのことはないように感じましたが、本人にとっては大問題のようでした。
他にも一緒に働く女性同士の人間関係を理由にして、転職を考えたり異動を希望したり、産休からの復職を躊躇するような人がいるという話は、よく聞くところです。

男性にとっては小さなこと、些細なことと思うようなこと、男目線で見ると「感情的」「わがまま」「自分勝手」と見えてしまうことでも、女性同士の間では、かなり深刻な場合があります。

女性の活躍を考える中では、こんなことにも注意を払い、環境作りをする必要があるように思います。多くの会社では、管理職の男性比率が高いですから、女性特有の悩みには気づかないことが多いでしょうし、もし気づいたとしても、取るに足らない些細なこと、自分勝手なわがままこととして扱っているのではないでしょうか。

女性の活躍のための環境作りは、配偶者控除のような税制や、管理職の女性比率、出産・育児に対する支援などの話が大きく取り上げられています。これらの施策も重要とは思いますが、どれも男性的な発想が強い中で組み立てられたもののような感じがします。
実際の現場を見ていると、実は職場の小さな人間関係をどうにかすることの方が、当事者である女性にとっては大事なことなのかもしれないと思います。

私も男なので、正直理解しきれないところがあります。しかしこのあたりは、男性の立場であっても、理解するように心がける必要があるのではないでしょうか。


2014年10月29日水曜日

「強引さ」を受け入れる人・拒む人


世の中のコンサルタントの中には、周りに熱狂的と言っても良いようなファンがいて、神様扱いされているようなカリスマと呼ばれる方がいます。
あくまで私の印象ですが、こういう方々は良くも悪くもとがっていて、主張も言葉の調子も強く、時に相手を罵倒することもいとわない、「強引さ」を持った人が比較的多いように感じます。

そんなカリスマのセミナー、講演、コンサルティングには、多くの人たちが集まってきます。しかし、考えようによっては、ここに集まってくる人たちは「わざわざお金を払って怒られに来た」という感じになります。

私も同じコンサルタントですが、好んで怒られる人の心理はあまり理解できません。ですから、自分がそういう「強引さ」を打ち出したスタイルで、何かをやろうとは思いません。

理由は単純で、いくら評判が高いカリスマで、経験豊富な人であったとしても、自分のことをたいして知らない相手から、一方的に小言を言われたり怒られたりするのは、相手がどんなに偉くても納得はできないし、何よりも気分が悪いからです。
相手との距離を考えずに、自分の主張を一方的にするのは、はっきり言って横柄だと感じてしまうからです。

「そんな気持ちだからお前はダメなんだ!」などと言われるかもしれませんが、これは相手との人間関係を作る上で持っている基本的な価値観なので、そう簡単には変えられません。
ただ、こんな私の感覚とは対極にいる人たちも大勢いるということであり、「強引さ」を快く受け入れる人と嫌悪感を持って拒む人の両方が存在するということです。

このような人のタイプの違いを見る時に、私はOタイプ」と「Dタイプ」という見方で分けることがあります。
もうお気づきだと思いますが、Oはオフェンシブ(攻撃型)、Dはディフェンシブ(守備型)のことで、性格的にそのどちらの傾向が強いのかということです。

例えば営業職などの場合、「Oタイプ」は自分主導でストーリーを組み立てる提案型の傾向が強く、「Dタイプ」は顧客ニーズをよく聞いてから対応するリアクション型の傾向があります。一般的には、営業トークがうまくて説得力があるのはOタイプの方が営業に向いていると思われがちですが、クレーム処理などはDタイプの方がうまいのではないでしょうか。もちろん一概には言い切れませんが、新規開拓や攻めの営業はOタイプの方が得意で、既存顧客との関係づくりやサポートにはDタイプの方が向いているように感じます。

こんな見方をすれば、「強引さ」を受け入れる人はDタイプ、拒む人はOタイプという感じではないでしょうか。

単純な二択ですが、身近な人たちに当てはめて見ると、意外にはっきり分けられるように思います。組織作りなどを考える中であれば、このどちらのタイプもあまり偏りなく、ある程度のバランスで存在することが望ましいでしょう。

前述のような「強引さ」を持ったカリスマコンサルタントも、それを好む人たちがいるからカリスマでいるわけです。私はその「強引さ」が嫌いなので、一方的に怒られたい人とつながることは少ないですし、主張が強引な人との相性もあまり良くないようです。

お互いが対等な立場で意見を言い合うことができる関係が、最も好ましいと思っていますが、そうは言っても、人のタイプとして受け入れられる幅は、もっともっと広げていかなければならないと思う今日この頃です。


