2015年2月16日月曜日

「ロールモデル」がいる幸せと、いないことの当たり前


「お手本にしたい上司がいない」
「目標にしたい先輩がいない」
いろいろな会社で良く聞く話です。ロールモデル(お手本になる人)になる人が身近にいないということです。

最近聞く話でさらに問題と思うのは、「身近にお手本がいないから自分が成長できない」「目標になる人がいないから仕事がつまらない」など、自分の身近にロールモデルがいないことを、転職や異動希望の理由として聞く機会が増えたことです。

かく言う私自身も、特に社会人になりたての頃は、「“この人なら!”と尊敬ができて目標になるような人が身近にいれば良いなぁ・・・」とは思っていました。ただ、今はこの考えとはかなり違ってきています。

もちろんロールモデルが身近にいれば、それはそれで良いことですが、実際にそんな人に出会えるチャンスはめったにあるものではありません。現実にはロールモデルと呼べる相手がいない人の方が多数派であり、そもそもロールモデルというのは、必要ならば自分で見つけ出すものだと思うようになったからです。

私の場合、書籍や読み物を通じての情報収集は当然しますが、どちらかというと他の人の経験談や様々な話の内容、態度や言動、行動パターンや食べ物やお勧めのお店など、他人から直接得た情報や実際に見たその人の振る舞いなどを、参考にしたりマネしたりすることの方が圧倒的に多いです。

やはり、文字で見るよりは人から話を聞く方がリアリティがあり、自分の意識に深く刻まれるということがあると思うからで、自分でロールモデルを見つけようとしていることは間違いありません。

一方で、私には「尊敬する人」や「座右の銘」というものがありません。理由は単純で、そんな全人格的に尊敬できるような人はいないし、良い言葉は世の中にいっぱいあるので一つだけには決められないからです。ロールモデルは特定個人ではないし、ロールモデルになる言葉もたくさんあるということです。

 つい先日、あるホテルの和食の料理長さんのお話を聞く機会がありました。自分を仕込んでくれた尊敬できる師匠がいらっしゃり、どんなに年齢を重ねても師匠は師匠、弟子は弟子だとおっしゃっていました。

まさに自分のロールモデルといえるような存在があることはうらやましいと思いましたが、同時にそれはめったに出会うことができない、幸せなことなのだろうとも思いました。

「ロールモデルがいない」と言って、それを自分が行動しない理由にしている人には、「この人に付いて行けば間違いない」という個人を見つけて、その人に頼ることで安心しようという依存心や他責のようなものを感じてしまいます。

 ロールモデルはなりゆきで現れるものではなく、自分で見つけ出すものだと思います。
自分が意識さえすれば、いま隣にいる同僚でも家族でも友人でも、もちろん上司や先輩でも、何かお手本になることは必ずあるはずだと思います。


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