2015年9月23日水曜日

あらためて思った「緊張しすぎを作り出すのは自分自身」だということ



私自身、仕事柄もあって、知らない方とお会いしたり、人前でお話したりという機会はそれなりにありますが、特に最近はあまり緊張するようなことはなくなりました。
わりと昔から「本番に強い」などと言われていましたし、その方が自分自身のスイッチが入って、結果が良いことが多く、元からあまり緊張するタイプでもありませんでした。

ただ、そうは言っても、やはり緊張する場面はあり、それがどんな時だったかを考えてみると、どういう人たちがいるか、それが何人か、格式がある場面か、などといったことはあまり関係なく、それがどんなに少人数のプライベートな場であっても、とにかく失敗ができない、絶対にうまくいかせなければならないというような、追い込まれた時が多かったように思います。
しかし最近は、そんな失敗すらも別にかまわないと思うようになってしまっているので、なおさら緊張する場面が無くなっています。

私は企業の採用面接などに立ち会うので、そういう場ではとても緊張した状態の人にお会いしますが、ある学生さんの話を聞いて、緊張というものの本質を感じたことがあります。

面接の場でとにかく緊張状態でしどろもどろ、ちょっとかわいそうなぐらいの人でしたが、自己紹介書を見ると、たぶん数百人規模と思われる、複数大学にまたがって活動するような、とても大きな学生団体の会長をやっています。
活動の様子を聞くと、大人数の前でのスピーチや、それぞれの利害がぶつかるような会議の取りまとめなど、多くの人を率いるリーダーシップが必要な、とても大変な役割を担っていました。

目の前にいる本人の様子とは、あまりにもギャップが大きいので、いろいろお話を聞いてみましたが、そこでわかってきたのは、その学生さんは、スピーチや講話や演説などであれば、目の前に何百人いても誰が誰だかわからないし、直接見られている実感もないので緊張することはないのだそうですが、座談や面談といった少人数でのコミュニケーションは、明確な対象が目の前にいるので、とても緊張するのだそうです。
さらに採用面接などとなれば、自分の将来がかかっていることなので、さらに緊張が増幅して、どうしようもなくなってしまったのだそうです。
 
普通に考えれば、大人数相手の方が緊張しそうなものですが、この学生さんの話であらためて思ったのは、過度な緊張というのは、結局は自分自身の感じ方次第で、自分が勝手に作り出しているものだということです。

緊張は決して悪いことではなく、適度には必要なことです。私のように、あまり緊張しないなどと言う者は、ともすれば軽く見られたり不真面目に捉えらたりすることがあります。緊張しすぎぐらいの方が、場合によってはよほど真面目で誠実に見えることもあるでしょう。
勉強でもスポーツでもビジネスでも、それなりの緊張感を持って臨まなければ、良い結果は得られません。必要な緊張をコントロールするのも、やはり自分次第ということでしょう。

緊張をコントロールすることは、なかなか思い通りには行きませんが、緊張しすぎは、それが良い結果につながることはほぼありませんし、それを作り出すのは自分自身です。
こればかりは、自分なりに少しずつ解決していくしかなさそうです。


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