2013年3月12日火曜日

偉い人の方が無責任?


最近のいろいろなニュースを見ていると、自分たちの既得権益ばかり守ろうとする人たちや、不祥事を起こした企業など、自己中心、無責任と見えてしまう例が多々あります。
テレビや新聞報道から見ているだけなので、本質がわかっていないかもしれませんが、誤りを素直に認めなかったり、自分たちの行動を正当化したり、責任回避ばかりしている様子を見ていると、どうしてもそのように感じてしまいます。

また、そう見えてしまう方々は、皆さん“社会的地位が高く”、“指導的立場にある”、“インテリな方々”のように思います。やっぱり社会的な地位がある人は、手に入れているものが大きいので、それを手放すことが惜しかったり怖かったり、プライドが許さなかったりするのかなぁ、などと思います。自分が直接手を下したわけでなく、たまたま責任者の立場だっただけ、という気持ちがあるのかもしれません。

こんな偉そうに言っている私だって、圧倒的に自分に甘いし、同じ立場だったら大差ない振る舞いをしてしまうのではないか、とも思います。世の中には立派で尊敬できる方々はたくさんいらっしゃいますが、どんな人でもやっぱりどこか一つぐらいは自分に甘いところがあるのではないでしょうか。人間なんてそんなもんだと思います。
そんな甘さや不正を防ぐために、人は組織や集団でお互いが関わって、カバーし合うのだと思います。他人の目を意識することで自分を律するところがあると思います。

組織や集団の弊害もあります。人のせいにできるので無責任を助長することもあるでしょうし、個人の持ち味を奪うこともあるでしょう。特に日本では、組織になると責任があいまいになる傾向があるように思います。

最近起きていることを見ていると、「組織で起きる不祥事」は、組織を使ってオイシイ思いをしている者同士が、一部の者だけで結託して、組織を使って自分の身を守る。都合の良いところは組織に依存して無責任になる。お互いの甘さをカバーするのではなく、逆に助長しています。はっきり言って「組織の悪用」で、情報共有をしない組織ほどそういう危険があるように思います。

こう考えると、組織の中では、細かな利害や価値観が違う者同士が、適度な関わりのもとに活動することで、はじめて不正を防ぐことができ、自分自身の甘さを抑えられ、それが組織と本人の成長につながるように思います。情報共有の仕組みだけ作っても、流す情報を操作すれば「組織の悪用」はできてしまうので、情報操作ができないためにも、やはりお互いの適度な距離感と関わりが必要です。

偉い人ほど周りから指摘を受けなくなるし、現場と責任者の距離が遠いほど、責任者は無責任な態度になるように思います。これを自分の意志だけで自分を律するのは難しいところがあります。

“悪用できない組織”にするためには、様々な価値観の人間同士の、適切な関わりと距離感が大切だと思います。


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