2013年6月14日金曜日

覚えていればやっぱり得をする


私の周りに、「人の顔や名前を覚えるのが苦手なんだよね」とおっしゃる方が結構何人もいます。日頃から多くの人を相手にしているような方であれば、やむを得ないところもあると思います。
ブラッド・ピットが、「失顔症」という人の顔が覚えられない病気だと告白しているのを聞き、あまり失礼だなどと非難してはいけないこともあると知りました。
ただやはり、人の顔を覚えるということが、何かと大事なことには変わりないのだろうと思います。

私自身のことでいうと、人の顔と名前を覚えるのが実はまあまあ得意です。一生懸命覚えようとしている訳ではありませんが、一度の名刺交換だけであっても、その時の印象、空気感、ちょっとしたやり取り、場所、季節、時間帯などが絡み合って、何となく覚えています。
「こんな話をしていた」とか「食べ物はこれが好きと言っていた」とか、他愛ないことも多いですが、後日お会いする機会があった時にそんな話をすると、「そうだったね」とか「よく覚えているね」などと言われ、これが意外に喜ばれたりします。その後のお付き合いにつながったりして、圧倒的に良いことが多いので、「人を覚えるのが得意で良かった」といつも思います。

有名なところでは、故田中角栄氏が大蔵大臣に就任したとき、大臣室に来た官僚一人ひとりの名前をフルネームで呼んで、相手を感激させたという話があります。名前を忘れることがあっても、握手をしながら「君の名前はなんだっけ?」「名字はわかっているよ。下の名前はなんだっけ?」と、うまく聞き出していたそうです。

私も、久しぶりに訪ねたお店などで自分のことを覚えていてくれると、何となくうれしいものです。何年かに一回くらいしか行けないような高級レストランで、「お久しぶりです」と言われて、「いやぁ覚えてないでしょう?」と聞いたら、「前回は○年の○月○日にお見えになって、○○を召し上がりましたよ」なんて言われて驚いたことがあります。お店で来店の記録をしていて、それを確認しているのかもしれませんが、そうだとしてもやっぱりうれしいです。

顔と名前を覚えないままでいると、自分にはそんな気持ちがなくても、「あなたには興味がありません」と言っているようなものです。相手へのリスペクトを欠いているとも取られても仕方ないかもしれません。

「顔と名前を覚えるのが苦手」とおっしゃる方でも、その大切さを理解している方は、その時その時に会った人のことを自分なりに記録したり、人に会う前にその記録を確認したりして、自分でできる努力をしています。それは損とか得とかいう気持ちより、相手に失礼が無いようにというところの方が強いようです。私が思うのは、記憶力うんぬんよりも、結局「人に対する興味」「相手への敬意」があるかどうかということです。

会った相手を覚えていることで損することは一つもありません。少なくとも私の経験では得することばかりです。相手に喜ばれてその後の関係を深めることができるなら、いくら苦手であってもやっぱり人の顔も名前も覚える努力をするに越したことはないと思います。


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