2013年12月30日月曜日

計画は「し過ぎ」の「無さ過ぎ」も良くない


2013年も終わりということで、自分なりに今年を振り返っています。

私にとっての2013年は、年の初めの頃に想像していたことと、年末の今までに実際にあったことの違いが、ここ数年では一番大きい年でした。良いことも悪いことも両方ですが、年初と今との変化の度合いが、いつもの年より大きかったように思います。

特に人とのつながりは、初めての出会いだけでなく、それまでの関係がより深まったり、旧交が復活したりということが多く、そんな中から想定外に出てきたことがいろいろありました。

私はどちらかというと、しっかり目標を立ててそれに向かって邁進しようという姿勢が少なく、実はあまりはっきりとした計画を立てないタイプです。
コンサルティング業務では、事業計画も人事計画も手掛けますが、自分のこととなると、そもそもの発想が貧困なためか、どうも現状ありきでの今の延長線上の話ばかりになってしまうことと、「絶対これをやろう」とか「必ずやり切る!」とか思うことが、硬直化した決めつけのように思ってしまうので、あまり細かな計画が好きでないということの2点が大きな理由です。どちらかというと、あまりしっかり計画を立てることを、ついつい「無駄なことだ!」と思ってしまうのです。

ただ、今年起こったことを振り返ってみると、ほとんどは自分で取り組んでいたことや行動していたことにつながっています。本当の偶然もありますが、突然降ってわいたような話も、その事情を確かめると、実は自分がやっていたことや仕込んでいたことがベースにあることが大半でした。
たぶんこれは、事前にある程度の想定ができたはずのことも、私にあまりにも計画の意識がないために、それができていなかったということのように思います。計画が「無さ過ぎ」ということです。

一方で、以前お手伝いをしたある会社に、非常に綿密な事業計画を時間をかけて策定する会社がありました。ただこの会社には、環境変化に応じて計画を見直すことができないという弱点がありました。時間をかけて計画を作っているがゆえに、変更しようにも手続きが煩雑だったり、社内調整が難しかったりということがあり、全社的に、何とかして計画変更をせずにすまそうとする風潮がありました。計画が硬直化しているということであり、こちらは、計画の「し過ぎ」ということでしょう。

計画というのは一種のストーリーですが、計画の「し過ぎ」は、硬直化したストーリーで臨機応変な対応ができず、計画の「無さ過ぎ」はストーリーがないために事前想定もできず、進むべき方向もわからずということになりかねません。

いったい何をどこまで計画するかというのは、はっきりした答えがある訳ではありませんが、「し過ぎ」も「無さ過ぎ」も良くないということだけは確かです。
少なくとも私の場合は、もう少し事前に計画をしておくことが必要なようです。次の事業計画は、もう少しきちんと立ててみようと思っています。


2013年12月27日金曜日

「辞める」ではなく「今いる環境を変える」という選択


私も人事という仕事に関わっている立場上、「会社を辞めたい」という相談を受けることがときどきあります、いや・・・、相談というほどでもなく、今がつらい、やりがいがない、上司が信じられない、周りが使えないなどという愚痴のようなことも多いです。

そんな時私は必ず、「今の会社で自分の力で変えられることはないのか?」と聞くことにしています。
私もかつて在籍していた会社を辞めた人間なので、少々説得力に欠けますが、基本的には、「辞める前にできることがあるはず」と思っています。

なぜかというと、会社で働いている限りはどんな人でも、自分が在籍している会社のことを、他のどの会社のことよりも良く知っているはずです。仕事の進め方、それぞれの人の仕事の能力、周りの人間関係、キーマンが誰なのか、会社の問題はどこにあるのか、どんな解決方法が考えられるのか、などなど。少なくとも自分の周りで起こっていることは、いいことも悪いことも含めてすべての情報を持っているはずです。

それにひきかえ、新しい会社への転職は、これらの情報は基本的にすべてリセットになります。今まで嫌だったことやダメだったこと、直らなかった課題などは無くなるでしょうが、同じように今まで活用してきた社内情報も、身近な人脈も同僚もすべて無くなります。そしてこの良い部分は、内部にいると意外に自覚できていないものです。