2014年10月27日月曜日

あえて「権限委譲」のデメリットを考えてみる


組織作りの上で、管理者が部下に仕事と行動を任せる「権限委譲」の重要性が言われます。そのメリットとしては、
「現場レベルの正しい情報による意思決定ができる」
「意思決定のスピードが上がる」
「自己決定できることで部下の意欲が向上する」
「一つ上の立場で仕事をさせることでの能力向上」
「結果への納得性が高まる」
などが挙げられます。

一方で「権限委譲」には当然デメリットもあります。
「権限委譲された者の能力が不足していて適切な意思決定が出来ない」
「自分の評価を気にしたり、結果責任を避けようとして、全体では好ましくないような意思決定をしてしまう」
「局所的なテーマに注目しすぎて部分最適ばかりを考えた判断をしてしまう」
などです。
判断の誤りが大きな事故を招く懸念があるような職務の場合は、その性質上、「権限委譲」に向かないようなものもあります。

 「権限委譲」を実行するにあたっては、これらのデメリットも考慮する必要があります。
能力面では、問題点を早期に把握して指導していくべきですし、仕事は失敗から学ぶことも多いですから、任せたからには多少のことには目をつぶることも必要です。まずやらせてみなければ、部下は育ちません。うまく失敗させるようなさじ加減も必要になります。

このように、「権限委譲」を進めるためには、相応の環境作りと当事者の心構えが必要になります。
一般的に言われる組織原則の一つに、「権限・責任一致の原則」があります。「責任を負わせるならば、それに見合った権限を与えよ」ということですが、このバランスを欠いた権限委譲を往々にして見かけます。任せたと言いながらいちいち口出しをして、結果的に任せていない場合と、同じく任せたと言いながら、そのための環境作りが何一つされていない場合の二つです。

実際の判断を権限委譲しないのは、上司による仕事の抱え込みで部下の仕事を奪っていることですし、環境作りがされないままでの権限委譲は、ただの仕事の丸投げで無責任です。それでは部下は育ちませんし、それぞれの行為は部下育成を放棄しているのと同じことです。

デメリットという面から「権限委譲」を見てみても、そこで見えることは、結局は「適切な権限委譲をしなかったことによる弊害」という感じがいます。
こんなことからも、組織作りにおける「権限委譲」を適切に行うというのは、とても重要なテーマなのだと思います。

2014年10月24日金曜日

「やりたいこと」に見る、経営者とそうでない人の違い


今の私は組織に属さずに仕事をしているせいか、自分と同じような立場の方々と接する機会が多くなっています。事業規模の大小はありますが、経営者や事業主といわれる人達です。

そういう方々は、自分のやりたいことがとてもはっきりしています。こういう事業をやりたい、こういう立場になりたい、こんな貢献をしたいなど、その中身はいろいろですが、考えていることには共感したり、尊敬したり、刺激を受けたりすることもあります。目指す場所がはっきりしているというのはすばらしいことだと思いますし、やはり皆さん、曲がりなりにも経営者だなぁと感心します。

ただ、その中でごくたまにですが、「本気でそんな風に考えているのだろうか」と思ってしまう人に遭遇することがあります。先日お会いした起業したての社長さんがそうでした。

ご自身のビジネスプランを熱心に語るのですが、要所要所にご自身が都合よく解釈した強い思い込みが混じっています。これはあくまで私の印象ですが、そのサービスをお金を払って受けたい人は、なかなか見つからないのではないかと思ってしまいました。

また、会社を立ち上げたばかりで気合いが入っているせいか、強めの押しで売り込んできます。でも私は、会ったばかりの人といきなり取引はしないですし、そもそも私には不要のサービスです。
その方の「やりたいこと」は理解できますが、ちょっと「独りよがり」なところが多すぎると思ってしまいました。

他にもこれまでに、「俺が直してやる」的な上から目線の人、自分のビジネスプランばかりを一方的に語る人、手助けだと言って立ち入って欲しくない領域まで踏み込んでくるおせっかいな人などに出会ったことがありますが、共通するのは「独りよがり」ということです。「周りから望まれていること」にはあまり気づいておらず、「自分のやりたいこと」ばかりが優先されています。

こんな「独りよがり」は企業の中でも見かけることがあります。
例えば上司の指示などは後回しで、自分が思っていることばかりを優先するような部下がいます。、「上司の指示はあまり重要と思わない」などと言いますが、やっているのはそれほど優先度が高くないことだったりします。
逆に上司や管理者による場合はもっと多く、部下たちは右往左往で振り回されていますが、本人は何も感じていなかったりします。トップの社長が振り回している張本人のこともありますが、経営者としてのリスクを負っているということでは、組織に属する管理者などの場合とは少し事情が違うでしょう。

