2015年1月16日金曜日

「通勤手当廃止」より、「職住接近支援」の方が現実的?


著名ブロガーの「通勤手当なんて廃止すべき」という記事が話題になっているようです。
会社が通勤手当を支給するということは、「本来の仕事」と「通勤電車に乗るという仕事」の抱き合わせ販売である、との主張で、通勤手当を廃止すれば、近くの住居を選択する人が増え、朝から疲れて出社する人が減り、「全員が得することを意味します」ということです。

実は私がいろいろな企業の経営者とお話しする中でも、この「通勤手当」が話題になることは意外に多いです。特に所在地が東京地区の会社は、遠距離通勤の社員が多いので、問題意識も高いように思います。

通勤手当は、人によっての金額差が意外に大きく、安い人は月数千円、逆に高い人は会社の規定にもよりますが、月10万円以上という人もいます。
もちろんたくさん支給されていても、それを交通費として使っているので、決して自分で貯めこんでいる訳ではありませんが、会社の立場とすれば、それを給与として支払っていることには変わりありません。

特に中小零細企業では、給与原資が潤沢にはありませんから、仕事の能力や成果とは関係がなく、なおかつ結構な高額になるケースもある「通勤手当」は、本音ではやめたい、もしくはその原資を能力や成果に関係するような他の名目で分配したいと考えていることが多いです。まさにこの「通勤手当の廃止論」に近い部分です。

一方で、社員の側からすれば、特に遠距離通勤で苦労している者にとって、通勤手当が廃止されてしまうことは結構な死活問題です。会社の事務所移転や家庭の事情など、必ずしも自分の意志だけで遠距離通勤をしている訳ではないという気持ちの人もいるでしょうし、何よりも既得権として、多くの企業に広く定着している制度ですから、廃止と言ってもそう簡単には行きません。

そもそも「通勤手当」の発祥を調べてみると、どうも大正の初期から、すでにその名目での賃金支給があったようです。当初は労働力需給のひっ迫から来る人員確保策の一環だったようです。
その後、戦中戦後の貧しい時期に、生活給的な要素の高まりを補てんする物だったり、さらにその後も長期雇用をしやすくする、勤務地の異動を円滑に行うといった施策の一環であったり、高度成長期からマイホームがどんどん郊外へと離れていき、通勤時間が長い社員が増え、それを支援しようという会社としての親心もあったように思います。様々な経緯があっての現在であるようです。

このように、それなりの歴史的な経緯もある「通勤手当」ですから、これを廃止するのはちょっとやそっとでは難しそうに思います。
また廃止したとしても、人がその土地に住むには多くの理由があります。多数の社員が簡単に、「じゃあ会社の近くに引っ越そう」とはならないと思います。

ただ、そうは言っても遠距離通勤は問題です。
実際に見ていても、やはり遠距離通勤の人は疲労していますし、日本では単位時間当たりの労働生産性が低いと言われますが、通勤時間を含めた拘束時間が諸外国よりもかなり長く、それが働く人から活力を奪っている一因という話を聞いたことがあります。

こんなことから考えると、「通勤手当廃止」というよりは、「職住接近」を支援するような施策を打ち出す方が現実的ではないかと思います。

これで有名なのは、サイバーエージェントでの「2駅ルール」(会社から2駅以内の賃貸物件に住めば、家賃補助がもらえる制度)ですが、社員はトータルの拘束時間が減ってリフレッシュができ、会社の費用負担も、通勤交通費やタクシー代と比較しても、あまり変わらずに実施できているとのことです。

“通勤手当の廃止論”は、それなりに理解できますし、一理あると思います。ただ、現実的には通勤時間が少ないことにインセンティブを与えるようなやり方でなければ、なかなか実現は難しいのではないでしょうか。
でも、こういう形の問題提起は、良いきっかけではないかと思います。


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