よく、「会社の看板がなくなって初めて、自分の実力不足を実感した」という話を聞きますが、今やっている仕事の成果が、自分の力か会社のおかげかを切り分けるのは、なかなか難しいことです。大企業で会社のブランド価値が高い人ほど、自分の実力を錯覚しがちというのも、今いる会社の良い部分が自覚しづらいことの一つの証拠です。

それならば、どう転ぶかわからないリスクをはらんだ新しい会社にかけるより、事情をよく知った今の会社を変えられないかを考える方が、可能性があるのではないかと思うのです。
そんな行動が考えられないような会社、意味がないと思われるような会社もあるでしょうが、それならばせめて「これが解決されないならば辞める」など、差し違えの覚悟でもよいと思います。

もちろん転職することで、それまでとは見違えるようにイキイキと働いている人はたくさんいます。ただその一方で、落ち着ける仕事先をなかなか見つけられずに転職を重ね、「やっぱり一番初めの会社が良かったなぁ」などという話を聞くこともあります。

ただ理由もなく「会社は辞めない方が良い」などというつもりは毛頭ありません。辞めて環境を変えなければできないことはたくさんあります。ブラック企業のように、辞める以外にどうしようもないような会社もあります。
でも、今いる会社が普通の会社で、そこでの課題が見えているならば、「辞める」ではなく「今いる環境を変える」という選択もあるのではないかと思います。 


2013年12月25日水曜日

「お試しできっかけを」という話


あるテレビ番組で、若者に消費を促すには「お試しできっかけを与えることが良いのでは」という話がされていました。

これは親や会社の上司、先輩など周囲の人たちの責任もあるが、未知のことを経験する機会が少なくなっていて、なおかつネットの情報などで、持っていないものでも使った気になったり、食べたことがないものも食べた気に、行ったことがないところでも行った気になってしまったりということがあるのだそうです。

既視感、既知感ということらしいですが、それにプラスして失敗しなくない心理の強さもあり、行動に移すことを躊躇したり、やたらと慎重だったりということがあるのだそうです。
これをお試しで使わせる、お試しで食べさせる、お試しで行ってみるということを通じて、消費行動への躊躇を取り除いていくということらしいです。

人事の世界でもこれと同じように感じることはあり、例えば今話題のブラック企業の話では、就活生がそういう会社には入りたくないとネット上の情報を調べ、それが過剰に慎重になり過ぎて、ちょっとでも気になることがあるとなかなか応募に踏み切れない、活動すること自体を躊躇してしまうというようなことがあります。

最近は「インターンシップ」の活用が言われますが、これもお試しの一種なので、社会に出ていく不安や躊躇を減らすためということでは、同じようなことなのだろうと思います。

自分の経験で言えば、会社の上司などに自分ではいけないようなお店に連れて行ってもらい、そこにまた行きたいと思うかどうかは別として、そんな経験をしたということが後々で役に立つこともありました。最高級も最安価も知っていれば、幅が認識できるので、自分が遭遇したものが一体どんなレベルのものかという尺度を持つ事ができたのも良いことでした。
今思えば、自分の上の世代の人たちから、何かとお試しの機会をもらっていたということでした。

世代を問わず、人間は未知のことには何らかの不安や躊躇があって当たり前です。買い物に失敗したくないと思えば、事前にできるだけ情報を集めて失敗がないように準備します。さらに実物を実際に試す事ができたら、失敗するという不安や躊躇はなくすことができるでしょう。
これは新しい仕事でも、新しい職場でも、新しい人間関係でも同じことだと思いますし、この「お試し」にあたるような取り組みを、いろいろな形で実施している会社というのは、あまり目立ちませんが実は結構あります。