経営者であれば「独りよがり」であっても、最終的には自分の責任になります。自分の行為は確実に自分のもとに返ってきますが、組織に属した人の「独りよがり」の場合は、必ずしもそうではありません。自分へのリスクを意識しないので、「やりたいこと」が加速して「独りよがり」には気づきづらく、その分だけ躊躇がない感じがします。

こうやって見ると、「やりたいこと」から見える「独りよがり」は、経営者よりも組織に属する人たちの中で起こった時の方が、よほど問題が大きいのかもしれません。



2014年10月22日水曜日

初めからそのつもりばかりでもない「社交辞令」


ある記事で、「ビジネスで使う絶対実現しない社交辞令だと思うフレーズランキング」というものを見ました。

男女別でベスト5が挙げられていて、そこで多少の順位の違いはありましたが、それぞれ挙げられていたのは以下の六つでした。
・前向きに検討させていただきます
・近いうちに飲み(食事)に行きましょう
・近くに来たら寄ってください
・機会があれば一緒にお仕事したいですね
・また、お目にかかれますことを楽しみにしています
・落ちついたら会いましょう(遊びましょう)

これらの言葉、私自身はすべてを思いっきり使っています。直接相手に言うこともあるし、メールやメッセージなどの文書で送ることもあります。
でも、こんなランキングに挙がると言葉というのは、相手がこれらを聞いたときに「ああ社交辞令だなあ」と受けとめるということなので、実はお相手に対して失礼なのかもしれないと、少々反省をしました。

ただ、これらの言葉を初めから社交辞令のつもりで、あまり付き合う気がない相手と距離を取るために使う人もいるでしょうが、私自身の気持ちで言えば、必ずしもそうばかりではありません。、

「前向きに検討させていただきます」は、社交辞令というより結論先延ばしのための言葉だと思うので、よほどのビジネス上の駆け引きでもない限り、私はどんな場面でもできるだけ使わないようにしています。

「近いうちに飲み(食事)に行きましょう」「近くに来たら寄ってください」は、ありがちな社交辞令なのでしょうが、私自身の気持ちで言えば、これを言うお相手とは、本当に飲み(食事)に行っても良い、会えるならまた会ってもよいと思っている時なので、初めから社交辞令のつもりで使っていないことが多いです。結局は実現せずに、社交辞令となってしまうことも多いですが・・・。

「機会があれば一緒にお仕事したいですね」も、もしそうなったら対応しても良い感じで使っています。でも実現のハードルは高いので、飲みのお誘いよりは、社交辞令のイメージが強いように思います。

「また、お目にかかれますことを楽しみにしています」「落ちついたら会いましょう(遊びましょう)」については、私自身も「きっと実現はしないだろうな」と思いながら、相手の調子に合わせて言っているので、社交辞令として使っている感じがします。

これらの使い方や捉え方は、きっとそれぞれの人によって違うと思いますが、初めからいかにも社交辞令とわかってしまうような振る舞いは、やはりあまりうれしいものではありません。

でも、社交辞令はムダで不要なことかと言えば、決してそうではないと思います。
私の経験でも、初めは社交辞令で終わっていたことが、あるきっかけで2年後に実現したなどということがありました。
社交辞令で終わらせないようにと、お相手が気を遣ってセッティングしてくれたこともありますし、自分からそうしたこともあります。これもきっかけがあって出会ったからこそできることです。

社交辞令で終わらせたくない時には、それを具体的にする行動をとるべきだと思う半面、こういうやり取りも、出会いの始めの入口としては必要なことではないかと思います。


2014年10月20日月曜日

どうしても好きになれない「人事権を持つ人たち」の勝ち組気分


最近の雑誌やウェブ記事で、「働かないオジサン」「お荷物社員」「出世する人・しない人」「再雇用される中高年と捨てられる人」といった、主に40代以上の年齢層の人材価値に関するものをよく目にします。「人事部は語る」といったたぐいのものです。

私もいろいろな企業の人事に関わる仕事ですから、記事の内容はついては「確かにそうだ」と思うことも多いです。現場で多くの人材を見ていると、使えない側に選別されてしまう人は、ご本人の意識や姿勢、取り組み方に問題が多いことも確かです。

一方で、そういう人材に育てたのは会社の責任でもありますから、今までの経緯を棚に上げて、急に自己責任だと言って会社から追い出そうというのは、少し虫が良すぎる話ではないかとも思います。

最近では、会社側もただ追い出すだけではなく、社員側もただぶら下がることではなく、双方が自らの問題と認識した上で、人材の再教育や流動化を進めようという取り組みが、いろいろなところで少しずつ始められています。この効果が徐々に出てくれば良いと思っています。