特に若手社員に対して、「お試しできっかけを」という考え方は、会社の中でも外でも、意外に多くの場面で当てはまるように思います。


2013年12月23日月曜日

社員に「起業家精神」を求めることへのちょっとの違和感


特に中小企業では、社員であっても「起業家精神」を持つべきだとおっしゃる経営者がいらっしゃいます。

「会社で起こることを人任せにしない」
「何でも我がこととして仕事にあたる」
「全体を見渡す広い視野を持つ」
「経営資源(人、モノ、金、情報・・・)を意識する」
「目的意識、コスト意識を持つ」
「組織を率いるリーダーシップ」・・・・.etc

こんなことを主旨に、社員に向けて「起業家精神」を求めます。「自分の食いぶちは自分で稼げ」などといいます。

確かに、「他責にせず、社員に自律を求める」ということには、私も全面的に賛成です。
私自身が組織に属していないからかもしれませんが、サラリーマンとして企業で働いている仲間や友人、後輩たちと話していて、出てくる会社の愚痴などを聞いていると、「そんなら自分でやればいいのに・・・」などとついつい思ってしまいます。(もちろん、会社にいればそう簡単にいかないことも重々承知しています。私もそうでしたし・・・)

ただ、「他責にせず、社員に自律を求める」ことが「起業家精神」なのかといわれると、私はそれにはちょっと違和感があります。
「起業家精神」を持っている人は、基本的には起業したい訳で、組織に残ってその組織の一員として貢献していくということには、あまりつながらないと思うからです。

社員に「起業家精神」を求めるということは、言い換えれば「どんどん独立しろ」とあおっているともいえます。その独立した元社員たちと取引をして、自社のビジネスを広げて行こうというような発想でもあるならば、それはそれでアリだと思いますが、そうでなければただの「人材流出奨励」であり、なおかつ流出していくのは、自社にとっては優秀な人材ということに他ならないでしょう。

強い組織にするために、「他責にせず、社員に自律を求める」ということは、絶対に必要なことですが、あくまで「組織に帰属した上で」という前提があります。
もしも求めた通りに「起業家精神」に目覚めて、結果的に巣立っていく社員がいたとしても、会社が初めからそれを望んでいることは、ほとんどないのではないでしょうか。特に中小企業ではそうだろうと思います。

求める人材像などを、どんな言葉を使って表現するかということは、実は意外に繊細で大事な部分です。
そう考えると、少なくとも社内の人材育成の範疇では、「起業家精神」という言葉は、ちょっとふさわしくないように思います。


2013年12月20日金曜日

何かを始めるには何かをやめなければできない


これから新年に向けて、新たな取り組みを始めようと考えている方も多いと思います。

先日あるところでうかがったお話で、印象に残ったことがあります。
「何かやめたいことがあるならば、やめた部分を埋める新しいことを始めなければならないし、新しいことを始めたいならば、今までやっていた何かをやめなければできない」
というお話でした。

初めは禁煙を例に出され、
「たばこをやめようと思ったら、それまで吸っていた時間を何かで埋めなければやめられない。だからガムをかんだり飴を食べたりすることで埋めようとする」
ということでした。

私がなるほどと思ったのは、その逆に新しいことを始めようとするときの話で、
「みんな新しいことは積み上げ、上乗せばかりで考えるが、与えられている時間は有限であり、始めるかわりにやめることとセットで考えなければ、新しいことはなかなか続けられない」
ということです。

考えてみると、私は最近ブログやその他原稿を書くことが増えましたが、その代わりにテレビを見る時間が圧倒的に減りました。いつも懇意にしている社長さんとたまたま話した中で、「最近ちょっと面白いゲームにはまってしまって、おかげで読書する時間が減ってしまった」なんておっしゃっていました。勉強をするために睡眠時間を削るなんていうことも、たぶん同じようなことです。

一言で言ってしまえば、物事の優先順位づけなのでしょうが、こうやって「何かを始めたら何かをやめる」ということを、みんな無意識のうちにやっています。逆に今までやっていたことが何もやめられなかったとしたら、きっと新しく始めたことの方が続けられなくなってしまうのでしょう。

さらに思ったのは、この無意識でやっていた「何かをやめること」が意識的にできたとしたら、「新しく始めたこと」を続けられる確率が上がるのだと思います。

「新しいことを始めるには、まずやめることから考える」という方法も、結構良いのかもしれないと思っています。


2013年12月18日水曜日

やる気満々の受け身


「受け身」というと、とかく消極的でネガティブなイメージで語られることが多く、特に最近の若手社員を指して言われがちです。

受け身な姿勢に対して「やる気がない!」といって嘆いたり叱責したりしますが、これをやる気がないと言い切ってしまうのは、ちょっと勝手な決め付けであって、必ずしもやる気が無いという訳ではないはずです。

例えば、仕事に対してはいつも前向きな気持ちを持っていて、できることは何でもやろう、何とか役に立ちたいと思っているとして、でも上司はいつも忙しそうだし、まだまだ戦力になれないような自分が話しかけたりして、そのせいで時間を取らせてしまうのは申し訳ないと思っていたとしたら、一体どんな行動を取るでしょうか。

上司が忙しそうにしていても、それに構わず自分から「何かありませんか」とアプローチをする人もいるでしょうし、いつ指示が出されてもいいように、準備万端、やる気満々で仕事をもらえるのを待っているという人もいるのではないでしょうか。

前者に比べて後者は圧倒的に「受け身」ですが、では前者が良くて後者はダメかというと、一概にそうとは言えないと思います。逆に前者は相手の事情を考えずに、自己中心的な気持ちで、自己アピールのために行動しているのかもしれません。

積極的で行動的という面で見れば、前者が優れているでしょうが、相手の事情を考えて空気を読むということでいえば、実は後者の方が優れているといえます。

こんな風に、「やる気満々」という言葉と「受け身」という言葉は、一見相反するようですが、「やる気満々」という目に見えない主観的なものを、「受け身」という見た目の様子だけで決め付けてしまうと、実際とは違っていることがあります。自分の持っている価値観、思い込みによる決め付けも同じことです。

中には「やる気満々の受け身」という人もいるんだということは、是非認めてあげて欲しいと思います。


2013年12月16日月曜日

若手社員が電話応対を苦手な訳


以前読んだある記事に、「最近の若手社員は会社の電話を取りたがらない」という話題がありました。

メールなど他の連絡手段が普及し、会社にかかってくる電話の本数自体が減ってきて、会社のマナー研修でもあえて電話応対を取り上げないところも出てくるなどした結果、会社の電話に出るのは、その大事さを新人時代に厳しくしつけられた30代の中堅社員ばかりになってしまっているのだそうです。

私も新人研修などで電話応対を教えることがありますが、最近の新入社員は、電話応対に対する難易度をすごく高く捉えていて、とにかく苦手意識があるように感じます。

実際の研修の場面でも、一言一句漏らさず一生懸命メモしていて、まるで台本を作っているようだったり、セリフ棒読みで会話としてつじつまが合っていなかったりと、もはや電話応対とは言えないような状態から始まることもあります。

ただ、これもよく考えれば当然のことで、今の新入社員世代は、電話をするにしてもほぼお互いの携帯電話同士でしかかけないので、そもそも電話応対そのものをした経験、他人にかかってきた電話を取り次ぐという経験自体がほぼありません。

かつては家にある電話で、家族の誰かにかかってきた電話を取り次ぐ経験を当たり前のようにしていたので、研修では言葉遣いや聞いておくべき用件、伝言のしかたなどをやれば良かったのですが、今は本当に一からすべてを教える必要があります。セリフの棒読みもやむを得ないでしょうし、そこにちょっとアドリブを入れたりすると、もう何を話していいのかわからなくなってしまいます。

そうは言っても、その新入社員たちも、その後はきちんと電話応対ができています。スタート時点はひどくても、できるまで時間がかかったとしても、教えればできるようになっています。緊張もせずに普通にできるようになっているので、電話を取りたがらないなんてこともありません。

こう考えると、やっぱり相手のレベルに合わせた教え方と、無理矢理でも最初に一歩を踏み出させて、経験の中で慣れさせてしまうことが大事だと思います。
経験させる機会やタイミングを逸してしまうと、「電話に出たがらない」などと同じようなことが、いろいろ出てきてしまうように思います。