この話からは少し離れますが、「人事部は語る」というたぐいの記事は、いろいろな立場の方々によって書かれています。企業人事のOB、コンサルタント、大学教授、その他様々ですが、中には現役の人事担当や管理職の方もいらっしゃいます。

私は、この「現在は企業にいながら、この手の人材選別について語る人たち」のことが、どうしても好きになれません。他人を見下しているような雰囲気があったり、「自分は使えない人材ではない」と確信しているような、妙な勝ち組意識を感じてしまうからです。
この人たちの共通点は「現時点で人事権を持っている人たち」ということです。

これはある企業の採用活動でのことですが、若手社員が応募者の合否を決める場面で、相手をバカにしたような発言を、平気でしているのを見かけたことがあります。「こんな奴いらない」などの言い方は当たり前で、相手の容姿のことや差別的な発言をしていることもありました。

これは、どの企業でもあることですが、採用活動のように「人を選別する」という仕事をしていると、いつの間にか自分が上、自分が偉いと錯覚してしまいがちだということです。
社内で「人事権」を持って、人の序列決めや配置などに関わる人たちも、やはり同じような気分になってしまうのでしょう。

私自身は現場経験を経てから人事の仕事にたずさわるようになったので、変な特権意識や優越感とは無縁な人事部門でしたが、それでも「人事権を持つ人たち」の一員であったことは間違いありません。
「人を選別する」「人に序列をつける」という自分を勘違いしやすい仕事の中で、いつも心がけていたのは、「相手に対する尊敬は忘れない」ということでした。
具体的には、会社での業務上の評価はしても、相手の人格まで見下したような態度は絶対に取らないというようなことです。

企業内での自分の立場というのは、いつどういう形に変わるかはわかりません。さらに会社から離れれば、そんな社内の序列は関係ありません。会社で「使えない人」が人気者で、「できる人」が嫌われ者かもしれません。

「人事権を持つ人たち」が、自分を勘違いせずにいてほしいと切に思います。


2014年10月17日金曜日

「私が強いのではなくあなたが弱すぎる」という言葉


ある法事でうかがったお寺のご住職がお話になっていたことです。

ご住職は将棋が好きで、よく将棋を指すのだそうです。ただ、本当に弱くてなかなか勝てないのだそうです。
ある日も将棋を指していて、相変わらずのように負けてしまいました。対局後のお相手に、「やっぱり私なんかではかないません。お強いですね」と声をかけたところ、お相手から返ってきた言葉は、とうとう言われてしまったという感じの図星の言葉だったそうです。

「いや、私が強いのではなくあなたが弱すぎるんです」

自分としてはさすがにショックで、その言葉に反応できずにいると、お相手から続いて出てきた言葉に少し救われる気がしたそうです。

「私もあなたとは大差が無いくらい弱いです。でも私の方が少しだけ自分の弱さを知っていて、それをカバーする術を知っていたということでしょうね」

ご住職は、「人間は自分の弱みを人に見せるのは怖いから、それをできるだけ隠そうとする。人の上に立つ人は余計にそういうところがある。しかし、自分の弱みに向き合ってその弱さを知り、場合によっては他人に頼ることができるのも、その人の強さになるのではないか」と思われたそうです。他人に頼るのが意外に苦手な私としては、ちょっと腑に落ちた感じがしました。

なかなか良いお話でしたが、このお話から私なりにもう一つ思ったのは、「客観的な自分の現在位置」を知ることが大切ではないかということです。

特に将棋のような一対一の勝負では、目の前の相手との「相対的な強さの争い」になります。仮にその相手に連戦連勝などとなれば、「自分は強い」「自分は優れている」などといううぬぼれが出てもおかしくはありません。

しかし、そういう狭い世界の勝ち負けだけで自分のレベルがわかったつもりになっていても、実はその対戦自体のレベルがものすごく低い可能性があります。ビジネスの中でいえば、特定のライバル会社との関係や、内輪の社員同士の競争などで起こりがちになるようなことです。

これを避けるための方法というのは、「いろんな相手と勝負してみること」しかないのだろうと思います。「相対的な力関係」を積み重ねることで、徐々に「客観的な自分の現在位置」がわかってきます。そんな積み重ねや経験があって初めて、自分の強さと弱さもわかってくるのではないかと思います。

競争しろ、勝負しろと、ただ一方的に煽るつもりはありませんが、「客観的な自分の現在位置」「自分の強さ弱さ」を知るためには、競争も勝負もある程度必要なことなのだろうと思います。